突拍子もないタイトルですみません。
3年程前当サイトで拝読しておりましたが、とある本屋で文庫本として出版されている本作がふと目に留まりました。売れているのでしょうか。多分女性が手に取ることが多いのでしょうが…。
単行本の表紙のイメージからはまるで予想出来ないようなストーリーです。
重く理不尽かつ悲劇的。
しかし不思議なことに読後しばらく残っていた本作の残像はそのような重々しいものではありませんでした。
2丁目の公園で微笑む少年、光り輝く歌舞伎町のネオンの路地裏で裸足でくつろぐダンサー、雑踏の靖国通りを手を繋ぎ駆け抜ける2人、爆音と煌びやかなスポットライトが照らすステージから駆け下りるタクミ、先生の腕をつかみ走り出す熊本君…。
自らの生を、性を、自分らしく生きようとした若者たち、汗と力強い肉体、その息遣いがリアリティーと幻想的な色彩感の中で活き活きと脳内に残り続けました。
本当に表現するのが難しい作品なのですが、その独特な読後感はアメリカンニューシネマを見終わった後の印象と親和性があると言えるかな、ああそんな感じだ、と最近気付いた次第です。
鮮やかで力強い若者たちの生への力感、幻想性、そして理不尽な悲劇。その光と影。
イージーライダー。
本作共々名作だと思います。
さらりと入り込める導入で読み進めるうちにいつの間にか底の見えない沼の中にいる、そんな物凄い吸引力のある作品でした。
登場人物がことごとく闇の中にいて、明確に説明されるまでもなくそれぞれの苦しさが読み手に伝わってきます。
均一した重たい緊張感がずっと続いて行くようなさま、読み手にも同じ緊張感を強いられているような心地になりますが、これが本書を読む快感になり思わず次のページに進んでいます。
少年のうちに理不尽な呪いを受けた熊本君が色んな人間との関わりの中でもがきながらいかにその呪縛と向かい合うのか。
物語の内容の凄まじさと裏腹に、腹の底のドロドロとしたものが淡々と論理的に語られる温度差の妙、そして人間の内面を感情的になることなくここまで綿密に赤裸々に描かれる筆致に敬意を感じます。
「熊本君の小説」からがおそらく本題といえるのでしょうが、「わたし」の章の中で語られることが全て伏線となって回収されていく面白さもあり、物語自体の娯楽性も素晴らしいです。
とにかく読んでよかったと思いました。
読み応えのある作品をありがとうございました。
人って面白い
とても面白い。
大変参考になり、刺激を受けました。
有難うございます。
何が驚くって、面白さとランキングがまったく関係ないことでしょう。
レビュー少ない、コメント少ない、フォロワー少ない。
実に驚くべきことです。
内容に関係ないランキング。
では、それは一体何を計測しているのでしょうか?
ランキングの有害性をまざまざと見せつけてくれる作品です。
ええ、それでいてキャラクター文芸部門 大賞。
賞って大事ですねと、これでもかとばかりに教えてくれます。
読みそびれたこと間違いなしです。
それと表紙なんですけど。
イラストがとても清潔感あふれていて。
ドバン!と
そこに熊本君が半裸で登場(なぜ全裸ではないのか?)
(二人共全裸の方が合っているような気がしないでもありません)。
はさておき。
しかも横向き。
さらに本を読んでいる。
その上で立ち読み。
止めは背中合わせという。
それでみのりはこちらを覗いてる。
意味込めまくりです。
そう、半裸で読書。熊本君は熱中してますね。
わかります。
その本。
滅茶苦茶面白い。そのタイトル名は。
「キタハラさんの本棚」
この作品の書きたいことは何だろう?
序盤はみのり視点で、「外から熊本くん」を見ている。
後半は、目次からわかる通り。熊本くんの書いた小説の主人公視点で読者の視点。
みのりが読んでいる。読者も読んでいる。三重の視点が絡みに絡む。
その上、作者の視点、思惑、衝動。二人の作者は端的に対立します。
だってそうでしょう?
そもそも生まれが違う、目的が違う、想定する読者が違う。
住んでいる世界までもが違ってる。
ある一点を除いて何もかもが違うと言っておよそ過言ではなく。
だけれども、好き勝ってに操っては全てが台無し。無粋であります。
なんと言っても、彼が書く、そこに意義が詰まっているのですから。
本来は作品も運命も作者の思うがまま。
であるはずだ。だがしかし?なにがどうして。そうはいかない。
つまり、書けないものを書いている。
書けないものを書く、それが作家の本領にして真髄、妙味。
作り話。全ては嘘であっても。
真実にするのはそれの細部に宿るもの。
神であるのか悪魔かもしれない、幻の想いは。見える人にしか見えないでしょう。
読者と作家。果たして読まれない作品は作品なのかというテーマも見え隠れしています。
みのりは決定的な存在でした。彼女だけは、ただの読者ではない。
読むという行為自体が、大きな謎を秘めている。玄妙そのもの。どこまでも深い。
・・・・・・作家と読者はどこかで繋がっている。
おそらくは。届く、ということ。
ところで。
熊本くんは小説を書いてますが、その中に登場する熊本くんも小説を書いている。
小説の中の小説の中の小説にも熊本くんが登場します。
そう、小説を書かない熊本くんは、熊本くんではないとでも言いたげで。
熊本くんを書いているのは、どこまで行っても熊本くんなのでした。
それは。無数の小説、無数の本棚。貫いて。
そうしてそれはあらゆるすべてのあらゆるすべてへ・・・
ここまで言えば言いたいことはただひとつ。
そうなると、問題は。
あの結末・・・
書きたいことがいくらでも続々湧き出てくるけれど。
それを全部書くわけにもいきません。
困りました。いくらでも深読みできる作品が大好きなので。
例えば「ゲイ」の意味とか。「ゲンジツ」「まつり」「みのり」等々。
読み終わらないから楽しい。
批評とは自己理解であり。理解するとは自己を解体することにある。
謎は謎のままであるから美しい。
理解の残骸になるなかれ。
理解とは区別すること。
偽から真を区別する。
切れぬもの無き、理念の刃。
だから切ってはいけないものまで切れてしまうのでした。
闇を切り裂き光を照らす。
しかし。
切らなければ。見えないものは、見てはいけないのだ。
本は心で読むものだから。
この小説を読んで、表現するべき言葉に随分と悩みました。
今回、書籍化に併せてカクヨム版も再読をしましたのでそろそろ言葉をひねるべきだろうと。
しかしこれが難しい。
カクヨムコンを勝ち抜き、大賞を勝ち取った本作は寸評をして『きもちわるい』と表現されています。
その気持ちは大いに分かる。読めば凄みに圧倒され、在野に潜むには巨大すぎる才能を感じますが、余りに偽悪的で自分の言葉で語ろうとすると喉に詰まって言葉を塞いでしまうのです。
表現するには余りに難しく、しかし間違いなく面白い。
いずれにせよ私が初めてキタハラという鮮烈な才能を知ってから、ずっと持ち続けている強烈な嫉妬心はやはり間違えていなかったのだなと胸をなで下ろす次第です。
私はキタハラさんの小説が大好きです。
ひとことでいえば「凄いものを読んだ」という感想(身もふたもないな)。
初めは、それぞれ事情を抱え、葛藤して迷いながらのキャンパスライフを描く青春小説を読んでいたはずが、読み進めるうちに「一体俺は何を読んでいるのだ?」と、我に帰らざるを得ない状況に困惑する。
それは「予想を裏切る展開」というお決まりのフレーズではなく「別の何かが侵食してくる」というような感じ。
物語の様相がガラリと変わるというよりは、じわじわと気がつかないうちに姿を変え、変わったものは自分の望んでいたものではないのにそこから抜け出られない。
中盤を職場の昼休憩に読んだのだが、あまりに引き摺りこまれすぎて、休憩後にデスクに戻ってもしばらく現実との境目がわからなかった。
で、じゃあ引き摺り込まれすぎないように、と少し読むのを控えていると、頭の中で読み進めたまでの場面がループし、先を読まずにはいられない。
読了した今、ようやく一旦解放されたような感覚がある。
とにかく凄いものを読んだ。
そして熊本くんやみのりちゃんが(そして“奴ら“もだ)、自分の生きるこの世界の地続きに存在しているのではないか、と思わせられる。いつでもそれは僕らの身近にひそんでいるのだ。そんな気にさせる小説。
まだお読みでない方は、ぜひ一度10話まで読んでみてください。
続きが気になったら20話まで。
21話からも物語に入り込めたら最後までどうぞ。
きっと最後まで読んで良かった、と思えます。
人との関係を書いている、と思うんですが、小説だけあって、関係は必要以上にめっちゃ毒々しく、めっちゃドロドロドロドロしています。清らかさがどこにもない。本棚くらいか。
人は何らかの形で繋がっている、その形が正なのか悪なのか、清いのか毒々しいなのかは別として。
こんな毒にまみれた関係が普遍的にそこかしこにあるとはちょっと思えない。
……いや、あり得るのかも知れませんが。思えないけどあり得そう。ここのバランスの凄さよ。
この関係性をあえて書くという心気、これぞ文芸そしてキタハラなのでしょう。
全体を通してうごめくドロッドロとした雰囲気は確かにきもちわるいのでしょうね。私はドロッとしているという表現が良いかなって思います。
読了後はなんだか、愛を確かめたくなる気持ちになりました。
最後になりますが、カクヨムのR15制限及び、性描写ありのセルフレイティングにもかかわらず、かなり攻めた性描写そしてシューキョー??を書いております。みなさん、ここまで攻めても大丈夫なんです、読んで勉強して攻めましょう。
以下初期寄稿文。
私は読む方にも技術が必要だと思っているタイプなのですが、この作品は見事に高い読む技術を要求してくる作品です。
話を理解できなかったと思ったら、読む技術不足で理解しきれなかったと思ったほうがいいかなって思います。
文芸とラノベには深い溝のように分かれている、読む手法及び技術があるので、ラノベ畑の人だと本当きついかもしれません。
私は読み取るのにかなり苦労しました。
私は1章と2章が好きなのですが、1章最後と2章全体を取りまく本物の気持ち悪さ、本全体を繕う書評で言う気持ち悪さは別物かも知れません。いや、別だな。
最後になりますが、カクヨムのR15制限及び、性描写ありのセルフレイティングにもかかわらず、かなり攻めた性描写を書いております。みなさん、ここまで攻めても大丈夫なんです、読んで勉強して攻めましょう。
この物語を、うまく言葉で説明することができません。
作者自身にもストップをかけられない何かが勝手に言葉になり、ずっと迸り続けているような……何かスピリチュアルなものさえ感じさせる不思議な世界に、有無を言わさず引き込まれます。
主人公である「熊本祥介」くんの歩いた日々。この物語には、自分に降り掛かった運命を直向きに歩く彼の姿が、一糸纏わぬ剥き出しの形で描かれています。
何がいい、何が悪い、という表現では、一切説明ができません。
あるのはただ、熊本くんの歩いた道と、その道のりで彼と人生の交差した人々の姿。
——そうして交わった人たちそれぞれの闇、そして自分自身の闇と真っ向から向き合い、闘う以外、彼に選択肢はありませんでした。
男性同士の関わり合いが作品の根底に常に流れていますが、そこに焦点が当たっている物語ではありません。それが熊本くんだった、という……こういう表現が相応しいような気がします。
物語を書く時、クライマックスのシーンで高揚感に浸る、ということはあっても、ある意味トランス状態のようなものをずっと継続させたまま作品を書き切ることは、普通は不可能ではないかと思えます。けれどこの作品は、意識を別次元へ置いたまま綴られた物語——私にはそんな風に感じられます。そんな神懸かりとも思える作者様の筆力に、ただひたすら圧倒され、言葉を失います。
ジャンルや何かで区分される世界ではなく——これは、どこにも、何にも属さない、『熊本くんの本棚』の世界です。
深い余韻が、いつまでも消えません。
多くの方に読んでいただきたい——いや、「体験」していただきたい世界が、ここにあります。
凄いと思った。
読者を話の中に引き込む吸引力、展開が読めないにもかかわらず滑らかにストンっと心に落ちる構成力、そして、思わず部屋で一人唸ってしまうほどの圧倒的な文章力。
いやーやばいですね、これ。鳥肌止まりませんよ、これ。なんだか拙い文章でレビューを書くことで、この作品を汚さないか心配になりますよ、これ。
でも、書いちゃいます!書かないと、この浮遊感がおさまりません!
ジャンルは文学……文学ですかぁ……ここまでずっと理系一筋で生きていた私には馴染みのないジャンルなんですよね。
だから、これまであまり読んでこなかったのですが、この作品に出合ってわかりました。
はっきり言います。文学やべぇ。
深い。人間関係の絡み合いが深すぎる。
危ないところを助けてもらったから好きとか、ちょっと優しくしてもらったから心奪われるとか、人間の心はそんな単純ではない。
もっと複雑で、もっと繊細で、もっと不可解なもの。
その微かな心の機微を、巧みに表現しているのがこの作品だと思います。
……なんか、全然上手く伝えられないっすよ(´・ω・`)
私の語彙力ではこれが限界ですね!いくら4Kテレビが凄くても、アナログテレビのCMじゃ、4Kの美しさは伝えられないでしょ!?そういうことです!!(意味不
多分ひとこと紹介も意味わからないですよねぇ……私もです(笑)
心に思い浮かんだことをそのまま書いたのです!
決して誰もが幸せハッピーハッピーという物語ではありません。
人によってはどんよりと雲が立ち込めるかもしれません。
ですが、それでも光は差します。
心がぽーっとします。
自分の表現力のなさに絶望を禁じ得ない今日この頃。
このレビューが目に留まった人は、これを読むより作品を読んでいただいた方が早いです(笑)
一度読んでみてください。そしたらあなたも私と同じ気持ちになるはずです!
とにかく頭の中が混乱するくらい、たくさんの情報がぎゅぎゅっと凝縮された作品だ。
あたかも子供がおもちゃ箱に自分のおもちゃを無造作に押し込む時のように、整然とした文章でありながら、雑然としている。
それはなぜかと言えば「タカハシタクミ」という人物が物語を常にありえない方向へと引きずり回し、主人公と共に我々読者は不可思議かつ非日常の中を連れ回される。
そこには普通に暮らしていたら絶対に手にすることの無い生活感の薄い世界があり、非日常感はますます増していく。
ぐるぐると目まぐるしく自分の意思と関係なく引きずり回される世界……。髪の毛を掴まれて、「痛い」と叫んでも逃れることができない。
しかしそれが記号としての「タカハシタクミ」にとっての薄っぺらい日常であり、熊本祥介にとっての世界との断絶だった。
わたしは作者の作品を読むと、その圧倒的な力量の差に一文字も書けなくなってしまう。今作も二日に渡って読ませていただいたが、その間、一文字も書く気にならない。
自分の書いた文章を見ると、吐き気がするほどだ。それだけの筆力を持って書かれた今作は、読者にも逃げ場を与えない。
書籍化が楽しみな作品だ。
できればもう少しお手柔らかにお願いしたい。
長い時間をかけて拝読させていただきました。
レビューを書くことが難しく、以下は私の印象で、フワッとしたものとなります。
読了後、私は絶望しませんでした。
まつりさんの言葉と、熊本くんの変化がそういう印象を与えてくれたのだと思っています。
今作はその二人の他にも数名の人物が登場します。
血縁関係であったり、そうではなくても深い繋がりを持った人たちが、それぞれの言葉で熊本くんに、読者に話しかけてきます。
物語はどんどん思わぬ方向へ展開していきますが、その中できっと惹かれる人物が見つかるはずです。私はもちろんあの人なんですけど……誰かは内緒です!
こういった楽しみ方をする作品ではないのかもしれませんが、惚れちゃったら仕方ない!
没入するあまり立ち止まってしまい、なかなか読み進められない方もおられるかと思います。私もすこしだけそんな感じでした。
でも、最後まで読んで後悔することはないと私は言いたいです。
他にはない感覚で物語体験ができます。私はできました。おススメします!
かなり前に途中まで読んで中断し、再開出来なかった作品なのですが、今回カクヨムコンに参加しているとのことで最初から読み直しました。中断した時点で★3&レビュー確定の読み応えがあったため、正当な評価が順当に応援に繋がるだろうと考えて。その予想は当たりました。当たったのですが……
レビューが書けない
繰り返します。予想は当たりました。面白いです。特に文章力、というか表現力が卓越していて、和紙に水が染みこむようにすっと文字とイメージが脳内に溶けています。それでいてしっかり緩急もついており、先へ先へと読む手を進ませる求心力も備えています。
しかし、レビューが書けない。まとまらない。あらすじに記載されているように始まりこそセンセーショナルかつエンターテイメントですが、すぐにそういった分かりやすい物語ではなくなります。俗世的でありながら幻想的でもある、絵巻物で現代劇を見せられたような読み口。この感覚を象る言葉を自分は持っておらず、その「言葉を持っていない」という言葉こそが唯一この物語を語りうる言葉であるという、禅問答のような結論すら導かれつつあります。
なのですいません、自分でも本当にどうかと思うのですが、レビューを放棄します。とにかく読んで下さい。読めば分かる。読まなきゃ分からない。これはそういう小説です。少なくとも自分は、そう感じました。
一つだけ考察じみたものを言えるとしたら、やはりキーワードは「本棚」なのかなと。だからこそ、あの結末なのかなと。失ったものは取り戻せない。死んだ人間が蘇らないように。願わくば彼の手に、彼が失ったものとはまた違う、新しい生命の息吹が芽生えますように。
この作品のタイトルから、ふんわりとした牧歌的な物語を連想していた。ほんの数話読み進めただけで誤りであった事を思い知らされるのだが、しかしこれは嬉しい誤算なのだ。そこには、文学的なモチーフを正面から捉えた、骨太の物語が待っていたのだから。
主人公の半生を追いながら、物語は進行する。中盤以降は主人公が書いた作中作に進行を委ねるし、また時系列が前後するため、筋を追う事が難しい部分があるかも知れない。しかしそれは、本作の魅力を減じるものではなく、数奇な縁の絡み合いを印象付けるべく働く。
物語の中には、いくつかの出会い、そしていくつかの別れがある。人と人との繋がりが絡み合い、結果、因果を紡いでいく。
その中でも注目したいのは、やはり主人公の『熊本くん』と『まつり』の出会いだ。こんなに残酷な出会いがあるだろうか。この出会いにより、熊本くんは自らの運命を認識する事になってしまう。
出会い以降、二人は運命に翻弄されていくが、熊本くんは積極的に抗ったりはしない。反してまつりは、定めを拒み抗い続ける。両者の温度差が様々なドラマを生み、熊本くんを更に翻弄する事になってしまう。
あくまでも受け身でありながら、様々な出会いを経ながら静かに抗う熊本くん。彼の淡々とした視点こそが、本作の魅力ではないかと感じる。
自らの人生の、静かなる観察者。彼は運命を拒む事ができるのか、そして何処へ流れ着くのか……ぜひご自身の目で確かめていただきたい。
最後に告白しておくが、ワタシは同ジャンルの書き手として著者に嫉妬を覚える。書こうと願いながらも未だ書けぬ物語を、高いレベルで完成させてしまったのだから。
粗削りな面もあるが、それもまた魅力。今後の作品にも、注目していきたい。