第21話
「何度も言うようだけどさ、私は別に皇帝になれなくても良かったんだ。それよりも寧ろ、執金吾になりたかったくらいだよ」
「制服がカッコ良いからだろ? 何度も聞いたよ」
前漢を滅ぼした新王朝の王莽を討ち果たして即位した、更始帝・劉玄を絞殺して政権を樹立した、赤眉軍を降して、後漢王朝初代皇帝となった男――劉秀は、竹簡に目を通しながらそう呟いた。
処は後漢王朝の都・洛陽、宮殿内の執務室。その欄干に腰かけた少年が、頬杖をついたまま言葉を続けた。
「なっちまったもんは仕方ねぇだろ。ブツクサ言ってねぇで仕事しろよ、仕事」
「してるよ、さっきから」
「竹簡開いて眺めるのが、皇帝の仕事なのか?」
「陛下は国中から集められた献策や訴えを読んで、どうするべきかの最終判断をなさるんです。立派なお仕事の一つですよ、忠龍さん」
突如足もとから声が聞こえ、忠龍と呼ばれた少年は下を見た。そこには八歳ほどの小さな男の子が小さな椅子にちょこんと座っており、にこにこと自分を見上げている。
「そうだよ、立派なお仕事の一つなんだよ。やっぱり智多ちゃんは賢いね~」
「いえ……その。陛下にお褒め頂けるなんて、光栄です!」
劉秀に褒められると、智多と呼ばれた男の子は照れながら頭を下げた。幼いながらの舌足らずなところもあるが、とにかく言葉の言い回しが子どもらしくない子である。だが、一生懸命喋っているような姿は、見ていて微笑ましい。
「……って言うか、前にもこんな話してなかったか……?」
はたと気付いて動きを止め、忠龍が呟いた。
「してたぞ、確かに」
「十日に一度はしてるでしょ」
「気付いてなかったの? こっちはよく飽きずに同じ会話を繰り返してるよなって思ってたってのに」
放風、月華、奏響が口々に言う。偶然ではあるが、丁度先日の任務に同行した者ばかりが集っている恰好だ。
「あ、そうだ! 忠龍さん、文字を習いたいって言ってましたよね? 丁度読み易い竹簡が何巻かありますし、早速勉強を始めましょう!」
目を輝かせながら智多が言う。その様子に、忠龍は苦笑しながら「おう」と答えた。その場の成り行きとは言え、自分から「教えて欲しい」と言ったのだ。ここで逃げる事は忠龍的に許されない。
「そう言えば。あの時の女性達はどうなったんだ? 洛陽で何かしらのフォローをすると言っていたな、文叔?」
忠龍と智多の遣り取りを見ていて思い出したのか、放風が問うた。すると、途端に智多の顔に好奇心が満たされ、文叔の顔が嬉しそうに輝き、奏響と月華が思い出したように笑い出した。そして、何故か忠龍はげんなりとした顔をしている。
「? どうしたんだ?」
放風の周囲に大量の疑問符が舞う。それに、笑いを抑えながら奏響が答えた。
「ああ、そう言えば放風はまだ聞いてなかったんだよね? 実は、あの人達は……」
「文叔ーっ!!」
奏響が何かを言いかけたその瞬間、普段の様子からは想像もできないような大声を張り上げながら、高矗が執務室に入ってきた。その顔は、一目でわかるほど困惑で満たされている。そして、少々ではあるが怒気も含んでいる。
「文叔、どういう事だ?」
入って来るなり、高矗は執務室の机にバンと手を叩きつけて文叔に詰め寄った。そして、周りの目に気付く事無く、放風にとっては初耳の爆弾発言を投下する。
「何故いきなり私が祝言を挙げる事になっている!?」
「祝言!?」
放風が思わず素っ頓狂な声をあげ、それでやっと忠龍達の存在に気が付いた高矗は咳払いをして居住まいを正した。
「高矗が祝言とはどういう事だ、文叔? ……その様子だと、忠龍達も知っていたな!? 俺は何も聞いていないぞ?」
「ごめん、言うの忘れてた」
あっさりと言い放つ文叔に、放風はがくりと項垂れた。そして、そろりと顔を上げるとジッと文叔と高矗を見る。
その視線に、高矗はフイッと目を逸らし、文叔は苦笑した。
「実はさ、あの館から脱出してきた女性達……あの人達全員の嫁ぎ先を、こちらで探す事にしたんだよ。「この人なら絶対に大丈夫!」って私が胸を張って言えるくらい優しくて能力もそれなりに高く彼女達に何があったのか知っても受け入れてくれる、それでいてそこそこ若くてイケメンな人をあの人数分探すのは、結構大変だったなぁ」
「それで? その中の一人に高矗が入ってたという事か」
確かに、高矗は能力的にもそれなりに優れており、比較的穏やかな性格だ。加えて二十八歳とそこそこ若く、顔も、実は美形の部類に入る文叔の影武者を務める事ができるだけあって中々良い。
女性の側から見れば、嫁に行くには中々の好条件な物件だろう。
「だが、私は妻を娶る気なぞ全く無かったぞ? それはお前も知っていた筈だ。なのに、何故?」
苦虫を噛み潰したような顔で、高矗が問う。すると、文叔は更に苦笑して言った。
「次のうち、どれだと思う? 一番、火事の中自分を助けてくれた高矗にその子が一目惚れしてしまったから。二番、その子がよりにもよって芳萬に恋愛相談してしまったから。三番、相談を持ち掛けられ、尚且つコイバナが大好きな芳萬がすっかり乗り気になってしまったから。四番。芳萬の剣幕に私が負けたから~」
「それ、選択肢じゃなくて経緯だよね?」
奏響がにこやかにツッ込んだ。だが、文叔達は誰一人として聞いていない。
「高矗に惚れたって言ってるんだしさー。それに、あの子も本物の赤い縄を結んで貰ってたじゃない? あの縄、高矗の足に繋がってたのかもよ? だったら、逆に受け入れてあげなきゃ罰あたりだよね~。良いじゃない? 暫く様子見てたけどさ、あの子は良い子だって、聖通と麗華も言ってたよ?」
「……確かに、香蓮は良い娘のようだが……」
「香蓮だって! もう名前で呼んでるよ。私と聖通や麗華ほどじゃないかもしれないけど、ラブラブじゃんか。ヒューヒュー!」
「……陛下、そろそろ高矗さんが本気で怒りそうですよ……」
騒がしい皇帝とその影武者の遣り取りを呆れて眺めながら、放風は溜息をついた。そして、その横では忠龍も同じように溜息をついている。
「……全く。良い婿を探すというのであれば、傍にこんなにも良い男がいるというのにな。何故俺達に声をかけなかったのか……なぁ、忠龍?」
「いや……俺んトコには来たよ、一人……」
疲れたように、忠龍が呟いた。だが、そんな忠龍の呟きを放風は聞き逃さない。
「何!? 忠龍も祝言を挙げるのか!? ……なら、尚更解せん。何故文叔は高矗や忠龍には嫁を宛がっておきながら、俺には話すらしなかったのか……」
「違うって。……来たのは、俺じゃなくて兄貴の方!」
更に深く溜息をつきながら、忠龍は言った。その言葉に、放風は暫し目をぱちくりとさせた。
「忠龍の兄貴……? ああ、頑良殿か。……そうか。なら納得だ。頑良殿は丁度嫁を貰う年頃だし、働き者で優しいから夫としては申し分ないだろうな」
「……そうだな。実際、義姉さんもそう思ってるみてぇだし……。兄貴は兄貴で、思わぬ展開で美人で気立ての良い嫁さんがやって来てすげぇ幸せそうだよ」
だが、そういう忠龍の顔はかなり疲れて見える。
「……良い事じゃないか。何をそんなに疲れているんだ、忠龍は?」
「確かに、兄貴と義姉さんは幸せそうだけどさ……俺、その二人と同じ家に住んでるんだぞ……?」
その瞬間、放風は何か悟ったのか、渋面を作った。
「……や、義姉さんに何があったのか知った上での婚礼だったからさ、まだ夜の何とやらは無ぇよ? 夜中にそういう音が聞こえてきて寝れねぇとか、そういうのは無ぇんだぞ?」
何をフォローしているのか、忠龍は珍しくクドクドと言い訳のような事を言う。
「たださ、同じ家にいるとさ……何か、四六時中ママゴトっつーか、新婚さんごっこっつーか、そういうのを見せられてる気分になるっつーかさ……」
「? ママゴトを見るのが疲れるんですか、忠龍さん?」
いまいちよくわかっていないのか、智多が首を傾げながら問うた。そこで智多の存在を思い出した忠龍はハッとして、口をもごもごさせ始める。どうやら、この後お子様立ち入り禁止領域の愚痴が控えていたようだ。そんな忠龍にもう一度首を傾げてから、智多は目を輝かせながら高矗に問うた。
「高矗さんの奥さんになられた方は、香蓮さんと仰るんですね。じゃあ、お食事はその香蓮さんが作られているんですか?」
「……まぁ」
肯定の意味で高矗が渋々頷き、文叔と智多が「きゃーっ」と歓声を上げて喜ぶ。因みに、文叔の声は歓声と言うよりも奇声に近い。
「じゃあじゃあ、夜は一緒の布団で眠くなるまで喋ったりして過ごしたりしてるの? 高矗が出掛ける時には香蓮が道まで出てきて、後ろ姿が見えなくなるまでお見送りしてたりとか?」
「お休みの時には、香蓮さんが何か楽器を奏でてそれを聴いたり、一緒にお茶を飲んだりしながら共に時間を過ごされたりするんですか?」
「……智多、何か変な竹簡でも読んだか?」
「あと、文叔。三十路越えた中年男がその手の話に食いついて大喜びした上に具体的な話までし始めるのは見てて気色悪いわよ」
「気色わ……!」
放風と月華が呆れたように言い、文叔は月華の言葉にショックを受けたのか石化した。それを眺めながら、忠龍は自棄になったように茶菓子を頬張り、湯を呷る。
その光景を更に遠くから眺めていた奏響は、ふと窓から外を見た。外には前日の雨で水溜りができており、外の寒さのせいか凍っている。そして、そこには人の顔が見えている。
だが、その顔は今現在氷を覗き込んでいる奏響の物ではない。それは、先日あの館の中で氷より現れた、あの老人の物だ。
老人の顔は奏響ににっこりと笑いかけ、次いで人差し指を差し出して見せた。その指先は、現在奏響がいる執務室の中を指している。つられたように奏響は室内を見た。
そこには、先ほどとは変わらず文叔達が大騒ぎをし、忠龍が自棄食いを決行している。老人が何を言いたいのかわからず、奏響は首を傾げて再び氷を見た。すると、老人は再び指を差し出し、下を指差した。
そこで、奏響は今度は室内の床を見渡した。そして、奏響の目は丸く見開かれる。執務室の床は、一面赤い縄が広がっていた。縄の片端は全て忠龍達の足に繋がっている。中には、数本の縄が結びつけられている者もいる。
恐らく、文叔の縄の先には聖通と麗華が、高矗の縄の先には香蓮がいるのだろう。そして、忠龍達未婚者の縄の先には、まだ見ぬ将来の伴侶達が。
縄はやがて光と化して霧散する。忠龍達は誰一人として気付いた様子がないところから、道士である奏響にだけ見えたのだろう。
「ちょっと奮発し過ぎじゃないですか? 量産できるようになったとは言え、貴重な赤い縄を護龍隊にこんなに使ってしまうなんて……勿体無いですよ」
困ったように笑いながら、奏響が氷下の老人に言う。すると、老人は笑いながら手を振った。気にするな、という事らしい。
やがてにこにこと笑う老人の顔は薄れて消えていき、寒い中だと言うのに氷は一瞬のうちに溶け切って水溜りと化した。そして、後には波紋だけが残る。
その波紋を眺めながら、奏響は鉄笛を取り出し唇にあてた。
銀色に輝く笛からは、この世の物とは思えぬほど美しい音が流れだす。まるで、やがて出逢うのであろう恋人達を祝福するかのように。
彼らが担う将来の世界を、祝福するかのように。
(了)
護龍の戦士~夜遊び皇帝と氷下の賢老~ 宗谷 圭 @shao_souya
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