魯迅という中国人の作家がいます。
今は知りませんが少なくとも僕の学生時代は国語の教科書に載っていたので、ご存知の方も多いでしょう。「阿Q正伝」や「狂人日記」の著者です。彼は元々、作家ではなく医者を目指していました。しかし1900年代初頭、彼は日露戦争に纏わる幻灯写真を見て目指す道を医学から文学へと変えました。この争いに満ちた世が真に必要としているのは病気や怪我の治療ではなく精神の改造である。そのためには文芸を用いて人々の心を変える他ない、と。
僕はこの「ブラッドライン」という作品から、その魯迅が抱いていたものと同じ志を感じました。
本作で描かれる「事件」や「戦争」がリアルであるかどうかは、僕の拙い知識では判別がつきません。しかし本作で描かれる「人間」が腹立たしいほどにリアルであることは、僕の拙い感性でも判断できます。繰り返される悲劇と終わりのない怨恨の連鎖。争いの止まない世界に翻弄される罪なき人々と罪を背負う人々。そうやって閉塞する世界に小さな風穴を開ける一人のスーパースターの死と、その死の真相が招く結末。それらは物語として綴られ、物語的装飾を受けながらも、物語とは思えないリアルな感触を以て読み手の心に楔を打ち込みます。作中における「M」の死がそうであったように、人々の胸中に静かなさざ波を立てて価値観を揺るがします。
本作がテーマとしている「戦争」という事象は現代日本に生きる我々にとって縁遠く、しかし本作が訴えるメッセージは決して「他人事」ではありません。例えば、いじめ。例えば、マイノリティへの差別。そういった身近な事象に拡大適用出来る普遍性を供えています。誤まった道に進みそうな時、本作のことを思い出せば自分を律することが出来る。この作品はそれだけの強度を持っています。
魯迅が死しておよそ80年、世界には未だ戦争が満ち溢れています。しかし魯迅の行為は決して無駄ではなかったはずです。この世には一人一人が考えたところでどうしようもない問題がゴロゴロしていますが、それでも一人一人が考えないことには解決のスタートラインに立てません。だからまず、読んでみて下さい。そしてよろしければ、考えてみて下さい。その先に出た結論が善きものであること、その結論が貴方の人生を豊かにすること、その果てに世界がほんの僅かでもプラスの方向に傾くことを願います。
一人のスーパースターが紛争地帯の国境線で死亡したことから、誰が犯人だったのかを巡り、国際政治に影響を与えていく過程を記した作品になります。
国際政治が動くとなれば、影響を受けるのは地球の人々であり、本作品に登場する視点人物となります。
政治に直接関わる人間もいれば、武器製造に関わる人間もいて、かつて研究職を目指していたが夢破れて工員となった中年男性もいます。
他にも登場人物が複数登場するのですが、すべてをレビューで網羅してしまうと作品の面白さを損なってしまうので、視点人物たちの背景や思想に関しては自分の目で確かめてください。
視点人物たちは、誰かに少しずつ影響を受けて、かつ誰かに少しずつ影響を与えることで、塵も積もれば山となり、国家観を揺るがすほどの決定に繋がります。
しかし国家観を揺るがすほどの決定が下されてから、最後の最後でスーパースターの死の真相が描かれます。
おそらくですが、読者が持っている主張や思想によって、スーパースターが死亡した真相の受け入れ方が大きく変化します。
私の受け入れ方に関しては、秘密にさせてください。
みなさんも自分の目でスーパースターの死の真相を確かめるといいですよ。
<憎しみの始まりを 君は知らない それなのに 渡されたそれを 君は次の人へと手渡していく>
名言ですね。
愛と憎しみ。どちらが人間を生かす力となるのか?
考えさせられてしまいました。
愛だと思いたいところですが。
他国や他民族への憎悪が、
国民のアイデンティティーになってしまうことが恐ろしいです。
この小説に書かれていることは、現実の世界で今起きていること、
起ころうとしていることです。
もちろん、日本も無関係ではありません。
無知と無関心は罪だと反省せずにはいられません。
力強いメッセージと作者様の祈りが伝わるような、
素晴らしい作品を読むことができて幸せです。
心に重く響きました。
まさに、ヘビーノベル。
それぞれの国、それぞれ個人の視点で、Mの死に対する意識や戦争への想いが、とてもリアルに描かれた作品です。
上辺だけならば誰でも願うことができる世界平和。でもそれは本当の意味では世界平和ではない。世界とは何を指すのか。平和とは何を言うのか。その曖昧な概念で語られるぼんやりとした部分をも指摘した、衝撃的な物語だと感じました。
話の中で登場するMの口遊む旋律が、リアルな描写の中で優しくも強力な印象を与え、人々に再考の機会を与えているようでした。
この作品を通して、日常では抱かないような考えに触れることが出来るのではないでしょうか。最後までしっかりと読んでみてください。然すれば、これからの世界平和や、戦争に対して抱く概念すらも大きく変化するかもしれません。
最終章のまとめ具合が圧巻です。Mの「最後の言葉」の真意に、鳥肌が立つほどでした。少ない文字数で、これだけの意味を込めた文章を書くことが出来る筆力に惚れ惚れです。
群像劇、特にアマチュアの作品にはあまり触れてきませんでした。どうしてもまとまりが悪く、主題がうまく表現されていないものが多くて。
そんなわけで、本作も映画「バベル」を観て影響を受けたんだろうかな、という印象で止まっていたのですが、私の好きなタイプの話を書いていた方が絶賛していたので、それではと思って読んでみました。
結果としては、実に良かったです。構成としては、数年前に亡くなったキングオブポップがモデルの人物であるMの死をめぐる複数の人の生き様が描写されるというものです。明確な道標があるため、あまり迷わずストーリーを追いかけられました。ファンや影響を与えた人、受けた人のそれぞれの思いが描かれ、住む場所や受けた教育の違いなどが表現されるという群像劇らしいストーリーでした。
しかしそうした導入や展開はあくまで技術上の話であり、この作品の本質はあくまで社会への問題提起です。なんといっても大多数の日本人はテロや戦争には無縁であり、今後もあまり深く関与することはないでしょう。そうした人間が社会問題への接点をもつきっかけはやはり情報媒体であり、次いでそれを基にしたフィクションです。
本作はそうした文章の意義をしっかり踏まえて問題の重さを読者は伝えようという意欲を感じました。ベトナム戦争の頃はこうしたテーマの作品が多かったようですが、それが現代に蘇った感じがしました。意見の相違を暴力で吸収しようとする悲劇を、改めて浮き彫りにした作品と思います。
特にブラッドライン周辺を生きる人々の思いが印象的で、その部分は2度読み返しました。
秀作です。特に若い世代の方に勧めたいですね。
BGM: “Man In The Mirror” - Michael Jackson -
この物語を読んでいて、一つ思い出した物語がある。
星新一のSSの一つ、「しあわせ怪獣」(という題名だったろうか)だ。
結局私たちが「戦争」というものを知らないのは、「戦争」と「平和」の区別によって守られているから、だとよく思う。
そのことはよくわかっているつもりでも、いつも忘れてしまう。
しあわせ怪獣が訪れ、掴んだ幸せを捨ててしまった男は、その事実を背負って人生を過ごすのだろうか。
私は否、だと思う。
Mは、いつまで人々の心の中に居続けるのだろう。
いつか、しあわせ怪獣となって去来し、すべての人々を変えるのだろうか。登場人物の多くはそれによって変わった。私は変わらないままである。
だが、これはスーパースターである「超人」の物語ではない。
いくつもの「普通の人々」とスーパースターではない「普通の男」の物語だった。
私は変わらなくても、Mは私の中にいるままである。
最後になりますが、短いながらも鮮烈で恐ろしく、そして美しい人間の物語でした。良い作品を読ませていただきありがとうございます。