第拾話『蜊第?ッ閠』
ソレの目の周りには彫刻刀で彫り刻んだような、赤黒い隈がある。髪と瞳は、黒色でも白色でもない、この世の全ての色を丹念に混ぜこんだ濁色で染まっている。薄暗い肌全域はどの面も光に当たっていない。
『縺斐a繧薙↑縺輔>』
人の声では表現できない。言葉ですらない。それは悲鳴のような、驚嘆のような、狂喜のような、深くて軽く、強くて弱く、複雑怪奇な叫びだった。奇奇怪怪という表現がしっくりと来る。
「こいつが虎子の療養を長引かせた原因なのか?」
『はい。あれは周りに無差別に厄災を振りまく、神が腐った存在……つまり、禍神の一種です。最初に違和感を覚えたのはブミヤ……あの【呪詛返し】です。その他にも、凛さんの魂の形の歪さやその身の回りの人間たちの不幸が確信に至る理由になりました』
出来はしないことを、まるで自分の影を剥がそうとするかのように疫病神と言われる存在は暴れる。しかし、アンはそれをしっかりと口で捕らえている。
『逍ォ逞?・槭〒縺斐a繧薙↑縺輔>縲ゆク榊ョ悟?縺ェ遘√?縺帙>縺ァ縲√≠縺ェ縺溘?蜻ィ繧翫r荳榊ケク縺ォ縺励↑縺?→逕溘″縺ヲ縺?¢縺ェ縺??ょご繧翫〒繧ゅ↑繧薙〒繧ゅ>縺??∝勧縺代◆縺??∵舞縺?◆縺??√〒繧ゅ?∫ァ√?辟。蜉帙?ゅ≠縺ェ縺溘r蟷ク縺帙↓縺励◆縺??縺ォ蟷ク縺帙↓縺ァ縺阪↑縺??ゅ#繧√s縺ェ縺輔>縺斐a繧薙↑縺輔>縺斐a繧薙↑縺輔>縲』
厄が詰まったような黒ずんだソレは奇矯な言動を振舞う。意味があるのかは分からない。ただ、必死に何かを叫んでいることだけは分かる。
しかし、ただならぬ違和感を覚える。
『なにを訳のわからぬことを!』
コムライスの持っている大幣から天叢雲剣(レプリカ)が生える。それに対して、疫病神は噛み付くような目で鋭く視線を飛ばす。
『さっさと私の剣に喰われてください!!』
騒いでいるのも関係なく、黄木凛(俺)は二人の間にふらっと入る。そして、疫病神の頭を撫でる。その場にいた全員が虚を突かれたように、鳩が豆鉄砲を食らった顔になった。
『ちょ、ちょちょちょ! ちょっと何やっているんですか!』
「まぁまぁ、一方的に退治しても良くないでしょ。この子の言い分も聞こう」
それに気になったこともある。黄木凛(俺)は意味不明なはずのこの疫病神の言葉が、なぜだか解るような気がした。
「もしかして、どこかで会ったことある?」
疫病神の困り眉が眉間に線を作る。先程とは打って変わって、敵意は微塵も感じられなかった。
それはワンテンポ遅れて、小さく頷く。
「落ち着いて、深呼吸。ちゃんと伝えるように喋ってみて」
『な、なにを……!』
困惑するコムライスに対し、口の前に人差し指を立て、「静かに」とジェスチャーして、押し黙らせる。
「……言ってみて」
『←←遘√r谿コ縺励◆縺代l縺ー谿コ縺』
纏まりのない思念が流れてくる。電子化した声を極度につりあげたような叫喚を、人の言葉に紐解いていく。
「……私を殺したければ殺せ」
なぜか、それがその意味だと解った。
『何を、言ってるんですか、言葉が通じるはずは……』
『←←縺?縺代←縲∫ァ√r谿コ縺吶→鮟?惠蜃帙b豁サ縺ャ』
コムライスに構わず、それは声を上げる。
「だけど、私を殺すと黄木凛も死ぬ」
『遘√?鮟?惠蜃帙?鬲ゅ?莉」逕ィ蜩』
「私は黄木凛の魂の代用品」
『蝌倥□縺ィ諤昴≧縺ョ縺ェ繧峨??サ?惠蜃帙?菴上s縺ァ縺?k螻ア縺ォ縺ゅk逾樒、セ讓ェ縺ョ蟾昴r隱ソ縺ケ繧九→縺?>』
「嘘だと思うのなら、黄木凛の住んでいる山にある神社近くの河川を調べるといい」
黄木凛の住んでいる地域の神社。真っ先にあの神社を思い出す。虎子が毎日お参りに行っていた、あの神社だ。あの隣に流れる川というと……。
確信はなかったが、黄木凛(俺)の中でピースが符合する。
疫病神をもう一度観察する。今まで会った、記憶している人物とは誰にも似つかない。しかし、何故かその姿は誰かの面影と重なる。
『縺昴%縺ョ縺雁燕縺ォ荳?險?縺ゅk』
疫病神は次の思念を飛ばしてくる。
「……そこのお前に一言ある」
どんよりと濁る深い瞳は、邪悪さを表に映す。しかし、そのもっと深くに鮮明な殺意を潜めさせている。無差別に振りまくという疫病神のそれとは違い、その憎しみはたった一柱の神に向けられている。
噛みつくような視線の先に、コムライスを捉えて離さない。
『蜊第?ッ閠』
それを言葉にするのに、一瞬躊躇した。それが考えさせる言葉だったから、命乞いをする者の言葉にはあまりに遠かったからだ。
『なんて言ったんですか?』
思考が纏まることはなかった。なので、その思念をそのまま、口にする。
「……『卑怯者』」
□□□□□
"卑怯者"
その言葉は一人の小娘を憤らせるには十分で、また、その場所に足を運ばせるのにも十分だった。
人の手から離れた蒼茫たる樹木たちが山を塞ぐ。深い山奥にいるように錯覚させる薄暗さは、空を厚く覆った雲のせいだけではないだろう。無秩序な葉音は時折草木の悲鳴のようにざわめく。
『こんな場所に何があるって言うんですか、まったく……凛さん、ちょっと待ってもらっても……』
コムライスは手に持っている、あの玩具のような大幣でシンギングボール的な音を鳴らす。振り向くと、慣れない足取りで山道を行く彼女が肩で息をしていた。ネット生活が長くて足が億劫になっているのではなかろうか。彼女はネットに転居したが、元々は現実の神だ。ここまでの道のりは山というより丘に近いので、もう少し甲斐性を持ってもいいというものだ。
「もう少しだぞー」
立ち止まる彼女に声を掛けるが、足は先へと進ませる。
疫病神の言葉通り、川を調べに来た。
それは命乞いの言葉だったかもしれないが、信憑性が全くないわけではなかった。コムライスの能力で調べた限り、彼女が黄木凛(俺)の魂の代わりをしている可能性は高いらしい。それに、彼女の言葉が理解できたのはそれが魂だったからで、直接思念を通じ合わせることができるから、という理由なら説明がつく。
だが実際に、彼女が疫病神である事実は変わらない。
彼女が何のために肉体を奪ったのか、それを調べるため、彼女の言葉より信用に値するものを探しにきた。
コムライスは疫病神の言葉に従うのに反発的ではあったが、疫病神は逃げる気配もなく、今もこの体内にいる。思い立てばいつでも処理できる状況だ。なら、気を急くこともない。全ては真相を確かめてからでいい。今この場にはいないが、あの時はアンにも諭され、結局多数決で物事が決まり、コムライスも渋々従うことにした。
『まったくなんですか、この山は。神も人も幾年の手入れしてなくて、山が閉じちゃってるじゃないですか』
「そうなのか?」
『ええ。まるで山自体が人や畜生たち、神すらも拒絶しているようです。この土地の
「拒絶、か。そう感じたことはないけどなぁ……お、見えてきたぞ」
梢の向こう側にせせらぎの反射光が見える。それを見たコムライスは、川遊びを期待する子供のように顔を輝かせた。
靴を脱いだコムライスは川に入って、まるで水を得た魚のようにその中央まで行く。水流に逆らう動きとは思えないほど軽々しい足運びだ。治水の神を名乗るだけのことはある。
中央まで行ったコムライスはせせらぎに手を入れる。彼女の周りだけ水流が変わる。まるで腕が水を吸い上げるように、その中心に流れが集まる。川の記憶を覗いているのだ。
しかし。
しばらくすると、突然、コムライスは目を見開いた。
『うそ……そんな……』
ぽつりと言葉を落とす。水流は乱れ、逆流した水は無数の気泡を孕ませて濁る。明らかな動揺が見てとれた。
『こんなことって……』
コムライスは神妙な顔つきで言葉を必死に繋いでいく。
『凛さん、この川を辿ると、神社が……お宮が、あるんです……か?』
「ん? ああ。そこなら、虎子とよく行くけど―――」
言葉が終わる前にコムライスは走りだしていた。先ほどの軽快な足取りとは違い、川の流れが足に纏わりついてうまく進めない。それでも、流れに逆らおうするので足がもつれ、盛大に水飛沫をあげて転ぶ。
「なにしてるんだ」
川に分け入って彼女に近付く。手を差し伸べてみるが、項垂れる彼女に無視される。代わりに小さく呟く。
『……嘘ですよ、こんな』
「なにがあった?」
コムライスは答えない。ただ、彼女がへたれこむ足元だけに浮かぶ濁った水泡は手足に絡みついている。まるで川が彼女に反応して逃がさないようににしているようだ。
絹糸ような濡れた前髪からぽとぽと……と水滴を垂らし時間だけが過ぎる。
彼女が見たものはわからないが、その反応は今の自分の状況を推察するのに十分だった。
『私、なんです』
ふいに、誰かに聴かせるには余りにもか細い声が落ちる。ぽつり、ぽつり、と細切れにした言葉を川に落とすように。
『凛さん。……幼い頃、あなたはここで溺れました』
『その時、魂と一緒に、心や肉体も死にました』
『その時、あなたは一度死んでいたんです』
『ですが、そこに通りかかった疫病神が貴方を寄り代として肉体に入って生きながらえた』
『疫病神の言っていたことはすべて本当です』
『そして……』
『……』
『ここの神社に祀られていた神は』
『この山に祀られていた神は、』
『私、なんです』
『治水の神である私がここに居続けたら、ここを離れなかったら川は氾濫しなかった』
『黄木凛が溺れることはなかった』
『黄木凛が死ぬことはなかったんです』
『つまり、』
『黄木凛を殺したのは……』
『私です』
文字通り幽霊を見たという表情の、コムライスの顔は無機物の白に塗られていた。絶望はきっとこういう色をしている。この白の塗料を取り除くことは簡単のはずだった。涙を見せたり、怒りをぶつけたり、はたまた、笑うだけでもその絶望を拭えるはずだ。
それでも。
「まぁ、いいんじゃない?」
何も感じなかった。
死体の名前が自分と同じであっても、まったく現実感がなかった。まるで自分のことじゃないかのように、その名前に(俺)と注釈を入れなければ存在を確かめられないように、心は微動もしない。
黄木凛は死んでいた。
その事実を聞いて。
―――ああ、やっぱり
と思うだけだった。
……唐突な余談で申し訳ないが、先程出題された問題―――『黄木凛の今の気持ち。』の答え合わせだ。
答えは『
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