第9話
「さて。何で君がここにいるのか聞かせてもらえるかな、文叔?」
「大事な公務を放ってまで来るって事は、それ相応の理由があるんだろうな?」
視線の主が文叔だと知れてから少し経ち、文叔を加えた三人は近くの酒場で早めの夕食を摂りながら話をし始めた。話と言っても、奏響達が一方的に文叔に問い掛けていくもので、尋問と言っても通りそうな雰囲気だ。
「だって、気になるじゃないか。私の名前を騙って人攫いなんてやっている奴がどんな奴なのか……」
しどろもどろに言う文叔に、奏響と放風の顔が引き攣る。
「たったそれだけの理由?」
「文叔。物見遊山じゃないんだぞ!?」
奏響は静かに、放風は顔を真っ赤にして怒っている。文叔は縮こまりながら出された飯を静かに食べている。そんな文叔に、放風は声を落として言う。
「大体、皇帝が一人で宮殿を抜け出すな! 洛陽は今頃大騒ぎになっているんじゃないのか!?」
「あ、それは大丈夫。ちゃんと影武者を置いてきたから」
口にしていた物を飲み下すと、文叔はケロリと言った。その言葉と様子に、奏響と放風は一気に脱力し、その後苦虫を噛み潰したような顔になった。
「影武者……という事は、
「……と言うか、影武者が安全な洛陽にいて、皇帝自身が危険な一人旅をするのは本末転倒じゃないのかな?」
それだけ言うと、二人は言いようの無い怒りやら何やらを呑み込むかのように飯をかき込み始めた。とりあえず、この場で怒り狂っても何も良い事は無いと判断したようだ。
「それで? 本当に何でお前がここにいるんだ、文叔? 俺達は逃集村で聞き込みをした智多からこの県が怪しいと言われ、逃集村からここまで奏響の術を使って常人では考えられないスピードを出して走って来た」
「そうだね。放風の言うとおりだ。ただ単純に僕達を尾行してきたのであれば、途中でスピードに追い付けなくなった筈だ。君がここにいるのは、先回りしてきたからに他ならない。けど、さっき放風が言ったように僕達はこの県が怪しいと言われてからすぐにここへ来た。つまり、君が僕達の先回りをする為には僕達より先にこの県が怪しいと知っていなければいけない筈、だよね?」
答によっちゃただじゃおかない。そう言わんばかりの笑顔を纏いつつ、奏響が問うた。すると、若干腰を引き気味に文叔は答える。
「偶然だよ。別に先回りしてきたわけじゃない。ただ、途中で歩くのに疲れてきちゃったんだ。君達は足が速いし、少し歩みの遅い智多ちゃんや芳萬は奏響や忠龍におんぶされてたし。尾行する方は大変なんだよ」
「尾行しなければ良いだろう。もしくは、さっさと声をかけて俺達と一緒に来れば良かったんだ」
呆れたように放風が言う。すると、文叔は目を逸らしながら言う。
「だって、絶対にこうやって怒られると思ったんだよ。特に忠龍には「帰れ」って言われると思ったし……」
「当たり前だ! 俺だって今この場で面と向かって言ってやりたいわ!」
「まぁ、ここまで来てしまったら逆に危なくて一人で帰れなんて言えないけどね。で? 疲れたからどうしたって言うのさ、文叔?」
話の軌道を元に戻すかのように、奏響が問うた。すると、文叔はハッと今までの流れを思いだし、再び口を開く。
「そうそう。疲れちゃったからさ、ちょっとズルをしようと思ったんだよね、私」
「ズル?」
「うん。偶然逃集村方面に向かう商人の馬車が近くを通ったからさ。ヒッチハイクをしたんだよ。それで、乗せて貰って馬車に揺られているうちに寝ちゃって……気付いたらよくわからない土地まで来ててさ。乗せて貰う時にどの辺りで降ろして欲しいか言わなかったのが原因だね」
今度こそ、放風と奏響は呆れ果てて卓の上に突っ伏した。これがこの国の最高指導者かと思うと、頭痛がしてくる気がする。
「……もう良い。奏響も言ったが、ここまで来てしまった以上、逆に帰らせる事など危なくてできん。俺達と一緒に来い、文叔。その方がまだ安全だ」
溜息をつきながら放風が言うと、文叔は嬉しそうに笑った。その邪気の無い笑顔に、放風と奏響はまたしても脱力せざるを得なかった。
「とりあえず、そろそろ行こうか。あまり遅くなると智多君が心配するかもしれないからね」
そう言って、奏響が立ち上がった。放風と文叔もそれに続く。代金を払って、店を出る。ダラダラと話し、食べていた為、外は既に真っ暗だ。今まで彼らが居座っていた店も、本当は早く店じまいをしたかったのだろう。早々に主人と思われる男が扉を閉め、窓から漏れる明かりが弱くなってしまった。その様子を横目で見ながら、文叔が尋ねた。
「ところでさ、もう夜だよね? 城門はとうに閉まっていて、明日の朝までこの街から出る事はできない……どうやって逃集村まで戻るんだい?」
「簡単な事だよ。城壁をよじ登って越えれば良いんだから」
事も無げに言う奏響。それを聞き、文叔と放風は渋い顔をする。
「違法だけどさ、役人に袖の下を払って出してもらった方が早くない?」
「門を上げ下ろしする音が響くじゃない。夜なのにそんな音が聞こえてきたら街中大騒ぎになるってわからないものかな?」
「一応言っておくぞ。俺や文叔は、お前のように一足飛びで城壁を飛び越えられるような脚力は持ち合わせていない」
「わかっているよ。今回だけは僕が二人を担いで城壁を越える。その後は自分の足で歩いてよね」
奏響の答に、放風と文叔は城壁を一瞬で飛び越える衝撃やら風圧やらを想像してがっくりと項垂れた。だが、文叔はふと何かに気付き、のろのろと首を上げる。
「けど、ここから逃集村までって結構な距離があるよね? 夜中に抜け出して歩くよりも、朝まで待って、どこかで馬を調達した方が速いんじゃないかな?」
すると、奏響はニヤリと笑って見せた。そして、懐から数枚の紙片を取り出して見せる。
「それは?」
文叔が問うと、奏響は紙片を二枚ずつ放風と文叔に手渡した。そして、自らは紙片を一枚ずつ足にしっかりと結えている。
「放風はもうわかってるよね? 文叔、その符を一枚ずつ、両の足に結えつけてくれる? そうすれば、馬よりもずっと速く走れるようになるからさ」
「本当に!?」
驚いた顔付きで、文叔は放風の方を見た。放風はこくりと頷くと、何故か疲れたように答えた。
「神行法という術だそうだ」
「何百年か後には小説にも登場する、一日に八百里を走る術だよ」
奏響の補足説明に、文叔は「へぇ」と頷いた。その顔に、奏響はいたずらを目論んでいるような楽しげな顔で頷いた。だが、その時だ。
「……今の音……!」
急に奏響の顔が険しく引き締まった。
「……奏響?」
「音って? 私には何も聞こえなかったよ?」
放風と文叔が怪訝な顔で奏響を見る。奏響は放風の方を見ると、険しい顔で言う。
「解散する前に忠龍に渡したよね。思い切り振ると僕にだけ聞こえる音を発する腕輪。今聞こえたのは……その音だ……!」
その言葉に、何の事だか未だによくわかっていない文叔は、首を傾げている。だが、腕輪の譲渡の際その場にいた放風の顔が引き締まった。
「それはつまり……忠龍と月華がピンチに陥った……という事か!?」
「忠龍と月華が!?」
放風の言葉に、文叔の顔も険しくなる。そんな二人に、奏響は頷いて見せた。
「二人がピンチに陥ったとは限らない。ただ、音が鳴ったという事は忠龍が危険だと判断したか、剣を振るう必要がある場面に遭遇したという事……。忠龍が戦闘に入ったのだけは確実だ」
放風と文叔が、ごくりと息を呑んだ。奏響は尚一層顔を険しくして言う。
「のんびりと話をしている余裕は無さそうだね。まずは智多君の待つ逃集村へ急いで戻ろう」
言うや否や、奏響は文叔と放風の腕を引っ掴み、凄まじい勢いで走り出した。つむじ風を巻き起こしながら角を減速しないままに曲がり、大路を一直線に突き進んでいく。
街の隅にあたる城壁が見えてきても彼は減速をせず、それどころかより一層スピードを増した。そして彼はある程度城壁との距離が縮まったところで思い切り良く地面を蹴り、二人の人間を掴んだまま宙に舞った。
三人の男は誰にも見られないまま城壁を飛び越え、街の外へと着地する。着地した途端、奏響は口元で何かを呟いた。何やら呪文のようなそれを唱え終わった途端、文叔と放風の足が勝手に動き出した。それも、相当速い。少しでも気を抜けば、腰から上が置いて行かれそうな速さだ。
「うわっ!? ちょっ……何これ、奏響!?」
「だから! これが神行法だ! 奏響が解呪するまで絶対に止まらんから、一日二日の筋肉痛は覚悟しておけ!」
文叔が叫び、放風も叫ぶ。そして、そんな彼らの横を涼しい顔で奏響が走っていく。
「あ、あと二里走ったところで体を二十五度だけ寅の方角に向けてね。じゃないと、あらぬ方向へ行く事になるよ?」
奏響のその発言に、放風と文叔は、舌を噛みそうになりながらも声を揃えて叫んだ。
「できるかっ!!」
言う傍から、二人の言葉はドップラー効果付きで後ろに流れていく。凄まじい速さで三人が走り去っていった場所は再び静まり返り、月の冷たい光が降り注ぐばかりとなった。
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