第15話
「……私の兄さんは、新との戦いが激化する中、仲間の反乱軍によって殺されたんだ。このまま兄さんを生かしておくと自分達の発言権が無くなると考えた連中に、無実の罪を着せられてね……」
朝日が降り注ぐ洛陽の大路をとぼとぼと歩きながら、文叔がぽつりと言った。その呟きに、忠龍は思わず足を止める。
「無実の……罪で?」
忠龍の言葉に、文叔が頷いた。
「そう。だから、兄さんが無実の罪で殺されそうになってる君の事が放って置けなかったんだ。……無実の罪で肉親が殺されるなんて、経験しない方が良い……悲しいだけだ」
「文叔……」
かける言葉が見付からず、忠龍は俯いた。兵士達と戦っていた時に垣間見せた文叔の悲しそうな顔。その意味が、少しだけわかったような気もした。
忠龍が俯いたまま黙っていると、文叔も足を止めて振り向いた。そして、にこりと笑って忠龍に言う。
「……さて。事件は解決した事だし、もう朝だから門も開いているし。お腹が空いたけど、このまま宮殿に帰ったらお小言がうるさいから、一度君の家に行こうか。確か餅がまだ残ってたよね?」
「……おい、何でお前が俺んちの台所事情を知ってるんだ……!?」
今までの空気を完全にぶち壊すその発言に、忠龍は思わずずっこけた。すると、文叔は頭をぽりぽりと掻きながら言う。
「何でって……つい三日前に泊まったばっかりだし。あぁ、そうか。その時頑良が「弟は洛陽の城内にある友達の家に泊まって、帰ってくるのは明日だ」って言ってたっけ。だから忠龍を見た事が無かったんだ」
「と……泊まった……!? 皇帝が? 俺の家に!?」
話に付いていけず、忠龍は目を白黒させ始めた。すると、文叔はにこにこと笑いながら言う。
「君の兄さんには何度か世話になった事があるって言ったろ? まさにそれだよ」
「……って、ちょっと待て。何をどう間違ったら、皇帝が何度も農民の家に泊まるなんて事態になるんだ!? 有り得ねぇだろ、普通に考えて!!」
すると、文叔は困ったように苦笑して見せる。
「う~ん……それがねぇ。実を言うと、私は夜遊びとか狩りとか大好きでね……」
文叔のその発言に、忠龍は嫌な予感を覚えずにはいられない。
「……それで?」
聞きたくないような気もするが、思い切って忠龍は先を促した。すると、文叔は少々恥ずかしそうに笑いながら言った。
「それで、よく一人で宮廷を抜け出しては夜の狩りとかをしに洛陽を出ていたんだけど、その度に城門を閉められて入れなくなってしまってね……」
「つまり……その……」
「うん、閉め出されて洛陽に入る事ができなくなる度に頑良に泊めてもらっていたんだ。門を閉められたとなると、もう頼れるのは城外に住んでいる亭長だけだからね」
「ま……マジかよ……」
今度こそ、忠龍は本気で呆れてしまった。国の最高指導者であるはずの皇帝が夜遊びの末家に帰れなくなるなんて、笑い話にもできやしない。
「うん。……ガッカリしたかい?自分達の指導者である皇帝がこんな人間で」
少しだけ心配そうな顔をして、文叔が問うた。すると、忠龍は何やら吹っ切れたような顔をして言う。
「……いいや。確かにちょっと脱力したけど、それ以外は逆に安心したな。皇帝って言うと、何か雲の上の人って感じがしてたけど、別にそんなんじゃなくて、俺達と同じような人間なんだってわかったから。……それに、文叔は文叔、だしな」
その言葉に、文叔は顔を明るくした。そして、何かを思いついたような顔をすると更に表情を明るくし、忠龍に言う。
「……君ならそう言ってくれると思ってたよ、忠龍。……それで、そう言ってくれる君に一つお願いがあるんだけど……良いかな?」
「お願い?」
忠龍が首を傾げると、文叔はこくりと頷いた。
「あぁ。実を言うと、最近その夜遊びの所為で夜一人になってしまう事が多くてね。……私はそれなりに強いけど、流石に夜皇帝が一人だと危ないって妻達や重臣達が五月蝿いんだ。かと言って、規律に五月蝿い家臣達を連れて遊びに出かける気にもならない。だから、陰で私を守ってくれる部隊を作ろうと思うんだ。君のように私と友達感覚で接してくれ、更に腕の立つ猛者を集めた部隊をね」
話を聞き、忠龍は少しの間頭の中で文叔の話を反芻した。そして、言葉がまとまると変な物を見る目で文叔に問う。
「……つまりは、お前のお守り部隊みたいなもんか?」
言われて、文叔は苦笑した。言いえて妙だが、この歳になってお守りという表現を使われるとは思っていなかったのだろう。
「まぁ、そういう事……かな? それで、忠龍。……君に、その部隊の頭領になってもらいたいんだけど」
「……俺が!? お前――皇帝のお守り部隊の頭領に!?」
仰天して忠龍が言うと、文叔はにっこりと笑って頷いた。
「そう。君なら、私の事を皇帝ではなく一人の人間として見てくれるし、何より強い。正義感もあるし、頭にピッタリだと思うんだ」
「けど……」
いきなりの思いもしない大出世に忠龍は戸惑った。すると、別の理由で戸惑っているのだと勘違いしたらしい文叔が言う。
「勿論、いくらになるかはまだわからないが、給料も出す。それに、やる事は別に私のお守りだけではない」
「……と言うと?」
お守り以外の仕事に興味を持った忠龍は、思わず問い返した。すると、文叔は少しだけ真面目な顔をして淡々と言う。
「私のお守りの他に、情報収集などもやってもらいたいんだ。隠密部隊として、不穏な噂がある場所に出向いてその真相を調べたり、噂が真実であった場合に数人で何とかできそうならそのまま火種を消してもらえるとありがたい。一々軍隊を出していると、お金もかかるし、何より国が不安定になる」
「……成る程な……」
納得したように、忠龍が頷いた。そんな彼の様子を窺うように、文叔が問う。
「どうかな? 嫌なら別に良いんだけど」
「…………」
「…………」
暫くの間、沈黙が続いた。そうして、どれだけの時間が経っただろうか。
「……仕方無ぇなぁ……」
「え?」
忠龍の呟く声に、文叔は思わず聞き返した。すると、忠龍は苦笑しながら文叔を見る。
「今日一緒に戦ってみて皇帝陛下が実はとんでもなく無鉄砲で何考えてるかわかんない人間だってわかっちまったからな……。できる限り一緒にいて、危ない橋はわたらせないようにしねーと、不安過ぎて普通の仕事なんてやってられねーよ」
「! それじゃあ……」
嬉しそうに言う文叔に、忠龍は頷いた。
「あぁ、その隠密部隊の頭領とやら……やってやるよ。ただの農民だった俺がいきなり皇帝陛下直属隠密部隊の頭領ってのも、悪くねぇ」
不敵に笑って言う忠龍を、文叔は頼もしそうに見た。だが、ふと心配そうな顔をして問う。
「けど、良いのかい? 隠密部隊は、常に生死が付き纏う……それより何より、歴史に名を残す事ができないんだぞ?」
その問いに、忠龍は笑って返した。
「歴史に名を残す……なんて興味無ぇな。元々農民で、名を残せるような立場じゃねーんだ。それに、兄貴を助ける為に宮廷に乗り込んだ時点で死ぬ覚悟はできてるって言っただろ?」
「そう言えば……そうだね」
前日の騒ぎを思い出しながら、文叔は呟いた。そう言えば、昨夜は牢に入れられた忠龍を勝手に外に連れ出している。帰ったら臣下の者達にどうやって弁明しようかと、文叔は少しだけ考えた。
だが、そんな事を今考えていても仕方がないと思ったのだろう。文叔は細かい事を考えるのは後回しにして、にこやかに笑った。そして、右手を忠龍に差し出しながら言う。
「それじゃあ……これから、よろしく」
「あぁ!」
忠龍が応え、文叔の手を取った。
こうして、歴史に名を残す事の無い皇帝劉秀の私設隠密部隊、〝護龍隊〟は誕生した。この日から忠龍は、文叔の命令一つで即座にどこへでも赴く護龍隊の頭領となったのである。
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