「 ―――さよなら  」

「こんなに早く来るなんて、おっかしいなぁ。出てこれそうな機材はガムテープを巻きつけておいたんだけど」


 地面に転がっているノートパソコンにも透明なテープを一周させている。

 どこから来たのだろうか。電子機器で可能性として高いのは虎子の携帯電話だ。ブミヤの一件で通り道に使っている。虎子に会うことを避けていた黄木凛にとっては対策しようがなかった部分だが、それにしても早すぎる。


「う゛っ…゙…あ゛ぁ゛…」

 ブミヤがうめき声を上げる。目を覚ましたかと思ったが、起き上がりそうもない。前回より痩せていたので既に体力が衰えていたのだろう。


 しかし。

 それが失念していた答えだと気付く。

 コムライスが転移した経路、それはパ・ブミヤだ。

 彼は独自のネットワークを現実世界に生成した。それを使ってコムライスはこちらに来たのだ。チェーンメールの一件で、ブミヤ自体に一度転移したことがあった。とんだ通り道だ。


 天候はさらに大粒で、針のように尖った重い雨に変わり、天地を隙間なく埋める。砂嵐のような音が二人を包み、身体に痛いほど叩きつけてくる。

 コムライスの手には『草薙剣』……のレプリカ。

 銃刀法違反で捕まってくれれば話が早いのに、と我が国の警察の管理体制の杜撰さに毒づきながら、体を彼女の方に向き直す。


「やあ、三日ぶりだね。探し物は見つかった?」

『……いえ。まだ模索中です』

「そっか、仕方ないね」


 男子三日会わざれば刮目して見よ、と言葉があるように、人が変わるには十分な時間ではある。久しぶりという程の月日ではないが、以前のように話題が続かない。

 コムライスが来た理由は明白だ。草薙剣をこうして持っているだけで一目瞭然。それを理解しているので黄木凛は敢えて話題を避けた。


「無難に天気の話題から始めるけど」

 前回の反省を活かして、今の状況にあった天気を評する。

「今日はいい天気だね。レプリカとはいえ、その剣にふさわしい、まさに『天叢雲』って感じだね」


 彼は目を閉じる。

 そう、この景色はとても、―――


『それは―――!』

 目を開ける。黄木凛の手にはイメージ通りの『天叢雲剣』が出来上がっていた。コムライスが持っているそれと見間違うほど、寸分の狂いない精巧な模造だ。見様見真似の域を超えている。

 黄木凛は剣を払う。勝手を確かめるためのその所作は無造作で、素振りとも言えない品物だ。何度か振り終えた後、彼はにこっと笑った。


「じゃあ、次は世間話でもしようか」


 そう言って黄木凛は剣を振りかざす。


「最近は配信やってるの?」

 剣は空を切る。奇襲にも近いそれをあたかも予想していた動作だと言わんばかりに、コムライスの最小限の動きで躱された。剣先は彼女の動きに合わせて追尾していく。


『凛さん、実は私『神様革命の会』を辞めようと思ってるんです』

 その大きな払いは、コマ送りのような小さくちっぽけな動きで避けられる。


『それで提案なんですけど、ここから帰ったら一緒に新しいチャンネルを開設しませんか?』

 振っても振っても、まるで剣のほうが拒んでいるかのように届く気配すらない。


『神である私と人である凛さんがレギュラーの、新しい時代の信仰をみんなに見せつける配信です』

 コムライスは剣の側面を軽く指で触れ、地面に誘導させる。そして、『天叢雲剣』を高く掲げる。そして、そのまま振り落とした。


『まだ名前は決まってませんが、一緒に考えてくれませんか?』


 一閃。

 剣は砕き散り、光の粒へと戻る。


 ネ申ネトでは、信仰の力、神性の大きさ、―――つまりは想いの強さがそのまま反映される。爆発的な再生数を稼ぐ動画投稿主だったとしても、その信仰を扱えなければ意味がなく、心が死んでいる黄木凛が質で勝てるはずがない。見た目こそ真剣だが、その性質は木刀に近い。

「……悪くない提案だね」


 コムライスは剣を振りかざす。

 しかし。


「でも、自分が正規メンバーだと放送が乗っ取られて、君への信仰が集まらないよ?」

 黄木凛は切り返す。剣を弾かれたコムライスは一度体勢を立て直した。

 コムライスは目を丸くする。先程たしかに破壊したはずの剣を手に持っていたのだから、当然といえば当然だ。

 種は至極簡単。手品とすら言えない品物だ。ただ砕けた瞬間に、次の天叢雲剣を精製しただけだ。

 しかし、本当に驚くべきはその速度だった。


「遠回しに、そんなことしても無駄だって言ってるんだよ? そんなことしても心は戻らない。自分以外の人たちがただ不幸になるだけだよ」


 まるで自分だけを置いてみんなは不幸になる、と言いたげだ。そして、それは実際に事実でもある。


『だれかに迷惑かけていいんです。不幸にしてもいいんです。だから―――』


 薙ぎ払うコムライスの剣を真っ向から弾き返す。互いの切っ先が当たった瞬間にこちらの剣は崩れる。


「―――でも、コムさんは疫病神を殺そうとしてたよね?」


 砕けた瞬間、次の天叢雲剣が精製される。


「生きているだけで周囲を不幸にして、しかも、心は全く動かない。合理的に考えれば、そりゃそういう考えにたどり着くよね」

 コムライスは剣を振るい破壊する。

 刹那、次の天叢雲剣が精製される。


「今の自分は言わば『生きる屍』、いや、みんなの言葉を借りるなら『純粋に悪魔』って言ったほうがいいかな」

 コムライスは剣を破壊する。

 既に次の剣が精製されている。


「ただ死んだ場所に帰るだけだ」

 剣を破―――

 ―――既に次の剣撃が精製されている。


 それは、迷いもなく、一片の曇りもなく、排除しなくてはいけない存在。助けるなんて考えを起こす方がおかしい。


「それを助けようなんて我が儘を通り越して、ただの傲慢さ」


 何度破壊されても、コムライスが次の剣撃を行う前に寸分違わぬそれを精製する。まるで剣ではなく、剣筋そのものを創っているようだ。

 黄木凛には感情がない。精製された剣は粗悪だ。当たれば壊せる。しかし、コムライスは一歩も近付けない。それは一重に、感情がないからだった。余計な思考を完全に排除した、機械のような洗練された精巧さゆえの賜物だった。

 砕けた瞬間。

 砕ける前に。

 次の斬撃が一閃する。

 残るのは鳴り響く剣戟の音のみだった。

 それに対して、コムライスは後手に回った。外から見る分には互角、いや、コムライスがやや優勢だ。洗練された動きでその猛攻を完全に捌ききり、戦意喪失させるべく武器破壊に徹している。際限なく精製されるように見える剣だったが、無限ではない。感情がないからといって精神が疲労しないわけではないのだ。いつかは必ず限界が来る。その勝機に向けてコムライスは剣撃をいなして破壊していく。

 しかし、流れは黄木凛が制していた。それはコムライスが一番理解していた。

 この戦いはただ相手を倒せばいい、というものではない。決定的な条件がある。


 つまり、【黄木凛が川に辿りつくかどうか】。


 コムライスは常に絶妙な距離感を保っていた。そして、その距離感が崩れる剣撃が弾ける一瞬を狙って黄木凛は後ずさりする。少しずつ、着実に、川に近付いていた。コムライスが押すば押すほど、また引けば引くほど、黄木凛は目的に近付いていく。このまま時間が過ぎればどちらに軍配が上がるかは目に見えている。

 呑み込まれたら一溜りもない激流の、その轟音が大きくなっていく。もう川までそんなに離れていない。


『そうですよ』


 目算30メートル、走れば5秒―――仕掛けてくるなら今しかない、と思った刹那、それまで保っていた二人の距離は崩れ、コムライスがまっすぐ懐に飛び込んできた。

『傲慢以外の何にでもないですよ』

 彼女の体は蛇がとぐろを巻くように大きくひねった。彼女の背中が見えた瞬間、そこから剣先が飛んできた。ひねった体の奥に隠して剣を投げ捨てたのだ。剣を精製して冷静に軌道をずらす。攻撃はまだ終わりではない。緊張させたバネが飛ぶように、ひねった体から反発した裏拳が飛び出す。対応させる剣を精製して、さらに次を見越して新しいのを精製する。


 先の剣が拳に破壊され―――なかった。


 破壊されないまま、コムライスの腕に刺さっている。壊れて消えるはずだった剣が邪魔をして、次に精製した剣をうまく動かすことができない。


『だって私は"神"なんですから』


 体をそのままの勢いで捻りきり、腕に刺さった剣、そしてそれを握る黄木凛ごと倒れこむ。黄木凛は仕方なく精製した剣を光に戻し、体勢を立て直そうとする。しかし、女神がそれを許さない。ぐっ、と腕を縦に押し込み上から倒そうとする。剣を持たぬ鍔迫り合いのような形で互いに腕を押し合う。

『神なんて、強欲で傲慢で、嫉妬深くて怒りっぽく、三大欲求に塗れているものです。でないと、知らぬ存ぜぬの皆々様から勝手な想いを押し付けられる存在になるはずがないでしょう。

 でも、こいつがいいと一度思ったら、そいつの願いはどんなことしてでも必ず叶えてやるんです。それが私の神です』

 コムライスの腕にある傷から、血のように光の粒を落とす。それは黄木凛が作る刀剣やウサギの原材料と同じものだ。


『……凛さん。貴方は最低ですが、私は人として貴方のこと好きなんですよ』


 本来なら黄木凛が生むナマクラが肉体に刺さることはない。しかしそれは、その肉体がその剣のように鈍でない限り、だ。コムライスの身体はアバターである。それは神性によって性質が代わる。壊すのも簡単なものは、治すのも簡単であることが多い。しかし、彼女の傷は治る気配はない。治さないのか、それとも治せないのか。もし治せないのなら、―――それはつまり、必要な神性を持ち合わせていない。今この瞬間押し上げてくる黄木凛の腕に対し、壊れないように強化するだけで精一杯ということになる。


「それってつまり、『神としてコムさんのこと好き』って返してほしいってことかな?」


 彼は頭上に一本の天叢雲剣を精製する。コムライスの身体は片腕以外豆腐のように柔らかいはずだ。このまま落とせば、その剣先は肉体を貫くだろう。しかし、逃げればその切っ先は代わりを探し、その下にいる黄木凛の体を刺す。

 どっちにせよ、それで終わる。

 剣は落ちる。

 同時に、コムライスは体を捻る。それは逃げるための行動ではなかった。むしろ、真っ向から立ち向かった。

 彼女の拳は剣を横から殴った。そして壊れるのを確認する間もなく、振り返る。しかし、その一瞬は致命的だった。腕に押された無防備な彼女の体は簡単に持ち上がる。

 黄木凛は起き上がり、コムライスが倒れる。先ほどの鍔迫り合いと逆の構図になった。形勢は完全に逆になった。彼が後ろに走り出せば追いつかれる前に川へと辿りつく。決着だ。

 しかし、コムライスはにやり、と笑った。

 転がったコムライスは手に隠していた地面の泥を、顔面目掛けて投げてくる。先ほどの鍔迫り合いの時に、手に忍ばせていたのである。


『そうです、そんなことを一度くらい貴方の口から言われてみたいものですよ!』


 黄木凛の眼前に光の粒が集まり物体を構成する。それはウサギになる予定だったが、完全に精製される前に泥と一緒に弾け飛ぶ。

 しかし、彼の注意を引きつけたその一瞬の隙を見逃さない。


『だから、だからこそ絶対―――!』


 雨で泥濘となった地面を使い、黄木凛の足元に滑りこみ、落ちた天叢雲剣を回収する。

 そのまま、コムライスは黄木凛の背後を取る。川を前にして、何とか立ち塞ぐ形に持っていけたのだ。


『―――ここから先には行かせません!』


 ネットワークを通じて、彼女の感情が、想いが身体の中に入ってくる。

 陰湿で、俗物で、真っ直ぐな気高さがそこにはあった。


「はぁ、酷い神もいたもんだ」

 口元に弾けとんだ泥を手で拭う。

 もう相手もこちらも泥だらけだ。しかし、目の前に川があるので水浴びして体を綺麗にしたい、と提案しても無駄だろう。


「剣を投げ捨てるとかいいの? 神の威厳じゃなかったの?」

『神の威厳くらい投げ捨てますよ、神様ですもの』


 回りこめたのはいいが、残念ながら彼女の使命はこれで終わりではない。むしろ、ここからが正念場だ。背後には川が氾濫して逃げ場はない。まさに、背水の陣だ。

 しかし、だからこそ、コムライスには強い意志があった。相手が正論でも、自分が論破されても、自己中で、屁理屈で、どうしようもない矛盾だらけの感情論だったとしても、この想いだけは譲れない。でないと、ここに立っていない。なぜなら想いは確かにここにあるから。『助けたい』という想いだけは、今、間違いなく、ここにあるのだから。


 コムライスは一歩も譲る気はない。

 黄木凛も譲る気はない。

 彼は一歩踏み出す。

 その時だった。


 黄木凛の持つ剣先が無くなった。刃が欠けた、というより空間ごと拒絶されたように、そこで断絶されている。ブミヤの形成したネットワークの範囲がそこで終わりだと示していた。もう一歩踏み出せば、ウサギも天叢雲剣も虚像に消える。そこにあるのは、現実だけだ。

 川を前にして、コムライスは勝機を見た。が、綻びかけた口元をきつく締めなおす。

 黄木凛の顔からはその思考を読めず、全く予想が付かない。だが、コムライスだって一つだけ分かっている。黄木凛は目的を果たすためならどんな手を使ってでもやり遂げる算段だ。

 しかし。

 彼はあっけらかんとこう言った。


「残念だけど、この先に行く必要はないんだ」


 その言葉にコムライスは動揺の色を見せる。黄木凛は川に入水して死ぬつもりだ。あの時を再現するように。そして、それは彼女の後ろ側にある。ここで諦めるはずがない。何かしらを仕掛けてくる、と彼女は身構え直した。


「思えば『黄木凛』って存在は全てが借り物だね。記憶も体も居場所も運勢も魂も。すべて『ききりん』のものだった。元々『黄木凛』なんてこの世に存在しなかったんだ。虚構だったんだよ。だから、『黄木凛』は虚構のままこの世を去るよ」


 彼は剣を相手に向ける。その切っ先は途中で終わっており届くことはない。

 それを答えるように、彼女も剣を返す。切っ先は真っ直ぐと伸び、喉元に軽く触れる。

 二人が持つ、その剣の性質は全く別だったが、それは同時に鏡でもあった。

 それは彼女の偽善/独善であると同時に、それは彼の真実/欺瞞でもある。

 だからこそ、彼女は譲らない。

 だからこそ、彼は譲らない。

 何度崩れても挫けない。何度でも立ち向かう。

 何度挫けても崩れない。何度でも立ち塞がる。

 今彼女たちが対峙しているそれは自分自身でもあるのだから。

 幸か不幸か、生か死か、現実か虚構か、始まりか終わりか、神か人か。その境目などとうの昔に無くなってしまった。神話の時代から消えてしまった。この境界が明確に分かれることがあるなら、それはもう神話の続きだ。


 二人は剣を向け合ったまま、静止する。

 雨足の強さが増す中、まるでその場所だけは浮世から切り離されたようだった。雨音が二人の会話を邪魔することはない。二人が投げかけているのはすでに言葉ではないのだから。


『疫病神はどうなりました?』

「ヤクちゃん? ヤクちゃんなら黄木凛が死ぬ直前に体から抜け出すことになってる。川の水に溶けて抜け出すんだ」

 彼は感情のない、イメージを貼り付けただけの笑顔で、笑う。

「その前に、一つだけヤクちゃんにやってもらう手筈でね。今、頑張ってもらってるんだ」

 黄木凛は山のいただきに顔を向けた。


「ここの頂上にダムって言うほどじゃないけど、水を溜める可動堰かどうせきがあるんだ。九年前にだれかが川で溺れたのをキッカケに作られたから、コムさんは知らないかもね」

『なにをするか分かりませんが……、絶対に止めます』

「これは一応、生放送の配信だからね。見てるみんなが満足できるようにド派手に、ね」


 睨みつけていたコムライスはハッ、とそれの可能性に気付いて山頂を見上げる。すかさず全身を浴びる水雨を通して、川の状態を確認した。

 山奥の堰に『サイヤク』が刻まれている。その『サイヤク』は音を立て、今この瞬間、はち切れんばかりに膨らんでいた。


 ―――この先に行く必要はない。その言葉通りだ。ここが既に、目的地なのだから。

 コムライスは慌てて体に紋様を浮かび上がらせる。


「もう遅い」


 激流サイヤクが堰を破る。川だけでなく山道にも大量の水が雪崩なだれこむ。ここに来るまでの時間は僅かだった。何かをする暇なんてない。しかし、神性が失われていても治水の神だ。自分の身くらいは守れるだろう。

 だが、それまでだ。

 水圧が壁となり、そこにいた全てを襲う。木々も地面も神社も鳥居も、コムライスも、そして―――。




「 ―――さよなら  」









 …………それは、疫病神である私に言った言葉だったのだろうか。


『―――縺ゅj縺後→縺!』

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