第捌話「この戦いが終わったら俺、結婚するんだ」
「じゃあ、行くぞ。覚悟はいいかコムさん!」
『バッチリです! 凛さんも覚悟できてますか!』
「ああ! ……なんか今の感じってこう、あれだな………『この戦いが終わったら俺、結婚するんだ』って感じだな」
『えっ結婚するんですか?!』
「……今のは『死亡フラグ』っていうやつだよ」
『しぼうふらぐ?』
「『ちょっと田んぼの様子見てくる』とか『こんな殺人鬼と一緒の場所にいられるか、俺は部屋に戻る!』とか、決死の覚悟を自ら科すことだよ」
『気合充分ってことですね!』
ただの軽口のつもりが戦前の発破にまで昇華する。ネタが通じなかったが、それはそれで意味があるので大目に見ることにする。
虎子の携帯電話の履歴を漁った結果から言えば、ビンゴだった。
昨日の夕方の着信履歴。そこに『非通知』と表示されていた。一瞬、当てが外れたと思った。しかし、コムライスによると『神自身が端末になっている時は、番号ではなくそう表示されることがある』らしい。コムライスに事前にその非通知元を調べてもらったら、『神』に繋がっていることが判明した。
そして、今それが『ブミヤ』へ繋がっているか、確かめるところだ。
改めて、携帯電話に潜り込む。行き先はもちろん、昨日の【オレオレ詐欺】の番号……そこにブミヤのいると信じて。
視界に光が溢れ、それが全身にめぐる。
光の中を走り抜けて、その向こうに―――。
「―――いた!」
人影が見える。しかし、そのシルエットは少し異様だった。手足が無造作に放り出されている。例えるなら、殺人現場の死体を囲む白線のようだった。
そこを着地地点に、そいつに乗った。
「う゛ぅか゛!゙?」
踏みつける形になって、その寝そべっていた肉体は悲鳴にも似た嘔吐き声を上げる。
その人物はにらんだ通りの、ブミヤ本人だった。
「あ゛あ゛?゙?゙ っん゛た゛?゙!」
『あ、ごめんなさい』
「い゛い゛がら退げっ゙ぃコ゛ホっ゛コ゛ホっ゛!!」
元々濁っていた声はさらに掠れこんで、聞いているこっちが痛々しさを感じさせる。目は虚ろで、乾いた咳をしながら、ぜーっぜーっと苦しそうに息を切らす。痩せ型なので、余命わずかの末期癌患者と言われても違和感がない。
「……これは、どういうことだ?」
『これは、おそらく【呪詛返し】というものですね』
呪詛というものは祈りの亜種と言っていい。というより、「呪い」と「祝い」は語源が一緒である。通常、祈祷は祝福を望むものであるが、呪詛の祈りは他人の不幸を望むものであり、性質は通常のベクトルと真逆にあたる。人を呪わば穴二つ、という言葉があるように、呪詛には呪詛返しが対となって存在する。そのため、本人すら不幸になることが多い。通常の祈りでも同じことが起きるが、それは幸せの方向にあるため、巡り巡りいつか己も幸せになる。人の不幸は蜜の味というが、他人の不幸を望めば、いつしか自分も他人に不幸を望まれるようになる。
「つまり、やりすぎて自分にも被害甚大ってことか」
一万件ものメールを出す労力を使い、さらにその呪詛が返ってきて、ブミヤの体はボロボロだ。おそらく、あの量の件数から察するに、眠ってもいないだろう。
すると、もしかしなくとも、急がなくても良かったのかもしれない。今の彼は身動きがとれず、メールもなかなか出せない状態だ。しかも、送ったところで、撥ね返って自分の体調を悪くすることになる。虎子へのメール攻撃もすぐ終わっていたはずだ。
「つまり、考えなしの馬鹿ってことか」
『そ、それは流石に酷いですよ(。・w・。 )ププッ』
「人の上て゛喋っ゛でねぇ゙ーて゛ざざっど降りろ!゙! こ゛ぶっっ!」
彼は吐瀉物をすぐにでも吐き出しそうに苦しむ。それでも、逃げる余地がないようにぐりぐりと踏み躙りつづける。なにか吐き出したらその時はその時だ。
「お前、他人の携帯電話に不幸の手紙送りまくっただろ?」
「あ゛あ゛?゙! ……あ゛、あ゙のごどが」
「心当たりがあるみたいだな」
「ぞれか゛と゛う゛じだ」
「そいつと知り合いなんだよね」
「あ゙ー、なるぼど。ぞれて゛仕返じっでわけか」
「なんであんなことしてるんだ?」
「あ゛? それか゛俺様の領分た゛からに決まってるた゛ろ。目星づげだ人間を【不幸の手紙】て゛心身ともに弱らぜだどころ、【詐欺電話】を使っ゙で
……やはり、そういうことか。
物事が一本の線でつながる。虎子が標的になったのはリア凸事件や詐欺をあしらったからじゃない。それは【不幸の手紙】を加速させた原因だったが、元凶ははるか前にあった。携帯電話を扱い慣れていない虎子のことを最初から狙っていたのだ。不慣れかどうかは、彼の能力を使って電話機器の履歴をのぞけば造作もなく推測できるだろう。これで、ものごとの順序が逆だったのも頷ける。
今思うと、昨日生真面目な虎子が大遅刻したのは、【不幸の手紙】によりすでに具合が良くなかったからとすれば、さらに納得がいく。
「ぞん゛なの当だり前のごど聞い゛でと゛うずる……づが、ん゙なごどはい゙い゙がら、どっ゙どど退げ!゙」
ブミヤには反省の色がまったくなかった。
だが、彼も生きるためにやっていることだ。しかも、呪詛返しで自分にも災厄が返ってきて苦しんでいる。あたらしく呪詛を送れる状態でもないだろう。仕方ない。ここは大目に見てやろう。
「ぶ っ こ ろ し て や る」
おっと、口が勝手に。
足が勝手に動いて、ブミヤの頭を踏みつける。勝手に動いたのだから仕方ない。
「き゛ぃ゙っ゙?゙!!!」
ブミヤは勝手に悲痛の声を上げる。
「勝手なことしてるんじゃないよ、まったくー」
ブミヤの頭を抑えながら、さらにぐりぐりと踏み躙る。
「ぢぃ゙っ゙!゙!!」
その拍子、何が起こったかわからなかった。見えない力によって足が滑って重心が移動し体勢を崩す。その隙を狙って、ブミヤはのしかかりから逃れる。
『あ、待ちなさい!』
「ばっ゙、誰が待づが―――!」
そのまま、ブミヤは逃げ出そうと、サーバー回路の入口を潜る。
その時だった。
(((ぃシーナさぁん、来ましったっよぉー♪)))
ブミヤの身体は『壁』に当たり、クッションのような『双丘』に顔を埋まった。
(((ぁあら、ぁあらあらぁ~?)))
回路の入口から出てきたのはアンだった。おそらく、コムライスの連絡で呼ばれてきたのと、ブミヤが出ていこうとした時が重なったのである。
「ば、゙ばな゙ぜっ゙!゙!゙!」
『アン! そいつを捕まえてください!』
(((んん~?)))
アンはブミヤの両手を掴んで、がばっと口を広げる。
(((じゃぁー♪ ぉとりあえず、いただきまぁす♡)))
「な゙、なにじやか゛るっ!゙!?」
ガブリッとその両手はアンの口に呑まれてしまう。ブミヤはその手を引き抜こうと力を入れるが抜ける気配は全くない。思春期の高校生にとって、なんとなくいたたまれない光景が広がる。これは一体何のプレイに巻き込まれているのだろうか。
「あ゛あ゛?゙!゙ な゙ん゙た゛ごれ゙抜゙げねぇ゙えっ゙っ゙!゙!!」
どんなに死力を尽くしてもその口から逃げられない。それが彼女の能力であるからだ。
アンの振動が伝わってブミヤはガタガタと震えた。それはおそらく、風邪の時にマッサージチェアに扱かれる気分と似ている。これだけでも体力をかなり削がれる。
「や゙、や゙め゙ろ゙゛ぉ゙゙…゙…っ」
いじめっ子がいじめられっ子に都落ちした時の光景に似ている。ブミヤは蟀谷に青筋を立てて、全身全霊で腕を引っ張る。しかし、その願いは届く気配はない。ブラックホールの重力圏に捕われた絶望感がある。
「仕゙方゙ね゙ぇ゙、ごい゙づば使゙い゙だぐながっだん゙た゛か゛な……っ゙!」
ブミヤの周りに黒い靄が発生する。蟻のようなそれは小さな「0」と「1」で構成されており、ざわざわとさざめいてはブミヤに纏わりつく。放置林に突風が吹いた時の葉擦れのように五月蝿い。
「なんだ、あれ?」
「ごい゙つらば人間と゛もか゛コ゛ミどじで捨゙でだテ゛ーダだぢの塵芥゙の姿た゛。ぞの思゙念を持っで生ま゙れ直じだ、新じい゙幽霊の形゙た゛」
『つまり、現実社会の低俗霊ですね?』
「……まあ゙、ぞゔた゛なっ゙!゙!」
「あっ、説明ありがとう、二人共」
ブミヤが『不幸の手紙』だとすると、情報化する時代の流れで、手書きから電子メールに移行された顕著な存在だ。デジタルとなり贈るのも簡単になったが、捨てられるのも簡単になった。……そもそも迷惑メールの郵便受けに入れられ、開かれることもなく、いつの間にかに捨てられることもしばしばだ。その残留データがいんたぁねっつの海の底で集合体となって、呪いの人形的な意志を持ち始めた。それをブミヤが先導して引き連れているのだろう。彼が人間嫌いなのもそこに起因するのかもしれない。
「邪魔ずる奴は誰て゛あ゙ろゔど薙き゛倒ず!」
黒い粒は列をなしてアンに襲いかかる。
『アン、危ない!』
それらは彼女に纏わりつき、そして―――。
(((ぁっ、ぃいただきまぁすぅ♡)))
ずるるるるる~~~!!!
黒い粒たちは掃除機に吸われるがごとく、アンの口にどんどん入り込んでいく。列はバラバラになり秩序をなくす。
偽の心を持ったものがアンに手を出したらその口から抜け出せなくなる。それがアンの能力だ。『不幸の手紙』を始めとする迷惑メールは、九割九分九厘、嘘の内容が書かれている。それはもう嘘で作られた存在と言っていい。随分とブミヤと相性がいいようだ。
「ヤメ゙、ヤメ゙ロ゙ー゙ー゙ー!!゙」
ブミヤの悲痛な叫びの中、アンによる驚きの吸引力が猛威を奮い続ける。文字列は元のブミヤの周りに退避する。
(((ぉ粗末さまでしたぁ♡)))
ブミヤはその数字たちを確認する。さっきと比べ、半分ほどに減っていた。
「あ゙、ああ゙ぁ゙…゙…じお゙り、みお゙、ゆい゙な、あ゙やご、ざぎ、ゆがり、のそ゛み…………っ゙なん゙て゛、なんて゛こん゙なごどにぃ゙…゙…」
目の端に涙を貯めて、女性の名前を口にしていく。それは、ペットレスの時の喪失感が嘆きとなって出てきているように聞こえる。
「名前、付けてたのか……」
「くそっ、ア゙イ゙ツ等の死は無駄にじねぇ゙! 次はテメェ゙ー゙た゛っ゙!゙!」
黒い靄を操り、こちらに向けて飛ばしてくる。コムライスは、魔法少女のマジカルステッキのようなあの大幣を払い、その靄を一瞬で散り散りにさせた。
「なっ゙?゙!」
払ったそれは大幣の形から大きく違っていた。大幣から刃が飛び出している。しかも、小刀と名状できないほどの大きさである。刃渡一尺三寸ほどの、長く伸びた切っ先は銀色に光り、玩具のような取っ手と合わさって違和感が半端ない。
最近の玩具産業は仕込み刀まで作っているのか。
(((抵抗しないほうがいいと思うよぉ、だってそれ、"天叢雲剣"だしぃ?)))
「な゛……! "天叢雲剣"?!゛」
口にブミヤの手を入れながら、どうやって喋っているのだろうと思ったが、思念を飛ばせることを思い出す。口を塞がれながら声がするこのシチュエーションは、なかなかシュールな光景だ。コムライスの持つマジカルステッキな剣も合わさり、もう何が何やら分からない。
『さぁ、もう勘弁しなさい!』
コムライスはここぞとばかりにキメ顔を作る。ほかの二人も真剣で神妙な顔つきだ。………シュールがシュールをシュールで重ねている気がするが、神にとっては日常なのだろうか。それとも、やはり人間である黄木凛(俺)の感性がおかしいのだろうか。
(何故みんな真顔でいられるんだ)
特定の誰かに伝えるわけでなく、目に見えない誰か……この状況を
「ま、待ってぐれ。ごい゙つらは関係ない゙。俺様はい゙い゙か゛、コイツらた゛げて゛も見逃してやってくれ」
『と、言っておりますが凛さん。どうします?』
「お灸を据えたいと思って来たんだよねぇ。けど、ただ痛みつけて終わりっていうのもねぇ」
『だ、そうですよ。ブミヤさん』
「や゙、やめろ、やめでぐれぇ…゙…゙」
『大丈夫ですよ、少しくらい。いんたぁねっつ内の神は身体がアバターであることがほとんど。なので初期設定にインストールし直せば、身体自体は治ります。それ相応の痛みは感じますが、ね』
コムライスが持つ剣の切っ先がきらり、と怪しく光る。
アンの振動を感じているブミヤは本当に体調が悪そうで、もう半泣きを超えそうな状態だ。同情をかけるつもりはないが、これで終わらせるのも複雑だ。
「あー、Anneさん。ブミヤを放してもらっていい?」
この提案に意表を突かれたのか、三柱の神は呆けた顔を見合わせる。
「ここで皆で寄って集ってブミヤを撃退しても多分根本的な解決にならない、と思うんだよね。方法を変えて、あの手この手で因縁つけてくるだけ。なら、ブミヤと一騎打ちで勝負を決める、っていうのはどうかな? そっちが負けたら今後一切関わらないこと、代わりにこっちが負けたらそちらが言う事をなんでも聞く、っていう条件付きで」
『あ、危ないです! 了承しかねます! 凛さんは人間で、ブミヤも一応神なんですから』
「まあ、そこについては今ブミヤは体調が悪いわけだし、人間に捨てられたデータもかなりの量をアンに吸われたわけだし。互いにハンデは背負っているわけで」
身体をブミヤのほうに向きなおす。
「で、するの? アンが手を放し、コムライスも干渉しない、正真正銘の一騎打ち勝負。まっ、あんなにイキがっておいて、人間相手にまさか逃げるなんてことないと思うけど」
「……ばん゙っ、願っでもねぇ゙提案た゛!」
さっきとは打って変わって意気揚々、といった感じだ。
アンと目を合わせる。彼女にだけ伝わるように思念を送る。内容はこうだ。
【今からそいつを殴りに行くから放して】
「じがじ、い゙い゙のが? ただの人間こ゛ときか゛この俺様に゛ぃ―――――く゛へ゛ら゙ぁ゙!゙!!」
台詞が終わる前に、アンの口から放れたと同時に、殴りつける。ブミヤは倒れ、すぐさまその上に圧しかかる。
「ちょ゙…゙…?! ばやぐ、へ゛ばっ!!!」
もう一発殴る。
「ちょっt゙、タn゙ンマぁ゙……っ゙っ゙x゙!゙!」
もう一発。
「あれ? アンが手を放したら勝負するって言ったよね?」
もう一発。
「油断してたほうが悪いよね?」
一発。
「あと、特に取り決めてないから青天井の無制限乱闘だったよね?」
ボコォ
「あっ、コムさん。ちょっとその剣お借りするね」
『えっ』
ザクリッ
「~~゙~゙~゙~゙ッ゙!゙!!!!」
「痛いの痛いの飛んでけ~♪」
ザクッ ザクッ
刺した場所から、『0』と『1』の数字がきらきらと光の風になって出ていく。ブミヤは悲痛の叫びをその『0』と『1』でしか表現できない。
『あ、あの』
丁度良いところで、コムライスがこちらに話しかけてきた。
「ん?」
『アバターの体だからといって、あんまりやりすぎる精神が擦り切れて廃神になってしまいますから、それぐらいに……(@_@;)』
「あー、そうなったらそうなったで後で考えよう(ザクリ ザクリ)」
『あ、アン、どうしましょう! まずいですよ! バーチャル世代ですよ、ゲーム脳ですよ!? ボタンを押したらリセットできるとか思っちゃってますよ?!!』
(((ぁバーチャル世代、こゎぁーぃ♡)))
「ザクリ ザクリ」
「…゙…゙…゙っ゛」
『流石にそろそろマズイですって!』
十分後。
「まっこんなもんかな?」
『(゜д゜)』
((((´▽`〃;))))
「【※自゙主゙規゙制゙※】」
「体が仮想(アバター)なら、体に刻みつけられないなら、その魂に刻みつけないとね☆」
神たちはその人間の所業を見て畏れ慄いている。
「っじゃ、これに懲りたら、虎子に関与してこないでね? 君の居場所にすぐ行けるんだから。もう痛い思いはしたくないでしょ? ね、ブミヤ」
反応は返ってこないが、答えは既に分かっていた。
その端で、コムライスとアンはウサギのように身を寄り添いあって震え上がっていた。
『ひ、久しぶりに見ました。人による残酷描写………太古の昔では日常茶飯事でしたのに、た、耐性がなくなってます』
(((シーナさぁん、かゎぃ~♡)))
と言うアンも心なしか、いつも以上に震えている気がする。
(((ぃひとつ聞きたいんだけどぉ)))
「はい?」
(((ぉところでぇ、何があったの~ぉ?)))
そういえば、アンには何も説明していない。ここまで巻き込んでしまったのだから、話さないわけにはいかないだろう。これまでの経緯を説明するが、少し面倒ではある。
『ええっとですね。あーでこーでこうなってそうなったんです!』
(((なぁるほど~ぉ♪)))
なるほど、全くわからん。おそらく、これまでのあらましを思念に載せて送ったのだろう。自分にその技術はないが、コムライスのほうが熟練しているのは確かだ。長ったらしい経緯を一発で伝えられるのは便利である。
ブミヤを一瞥して、アンは妖しく笑う。
(((ちょっとこの子の後片付けはぁあたしぃに任せてもらってもいぃ~ぃ?)))
ブミヤは『不幸の手紙』……つまり、偽りの塊だ。アンの能力と相性がいいのも実証済みである。暴れたところでアンなら丸め込むことができる。この生ゴミをアンが欲しいと言うなら、こちらとしても処理に助かる。
満場一致で賛成した。この一件の後処理はアンに任せることになった。ただコムライスだけは『くれぐれも注意してください!』と釘を刺す。それに(((ぉっけぇー)))といつも通りのおっとり♡ で返されるのだから、コムライスはさらに心配を募らせる。
(((じゃぁーさよぅならーぁ)))
アンはひらひらと手を振り、もう片手でブミヤを引きずり、ネットワークの出口に入っていく。
『ぅー、大丈夫でしょうか……?』
心配するコムライスを傍目に、自分の中ではすでに終わった話なので、新しい話題を振って場を変える。
「コムライスって由緒ある神だったんだな」
『え、何ですかいきなり。由緒ある神だというのは否定しませんが』
「その剣っていわゆる『草薙剣』だろ?」
草薙剣といえば、『八咫鏡』や『八尺瓊勾玉』と並ぶ、三種の神器に数えられるほどのものだ。かの須佐之男命が、その剣の霊妙さから天照大神に献上した、という言い伝えがある。つまり、最高神のお膝元にある神剣であり、これを扱えるということは、コムライスはさぞ名のある神に違いなかった。
『ああ、これですか? これはただの抜け殻ですよ』
「抜け殻?」
『はい。天叢雲剣の抜け殻……つまり、レプリカですね。魂は熱田神宮に奉納されてます。知らなかったんですか? 一般教養ですよ?』
……これはなかなかの名のある詐欺師とお見受けする。つまり、先程は模造品を見せつけて脅迫していた、ということになる。
『それにそんなに有名なら、いんたぁねっつに来てませんよ。……まあ、天照さんは悲しいことがあると引きこもりに来ると聞きますが』
そんなことしているのか、最高神。布刀玉命が入口に注連縄をかけに来て、いんたぁねっつ封鎖になりかねないぞ、最高神。人類がいんたぁねっつを使えなくなる日も近いのかもしれないぞ、最高神。語尾が最高神になってしまったぞ、最高神。
『とりあえず、これで一件落着ですね』
「そうだな、最高神」
『えっ?! イヤァ(/ω\*)そんなに褒めなくても(/ω・\*)チラッ。……ちょっと今の流れだったら、まるで私が引きこもりみたいじゃないですか!!待ってくださいよ。゚(゚´Д`゚)゚。!!!』
背伸びをして自然と体が脱力する。
これで不幸の手紙が止まれば本当に終わりだ。あとは、アンが禊と称してこっ酷く絞ってくれるだろう。
しかし、コムライスは首を傾げる。
「……どうした?」
『……ええと、その、でも、何か忘れてるような……(∵)?』
「うーん。特に思いつかないけど、忘れてるってことはそんな重大なことでもないだろ。それに、忘れてたとしても帰ってからでも思い出せるだろ。ほら、帰るぞ?」
『あ、はい。そうですね……、?』
よっぽど胸に引っ掛かりを感じるのか、落ち着きがない。しかし、思い出せないものは仕方ない。思考を休ませていれば自ずと思い浮かぶこともあるだろう。ともかく帰宅が最優先。帰るまでが遠足だ。……黄木凛(俺)は帰り道が分からないので早くして欲しい。
『あーーー!』
コムライスは突然大きな声を張り上げる。近所迷惑など二の次だと言わんばかりだ。そして、コムライスは先程アンが出ていった出口をぺたぺたと触る。
「どうした?」
『教室の使用料と修理代を請求してないです!』
「……ああ!」
すっかり忘れていた。コムライスの当初の目的は確かにそれだった気がする。
「……ん? 使用料?」
いや、よくよく聞くと当初の目的と少し内容が違う。さらっと修理代以上のことまで要求するつもりだったのか、さすが名のある詐欺師。
しかし、黄木凛(俺)にはやはり重要ではないことなので、これは一件落着。めでたしめでたし。
「オチも着いたところで、さあ帰るか」
『こ、この薄情者~~っ!』
コムライスの声が虚しく反響した。
□□□□□
昼啼きの蝉、夜啼きの鈴虫が入り乱れ、赤青鉛筆で描かれたような半々の空に演奏を響かせる。夜の濡れ色はぽつり、ぽつりと雫を滴らせて、せせらぎの光を帯びて、地上は天の真似をするように電灯を灯していく。そして、何処からともなく聞こえ始めることことと湯気の吹く音、そしてその匂いに、帰り道の子供たちは胸を躍らしては足を急かしていく。今はもう思い出せない感情だが、黄木凛(俺)にもこういう時代があった。
窓に映るだれかの姿を見ていると、霞がかかったように薄まっていくのを確認してからカーテンを滑らせた。
「……凛?」
振りむくと、虎子が目を覚ましていた。
身体を重たそうに持ち上げて、こちらと顔を合わせる。額のタオルは表面張力もつかの間、重力に負け、ぺちゃっと布団の上に落ちる。汗で張りついて、服も前髪もぐったりとしていた。目覚めのまどろみは夢のぬかるみに似て、目の焦点はなかなか合わない。
「おはよう」
「……どうして凛が私の部屋に?」
落ちたタオルを拾い上げ、手元の洗面器に漬けては絞りなおす。氷はすでに溶けてしまっていたが、水自体はまだ冷たかった。
「風邪で倒れたんだ。で、運ばれた。具合の悪い時くらい学ランは止めておけ。重たかったろ?」
虎子は一度考え、何かを思い出したようにこくりっと首を縦に振る。見るからに意識朦朧とした顔になっていて、今なら何にでも首を縦に振りそうだ。食べれるものを食べさせて、早く寝かせよう。
「粥があるんだが、食べれるか?」
土鍋を手元に持ってくる。中には作り置きの薬膳粥が入っている。台所にあった有り合わせだが、一人暮らしとネット生放送中にお料理配信もしているだけあって、炊事には自信があった。まぁレシピ通りに作っているだけだが。
土鍋を開けると、ふんわりと蒸気の粒がやわらかく立ちのぼる。丁度、食べ頃の温度だった。
「凛が作ってくれたの?」
「ああ、おいしいぞ? ほら」
蓮華で掬いあげ、口元まで運ぶ。
「んっ……おいしぃ」
お粥を食べた虎子は口に広がる旨味を噛みしめるように、こくりっと頷く。
「そういえば、体調が悪いのになんで家でじっとしなかったんだ? そういう身勝手は俺の専売特許だろ?」
「……ごめん」
上気した顔を布団から出しながらぽつりと呟く。
「……たから」
「ん?」
「……凛が待ってるって言ったから。
私のこと待ってるって。
だから、いつまでも待たせるの悪い、かなって……」
一瞬、何のことを言っているのか、分からなかった。記憶を辿ると一つだけ心当たりに辿りつく。
「それってもしかして、昨日のお参りした時のことを言っているのか?」
確かに言った。『誰もいない夕方の教室で虎子のことを待っていた』、と。あんな軽口を本気して、黄木凛(俺)が待ち続けてしまうと思ったから、無理して学校に来たのか。
「俺は忠犬ハチ公か」
黄木凛(忠犬)。うん、『純粋に悪魔』には似合わない渾名だ。
「まったく、馬鹿だな」
「ごめん」
「まっ次から気をつければいいさ」
「うん」
虎子は頷くと、布団の中に入り上半分だけ顔を見せる。
「
虎子が小さく呟いた。
「ん?」
「ううん、何でもない」
なぜか顔を背けられた。不貞寝するかのように布団に潜りこんで虎子はぽつり、と呟く。
「凛に不甲斐ないところ見せちゃったね」
「うーん、いつも見てる気もするが」
虎子はえへへと笑う。熱により忘れているのか、緊張が完全に解れているのか、男性口調で無くなっている。
「……私はね、凛のことを守れる、強い人間になりたいの」
「…………」
男性用の学ランも、男勝りな口調も、不良になりたいことも、全ては凛を守るため、と言っている気がする。たぶん気のせいじゃない。もしそうなら、それはもう愛の告白なのではないだろうか。たぶん気のせいじゃない。
しかし、熱を出した時の弱音や戯言に対し、真剣に答えるほど人間は出来ていない。
「それで自分が倒れてちゃしようがないだろ」
「……ごめん」
しゅん……、と布団の中で小さくなっている虎子の頭を撫でるように、布団の上から彼女の髪をわしゃわしゃと掻き乱す。
「な、何をする……!」
「治るさ」
「え?」
黄木凛(俺)は言った。
「すぐ治るさ。そしたら学ランだって着れるし、強い人間にだってなれるさ。な?」
「……うん、すぐ治すね」
虎子は布団から顔を出して笑った。こちらも笑顔を作って返す。
そう、原因は排除した。身体を休めればすぐに学校に行けるようになる。いつも通りの日常が帰ってくる。
しかし、一週間経っても虎子の病状が治る気配はなかった。
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