護龍の戦士~夜遊び皇帝と氷下の賢老~
宗谷 圭
第1話
時は、西暦二十三年。前漢を滅ぼし中国を支配してきた新王朝は、その悪政に耐えかねた人々の反乱により、僅か十五年という短い歴史の幕を閉じた。
それと同時に、反乱の旗頭となった前漢の皇帝、劉氏の血を引く者達は次々と自ら皇帝を名乗り始める。そして、その中には後の後漢を立てた光武帝・劉秀もいた。
それから僅かに時が過ぎ、西暦二十六年。彼が中国を統一し、天下統一を成し遂げる十年前の事である。
# # #
「何度も言うようだけどさ、私は別に皇帝になれなくても良かったんだ。それよりも寧ろ、執金吾になりたかったくらいだよ」
「制服がカッコ良いからだろ? 何度も聞いたよ」
前漢を滅ぼした新王朝の王莽を討ち果たして即位した、更始帝・劉玄を絞殺して政権を樹立した、赤眉軍を降して、後漢王朝初代皇帝となった男――劉秀は、竹簡に目を通しながらそう呟いた。
処は後漢王朝の都・洛陽、宮殿内の執務室。その欄干に腰かけた少年が、頬杖をついたまま言葉を続けた。
「なっちまったもんは仕方ねぇだろ。ブツクサ言ってねぇで仕事しろよ、仕事」
「してるよ、さっきから」
「竹簡開いて眺めるのが、皇帝の仕事なのか?」
「陛下は国中から集められた献策や訴えを読んで、どうするべきかの最終判断をなさるんです。立派なお仕事の一つですよ、
突如足もとから声が聞こえ、忠龍と呼ばれた少年は下を見た。そこには八歳ほどの小さな男の子が小さな椅子にちょこんと座っており、にこにこと自分を見上げている。
「そうだよ、立派なお仕事の一つなんだよ。やっぱり
「いえ……その。陛下にお褒め頂けるなんて、光栄です!」
劉秀に褒められると、智多と呼ばれた男の子は照れながら頭を下げた。幼いながらの舌足らずなところもあるが、とにかく言葉の言い回しが子どもらしくない子である。だが、一生懸命喋っているような姿は、見ていて微笑ましい。
そんな智多の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわしてやりながら、忠龍は問うた。
「んで? そのお仕事の中にはどんな訴えとかがあるんだ? 内容によっては、俺ら〝
「私が口頭で説明するより、自分で見た方が早いんじゃない? はい」
言いながら、劉秀は丸めた竹簡を幾本か忠龍に放って寄こした。余談だが、竹簡は割と重量がある上作るのに非常に手間がかかる為、実はそれなりに高級品である。投げるな、色んな意味で危険。
「いや、渡されても読めねぇから! 俺が自分の名前以外の字ぃ読めないの、知ってんだろ、
慌てて竹簡をキャッチしながら、忠龍は不満そうに口を尖らせた。すると、劉秀は自分が「劉秀」ではなく「文叔」と呼ばれたのに、全く躊躇う事無くあははと笑いながら「ごめんごめん」と謝罪する。
何故違う名前で呼ばれたのに躊躇わなかったか? それは、「文叔」というのもまた彼――劉秀の名前だからだ。この国では、一人がいくつも名前を持っているのがごく普通の事とされている。
例えば、劉秀。彼は姓が「劉」、名は「秀」であるが、他に「文叔」というあざなを持っている。
あざなとは呼び名のような物で、この国では普通、他者の事はあざなで呼ぶ。本名である「秀」を呼び名として使っても良いのは、親や上司など自分よりも目上の人だけであり、それ以外の人間が彼の名を呼ぶ時は「文叔」と呼ぶのが一般的な礼儀とされている。
ただし、劉秀――いや、文叔は皇帝である。皇帝である彼を呼ぶ時は名前を呼ばず、「陛下」「主上」と呼ぶのが正解である筈だ。
「読めないではないわ。読めるようになる努力をしろと、常々言っておるじゃろう、忠龍!」
執務室に入ってきた声に、忠龍はビクリと肩を震わせた。振り向けば、そこには髪の白い、身なりを隙なく整えた老人が立っていた。
「あ、じじ様!」
同時に、智多が嬉しそうに立ち上がり、老人の元へと駆けていく。この老人、姓は呉、名は説、あざなは
「おお、どうじゃ智多? 陛下のお仕事ははかどっておるか?」
「いえ、それはその……」
顔をほころばせた理道に問われ、智多は困ったような顔をした。その視線の先には目を泳がせている文叔。よくよく見れば、その足元にはまだ山のように竹簡が積まれている。どうやら、仕事をしてはいるがはかどってはいないらしい。それを察したらしい理道はため息をつくと、文叔を軽く睨みながら言った。
「陛下。公孫様と仲先様が執務室を睨んでおりましたぞ」
馮異公孫と朱祐仲先、共に文叔と共に後漢王朝を切り開いた功臣である。その他にも功臣は大勢いるが、この二人は特に優秀、かつ真面目な人柄である。それ故に、この二人に睨まれていると思うと良い気はしない。それでなくても、後漢王朝はまだできたばかり。天下は完全に定まっていないのだ。ここで功臣に身捨てられたりしたら敵わない。
観念したのか、文叔は目の前の竹簡の山に手を伸ばした。忠龍も、先ほど投げ渡された竹簡を一度も開く事無く文叔の目の前に戻そうとする。すると、それを目ざとく視界に納めた理道が言った。
「少しは字を読めるよう勉強しようと思わんのか、忠龍。陛下がお前が中を見ても問題無いと判断した竹簡であれば、読んでも構わん。智多、忠龍があれを読めるよう、字を教えてやれ」
「はい、じじ様!」
「いや、いきなりこんなにたくさん読めるようになるなんて無理だろ! 智多も良いお返事なんかしてねぇで!」
「え、でも……」
忠龍の言葉に、智多が戸惑ったように声を発した。すると、すかさず理道が助け船を出してくる。
「忠龍に遠慮する事は無いぞ、智多。そもそも、これは忠龍の為じゃ。天下はまだ定まってはおらんとは言え、陛下が統一をなされるのは時間の問題じゃ。戦乱が収まれば、忠龍のように読み書きのできん者は仕事が減るからの」
「読み書きできるようになったくらいで仕事にありつけるかよ! それだったら剣の腕を更に磨いて、武官になるっつった方がまだ現実味があるだろうが!」
「自分の名前しか読めんような奴は、武官にもなれぬわ! 指令書も読めぬような人物に軍を任せる事などできんからの!」
「うっ……」
理道と忠龍の言い分を聞き、分が悪くなった忠龍を見て、智多は困ったように首を傾げた。
その時だ。まるで困った智多を助ける為と言うかのように、部屋の外からパタパタパタ……と早足で歩く軽い足音が聞こえてきた。足音はものの数秒で部屋のすぐそばまで近づいてくるとピタリと止まり、入口からひょこっと二人の女性が顔を現した。
「陛下、お仕事中申し訳ありません」
「おやつの時間ですよ、文叔様~」
「あ、聖通、麗華!」
二人が顔を見せた瞬間、文叔は顔をパッと輝かせて立ち上がった。郭聖通と陰麗華、共に文叔の妃である。物静かで大人びた聖通と明るく朗らかな麗華と対照的な二人だが不思議と仲は良く、一夫多妻につきものな諍いも無い。
文叔はそんな二人が愛おしいらしく、どんな時でもこの二人が側にいるだけで機嫌が良くなってしまう。特に麗華は、若い頃から「官につくなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」と言い続けてきたほどの惚れ込みようである。そんな女性が自分の妻として傍にいて、嬉しくないわけがない。
余談だが、執金吾とは今日でいう警察長官のような官職である。
それはさておき、おやつと称して何やら皿を運んできた二人に、理道は顔を顰めて言った。
「お妃様方。聖通様の申されました通り、陛下はただいま執務中にございます。百歩譲って休憩をとるのは良いとしましても、後漢皇帝の妃ともあろう方々が執務室まで菓子を運んでくるというのはいかがなものでございましょう……」
「それに関しては、本当に申し訳ないと思っております、理道様。ですが、麗華が……」
「今は皆が忙しい時です。そんな時に、妃だからという理由だけで私達だけ奥で座っているわけにはいきませんよ。動けるのなら、働かないと! それに、少し休憩を挟んだ方がお仕事も捗ると思いますよ、理道様」
にこやかに麗華が言い、理道は言葉を詰まらせる。その様子に智多は苦笑し、忠龍は「お妃様達頑張れ」と心の奥底でエールを送り、文叔はニコニコと聖通&麗華を見ている。
「ね、理道。聖通も麗華もよく働いて気が回る、本当に良い女だと思わない? こんな二人が後漢皇帝のお妃だって言うんだから、国の未来は明るいよね~」
「……嬉しそうですな、陛下」
「そりゃあ嬉しいよ。聖通や麗華、それに智多ちゃんとおやつを食べれるのと、ただひたすら竹簡に向かって仕事するのとじゃあ天界と冥界くらいの開きがあるんだからさ」
そう言ってから、文叔はふと何かを思いついた顔をした。そして、フフッと軽く笑うと理道に言う。
「良いから、おやつにしようよ。ほら、よく言うでしょ? 子曰く、学びてたまにおやつの時間。これ楽しからずや、って」
「孔子はそんな事は一言も仰っておりませんぞ、陛下」
「文叔様。それ、ジョークか何かのおつもりですか……?」
してやったり顔で言う文叔に理道がぴしゃりと言い放ち、麗華が哀しそうな顔で問い掛けた。冗談好きの人間にはこれ以上無いほど辛い反応である。
そんな寒い様子を後ろに、聖通は静かに智多と忠龍に菓子を渡しに来た。
「はい、智多くん、忠龍くん」
「ありがとうございます、聖通様!」
「どーも。……ん? 何か、初めて見る菓子っすね、聖通様?」
忠龍がなけなしの敬語で言うと、聖通はにこやかに微笑んで言った。
「えぇ。
「澄音道人と世廉道人……ああ、
呟いて、忠龍は手の中の菓子をまじまじと見た。白くてふわふわとした生地で、中に何か包まれているらしい。横から聖通が「木の実をすり潰して砂糖を加えた物が入っているのですよ」と言うので香りを嗅いでみれば、成程、甘い香りがする。見る限りは、とても美味そうな一品だ。
考えていても埒があかないので思い切って食べてみれば、味もまた絶品であった。疑った事を恥じながらもそもそと食べ、一緒に運ばれてきたお湯を呑む。高級品であるお茶は、未だに勧められても手が出ない。
そんな忠龍の横では智多が両手で菓子を持ち、お行儀良く食べている。その様子を和やかに見詰めながら機嫌良く菓子を口にしていた文叔に、麗華が問うた。
「ところで文叔様。ここに来る途中で小耳に挟んだんですけど、何か面白い報告が来ているそうですね」
「面白い報告?」
菓子を頬張りながら、文叔が首を傾げた。すると、ヒントを言うように麗華が言った。
「何でも、赤い糸がどうのって……」
「赤い糸? うーん……あ、あれかな?」
暫く唸った後、文叔は忠龍に渡したままの竹簡に目を遣った。
「え? これ?」
きょとんとしながら忠龍が手にした竹簡に目を遣り、それを智多が受け取った。智多はパラパラと竹簡を広げると、すいすいと目を滑らせるように読んでいく。その様を素直に凄いと思うが、自分も勉強しようとは欠片も思わない忠龍である。
「男女の縁を赤い糸で結んで取り持つ、不思議な老人が現れたそうですよ」
一通り竹簡に目を通したらしい智多が言った。だが、簡潔にまとまり過ぎているその報告に、忠龍は首を傾げた。
「男女の縁を糸で結ぶ? どういう事だよ?」
すると、智多は改めて竹簡の文字に目を遣った。そして内容を確認したように頷くと、再び口を開く。
「この洛陽の都よりも更に北……長城の近くに、名も無い小さな村があるそうです。付近に住む人々は便宜上、その村を〝
「逃集村? また随分と陰気な感じのする呼び名だな。何だってそんな風に呼ばれてるんだ?」
「王莽や劉玄の失政による飢餓や反乱で村を失った人達が身を寄せ合って作った村らしいよ。逃げ集まってできた村だから、逃集村……」
横やりを入れた忠龍に、文叔が少しだけ顔を曇らせて言った。それにつられて、忠龍も顔を曇らせる。それを誤魔化す為に、忠龍はわざと茶化すように言った。
「で? その逃集村に変なじじいが出るってのか?」
「変なじじいではないです。不思議な老人ですよ、忠龍さん」
「似たようなモンだろ」
忠龍の発言に智多は不服そうに肩をすくめたが、これ以上何か言っても無駄だと思ったのだろう。話を再開するべく、口を開いた。
「逃集村に住んでいるある女性が、ある夜水を汲むために外へ出たそうです。すると、井戸の近くに生えている木の根もとに見知らぬ老人が座っている。夜中に老人が一人で座り込んでいるわけですから、その女性は心配になったんでしょう。老人にどうしたのかと声をかけたのだそうです」
すると、月明かりの元で老人はにこやかにほほ笑み、女性に言ったという。
「お嬢さん、貴女には良縁が待っておる。きっと貴人の妻になれますぞ」
「胡散臭ぇ事、この上無ぇな」
忠龍がズバッと切り捨てると、智多は苦笑した。
「勿論、話はこれで終わったりはしませんでした。老人は手元の袋から赤い糸の束を取り出すと、そこから一本だけ引き出して女性の手首に結び付けたそうです」
そして、老人は女性に言ったそうだ。
「この赤い糸の指し示す先に、お嬢さんと夫婦になる者がおる。目には見えぬじゃろうが、夫婦になるさだめの男女は赤い糸で結ばれておるのじゃよ」
そう言って、老人は大儀そうに腰を上げるとどこへともなく去って行ったという。
「おかしい箇所が多過ぎて、どこからツッこみゃ良いのかわかんねぇぞ、その話……」
呆れ返った顔で忠龍が言った。更に、文叔に理道、聖通や麗華までもが美味しくも不味くもない微妙な味の料理を食べた時のような顔をしている。
「まず、夜外に出たらじいさんが座ってたのは百歩譲って、まだ良い。けどな、声をかけたらいきなり「良縁が待っている」って何だよ? 心配されてるんだから、その前に言う事があるんじゃねぇの?」
「そうなんですよね……」
忠龍の言葉に、智多も首をかしげながら同意した。すると、流れに乗るかのように文叔達も会話に加わってくる。
「その女の人もさ、いきなり手首に糸を結ばれてノーリアクションだったのかな? おじいさんとは言え、知らない男性に触れられたら嫌がりそうなものだけど……」
「あまりの展開の速さにリアクションをとる余裕も無かったんじゃないんですか? ほら、忠龍くんもよく文叔様にお菓子をとられた後、あまりの速さに呆気にとられて怒り損ねてたりするじゃないですか」
「何でそこで俺が出てくるんすか……」
「それに、運命だと言うのであれば、その赤い糸は最初からその女性の手首に巻かれている筈……。それを老人が結び付けた、というのが少々おかしくはないでしょうか……」
「そうですね。それに、目に見えない筈のその糸は誰の目にも明らかに見えているそうです。実際、その女性も最初は疑ったそうですよ。糸はただ風に煽られているだけに見えたそうですし」
「……最初は?」
智多の言葉に、忠龍は訝しげに首をかしげた。すると、智多は黙ったまま頷くと言う。
「半信半疑ながら、女性はその糸の指し示す方へと歩いてみたそうです。すると、そこには上等の着物をまとった男性がいて、近寄った女性を一目で見染めるとそのまま馬車に乗せて屋敷へ連れ帰ったそうです。これは後から知れた事だったのですが、その男性はある県の県令だったそうで……。その使いである役人が村へ話をしにきた事から、女性が老人と出会って出逢いを予告された事、赤い糸を辿って一人で村を出ていってしまった事などがわかったそうです」
「なっ……!?」
智多の言葉に、忠龍は息をのんだ。
「本当にいた、ってのか……?」
忠龍の問いに、智多はこくりと頷いた。
「女性は、その方の妾に収まったそうです。玉の輿に載ったと、逃集村では大騒ぎになったそうですよ」
「運命の赤い糸、かぁ……。じゃあ、私と聖通や麗華も、赤い糸で手首が繋がってるのかな?」
「……だとしたら、素敵ですね……」
「きっと繋がってますよ、私も聖通ちゃんも! だって二人とも、文叔様とラブラブですもん!」
聖通が頬を赤らめ、麗華が満面の笑みで答えた。その答に文叔は顔を綻ばせ、理道と智多はどうコメントして良いのかわからずに顔を背け、忠龍は甘ったるい物を喉の奥へ押しやるように湯をガバリと飲み込んだ。そして、砂を吐き出すように言う。
「で? だから何だってーんだ? 良いじゃねぇか。苦労してきた奴が不思議なじいさんの助言に従ったら玉の輿に載れたって話なんだろ? 俺には何の問題も無ぇように思えるんだけど?」
忠龍に言われ、文叔は困ったように笑うと「確かに」と呟いた。そして、智多に言う。
「そうなんだよね。それだけだったら、ちょっと良い話ってだけで何の問題も無い。けど、その後が問題なんだよね、智多ちゃん?」
「はい。実はその後も、老人は何度も逃集村に現れているんです」
「何度も?」
智多の言葉に、忠龍は眉をひそめた。それにつられるようにして、智多も少しだけ険しい顔をする。そして頷くと、智多は言葉を続けた。
「その老人は時折、逃集村に現れたそうです。それも、最初の時と同じように夜にばかり。先の女性の話は既に村中に広がっていましたから、夜になると外を気にする女性が増えていたのでしょうね。何人かがその老人に気付き、家を出たそうです」
「……それで?」
何となくその後智多の口から出るであろう言葉を予測しつつ、忠龍は問うた。すると、「たまには喋らせろ」と言わんばかりに文叔が口を出す。
「全員が全員、「貴人の妻になれる」と言われたんだってさ」
「いや、いくらなんでも怪し過ぎだろ、それ……。で? オチは? 妄言を振りまくじいさんが捕まったとか、そんな感じか?」
脱力したように忠龍が言う。すると、智多は険しい顔で首を横に振った。
「いいえ。老人は相変わらず神出鬼没で、不思議な老人のままです。何しろ、声をかけられた女性全員が村の外へと出て行き、消息を絶ってしまったんですから」
「なっ……」
智多の言葉に、忠龍は息を詰まらせた。
「出てった? 全員が!?」
「恐らく、前例があるからじゃろうな。一人が玉の輿に載った為、村の女性達は老人の言葉に対する警戒心を薄めていたのじゃろう。それでなくとも、逃集村は住処を失った人々が集う貧しい村じゃ。貴人の妻となれるのであれば、心が動いてしまうのも道理じゃろう」
理道が溜息をつきつつ言った。すると、麗華が首を可愛らしく傾げながら呟いた。
「多分、そんな複雑な理由じゃないと思いますよ、理道様?」
「……と言うと?」
訝しげに理道が問うと、麗華は少しだけ考える仕草をした。そして、言葉がまとまったのか、口を開いて言葉を紡ぐ。
「理道様の言ったような理由も確かにあるかもしれませんけど、私はただ単純に、そのシチュエーションに心が惹かれちゃったんじゃないかと思うんです。ある日素敵な殿方が自分を見染めてくれるとか、不思議な力のお導きによって運命の人と出会えるとか……そういうのに弱い女の子ってたくさんいますから。ねぇ、聖通ちゃん?」
「そう……ね。そうかもしれないわね」
そう言って、二人はちらりと文叔を見て頬を染めた。そして、それに気付いた文叔は二人に対して優しく微笑みかけている。聖通からしてみれば文叔は政略結婚とは言えある日突然現れた優しく知的でそこそこ美形な理想の男性なのだろうし、麗華に至っては長年想い合ってきた末に結ばれた夫であって。つまりはそういう劇的展開も手伝って周りが砂を吐くようなラブラブっぷりなんだろうな、と忠龍は遠い目をしながら考えた。
……というか問題はそこではない。
「……っつーか、よくわかったな。消えた女全員がその爺さんに声をかけられたって。消息不明じゃ、何で消えたのかなんて理由もわかんねぇだろ? 最初の時みてぇに役人が使いに来たとしても、全員が全員「じいさんに出逢いを予言された」なんて説明するとは思えねぇし」
「そう、そこが問題なんだよ」
麗華達に微笑みかけていた文叔が、急に真面目な顔になって言った。
「女性達が消えて、その家族が騒ぎ始めた頃になると、決まって役人らしき男が女性の家を訪ねてくるそうなんだ。そして、その老人の話をさり気無く混ぜ込みながらこう言うらしい。「あなたの娘は天帝のお導きにより、皇帝陛下の側室として召されました」とね」
「何だって!?」
思わず、忠龍は大声を出した。そして、文叔と麗華、聖通の顔を交互に見る。
「だって、皇帝って……文叔、お前……」
「そう。更始帝・劉玄、それに赤眉軍……これらが壊滅した今、皇帝と言えばとりあえず私を指す事になる。……という事は、この女性達は皆、私の側室としてここ洛陽に召された……という事になる」
「ですが、忠龍さんもご存じの通り、陛下の奥様はここにいらっしゃる聖通様と麗華様のお二人だけです」
文叔の言葉を引き継ぎ、智多が言った。すると、それを肯定するように麗華も言う。
「うん。私と聖通ちゃんも保障するわ。私が文叔様に嫁いで以来、文叔様に嫁いできた女の人はいないって」
そう言って麗華が聖通に「ね?」と顔を向ければ、聖通も力強く頷いて見せる。そして、更に二人が文叔の方を見れば、文叔は大真面目な顔をして「勿論だよ!」と力んで言った。そんな激甘な様子を呆れて見ながら、忠龍は呟いた。
「確かに、お妃様達激ラブの文叔がそんな手当たり次第に側室を増やすわけがねぇ。なのに、消えた女の家族に「皇帝の側室として召された」なんて言ってる……って事は……」
「女性達は騙されて、何者かに連れ去られてしまったという可能性が高いと思われます……!」
深刻そうな顔で、智多が言う。すると、頷いて理道も言った。
「皇帝の側室ともなれば、家族と言えども簡単に会う事はできん。娘が本当に陛下に嫁いだかどうか確認する事すらできず、家族は話が真実であると信じて諦めるほかはない……という事じゃ」
「可能性が高いも何も、完全に人攫いじゃねぇか!」
理道の言葉を最後まで聞かずに、忠龍は勢い良く立ち上がった。それに頷き、文叔は言う。
「そう。しかも、「皇帝の側室として召された」なんて嘘をついて、全ての罪を私に押し付けようとしている……。これは、私的には忌々しき問題だよ」
そこで、忠龍はこの書簡が最初に自分に渡された訳がわかった。この書簡を渡される前、忠龍は文叔に問うた。「書簡にはどのような訴えがあるのか」「内容によっては自分達〝護龍隊〟の出番になる」と。
「どんな形であっても、私が関わっているからね。私としてはこの訴え、かなり気になるんだ」
「じゃが、被害にあっていると思わしき人物がただの民となると、そうそう公の役人を派遣するわけにもいかん。ただでさえ混乱が続き、人手の足りないご時世じゃ。明らかに陛下のお立場が脅かされるようなものではない以上、村人の行方不明まで一々調査する事はできん」
文叔と理道の言葉に、忠龍は頷いた。
「そこで俺達、〝護龍隊〟の出番、というわけか……」
「はい! 僕達護龍隊は、他の部署を通す事無く陛下が直接動かす事のできる、特別少数部隊ですから」
智多がそう言ったところで、文叔は表情を引き締め、鋭い声で言い放った。
「そういう事だ。護龍隊頭領、
即座に、忠龍、理道、智多の三人は跪いた。「ハッ!」と短く応じると外へ通ずる道へと向かった。その後ろ姿を見送りながら、文叔は麗華と聖通に視線で退室を促した。そして、誰もいなくなったのを確認すると、彼は庭に向かって声をかけた。
「そこにいるんだろ? 話を聞いていたのなら、勿論協力してくれるよね?」
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