第壱話 - 1「迷惑メールが感染した」

 それは、激流だった。


 すべてを飲みこむほどの強烈さが全身を喰いこむ。浮遊感と神経を引っ張られる感覚が混ざり合い、拒絶を示す。体は細切れになり、その隙間から大切な全てが抜ける。その蝕む感覚はもはや苦痛ではなかった。ただ神経を焼き切る感覚が身体のうちに流れこんでいく。


 それはナイフで、言葉の羅列を書き込むように、無意味で莫大な情報を内側へと刻みつけていく。今まで積み重ねたなにもかもが上書きされ、脳細胞の配線が組み替えられる。指の末端から登ってくるその感覚に、なんとなく既視感を覚える。もし、形容するなら。


 ―――ああ、これは

『雋エ譁ケ縺ョ鬘倥>縺ッ?』


『ソレ』が語りかけてくる。おおよそ言葉とはほど遠い。もっとあやふやで、意味がなく、それでいて深い。


『縺企。倥>縺励∪縺吶?√←縺?°鮟?惠蜃帙r蜉ゥ縺代※縺上□縺輔>??シ』

 ―――これが


 魂の叫声が明確な殺意を持って自分を呼ぶ。感情というにはあまりにも無機物で機械的で、そして、なににもまして、何もなかった。

 しかし、それは既知の感覚で、自分はその名を知っていた。唇が弧を描き、それの名前を口にする。


『逕溘″縺ヲぁ、』

 ―――「死」。


 その正体を口にした瞬間。

 それは変調する。

 何者かの意思によって形作られていく。


『逕溘″縺ヲぁぁ――あなたは、死ぬ――』


『――13日後に、死ぬ――』


『――だから、ぁぁぁあ~~~~~~、ちちちちち、ちこく~!逕溘″縺ヲ――』


 途切れた言葉は『ノイズ』の濁流へと呑まれっていった。






 黄木凛(俺)は夕日に燃える赤い教室で目を覚ました。そして、誰もいない教室を一瞥して。

「……なんだ今の夢」

 寝ぼけた声が虚しく反響した。


□□□□□


「は、はぁ~~~~~、ちちちちち、ちこく~!」


 カラスも帰る夕暮れ時。

 放課後のさびれた赤みがさす教室にこだまする慌ただしいその声は、食パンを咥えていそうな、まるでやすい少女漫画の台詞で、人気のない教室にまったく相応しくないものだった。ただ、忙しない足音と声だけは始業のチャイムとの待ちあわせに間にあおうとする迫真さがある。


 足音はとある教室の前で止まる。

 そして、勢いよくドアを開いた瞬間。

 これまた、やすい恋愛漫画のお決まりのごとく、衝突した。


「っ~~」


 床に倒れ、頭を押さえて悶絶する少女。

 とりあえず、と大股開きとなったその少女のスカートをめくり、まじまじと観察する。

 ……ふむ、うさぎか。脳内フォルダに画像を保存、と。


「ったたたた……、あ。すまん! 急いでいてぶつかってしまった!」

 頭を押さえながら少女は謝ってくる。

 それに対し、こともなげに応える。

「あ、いーよいーよ。ぶつかる時に三回くらい胸揉んだし」


 突然、風が頬をかすめ、初夏の暑さにつかの間の安らぎを演出する。目の端には拳が見える。

 少女の拳がおそろしい速さで飛んできたのだ。それを冷静にかつ、とりあえずの精神で避けたことに、彼女は目をぱちくりとさせこちらを見る。


「あ、お前………凛か」

「あれぇ? なんで俺の名前を?」

「なんでもなにも……。お前と私はもう十年以上の付き合いではないか」

「ああ、そうだった。で、君はいったい誰だい? 虎子とらね

「名前以外記憶喪失だと?!」


 もちろん、彼女のことは知っている。


 名前は白形虎子。フリガナは(しらかたとらね)、又は(きいきりんのおもちゃ)である。


 女子生徒ではあるが、学ランを上着代わりにしており、逆に下のほうは、絶滅したと考えられていたスケバンを彷彿させる長いスカートを履いている。正直、似合っていない。『不良』という服に着せれている感じだ。ファッションにすらなっていない。しかも、いつもは髪を結っておさげにしているのだが、今は髪を下ろしている。それも相まって、いつも以上にちぐはぐのミスマッチだ。どうやら本気で急いできたご様子である。


 彼女は教室をキョロキョロと執拗に、そして不思議そうに見渡す。


「あれ? みんなは?」

「みんななら授業済ませて帰ったよ?」


 教室の時計はもう六時過ぎまで針を進めていた。


「あーうぅぅ。全力疾走できたのに……。はっ、世界が赤かった理由がようやく分かったぞ!」

 虎子は頭を抱えながら、はっとした表情になる。むしろ、今まで気付かなかったという事実のほうが重要な気がするが。


「違うのだ! 聞いてくれ! 目覚まし時計が壊れただけなんだ! 別にサボりたくてサボったわけじゃないんだ! あ~~、まだ時間あると思って二度寝したのが悪かったんだ。まさか時計が止まっていたとは。あっ先生には報告すべきか?!」


 虎子は意味の分からぬ弁解を始める。

 女子高生が黄昏たそがれにパンを咥えて走る姿を想像するだけで爆笑モノなのに、さらに、そんな血迷った弁解までされた日には、先生はどうなってしまうことやら。


「あーうぅぅ……っ」

「あ ー 、よ し よ し ー(棒読み)」

 と、頭を抱える虎子を撫で叩く。慰めているか馬鹿にしているのか、自分でも分からない。

「っ、…………もう、大丈夫だ! なぜなら、私は強い不良だからな!」


 虎子は毅然に胸を張った。言葉とは裏腹に若干涙目のように見える。

 ちなみに彼女の言葉を補足すると、「私は強い(わけでもなく)不良(でもなく、むしろ優等生な部類に入る)」となる。今日は例外だが、彼女は遅刻もズル休みもしないし、成績も上位。ときどき、テストの答案が一問ずつずれて赤点レベルを取ることもあるが、そんなドジも傍から見ると微笑ましく映るようだ。

 不良に憧れているだけの純真無垢な虎子ちゃん。そんな評価の彼女が理由もなく授業をサボタージュするわけがないのは、このクラスでは周知の事実だった。


「……ところで、凛はどうしてこんな時間まで?」

「ん。あ、俺? 『一日中机に突っ伏して、友達が一人もいない奴の寂しい気分をとことん味わおうキャンペーン』をやってたらいつの間にかに寝てた」

「お前は本当にけったいな遊びをいつもしてるな。それで、やってみての感想は?」

「んー、五時間目の体育は楽だったかな」

「授業でろよ!」

「なんでクラスメイトたちはあんな必死に走ってるのかな、って」

「体育の授業だからだと思うが?!」

「あと、放課後にクラスみんなに占いとかもしてたかなぁ」

「『友達が一人もいない奴の寂しい気分をとことん味わおうキャンペーン』はいずこに?!」

「もちろん独りで勝手に占ってただけだけど?」

「本当に寂しい奴、だと……?」

「占いに気付いたクラスメイトはばっちり迷惑がってたよ」

「……それはそうだろうな」

「白形虎子の占い結果は『不幸なドジ&不幸&不幸』だったよ」

「本当に勝手にっ?! 凛の占いは無駄に当たると有名なのだから、やるなら自分にだけやってくれ!」

「あと『日々の行いは自分の知らないところで身を結ぶ』だってさ」

「私の占いはもういいって言ってるだろう?! 自分を占え! 自分を!」

「最後に自分も占ったけど。結果は微妙だったなぁ。……あ、そんなことより」


 床に転がっていた虎子のカバンを拾って渡す。


「今日もあそこに行くんだろ?」

「お、おう。そうだな」

 急な変わり身に、虎子は呆れ半分の戸惑いの色を見せる。

 

「なら歩きながら話そう。でないと夜が明けちゃう」

「いや、まだ日も暮れきっていないが!」

 歩きはじめるとそれに合わせて虎子がついてくる。


「……あ、そういえば」

「ん、どうした。凛?」

 黄木凛(俺)は自分の席を指さす。

 そこには手持ち用のカメラが置いてあり、その大きな一眼レンズのとなりでぽつんっと赤色が点灯していた。

 見るからに虎子の顔が青ざめるのが分かった。


「わ、私の痴態を動画にしてたのか?!」

 慌てふためく彼女に、グッとサムズアップを掲げる。


「やっぱりか?! また、ネットとやらに晒すつもりか?! やめてくれと何度言えば気が済むんだ!」

「虎子の反応が動画映えするのがいけないよねー」

「今度こそは、絶対にさせないからな! 壊してやる、ここで壊してやるぅ!」

「あはは」


 カメラのほうへ一目散に駆け寄る彼女の目を盗んで、黄木凛(俺)は胸ポケットの占い結果を確認する。タロットカードの13が正位置のまま、占われた自分こちらに向けて笑っていた。


「黄木凛の占いは当たる、か……」


 先ほど見た夢は、過去に経験したものの繋ぎ合わせだろうか。それとも、未来の暗示だろうか。と、一人で問う。


「……でも、ま、いっか」


 そのとき。なんとなく。とおくで。

 夢に誘うかのような。

 黄木凛(俺)を呼ぶ声が聞こえた。


『縺ゅj縺後→縺』




【...残り13日】

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