第5話
土でできた家の中に、赤ん坊の泣き声が響き渡る。母親は嬉しそうに赤ん坊を抱き上げ、兄となった子の頭を優しく撫でる。その横では芳萬が満足げに様子を眺め、智多と月華、それに奏響が興味深そうに赤ん坊を見詰め、忠龍と放風が血に汚れた布の山や産湯のたらいに囲まれて気の抜けたような顔をしている。
「何というか……流石は芳萬、というべきだな。堂に入った取り上げぶりだった……」
「ああ。〝酒家の取り上げ婆〟の通り名は伊達じゃねぇ……」
そう呟く忠龍達の前で芳萬は手際良く産後の処理を施していき、やがて赤ん坊を抱き受けると、ゆっくりと休ませる為に母親の体を横たえさせた。
「さて、これでもう安心だ。坊や、可愛い妹が産まれて良かったねぇ」
微笑みながら、子どもに言う。だが、子どもはふっと顔を曇らせると、困った様に言った。
「けど……できれば弟が良かったな……。母ちゃんも、最近はずっと「男の子だったら良い」って言ってたし……」
「何て事を言うんだい? 子どもは天帝からの授かりものだよ。男の子だって女の子だって、元気に産まれてくれればそれで良いじゃないか」
芳萬が子どもをたしなめた。すると、子どもは更に困った様に言う。
「うん。俺も、最初は弟でも妹でも良いって思ってたよ。けど……女の子はいつか皇帝陛下に攫われていなくなっちゃうから……」
その言葉に、忠龍達は思わず振り向いた。幸い、子どもは妹に意識が向いていて、忠龍達の顔が緊張を帯びて怖くなった事には気付いていない。
「坊や……その話、詳しく聞かせてもらえるかな?」
奏響の問いに、子どもは少しだけ首を傾げた後言った。
「うん。もうずいぶん前かな? 隣の家のお姉さんが、いなくなっちゃったんだ。みんなで大騒ぎして捜したんだけど見つからなくって。そしたら、しばらくしてから偉そうなおじさんが来て言ったんだって。お姉さんが、どこかの偉い人のお嫁さんになったって」
子どもの話は、洛陽で読んだ竹簡と内容が一致する。子どもは、更に言葉を続けた。
「それからさ、また何人かお姉さんや……中には俺とそんなに変わらない年の子もいたかな? いなくなっちゃったんだ。最初のお姉さんの時と同じように、夜に。それで、いつも必ず何日かしてから偉そうなおじさんが来るんだ」
「何で、偉そうなおじさんだってわかったんですか?」
智多が、おずおずと訊いた。子どもは、智多が自分と同じ……ひょっとしたら自分よりも小さいかもしれないのを見て自慢げに言う。
「だってさ。そのおじさん、服がきらきらしてたんだよ? ピカピカの飾りもたくさんつけてたし。それに、何か偉そうなヒゲも生えてたし!」
決め手はヒゲか。思わず口から出そうになったツッコミの言葉を呑み込んで、忠龍は子どもが続きを語るのを待った。
「そういえば、最初のおじさんはちょっと地味だったよ。二回目から来たおじさんの方が偉そうだった!」
「? おっさんは、何人も来たのか?」
忠龍の問いに、子どもは「えっとね……」と記憶を辿る仕草をすると、言った。
「二人だよ! 最初のおじさんは一回だけで、二回目からはずっと同じおじさんだったよ!」
子どもの言葉に、忠龍達は顔を見合わせた。子どもは、そんな忠龍達の動作は気にもかけずに言葉を続ける。
「それで、最初のおじさんはお姉さんが偉い役人様の三番目のお嫁さんになったんだ、って言ったんだ。それで、二番目のおじさんは皇帝陛下のお嫁さんになった、って」
「一人目は役人の三番目の嫁で……二人目以降はずっと皇帝陛下の嫁になったと言った……って事か」
「最初の一人だけが違う人物で違う事を言っている……っていうのが気になるわね」
月華が眉をひそめながら言った。そして、子どもに問う。
「坊や。女の人達は、全部で何人くらいいなくなったのかしら? いなくなったお姉さん達は、どんな人だった?」
その問いに、子どもは指折り数えると再び記憶を辿る仕草をした。そして、言う。
「うーんと……最初のお姉さんは、明るくてすっごい働き者で、とっても優しいお姉さんだったよ! 俺、何度か遊んでもらった事があるんだ! けど、見た目はあんまり美人じゃなかったかな? 村のおばさん達も「あれで顔さえ良ければ」ってよく言ってたから」
子どもの耳は案外聡い。そして、子どもの口は女性以上に戸が立て難いものである。この顔の話をもし当人の前でこの子どもが喋ってしまっていたら、本当に、はしたなきもの、になってしまう。もっとも、「おのづから人の上などうち言ひそしりたるに、幼き子どもの聞き取りて、その人のあるに、言ひ出でたる」のがばつが悪いと発表して人々の共通認識とする人物はこれからまだ千年ほど後の時代の人物である上に国が違うわけだが。
それはさておき、子どもは自分が後から大人達に一波乱呼びそうな発言をした事に気付かずに話を続けた。
「えーっと、二番目のお姉さんは美人だったよ。それで、歌がうまかったかな? 次は……俺と二つか三つくらいしか違わない女の子だったけど、歌とかに合わせて踊るのがうまかったよ。それに、やっぱり凄く可愛かったと思う。その次のお姉さんは美人で色んな事を知ってたよ。俺、動物や花の名前をこの村に来るまでにたくさん教えてもらったんだ。あとは……う~ん。あんまり喋った事がない人ばっかりだからよく知らないや。けど、みんな美人だったよ」
最後の言葉に、忠龍達は顔を見合わせた。
「最初の娘以外は皆美人だった……という事か」
「これはまた……わかりやすい結果が出たものだね」
放風が渋い顔をして、苦笑をしながら奏響が言った。そして、智多が言う。
「つまり、こういう事ですね? まずこの事自体が非常に珍しい事例ではありますが、最初の女性を見染めた男性は本当にある県の県令だった。そして、その後は全て最初の騒ぎに便乗した偽役人の仕業である可能性が高い……」
「高いか低いかなんて、考える必要も無ぇ。確実に黒だろ。皇帝の――文叔の名を騙ってる時点でな」
忠龍の言葉に、月華が頷いた。
「そうね。けど……一つだけわからないわ。最初の時もその後も、予言をした老人が同一人物であるらしいという事よ。本物であるなら、二番目以降の偽役人の事を告げたりはしない。逆に、偽者なら最初の予言ができる筈がないわ」
首を傾げながら、月華は奏響に向き直った。長い黒髪が揺られて、さらりと音を立てる。
「奏響。何か心当たりは無いの? 男女の縁を結ぶ仙人の知り合いとか。一応道士でしょ、貴方」
「いない事は無いけど……該当する人物はまだ修行中の身なんだ。天命が定めるところによれば、彼が下界へ降りて人々の前に姿を現すのは、あと六百年は後の事になる。僕が知る限り物凄く真面目な人物だから、天命を蔑ろにし、修行を放って下界へ降りるなんて事はまず無い筈だ」
肩をすくめて、奏響が答えた。そこで一同は考えが煮詰まり、う~ん……と唸ってしまう。すると、今まで産後の母親に産後の心得だとかを何やかやと話していた芳萬がツカツカと近付いてきた。そして、何も言う間もなく五人を家の外へと放り出してしまった。
「しかめっ面して小難しい話をしてんじゃないよ。そんな顔をした人間が五人も家の中にいたら、産後の母親の気に障るじゃないか。会議は外でやっとくれ」
そして、そのままバタンと扉を閉めてしまう。
「……何をしに来たんだ、芳萬は……」
放風が呆れた声で呟いた。任務でここまでやって来た筈なのに産後の母親にかかりっきりになってしまっている様子を見れば、そう呟きたくもなろう。
「しっかし、どうする? この様子だと、多分誰も偽役人の居場所なんか知らねぇぞ?」
「そうですね……。いなくなった女性達を助け出すにしろ、偽役人達を捕まえるにしろ、まずは居場所がわからなければどうにもなりませんし……」
忠龍と智多が頭を抱え、放風と奏響も腕を組んで考え込んだ。だが、月華だけは特に困った様子は無い。彼女は困り果てた男達の顔を眺めながら、事も無げに言った。
「あら、簡単よ。場所がわからないのなら、迎えに来てもらえば良いだけの話じゃない」
その言葉に、一同は一斉に月華の顔を凝視した。四人に見詰められる事を気にする風でも無く、月華は話を続けた。
「その妖しい老人は美人の女性の前に現れては自ら偽役人の元へ行くよう仕向けているんでしょう? だったら、私がこの村の住人に変装して、老人が現れたら言われるままに行ってみるわ。そうすれば偽役人の居所がわかるでしょう?」
「……なるほどね……」
「だが、そんなに都合良く老人が現れてくれるものか? 確かに月華は美人だが……」
「っつーか、本当に美人でも自分が偽役人のターゲットになるって事前提で話を進められるとか……。どんだけ自分に自信を持ってんだよ、お前……」
「……囮って事ですよね……。いくら月華さんが強くても危険じゃありませんか……?」
「忠龍は後で覚悟をしておきなさい」
射すくめるような月華の一睨みに、忠龍はビクリと震えた。そんな忠龍をつまらなそうに見た後、月華は視線を奏響へと移す。
「そういうわけだから、奏響。どうせ何か都合の良いアイテムとか持ってるんでしょ? 出しなさい」
「道士にカツアゲする公主様なんて初めて見たよ、僕……」
苦笑しながらも、奏響は懐を探り、小さな鈴を一個取り出した。銀色の鈴は、奏響の手の中で転がり、チリリンと軽やかな音を立てている。
「この鈴を肌身離さず持っていると良い。そうすれば、月華がどこにいても鈴の音が居場所を僕に教えてくれるからね」
言いながら、奏響は鈴を月華に手渡した。月華は髪を結えていた絹紐を一本解くと、それを鈴に通して再び髪を結えた。銀の鈴が黒髪に映え、美しい音を奏でるその様はまるで天女の降臨だ、と一同は思う。
「あとは相手をおびき出す為のお膳立てね。智多、何か良い案は無い? あと奏響は他にも良いアイテムがあったら今のうちに寄こしなさい。それと、忠龍と放風は現段階では役に立たないから、邪魔にならないところで静かにしてて」
天女は幼い子どもに奇策をたかり、道士に再びカツアゲを行い、いたいけな青年二人を家の蔭へと追い遣った。静かに蔭でキノコの培養を始めた忠龍と放風を他所に、智多は暫く考える。
「……まずは、最初に現れた役人と、二番目以降の偽役人の繋がりが無いかを調べてみる必要があると思います。本物の役人だったとはいえ、その方も確かに不思議な老人と繋がっているわけですから……調べてみれば何かがわかるんじゃないかと思うんです」
「なるほどね。じゃあ、その役目は僕と放風が引き受けるよ。構わないよね、放風?」
奏響に声をかけられ、放風はハッとして振り向いた。そして、キノコの培養をやめると急いで奏響の元へと歩いてくる。
「勿論だ。俺に出来る事があれば、何でも言ってくれ」
力強く言う放風に頷くと、智多は忠龍と月華に向き直って言う。
「都合良く向こうが現れてくれるかどうかですが、今までの状況を考えるに、何もしなくても向うから来てくれる可能性が多分にあると思います」
「? 何でだ?」
忠龍が不思議そうな顔で問うた。
「村の中でも美人の女性が住んでいる付近にピンポイントで現れる事から考えて、不思議な老人と偽役人は村の内部を頻繁に調べていると思われます。そして、僕達がこの村へ来た姿は多くの村人に見られている……。となれば、遅かれ早かれ村の調査をしている偽役人には僕達の事は知られます。勿論、その中に美人の月華さんがいる事も」
「……何の目的かはあんまし考えたくねぇけど、ただ美人を集めているだけってんなら、月華の存在を知った奴らから仕掛けてきてくれる可能性は充分、ってわけか」
納得したように忠龍は呟いた。それに頷いて、智多は更に言う。
「はい。そこで、僕達は今日からしばらくの間この村に宿をとる事とします。こう言っては不謹慎ですが、丁度先ほどの女性がお産を終えたばかりですし、芳萬さんが産後のお世話をする為と言えば怪しまれる事無く滞在する事はできるでしょう」
そもそも何故この村に立ち寄ったのか、と怪しまれる可能性はある。だが、その程度の疑いであれば何とでも誤魔化しようはある。旅の途中で休憩する為に立ち寄った、等、その気になれば言い訳はいくらでもできるだろう。それよりも、長期滞在の言い訳の方がよっぽど難しい。その難点があっさりとクリアできたのは、本当に不謹慎ながらラッキーと言えるだろう。
「そして、月華さんには今夜から毎晩村の中を適当に歩いて頂きます。一人になって、老人が声をかけやすい体を装うんです。そして、上手く老人に声をかけられた時にはそのまま老人の言葉に従い行動して下さい」
「……って、それじゃ月華が危ねぇじゃねぇか。一人で行動して何かあったらどうするんだよ?」
間髪いれずに忠龍が問うた。すると、智多はそんな忠龍を制すように言う。
「勿論、本当に一人にはしません。その為には忠龍さんの存在が必要不可欠です」
「? 俺が?」
忠龍が自分を指差して問うと、智多はこっくりと頷いた。
「忠龍さんは月華さんが外に出たら、少しだけ間を置いてその後をつけてください。勿論、月華さんにまで気付かれないようにする必要はありません。ただ老人や偽役人に気付かれないように月華さんを尾行し、偽役人の場所へ行く事になればついていく……」
そこで、智多が一度言葉を切った。その間を待っていたように、奏響が補足する。
「月華に渡した鈴があれば、僕は何処にいても月華の居場所がわかるからね。その鈴が奏でる音は、何里離れていようと僕に聞こえるからさ」
「とは言え、一人で行くのは確かに危険です。居場所がわかっても、そこにたどり着くまでに何事かが起こってしまったら助けようがありません。かと言って、大勢でつけたら尾行がバレてしまいます」
そこまで聞いて、忠龍は頷いた。
「つまり……俺は月華をつけて偽役人の根城まで行き、もし何かあったらお前らが援軍に駆け付けるまで月華を守って戦えば良い、って事だな?」
「忠龍に守られなきゃいけないほど落ちぶれているつもりはないんだけど……」
不満そうに月華が言う。それを放風が必死に宥めにかかる。
「不貞腐れるな、月華。保険は多い方が良い。そうだろう?」
言われて月華は、不請不請という風に頷いた。
「そうだ、智多。お前はどうするんだ?」
月華の言葉に若干傷付いた様子で、忠龍が問うた。すると、智多は苦笑しながら言う。
「僕は、芳萬さんと一緒にこの家で待機しています。どちらに言っても足手まといになりそうですから……」
「そう? じゃあ、忠龍と智多君にこれを渡しておこうかな?」
そう言って、奏響は二つの腕輪を取り出し二人に手渡した。忠龍に渡された方には細かい穴が無数に空いており、智多の方には小さな金色の鈴が沢山連なっている。
「? 何だよ、これ?」
忠龍が問うと、奏響は言った。
「忠龍の腕輪は、思い切り振ると穴に風が通って音を立てる仕組みになっているんだ。ただ、人間には聞こえない。僕のような音関係を得意とする道士でもなければ聞こえない音だよ。もし危ない状況になったと判断したら、その腕輪をはめた腕を思い切り振るんだ。そうすれば僕にはその音が聞こえるから、すぐに援軍に駆け付ける事ができる。そうだな……剣を振るう利き腕にはめておいた方が良いんじゃないかな? 咄嗟の事で振り忘れても、剣を振るえば音が鳴ると思うから」
そう言われて、忠龍は言われるままに右腕に腕輪をはめた。それを視認し、奏響は智多に向き直る。
「智多君に渡したのは、忠龍の腕輪を対になっている腕輪だよ。忠龍が腕輪を鳴らせば、それに共鳴して智多君の腕輪の鈴が鳴るようになってるんだ。だから智多君は、その腕輪が鳴ったら家の人達に気付かれないように家を出るんだよ。そうすれば、騒ぐ事無く智多君を拾って忠龍達の処へ行けるからね。あまりバタバタして偽役人の仲間に気付かれたら面倒だしね……」
「はい、わかりました!」
良いお返事をして、智多は腕輪を左腕にはめた。それを見て、忠龍は軽く頷いた。
「じゃあ皆……これで準備はOKだな?」
その問いに、全員が頷く。それに応えて、忠龍も頷いた。
「よし……全員、任務開始だ!」
忠龍の言葉に、全員が一斉に動き出した。
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