これまで読んだ小説の中で、トップレベルで心と頭を動かされた。それなのに、読みやすさは抜群。気づけば時間を忘れ、最後まで一気に読み進めていた。
人物の表情や風景がありありと浮かんでくる、細かくも、分かりやすい情景描写には驚かされた。また、出てくる人物に対し、国や年齢も違うはずなのに、どこか共感できる部分を誰に対しても感じる。それによって、テーマは「戦争」ではあるが、とても身近に、自分ごとに落とし込めるようにストーリーに入り込むことができる。
章が変わるごとに舞台の国は変わっていくが、至る所に張られている伏線が、次々と回収されていくのがとても快感。多すぎずもなく、少なすぎずの数の伏線たちが、「待ってました」というタイミングで回収されていくので読んでいて飽きない。
作者は一体なぜ、このような結末を設定したんだろう、、、
読んで数日経った今も、そのなんとも言えない良い意味でのモヤモヤ感と、登場人物たちの顔が思い浮かぶ。
今の時代だからこそ、多くの人が読むべき小説だと強く薦めたい。
読み終わった後、カクヨムを閉じ、音楽を聴いたりトイレに行ったりごはんを食べたり、そうした日常を過ごしている最中、ふいにこの小説のことを思い出しては、ぼうっと思考に浸ってしまいました。
心に引っかかっているというレベルではありません。色濃く、残っているのです。
いてもたってもいられなくなり、自己満足であるかもしれませんが、こうしてレビューを書くことにしました。しかし、感想に近い文章になっています。ご了承ください。
ただ、現実を書いています。ありのままの、飾らない、綺麗事も絵空事も何一つ無い、現実のみを。なので、この小説を、「娯楽」として楽しむことは出来ないと思います。
実に静かに、淡々と、現実がそのものが突き付けられます。
平和を必死に謳った人間が、一人この世を去った。
その時世界は、どうなるのか。
群像劇として、色んな国の色んな人達の様子が、描かれます。
そして最終章にて、それまで出てきた人々の思いがそれぞれ交差し、
そしてまとまっていきます。
描写がとても秀逸で、高い文章力の持ち主だとわかる小説ですので、
ぐいぐいと読んでしまいました。
とても重く、書くことが難しいテーマを書き切り、そしてこんなに上手くまとめるのは、並大抵の人では絶対に出来ないと思います。
作者様の力量と、平和への確かな願いがあったからこそ、
この小説を書くことが出来たのだと思います。
こういうのを、傑作と呼ぶのではないでしょうか。
そうでなかったら、こんなにも読んだ人の心に何かを残すことは、出来ないと思うのです。
読了後、虚無に近いものに襲われている中で、自問自答しました。
なぜ、争いが起きるのか。どうして無くならないのか。
平和とは、一体なんだろうか。本当の意味での平和とは、なんだろうか。
しかし私は、答えを出すことは出来ませんでした。
けれど、こう思いました。
どうせ無理と、諦めてしまうことは至極簡単。
でもそれをしてしまえば、平和がもっと叶わない夢になってしまうのでは、と。
突き刺さるようなこの世界の現実そのものが、隠されることなく書かれた小説。
そこに何を見いだすかは、人それぞれです。
物語を引き起こした、M氏の言葉に、何を思うかも。
一度でいいです。どうか読んでみて下さい。
そしてわずかでも思う事があったら、考えてみて下さい。
答えは出なくても良いんです。少しの時間でいいのです。
それが、平和に近づく第一歩になるのです。
間違いなく。
戦争という古今東西変わらぬ重いテーマ、
それを鮮やかな視点の切り替えで描いた
素晴らしい作品です。
思考を起動する作品でした、
よい読書をお楽しみ下さい。
と、簡潔に評を終えるのもよいと
思いますが、以下に蛇足を少々。
※
発生事象について事実は一つしかない、
しかして真実は関与する人それぞれに
与えられる、と考えます。
何故なら、事実は外部的なものであり、
人との関わりを要しませんが、真実は
内部的であって人の内にしか発生しない
と考えるがゆえです。
自然界は真実を必要とはせず、
人だけが真実を必要とします。
つまり、真実は人により色が違う。
歴史的経緯から怨恨を抱く人、怨恨より
発する事象に当事者として苦しむ人、
利害から事象に関わろうとする人に
遠くから興味薄く眺める人、身を賭して
事情を変えようとする人、それぞれ自身
の立場から事象に触れて自分なりの真実
を抱えています。
それは必要によって物語、信仰、思想、
経済的または政治的動機に千変万化して
人を動かしていく、人はそれらにより
操られているとも換言できましょう。
その束縛から逃れるには事象を様々な
角度から眺めて対立矛盾する複数の
真実を探り当て、いずれからも距離を
とって俯瞰する視座が必要になります。
これは輪廻の輪から逃れるくらいにも
難しいことです。
安易に使われがちな、「自分を括弧に
入れて考える」とは、それほどまでに
難しいことだと思います。
本作は意図的にさまざまな視点から同じ
事象を描くことで、普段は意識されない
思考の限界を強く意識する機会となり、
様々な思考を惹き起こしてくれます。
脳が活性化するよい読書を本作でお楽しみ下さい。
まず最初に言っておきますと、私自身はこの作品、すごく好きなんですが、万人にお勧めできるかっていうと微妙なんですよ。だって、都合の良い物語を求めている人は多いですよね?
信念を持った正義の味方によって、悪い奴がぎゃふんと言わされたり改心させられたりして、救われた人々は幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし――そういうやつです。
いえ、そういうのが駄目って言うつもりはまったくありません。現実世界は都合良くいってくれないことだらけで気が滅入るんですから、虚構でくらい都合良く話が進んでスカッとする世界を楽しみたくもなりますよ(流行りの異世界チートとかはまさにそういう感じですね)。
現実は物語のようにきれいに都合良くいってはくれなくて、テロや戦争の話となれば尚更そうです。どちらが正義でどちらが悪かは見方によって変わり、悪と評される側にも三分の理くらいはあり、正義と評される側にも醜悪な面がある。そして、多くの人々は救われていない。
だから、テロや戦争を扱った物語で御都合主義を排し、リアリティを追求しようとすると、美しい話、スカッとする話にはしづらくなり、読者の心を打つのも難しくなるのではないでしょうか。
そういう意味では、この物語も美しくてスカッとする話ではありません。読み終えて、モヤモヤとする人も多いでしょう。ラストに一抹の救いを見出す人もいれば、なんと救いのない結末だと思う人もいるかもしれません。
イスラム圏でのテロと戦争を扱ったカクヨム作品として、私が他に読んだものでは『撃ち落とされるまで、あと何分?』がありますが、あちらの作品が現実ではそうそう無さそうな美しい展開を入れることによって気持ちの良い結末にしているのとは、好対照と言えるかもしれません。
万人にお勧めできるかは微妙、と私が最初に書いたのは、まあ、そういうわけです。
しかしそれでも、私はこの作品が好きです。
最後にMが求めた、些細なようで、しかし得難いものが明かされた時、「ああ、そうか。彼は、それを求めたのか」と、しみじみと心を打たれました。
都合良くも美しくもなく、どこまでも現実的な、やるせない世界を描いた作品でも、人の心を打てるのだと示した良い作品だと思います。
本作は、中東に位置する架空の国家を主な舞台とする、戦争を題材にした作品です。
ふたつの国家が血で血を洗う闘争を繰り広げ、屍山血河によって設けられた国境であるから「ブラッドライン」。
その国境付近で起きたひとつの事件を巡って、世界のさまざまな視点から描かれる群像劇という体を取っています。
しかし、本作を読んで私が感じたのは、「ブラッドライン」は世界のどこにでも存在する――という事。
本作における「ブラッドライン」は、アラルスタン共和国とラザン独立国との血塗られた闘争の歴史を象徴する国境ですが、
その本質は独善、無理解、傲慢、レイシズム、そういった負の感情に由来する心の壁であり、
その壁の向こう側にいる人を攻撃する事に良心の呵責さえ感じない、人間の醜さそのものが本作のテーマであると感じました。
群像劇の形を取っている本作は、1話ごとに語り部となる視点が切り替わりますが、
いずれの語り部もみな、人間の醜い部分が赤裸々に描かれており、そして心の「ブラッドライン」によって誰かと分かたれている。
誰もが、同じ人間であるはずの誰かと、なぜか傷つけあっている。
そしてそれは、日常的に誰かと対立し得る、現実の我々にとっても他人事ではありません。
『憎しみの始まりを 君は知らない それなのに 渡されたそれを 君は次の人へと手渡していく』
虚しく流れるばかりだったのは、全ての人類に向けた、優しさを忘れないでほしいという願いの歌。
現実を生きる我々はこれを、優しさと平和について考える契機にせねばならないのかもしれません。
戦争は愚かだと強烈に訴えてくる作品。何百年も前から幾度となく争い続け、直接被害を受けたわけじゃないのに綿々と受け継がれていく恨み。自国の利益のために紛争に首を突っ込む強国。現地の人を人と思っていない兵士。あまりにも浅慮で短絡的で利己に凝り固まっていて、読んでいて本当にイライラする。
でも同様のことは現実に起きていて、自分が平和な国に身を置く第三者として外から眺めているからこその感想であり、そして間接的に加担していることを見ないふりしているのだと容赦なく突きつけてくる。
ラストのメッセージには感動する。だけど、それだけじゃなくて、自分にできる何かを考えるきっかけにしたい。
戦争は麻薬。いとも容易く摂取できる、合法的な麻薬です。
僕達は、地球の反対側で昨日何人が虐殺されたかを知る事ができる。
僕達は、それがどういう経緯で起きた争いなのかをニュース番組というフィルター越しに見る事ができる。
戦争でなくとも、例えば大災害だとか、児童殺害だとかでも同じことが言える。
そのニュースを眺めながら、憤り、悲しみ、憂う事ができる。
しかし数分後には、手に持ったトーストが冷めないか、遅刻しないか、と別の方向へ意識を向ける。
こういった話題を議論する事はあれど、誰も本気で止めようなんて思っちゃいない。
だってそれは、僕らの日常の遥か遠くにある出来事だから。
飛び降り自殺をしようとする人がいれば、皆脚を止めて空を見上げる。そして何もせずそれを眺める。
そうやって僕らは傍観し続ける。
だって、戦争は無くならないもの。
もしもニュース番組から戦争や災害や殺人事件の報道が無くなれば、みんな退屈するもの。
正直、仕方ないと思う部分もあります。
遠い異国の戦争よりも、自身の生活を守ることに精一杯になる事を間違いだとは決して思いません。
ただそれを、それこそ麻薬のように率先して閲覧しようという好奇心を理解し辛い、というだけで。
さて、今作の優れているポイントは二つあります。
一つは「Mという謎のアイドルの死」が共通のテーマとなっている事。
国も人種も年齢だってバラバラの彼らだが、クローズアップされたシーンは全て「M」という男への羨望や妬みで構成されている。
Mの死因や殺された理由こそ、予想のつくものではある。しかし、その先にある展開、冒頭から続くオムニバスを結びつける最後の一文が素晴らしく、
「伝えたかったのはM自身のことでは無かったのだ」と気付かされる。
読み手として、知らず知らず「Mについて」の物語ばかりに気を取られていた。それはまさしく、登場人物たちと同じ過ちだ。
二つ目に、本編に関係のないリンクが多々あること。
捕虜にされたアメリカ人、サッカーに興じる兵士、出会い系で釣る人釣られる人。
本筋とは関連性の薄いつながりではあるが、これがまた恐ろしい。
日本とロシアとでメッセージを送りあえる。ネット上で父親の職業を知ることができる。
紛争地帯にいながら、姪の仇を取りながらMの遺書を聞ける。
之ほどボーダーレスになった世界なのに、現実は目に見えないボーダーを巡って人が死ぬ。
冒頭に戻りますが、そして人々は一時の刺激に酔いしれる。戦争はひどい、Mの死は悲しい。
その感情は何日間保つだろうか。
「人は見たいものしか見ない」し、誰しもが「自らの愛した、自分の作り上げた『世界』(≒日常)を守る」ために争い合う。
戦争によって死んだ人々は、大義のための『致し方ない犠牲』なのか。
死んで何になるのか。殺して何が変わるのか。
段々まとまりが無くなってきましたが、僕はテロリストのリーダーの人が一番お気に入り(という言い方が適切か分かりませんが)です。
読み終えた後には、ボブ・ディランの『風に吹かれて』やジョーン・バエズの『500 Miles』、Beatlesの『Eleanor Rigby』を聴きたくなりました。
ヘビーノベルの先駆者、恐れ入りました。本当に素晴らしかったです。
結末の静けさをぶち壊す騒がしいレビューを失礼いたしました。