第6話
ホウホウとどこかでフクロウが鳴いている。忠龍達は芳萬がこしらえた粥を啜りながら、竈の火で暖をとっている。
「昼間いたヒラヒラした兄ちゃんと老けた兄ちゃんはどこ行ったんだ?」
少年が妹をあやしながら智多に問う。
「えっと、奏響さんと放風さんは、先に行きました。僕達が暫くここに滞在する事を誰かが伝えませんと、先方が心配しますから」
「ふ~ん……」
智多の説明に一応は納得したように少年は頷いた。そして、それでもうその話はどうでも良くなったのか、再び妹に意識を向ける。どれだけあやしたところで産まれたばかりの赤ん坊は反応を返してくれない。それでも良いのか、少年は妹に夢中だ。
やがて、月華がすっくと立ち上がった。
「月華?」
忠龍が月華の名を呼んだ。勿論、この後彼女がどうするのかを忠龍と智多は知っている。だが、一応それらしい反応をしておかないと誰に怪しまれるかわかったものではない。
「散歩に行ってくるわ」
それだけ言って、月華は外へと出ていった。
「姉ちゃん。変なじいちゃんに会っても、絶対についてったら駄目だぞ! ついてったら、皇帝陛下に攫われちまうからな!」
心配そうに少年が言う。その言葉が終るか終らないかのうちに、忠龍も立ち上がった。
「智多、俺も散歩に行ってくるわ。外の空気が吸いたくなっちまった」
限りない棒読みで言いながら外へと向かう。その背後で、少年が智多に小声で問うた。
「なぁ。あの兄ちゃんと姉ちゃん、恋仲なのか!?」
その問いに、智多は顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を横に振る。
「ちっ……違いますよ! 忠龍さんと月華さんは決して恋人同士なんかではありません!」
そこまで必死になって否定されると多少傷付くんだが……と思っていると、更に芳萬が追い打ちをかけた。
「今の坊やの言葉を月華が聞いたら、舌を噛み切るかもしれないねぇ……」
何でそこまで言われなければならないのか……少々情けない気持ちになりながら、忠龍は家の外へと足を踏み出した。冷たい空気が肺に満たされていく。ハァッと白い息を吐き出しながら、忠龍は辺りを見渡した。
目を凝らせば、遠くに白い人影が見える。月華だ。特に忠龍がつけてくるのを待つでもなく、スタスタと歩き回っている。
「ったく……少しは人を気遣うとか人に頼るとか人の実力を信用するとかできねぇのか、あの公主様は……」
疲れたように独り言を言うと、忠龍は音も無く駆け出した。すぐさま月華との距離を詰め、物陰に隠れながら辺りの様子を窺い続ける。そして、月華が月光の良く当たる広場へと足を踏み入れた時だ。
「もし、そこのお嬢さん」
突如、広場の中央にそびえる木の蔭からしわがれた声が聞こえてきた。その声に月華は足を止め、忠龍はごくりと唾を飲み込んだ。
(本当に出やがった……!)
腰の剣に手を遣りながら、忠龍は月華の方を見る。木の蔭からはいかにもといった風体の老人が現れ、月華と向かい合っている。老人は月華に竹簡に書いてあったとおりの文句を並べて言うと、月華の手首に赤い糸を巻きつけた。糸の端は風に煽られ、チロチロと闇の中に舞っている。月華は老人の言葉に従っているかのように糸の指し示す方へと歩き始めた。様子を見るに、特に暗示をかけられている風ではない。
(って事は、本当に玉の輿を期待して行っちまった奴がほとんど、って事か。お妃様達が言うように、女がそういうシチュエーションに憧れているからなのか、それとも……怪しいじいさんの言葉に縋ってしまうほど、現状が辛いって事なのか……)
そのどちらも、という考え方もある。遣る瀬無い気持ちになりながら、忠龍はソッと月華の後を追った。
月華は糸に誘われるままに歩いていき、気付けば村を囲む柵も越えて村の外へと出てしまった。身を隠す物が減った事で今までほど近い距離をつける事ができなくなった忠龍は、それでも何とか尾行を続けようと息を殺し足音を消して歩き続けた。
そして、村から半里は離れただろうか。かなり歩いたお陰で、家を出てから随分な時間が経ってしまっている。そろそろ智多や少年達が心配しているかもしれない。芳萬は……月華の心配くらいはしているかもしれないが、忠龍の心配はまずしていないだろう。
そろそろ集中力の途切れてきた忠龍がそんな事を考え始めた時だ。
「……誰?」
闇の中に向かって、月華が問いかけた。
「!」
ハッと気を引き締め直して忠龍が月華の視線の先を見ると、向こうからいくつかの人影が向かってくるのが見えた。
「ほぉう。今日はまた随分と上玉じゃねぇか」
ガラの悪い声で、人影は満足そうに言った。そして、その声の主が「それっ」と一言声をかけると、周りにいた数人の男達が一斉に月華を取り巻き始める。一人の男が、月華の腕を掴んだ。
「無礼者!」
思わず、月華が叫んだ。その言葉に、男達は怪訝な顔をした。
「無礼者? おいおい、この女、どっかの偉いさんの娘みてぇだぜ」
馬鹿にしたように言うと、男は月華に向き直り、言った。
「身分も確かめずに人を無礼者扱いするたぁ……よっぽど良いトコのお嬢さんなんだろうなぁ? どこの娘だ? 言ってみろよ」
その言葉に、月華はいたくプライドを傷付けられたらしい。彼女にしては珍しく激昂すると、凛とした声で言い放った。
「私は前漢十三代皇帝、平帝、
「あんの馬鹿……!」
月華が名乗り終わらないうちに、忠龍は舌打ちをして岩の蔭から飛び出した。それに気付かず、男達は嗤う。
「公主様だってよ。こりゃ良いや! 公主を侍らせる事ができるなんざ、男としての格も上がるってもんよ!」
言いながら、男達は獲物を取り出した。短刀の刃が、月の光に照らされて鈍く光っている。
「さぁ……命が惜しけりゃ、大人しくついてきな!」
男が月華に刃をつきつける。刃は月華の首筋にぴたりと当てられる。薄皮を切られた白い首から、赤い血が一筋ツ……と流れた。
「月華ァっ!」
それとほぼ同時に、忠龍が雄叫びをあげながら突っ込んできた。男達は慌てて反応するが、間に合わない。忠龍は思い切り剣を振るうと男達の短刀を次々とたたき落としていく。
「忠龍……何余計な事してるのよ」
首筋に刃を当てられたまま、月華が白けた目で忠龍を見た。
「このままいけば作戦通りこいつらの根城を見付けられたのに。アンタが出てきたお陰で台無しじゃない」
「確かにそうだ! それは悪いと思ってる! けど、仲間が刃物突き付けられてるところを黙って見てられるような性分じゃねぇんだよ。それに……」
一度言葉を切り、忠龍は月華を睨むように見た。
「わかってるか? 月華。お前、今らしくねぇぐらい冷静さを欠いてるぞ。そんな状態の奴を一人敵地に放り込めるわけねぇだろ!」
「だから! 万が一何かがあった時の為にアンタが尾行してたんでしょ! 何のための尾行よ!? たかが忠龍のくせに作戦を狂わせるなんて……本当に馬鹿なんだから!」
「そうやってたかが俺如きにムキになって怒鳴りつけてくるところがらしくねぇって言ってんだ!」
「……!」
忠龍の言葉に、月華は黙り込んだ。そのまま一同のにらみ合いが続き、場は膠着状態となる。
「はん! 仲間がいたってのか。って事は、この娘は俺達をおびき寄せる囮ってところか……。誰の差し金だ?」
「言うわけ無いでしょ」
少し頭が冷えたのか、月華が忠龍に対する口調のまま男達に冷たく言い放った。男達の顔がひくりと引き攣る。その様子に、忠龍は諦めたように溜息をつくと、剣を構え直した。その時だ。
「小僧、足元がお留守じゃぞ」
背後から窘めるような老人の声が聞こえ、思わず忠龍は足元を見た。だが、足元には何も無い。月の光から生まれた薄い影が辛うじて見えるだけだ。それを確かめるのとほぼ同時に、忠龍の頭に鈍痛が走る。仰向けに転んで岩に頭をぶつけてしまった時の、あの痛みだ。
呻き声をあげて崩れ落ち、ノロノロと顔を上げれば、そこには先ほどの怪老人が立っている。その枯れ木のような手には、拳大の石。どうやら、これで殴られたらしい。朦朧とした意識で、忠龍は首筋に冷たい何かがあてられたのを感じた。恐らく短剣か何かの刃物だろう。
「……忠龍!」
舌打ちをするように、月華が忠龍の名を呼んだ。その月華の周りを、再度男達が取り囲む。男達は忠龍の首に短剣を向けたまま、月華に言った。
「さぁ、こいつの命が惜しければ俺達に付いてきてもらおうか、公主様?」
下卑た笑いに、月華はギリ……と歯噛みした。その様をニヤニヤと見ながら、男の一人が言う。
「なぁ、娘さえ大人しくなりゃ、このガキはもう用済みだろ? 連れて帰るのも荷物になるし、ここで殺して捨ててかねぇか?」
「いや。先ほどの様子じゃと、こいつらにはまだ仲間がいるようじゃ。それも、ワシらの動きを気にして調べるような鬱陶しい仲間がのう。この小僧は、そいつらがワシらを嗅ぎ付けた時の盾にできると思わんか? 逆に、殺してしまえばその仲間達は怒り狂ってワシらを仇とつけ狙うかもしれん。この小僧は生かして連れていくべきじゃ」
老人の言葉に、男達はなるほど、と頷いた。そして一人が忠龍の剣を奪い取り、一人が忠龍を担ぎあげた。残る男達は、相変わらず月華を取り囲んでいる。
そして一同は、何処へともなく歩いて行った。後には、ただ冷たく白い月の光が降り注ぐばかり。
まるで何事も無かったかのように、その地はシンと静まりかえった。
そして、夜は更けていく……。
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