この物語は、決して「他人事」ではない。
- ★★★ Excellent!!!
魯迅という中国人の作家がいます。
今は知りませんが少なくとも僕の学生時代は国語の教科書に載っていたので、ご存知の方も多いでしょう。「阿Q正伝」や「狂人日記」の著者です。彼は元々、作家ではなく医者を目指していました。しかし1900年代初頭、彼は日露戦争に纏わる幻灯写真を見て目指す道を医学から文学へと変えました。この争いに満ちた世が真に必要としているのは病気や怪我の治療ではなく精神の改造である。そのためには文芸を用いて人々の心を変える他ない、と。
僕はこの「ブラッドライン」という作品から、その魯迅が抱いていたものと同じ志を感じました。
本作で描かれる「事件」や「戦争」がリアルであるかどうかは、僕の拙い知識では判別がつきません。しかし本作で描かれる「人間」が腹立たしいほどにリアルであることは、僕の拙い感性でも判断できます。繰り返される悲劇と終わりのない怨恨の連鎖。争いの止まない世界に翻弄される罪なき人々と罪を背負う人々。そうやって閉塞する世界に小さな風穴を開ける一人のスーパースターの死と、その死の真相が招く結末。それらは物語として綴られ、物語的装飾を受けながらも、物語とは思えないリアルな感触を以て読み手の心に楔を打ち込みます。作中における「M」の死がそうであったように、人々の胸中に静かなさざ波を立てて価値観を揺るがします。
本作がテーマとしている「戦争」という事象は現代日本に生きる我々にとって縁遠く、しかし本作が訴えるメッセージは決して「他人事」ではありません。例えば、いじめ。例えば、マイノリティへの差別。そういった身近な事象に拡大適用出来る普遍性を供えています。誤まった道に進みそうな時、本作のことを思い出せば自分を律することが出来る。この作品はそれだけの強度を持っています。
魯迅が死しておよそ80年、世界には未だ戦争が満ち溢れています。しかし魯迅の行為は決して無駄ではなかったはずです。この世には一人一人が考えたところでどうしようもない問題がゴロゴロしていますが、それでも一人一人が考えないことには解決のスタートラインに立てません。だからまず、読んでみて下さい。そしてよろしければ、考えてみて下さい。その先に出た結論が善きものであること、その結論が貴方の人生を豊かにすること、その果てに世界がほんの僅かでもプラスの方向に傾くことを願います。