第拾弐話(((願いは無駄になんかならないんだよぉ)))

『この山には確かに神が祀られていた。治水の神で、民に豊穣と平和を授けて過ごしていた。しかしそれも今は昔、信仰が集まらず、困った神は十年ほど前に社を出ていってしまった。その時自分を神社に縛りつけていた部分が邪魔だったので、自分の一部を切り離して出ていった。神を無くした山は次第に活気を無くしていく。神社に残った神の一部も腐っていった。そして九年前のあの日、この土地は大雨に見舞われた。今までなら造作もないことだったが、神がいないこの時は川が氾濫した。二人の子供が、川に呑みこまれた。一人は難を逃れた。もう一人は息をひきとった。生き残ったものは叫んだ。「この子を助けてください、大切な人なんです、だれか…」その願いに誘われて現れたのは神が切り落とした一部だった。それは腐敗し、依り代を求める疫病神に変容していた。疫病神は絶好の死にたての肉体に入りこんだ。そして、「助けてほしい」という願いに感化された疫病神はその肉体の魂の代わりとなり、死体は息を吹き返した。しかし、その時一緒に死んだ心までは戻らなかった。それから、その心は本能的になにかしら感情が動くはずの行動をし続けるようになった。その多くは周りの目には奇行と映っただろう。それが、黄木凛だった。疫病神を魂の代用にしているために、生きているだけで周りに不運を運ぶ存在となっていた。


 もう一人の子供、白形虎子は凛が溺れたその日から、お参りに行くことを欠かさずするようになった。あくる日もあくる日も、春夏秋冬、一日も欠かさずに。しかし、その想いを聞き届けてくれる神は社にはもういない。どんなに強く祈ろうとも、どんなに多く願おうとも、その想いは届かない。

 黄木凛は幸せになれない。どんなに周りを不幸にして幸運を呼んでも、幸せという感情が、感情自体が死んでいるから。彼の奇行こうどうげんりは心の持つ本能によるものだ。死んだ心を取り戻そうとする本能。心とは生命そのもの。それは、生きるための行動だった。しかし、心は何も動かぬまま、時だけが過ぎていく。


 そして、今に至る。


 神社から逃げ出した神が、ここにいる。


 信心深いものが残っていたのに、気が付かぬふりをして、情報化する人類を嘆いていた。信仰の在り方が多様化して、信心が薄れたことを嘆いていた。しかし、十年前に見た、あの日神社で楽しく遊んでいた、笑っていた二人。あれは一つの"信仰"だったのではないだろうか? 今さら気付いても、すべては遅いけれども。それでも……。…』



 それがコムライスの見た川の記憶だった。それが真実だった。


 あの疫病神はただ願いを叶えただけだ。コムライスが見捨てた人間たちの願いを、力不足ながらも精一杯に、自分の出来ることをした。それに対して自分は何をしたか。自分の尻拭いをしてもらっておきながら、厚顔無恥をぶら下げて、あまつさえ殺そうとした。しかも、その疫病神は足切りした自分の一部とは、出来すぎで、思わず笑いが零れてしまう。


『お願いします。助けてください!』


 贖罪を探してか、コムライスは走り回る。知り合いの神に片っ端から会い、頭を下げる。神には様々な種類がある。出生も特性もバラバラだ。死んだ心を生き返らせる神だっているはずだ。もしかすれば、多量の信仰心があれば無茶を通せることも可能かも知れない。しかし。


「嗚呼? 其れで何か我に益が或るのカ?」

『それは……』


 返ってくる言葉は決まっていた。心を失ったものにそれを授けたところで、信仰心は集まらない。神は信仰に値しないことをやらない。それだけ、現在の神社会は不景気なのだ。ならば以前、自分の放送で画策したように、神同士で信仰をやり取りを交渉すればいいが、コムライスは肝心の『信仰心』というブツを持ち合わせてなかった。

 最初から結果は見えている。それでも、走った。これでもかと頭を地面に擦りつけた。望みが叶うなら、靴の裏だって舐められる。

 しかし、答えは同じだった。

 知り合いには声をかけた。心を司る神の情報も聞いて回った。何度も平謝りを繰り返した。決して、いい返事は帰ってこないと知りながら、それでも、諦めきれず走ろうとして、段差に躓く。体は勢いよく前に転げてしまう。気を急ぐあまり、立ち上がろうとして脚が絡まり、また地面に転ぶ。なんて間抜けなのだろう。不意に目から雫がこぼれた。転んでいる暇などない。泣いてる場合なんかじゃない。諦めちゃいけない、挫けていては駄目だ。それでも、涙が溢れて仕方ない。涙を奥に押し込もうとすればするほど、溢れて、零れて、自分から出ていく。彼は悲しむこともできないのに。こうやって悔しがることすらできないのに。でも、もう手立てがない。


『私はまた、だれも助けられない……!』


 …。


「オメぇが『オムライス』さんか?」


 …。


 暗闇の淵の頭上から声が聞こえた気がした。涙を拭いて顔を上げる。ぼやけた視界の中、知らない男が浮かび上がった。神とは思えないボロボロの衣服を着た老け顔の男だ。黒ずんだ肌も、服も臭ってきそうなほど小汚さを隠せられない。


『わ、私はコムライスです、卵料理ではありません。……あなたはどちら様で』

「オラぁここらのスレッドのゴロツキだ。まあホームレスだな。だけど情報通でな、裏のことにゃオラ以上に詳しいやつなんかいねぇ」


 管理者から住居を許可されていない浮浪者だ。いんたぁねっつもサーバーに限りがある。役所へ場所代を支払えないものは、こうやって行き場なく浮浪するほかない。


「死んだ心を蘇らせたいんだってぇな?」

『なにか知っているんですか?!』

 コムライスは食い入るように前屈みになる。

「あー知ってるさ」


 男は並びがバラバラな歯を見せてにっと笑う。ぱんっ、と手を鳴らし蠅のように擦り合わせた。


「でも、ここで話すのもなんだ。情報欲しけりゃ『裏』に付いてきな」


 もしそれが本当なら千載一遇のチャンスだ。しかし、コムライスは警戒した。話がうますぎる。

『本当、なんですか?』

「そりゃあオメぇ『神』に誓って、だ」

 男は自分が言った軽口にかかっと笑う。

 十中八九、この男は嘘を付いている。理解していた。

「まぁ、知りたくなきゃ別にいいがね」

『……っ』


 しかし、もう一縷の望みにかけてこの男に付いていく他に道は―――。


 男の言う『裏』とはおそらく『裏サイト』のことだ。非公式のコミュニティサイトで『闇サイト』とも呼ばれる。違法行為を嗜む連中の集まりだと聞いている。コムライスも噂に聞くくらいで、その実情は知らない。しかし、非常に危険で、入っただけでウイルスに感染することすらあると言う。

 その時、ふと彼の言葉を思い出した。


「……『帰ったら結婚するんだ』、でしたっけ」


 彼は『死亡フラグ』と言っていたか。決死の覚悟を自分に科す行為。コムライスは今の自分を表す最適な言葉だとなぜか感じた。


「………ふふ、なんかロマンチックな言葉ですね」

「あー? なんか言ったかー?」

「いえ、なんでもないです」


 そう言って、コムライスはその後ろ姿をしっかりと見据え、男に付いていく。


 男はとある場所で立ち止まる。そこには何の変哲もない『①』~『④』と書かれたアイコンが浮いていた。タイトルには『フリーリンク集』と書かれている。

 男はその『③』に近付き、アイコンの裏を触れる。そして、「鼎」と一言言うと隣に『⑤』のアイコンが浮かび上がってきた。『隠しページ』、というやつだ。


「ささ、ここに触れて入りな」


 ドス黒い悪寒を感じた。覚悟は出来ているはずだった。


「まっしっかりと自分で答え出して来るんだな。オラぁ先に行っとくぞ」


 男はアイコンを触り、転移した。

 コムライスは息を呑んだ。正直、足が震えた。


 しかし。


 それでも。



 何かを掴みたくて、追うように手を伸ばす―――その時だった。


(((ぁダメよ~ぉ)))


 震えた声が聞こえたと思ったら、そのアイコンからぬぅ、と出てきた手がコムライスの手首を掴む。その振動の感覚はよく知っていた。


(((こぉ~んな分かりやすい罠にひっかかっちゃぁダメよぉーぉ。シーナさぁん♡)))

「あ、アンさん?!」

 アンはふっと姿を現す。

 コムライスはそれに目を丸くする。


「ど、どうしてここに……?」

(((探したのよぉ。ほらぁこれ)))

 宝石のように輝く結晶をいくつか手渡された。

(((この前に返すの忘れてたぁ、痩せ型の男性のやつのぉ~、場所代と修理代ぃ)))


 これは『想い』を結晶化させたものだ。『想い』にもいろいろなものがあるが、感情の質によって価値が変わる。純粋な心であればあるほど、利用範囲が大きくなり、値打ちも高くなる。


 アンは『つぃ~た』を使い、多くの信仰を集める超人気ユーザーである。彼女の集める信仰は量こそあるもののその質は低く、小事に利用できても、大事には向いていない。パ・ブミヤに関しても性質は同様だ。家賃の足しになっても、心や生命の息吹を吹き返すことはできない。


(((なにかあったのねぇ?)))

 アンはこちらをじっと見つめていた。アンに嘘は通じない。素直に頷く。

(((そっかーぁ)))

 う~ん、と指を立てて空に考える仕草をした後、アンは首を傾げた。

(((それってKIKIRINさんのことぉ??)))

 コムライスは頷いた。隠す必要はない。

(((そっかぁ、随分と肩入れしてるんだねぇ)))

 不思議そうな顔と思念を見せてきて、アンはさらに首を傾げる。


『なにか、おかしいですか?』

(((ぃやぁ? ぁ神が人間にそこまで思いやるのぉって珍しいなぁってぇ。ほらぁ、シーナさんも前に言ってたじゃぁん。『なぁにが総理大臣ですかぁ! そんなに偉いんですかぁ! 人類のたった一人でしょうがぁ!』ってぇ)))

『……それ、酒入ってたときのヤツでしょ』

(((でもぉ、昔はもっとぉ人間を敵視してたっていうかぁ? ぁあたしたちから見ればぁ? KIKIRINも人類の一人じゃぁん?)))

(((ぉどうしてかなぁってぇ)))

 態とらしく首を傾げて純粋な瞳で見上げてくる。コムライスは自分がこの瞳に弱いことを自覚していた。なぜなら、その仕草は絶対に答えを聞くまで帰らない、という厄介な品物だからだ。アンの目は何度もぱちくりとして無垢を装ってくる。


(((KIKIRINさんのこと好きなのぉ?)))

『………アン、言っていいことと悪いことがありますよ』

 アンは(((ぁあたしぃ分からなーぃ♡)))と言いたげな、相手を苛立たせることに長けた表情をする。

 コムライスは肩を竦めて諦める。


『確かに私は人を嫌っていました。勝手に神社に縛り付けて、時代が変わり科学が発展したら捨てられて、誰にも参拝されず、耐え切れなくて祠を飛び出しました。西洋の神に憧れて、着物も変形させてアニメファッションにしたり、アンと一緒につぃ~たを始めたり、でも、自分だけつぃ~たがうまく出来なくて、……就活したり、神派遣会社に勤めたり、この九年間、いろいろありました。その時、いろんな方法で人から信仰を貰う神に出逢って気付いたんです。私が人間に捨てられたのは、科学の発展とか、時代とか関係なかったんだって。私自身が人と向き合ってなかったからなんだって。

 だから、『神様革命の会』は私の願いだったんです。自分を変えたくて、私の拙いメールのお誘いを、最初に受け入れてくれた人間の願い事を絶対に叶えるって。絶対『神様革命の会』を成功させてみせるって。……だれかの神で在りたかったんです。』


『私、ききりんさんのこと助けたいです。でもぉ……』


 また目から涙が溢れ出してしまう。自分は弱い神だ。

 ぼろぼろと音を立てて手の平で弾ける。それを包むかのようにアンは手を握ってくる。


(((……もぉ、こぉんなこと話すつもりなかったんだけどねぇ)))


 唐突に、アンはぽつぽつと喋り始める。まるでその震えた声は雨のようだった。嵐や空を曇らせるためのものでなく、恵みの雨のような、柔らかい声だ。それはどこか遠くの方向を向いていて、そして優しかった。


(((ぁ初めてネ申ネトに来た時ぁあたし不安でさぁ、右も左もわからなくてぇ、住む場所も食べるものもなくてぇ、途方に暮れたんだよねぇ)))

(((ぉもうどぉーしよぉもなくてさぁ、もぉいいかなぁってぇ)))

『? なにがですか?』

(((ぁさっきシーナがしようとしたこと、とかしてもさぁ)))

『え!』

(((ぉもう疲れちゃったからさぁ、ぉこういうので信仰を集めようって思ってたんだよねぇ)))


(((ぇでも、その時にシーナさんに出会ったぁ♡)))


(((ぉおっちょこちょいで問題ばかり起こして、ぇでも、いつも前向きなぁあなたに、悔しいけどいつも勇気貰ってたぁ)))


(((だからねぇ、決して間違ってなんかないんだよぉ。あなたに救われたぁあたしが証明する)))


(((ぁだから、今こうして頑張ってることは無駄じゃないんだよぉ、願いは、無駄になんかならないんだよぉ)))


(((だってぁあたしたち神様だからぁ、ね?)))


 アンは唇の間に小さな空間を作り、微笑みかけてくる。それは思念を送られるのを待つまでもなく、コムライスと出会えて本当に幸せだった、と物語っていた。

 アンの口は真実の口だ。その能力には一つ制約がある。アン本人さえも嘘を言えないのである。嘘を言ってしまったら最後、唇同士は接着し、その嘘が本当になるまで口を開くことはできなくなる。

 彼女の言ったことはすべて本心だ。


『ありがとう、アン。……でも』


 でも、この世には無駄になる願いはある。本当なら神である自分たちが聞き届けなければならない。しかし、神に聞き届けられなかった願いは―――。


『神に聞き届けられなかった、願い?』


 頭の中で断線していた線と線が火花を発して、一本につながる。

 どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。こうしてはいられない。早く行かなくては。


『ありがとうございます、アン。まだやれることありました!』

(((あっ、ちょっと待ってぇ)))

『今急いでいるんですが……』

(((今『つぃ~た』でぇ気になる発言がぁ)))

『アン(#^ω^)?』

(((あぁ~ん違うのぉ、本当に大事なことでぇ……あっ、この『つぃ~た』なんだけどぉ)))


 アンから思念を受信する。

 その内容は―――。



『 アカウント『KIKIRIN』 - 9分前

●Recちゃんねる-生放送開始。【KIKIRIN】台風生実況【川の様子見てくる】』



(((これってぇ……)))

 アンの言葉が終わる前に、コムライスの足はすでに動き出していた。




【...残り0日】

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