…。


 まっしろいくうかん。

 なにもない。

 ちりあくたになって。

 しんだ。

 とけた。

 きえた。

 すべてなくなった。

 なにもない。


 でも。こえがする。


  『 死ぬな!!! 』


 ちかくも とおくも ない

 ばしょで さけんでいる。


  『 死ぬな!!! 』


 ひびく こえ

 ふるえる こえ

 ひっしな こえ。

 

 なんで そんなに ひっしなんだろう。


  『  生きろ!!  』


 なんで。

 べつにいいじゃん。


  『 感情は戻る! 』


 うそだよ。そんなの。


  『  諦めないで  』


 うるさいよ。

 ほっておいて。


  『 お前次第なんだ 』


 みみが ないのに。

 てが ないのに。

 みみを ふさぐ。


  『   ―――   』


 きこえない。

 なにも。きこえない。


 ことばは きえる。


  『         』


 いらない。

 いらない。

 すべて。いらない。




 。

 。

 。








   。まだ。きこえる。

 かたちのないものの。

 かたちのないこえが。

 かたりかけてくる。

 なつかしい こえが。



 どうしたの?


 そっか。独りぼっちなのか。


 じゃあ。いっしょにいてやるよ。


 家族がかえってくるまで、ずっとな。


 べつにかまわないだろ?


 …。なぁ。


 なにか願いがあったら きくぞ?


 …。じぶんの かんじょうが よくわからない?


 ふーん。じゃあしかたない。


 しかたないから おれのかんじょうを やるよ。


  『        』


 おれが おまえの ぶんまで 笑ってやる。

 おれが おまえの ぶんまで 泣いてやる。

 だから―――。


  『        』


 そんなのできるはずが……

 ……けど かたちのない それは わらって―――。


  『  ―――!  』


 でも。


  『  ―――!!  』


 もしほんとうに。

 ほんとうに かんじょうがもどるなら。


  『 ―――!!! 』


 ぼくは。


  『 感情なら―― 』


 ぼくは―――


  『 ――ここに!! 』


 ―――感情がほしい!!!」








『その願い、聞き届けます!』




 口に何かが触れる。確かに触れる感覚。死んで無くなったはずなのに。

 肉体がある。息をしている。指を動かせられる。瞼を開けられる。

 目の前に、誰かがいる。

 キスをしている。

 だれに?

 黄木凛。つまり、俺に。


「ん―――っんん??!」


 唇が熱い。口の中まで火傷してしまいそうだ。振り払おうと動かしたら、腕は空を切った。そこでようやく、自分の体が宙に浮いていることに気が付く。それどころか、周りに飛んだ水飛沫すら浮いたまま静止している。まるで時間が止まってしまったかのように。

 全てが止まったその中で、一つだけ唇が動いて。


『間に合って、よかった』


 そう言って、コムライスは微笑んで、時が動き出した。重力に従って水滴とともに、コムライスともども地面に落ちる。高さにすればたったの2メートル程だったが、尻から腰にかけて痛めつけるには十分な距離だった。しかし、腰を抑えるよりも先にぎゅっと抱きしめられた。

『よかった、良かったです!』

「っ、いたたた」

 衝撃が響いたあとの腰をこれでもかという力で締め上げてくる。

 痛い。たしかに痛い。けれど、その痛みより、その事実が不思議だった。

「どうして、俺は死んだはずじゃ……」

『願いが、祈りが届いたんです』

 コムライスは目の端に貯まった涙を止めることなく、頬へ流れていく。そして、口元は丸く微笑む。


『白形虎子の願いが、あなたの心に!』


 もう一度、ぎゅっと抱きしめてくる。まるでお互いの存在を確かめるように、強く。


『白形虎子がお参りしたことは無駄じゃなかったんです。願いに無駄なんてなかったんです。彼女の願いは祠に少しずつ溜まっていたんです。誰にも使われず、そこに在り続けていたんです。彼女の心が、空っぽだったあなたの心に、息吹を吹きこんだんです!』


 白形虎子の願い事。彼女の口から聞けることはなかったが、今ならそれがどういうものか理解できる。たった今、それが体の中に流れてきて、胸を熱く満たしている最中なのだから。



【 黄木凛ききりんが幸せになりますように。 】



 それは、いつの間にかに目から零れていた。止めどなく奥から溢れてくる。一瞬それが何なのか理解できなかった。ただ、それは熱く、手のひらに何度も零れ落ちる。


「そっか、そんなこと九年も想い続けていたのか。……大した野望だな」

『バカですね』

「む、なんだと?」

『何度でも言います。凛さんは見上げたバカです』

「何度も見上げるのはやりすぎだぞ」

 彼女は、困った人を見る目をしながら、口を綻ばせる。

『だって、彼女が想い続けたのは九年じゃありませんよ。彼女は十年、十一年と、これからもっと想い続けますよ』

「……」

『そんな彼女の想いを無下にしちゃ、バカですよ』

「……そうだな」


 腕を杖がわりに痛めた腰を持ち上げて、辺りを見上げる。いつの間にかに嵐は明けて、雲の間に青空を見せる。水分を含んで降りてきた光は反射して様々な色彩に映り変わる。風が虹の橋を潜っては、雨の匂いの奥に清涼な空気を連れて頬を掠めていく。口に含んだ砂利も不思議とイヤな感じはしなかった。むしろ。

「綺麗、だな」

『そうですね』

 そう言って、目の前の少女が微笑みかける。それはまるで―――。


「まるで、女神だな」

『えっ?』

「いや、なんでもない。…………こういうのもナウでヤングってやつなのかもな、と思っただけだよ」


 互いに顔を見合わせると、なぜか二人とも同時に笑顔がこぼれた。

 胸にめぐる熱さを感じながら、きっとその想いはどんなに時を経たところで変わらず続いていくのだろうと、そう願った。

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