「努力は必ず報われる」という呪いを越えて

 努力は必ず報われる、という思想があります。 

 希望に満ちた前向きな思想です。しかし見方によってはこれほど残酷な思想もありません。だってこの思想は、裏を返せば「報われていない人は努力していない」ということです。「努力しているけれど報われていない」人がこの思想と向き合えば、否定すれば未来の努力を、肯定すれば現在の努力を乏しめてしまうジレンマを抱えることになります。

 本作『さようなら屋根のあるお家』の主人公、志維菜は役者志望であり、まさにその「努力しているけれど報われていない」人です。彼女はそんな現実にフラストレーションを溜め、同じ夢に向かって歩む同志を妬んだり、妬んでしまう自分に自己嫌悪を抱いたりします。「努力は必ず報われる。わたしはまだ努力が足りないだけ。がんばろ☆」と頭お花畑にして突っ走ることは出来ない。そういう人間くさい心理と葛藤が随所に描かれています。

 対してもう一人の主人公とも言える絵描き志望の同居人、詩恵奈のそういった葛藤はあまり描かれません。美人で、自由奔放で、絵描きになりたいという夢とは無関係にやりたいことをやる。志維菜とって夢は現実と地続きにあり、詩恵奈にとって夢は現実と離れた場所にある。だから詩恵奈は「叶ったらいいな」程度の努力しかしていなくて、努力をしていないから報われていない現実もへらへら受け止めることが出来る。そういう風に見えます。

 志維菜の目線では。

 志維菜はおそらく「君が報われていないのは君の努力が足りないから」という言葉に頷けません。しかし「努力は必ず報われる」という思想を潜在的に信じてもいます。その信心が呪いとなり、努力しているのに報われないという現実と合わさって彼女を目を濁らせている。夢を叶えてしまえばその濁りは簡単に取れるけれど、夢を叶えることなく濁りを取り払うのは泥臭い自分との戦いを避けられない。本作に記されているのは、その泥臭い自分との戦いです。夢に向かって邁進する女の子の輝かしいサクセスストーリーではありません。だからこそ、御伽噺ではないリアルな感情が読み手の胸に刺さります。

 カクヨムの場の特性を考えれば、現在進行形で志維菜と同じような状況に陥っている方も多いでしょう。そういう人に是非、本作を読んでもらいたい。タイトルになっている「屋根のあるお家」とは何なのか。そしてそれに「さようなら」と別れを告げることが何を意味するのか。読了し、その答えをぼんやりとでも捉えることが出来れば、夢とも、現実とも、もっと仲良くやれるのではないかと思います。

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