第壱話 - 2「迷惑メールが感染した」


 朱の空はようやく涼しさを山に落とす。

 夏の太陽にもがき苦しむ手のようにところかまわず伸ばした樹木も、今はぐったりとその枝葉を垂らしていた。そのあいだに夕焼けを映した山道はいつもと変わらぬ表情で、くだらない二人の会話を黙って聞いてくれていた。


「私が大遅刻したことは他の人に言わないでくれよ。ほら、凛が最近始めた生放送の………『レクちゃんねる』、という名前だったか」

「最近じゃなく中学の頃からすでにやってたけどね」

「中学生だったのもたったの三ヶ月前だろう?」

「それもそうか。うーん、でもなー、Sさん(15)の話題は『●Recちゃんねる』で評判いいんだよなー。ね、白形虎子Sさん

「私のことをSさんって言うのは止めてくれ。なんか恥ずかしい」

「大丈夫大丈夫、たった数千人に笑われるだけだよ」

「すごい笑われるではないか! 本当にやめてくれよ? ……あ、それで思い出したが、凛。さっきの衝突したのもけったいな遊びも『レクちゃんねる』の話題作りの一つか?」

「ああ、うん。目覚ましがわりにお前の声が聞こえてきたんで、教室ドア前でクラウチングスタートの体勢のまま待ってた」

「なんでそんなにぶつかる気満々なのだー?」

「あんな漫画みたいなシチュエーションが聞こえてきたら、抑えきれなかったよ」

「しかも、胸まで揉みにかかってきて。悪名高いな、この『エロ魔神』め」

「そういえば今日、称号新たに『純粋に悪魔』にクラスチェンジしたぞ」

「なにをしたっ?!」

「はははは」

「笑って誤魔化すな。……まったく、昔はもっと可愛げがあったというのに」


 『エロ魔神』とは黄木凛(俺)の数あるなかの渾名の一つだ。学生カバンに教科書の代わりに成人雑誌を入れていたら、いつの間にかにそう呼ばれていた。他にも『知的弱者』『裏番長』などの由緒ある称号を持っている。


「む?」

 ぴぴぴぴ、と電子音が鳴る。静止したまま二人は顔を見合わせる。


「凛、ケータイが鳴ってるぞ」

「いや俺のケータイ、着メロだし。というかお前のだろ。親に携帯電話買わされたってこの三日前くらいに愚痴ってただろ」

「私、のほうだと……?!」


 携帯電話を持っている以上そこまで驚く必要はないはずだが、虎子は愕然とした表情のままポケットから携帯電話を取りだす。そして静止して三秒。


「……凛、ケータイが鳴ってるのだが」

「出ればいいだろ」

「どど、どうすればいいいんだ?」

「出ろよ」

「どうやって?!」

 ため息をついて、虎子から携帯電話を奪う。


「はい、もしもし」

『あー、俺、俺なんだけど』

「あー、俺も俺なんだけど」

『え』

「え」

『あ、ほら中学の時友達だったさ、覚えてない? 俺そんな影薄かったかなー』

「中学校の時のお前は影薄かったから、名前覚えてないわ。名前なんだっけ?」

『うわー、ショックだわー、まじショックだわー。友達だと思ってたの俺だけかよー。あ、じゃあさ俺の名前当ててみてくれよ』

「んー、もしかして、白形虎子?」

『あー、それそれ。それだよそれ! ちゃんと覚えてんじゃん!』

「あ、白形虎子さん」

『ん?』

「そいつ目の前にいたわ」

『……』

「あ、話を続けてください、白形虎子さん」

『……』

「どうしたんです? 白形虎子さん」

『……これだからテメェらのことが嫌ぇ゙なんた゛っ゙っ!!!!!!』


 いきなりぶつっと電話が切れて耳を痛める。ため息をついて、携帯電話を虎子に返す。


「……えっと、誰からだったんだ?」

「白形虎子からだった」

 虎子は混乱しながら携帯電話を見つめる。

「まぁ、最近は詐欺とかいろいろ多いらしいし、気を付けろよ、虎子。……っと、そんなことしてる間に目的地に着いたな」


 古ぼけた鳥居が見えてきた。元々、朱色だったそれは黒ずみ深く、所々の塗装が剥げている。ここが虎子の目的地だ。


 学校から徒歩十数分、虎子宅の裏にある山をすこし登ったところにある神社。幼少時には『秘密基地』と勝手に言い張って、よくここで虎子と遊んだものだ。今でこそ川をたよりに登っていくとすぐに着けるが、子供のころはこんな道であっても長く険しかったことを記憶している。遊びがすぎて神職にはよく怒られていたが、それと同時にお世話にもなっていた。

 しかし、神職が離れてここ十年でさびれた風貌になってしまった。

 例えば、本殿はホコリを被っていたり、鈴の緒も肝心の鈴がなかったり。数年前にあった記録的な豪風雨を観測した日にさまざまなものが神隠しにあったと聞く。


 虎子は賽銭を放りこみ、二礼二拍手一拝をこなす。もう数千回と見た光景であり、その動作は淀みがない。初めての賽銭はもう十年ほど前で、お百度参りなんて目じゃない。

「一体どんな野望を祈ってるだか」

「野望なんて大そうなものではないが、どうしても叶ってほしいことがあるんだ」

「ふーん?」


 何を願っているのかは知らない。このとおり聞いてもいつもはぐらかされる。いつもの日課になっているので、よっぽど大切なことなのだろう。


 虎子から一歩引いて神社を一瞥する。あの頃は確かに荘厳な雰囲気だったが、同時に活気もあった気がする。建造物に触ると、ささくれだった木質の感触が指先を逆撫でする。押せば音を立てて凹んでいった。

 指に付いた木屑を一息で払い、黄木凛(俺)は感想を述べる。


「なんというか、『神は死んだ』って感じだな」

「ん? また中二病……というやつか?」

「おいおい、ニーチェだよ」


 正確にいえば、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ著作『悦ばしき知識』に出てくる狂人の台詞である。ニーチェは、「聖書は弱者の慰め傷を舐めあうための書物である」と、特定の宗教を批判した。そして、科学の発展や多様な価値観・個人主義などにより、現実世界が無価値で無意味な存在となり、今が歴史的に危機状況にあることを「神は死んだ。」と形容したのである。


「そのあとの言葉はこう続く。『神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ。』って」

「……そっか」


 虎子は神社を見据えて、センチメンタルに思い出と重ねている。自分たちは十数年しか生きていない若造と形容されるが、それでも、十数年で変わってしまったこともまた事実だ。


「こうして見るとここも変わったな、凛」

「ときどき賽銭がてら掃除もしてるけど、さすがに追いつかないもんだねぇ」

「神主がギャンブルの借金で夜逃げして以来、かなり寂れちゃったね」

「あー、今思えばかなり生腐坊主だったな。神社だけど」

「あはは」


 虎子は乾いたように笑って、賽銭箱まわりに落ちている枯葉を拾いあげる。前の神職の蒸発で人の管理から離れた山は、より鬱蒼と樹木の影が深くなった。昼に来てもどこか薄暗い。


「あっ」


 拾い上げた落葉は、突風に飛ばされてしまう。彼女はすこしバツが悪そうに頭を掻く。


「確かに変わったが、どうかな」

「ん?」

「いや、変わったのは私たちかもしれないなって」


 光陰なんとやら、だ。月日は流れ栄枯盛衰の理によっていつしかすべて変わってしまうのかもしれない。物事や物流とか人間関係とか、思いも感情も。それでも。


「それでも変わらないものもあると思うけど」

「え、なにがだ?」

「さっきの言葉はこうとも続くんだよ。

 ……『神を殺すことを為すためには、我々自身が神々にならなければならないのではないか?』って。別に人は神と同等になれるとは言わないけど、代わりくらいにはなれるかなって」

「?」

「つまり、なんと言えばいいか分からないけど、例えば、こうして毎日お参りしてることとか変わらずにいられるんじゃないかなって」


 虎子はその言葉が予想外だったらしく、なぜか恥ずかしそうに顔を背けた。


「……という凛はお賽銭してないじゃんか」

「だってお金もったいないし」

「お前なぁ……こういうのはそういうのじゃないだろ」

「それに、叶えたい願いは自分で叶えるから意味があるんじゃないの」

「む、正論っぽいことを」

「いやただの金を出したくない言い訳だけど」

「そこはその信条を通せよ!」

「さてと、お金を神社に食われないうちに退散、退散と」


 神社には賽銭箱という名の恐ろしい怪物を飼っているから、気を付けないといけない。経験則から財布の諭吉がいつ飛び出すか分かったもんじゃない。遊び半分でやったあの時はさすがにひどく虎子に怒られた。


「凛はホント変わったよ。あの頃はもっと純粋無垢で可愛かったのに」

「幼い頃の記憶なんてよく覚えてないからなぁ」

 虎子は深いため息を吐く。それは落胆というより諦めに近かった。

「どうせ一人で教室に残っていたのも、またなにか悪さするためなんだろ?」

「違うよ? 待ってただけ」

「ん、いったいなにを………」


「虎子を待ってたんだよ」


 振りむいて虎子をまっすぐに見据えた。彼女の反対の位置にある、日の入りの夕を反射させたかのような、真っ赤な顔をしていた。

 互いの視線が絡んだ瞬間、虎子は顔を逸らした。


「……もうっ、お前はどうして恥ずかしげもなくそんなことが言えるんだ。馬鹿者っ」

「そりゃ虎子を待つことを恥ずかしいと感じないから、かな? それと……」

「中止!」

 虎子は腕を交差させて『×』を作る。

「この会話中止! この話題禁止令!」


 そう、ふくれっ面で言うと我先に歩きだして、黄木凛(俺)を追い越していく。口では怒っていたが、彼女の後ろ姿はスカートがひらひらと揺れて、まるで踊っているようだ。


「あ、そうだ。虎子」

「なんだ? 恥ずかしい台詞は禁止だぞ」

「分かった。この話題はやめよう」

「…………。いや、そう言われると気になるではないか!」

「まぁ、恥ずかしい台詞でも何でもないんだけど、ほら。ケータイに慣れてないんだから、迷惑メールとか金を要求されたとかあったら、情報通な黄木凛に任せろよ。そうだな、無理やり恥ずかしい感じで言い直すと『俺を頼れよ』って感じになるな」

「なぜ恥ずかしい感じで言い直した」


 虎子はうなずくと、何かを思いついたらしく携帯電話を取りだす。


「凛、見てもらいたいものがあるんだが、……変なことするなよ?」

「そんなこと言われるとしたくなるなぁ」

「……いや、迷惑メールというものじゃないんだが」

「なんだ?」

「名前の知らない人からよくメールが来るんだ。たぶん、なにか『めぇるあどれす』というものを間違えているようだから教えてあげたいのだがな」

「おそらく、人はそれを迷惑メールと言うぞ」


 メールの内容を見ようと覗きこむ。しかし、それ以前に異様な光景がそこにはあった。


「なんだこれ。五日前に始めたばかりじゃないのか?」


 受信箱には200通以上ものメールが入っていた。しかも、そのほとんどが迷惑メールのテンプレート通りの題名ばかりだ。『不幸を呼ぶメール』とか、『不幸の星の下に生まれたキミへ』とか、迷惑メールらしいそれらの件名通りの内容だけでは、片付けられない次元である。


「これらのメールなんだが、特に夜に煩くてたまらん」

「……そうだろうな。迷惑メールは着信拒否しといたほうがいいな。着拒否の仕方を教えてやる。…………着拒否できないな」


 機種が違うからやり方も違うようだった。もう片手に自分の携帯電話を持ち、検索でエンジンを使う。どうやら、携帯会社の公式ホームページから設定できるそうだ。しかし、それにはログインに必要だった。


「パスワードが必要だから、教えるか、自分で入れてくれないか?」

「……ぱすわーど?」

「ケータイ買ったときに決めただろ」

「…………あ、あ~! あれか、家にメモがあるぞ!」

「…………」

「どうした?」

「明日の朝に教えるから、その時にパスワードを打ち込めるようにしておきなさい。それまで我慢!」

「むぅ、分かった。電子機器は取り扱いが難しいな」

「おばあちゃんかよ」

「む。便利なものほど扱い方を誤れば危険と言うぞ。凛も気を付けてくれ」

「いつの時代のことを言ってるんだよ。俺は初めて操作するお前じゃないんだぞ? それに迷惑メールとかおおよそありえないレベルで一度も来たことないから、大丈夫大丈夫」

「そんなこと言っているといつか……」


『め~るだよぉ!』


 その時、唐突に会話に割り込んできたのは、甲高い電子音だった。手に持った携帯電話に着信を示す電光がスライドする。


「わ、私のケータイが喋ったぞ!」

「残念、今のは黄木凛のケータイだ」

 虎子に携帯電話を返し、自分は新着メールを確認する。



『件名:あなたは神を信じますか?

 From.かみさま|д゚)

                 』



 宛先にはそう書かれていた。


「口を開けてどうした、凛?」

「……め」

「め?」

「迷惑メールが感染した……」

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