第7話
時は数刻前に遡る。奏響と放風は智多の言に従い、逃集村に最初に現れた役人を調べる為にとある県まで赴いていた。逃集村から少しだけ洛陽に戻った位置にある、富んではいないがそこそこ政情は安定している県だ。その県城の城門をくぐり、辺りの様子を見渡しながら放風は首を傾げる。
「しかし……よくこの県の県令が最初に現れた役人だとわかったな、智多は……」
感心したように言う放風に、奏響は呆れたように言う。
「ちょっと考えればすぐにわかる事だよ。特に美人というわけでもない娘が見染められたという事は、その役人……県令は実は事件よりもっと前に娘と出会っている、もしくは娘を見かけた事がある可能性が高い。出会った瞬間に見染められるなんて、よっぽどの器量良しじゃないとまずあり得ないからね」
「まぁ、それはそうだろうな」
納得したように放風が頷くと、奏響も頷き話を続ける。
「特に内面なんて物は、長い時間をかけて知っていくのが一般的だよね? つまりこの県令は、何度もあの村の近辺まで行き、娘の姿を見ていた事がある」
「それも納得できる。人間の内面など、一朝一夕では理解できん」
再び、放風が頷いた。そこで奏響は、たたみかけるように言った。
「その県令は、何かが切っ掛けでその娘を垣間見た。その時、何か心に引っかかる印象があったんだろうね。例えば、不美人だけど笑顔が可愛かった、良い声をしていた、優しく子ども達の面倒を見る姿が自分の母親のようだった、という具合にさ。どんな事が切っ掛けだったのかまではわからない。けど、確かにその県令は娘の事が気になったんだ。だから、何度も逃集村の付近まで行って、娘の姿を見守り続けた。そして娘の内面をより深く知り、例え不美人でも嫁……まぁ、妾だったみたいだけど。とにかく自分の家に迎えたいと思ったんだろう」
「そして例の事件で県令と娘が直接出逢い、県令は娘にプロポーズをした……というところか」
放風の言葉に、奏響は頷いた。
「何度も逃集村の付近まで行っていた。つまり、この県令は頻繁に逃集村に通える程度に村から近い場所にある県の県令であると考えられる。更に、娘が県令の嫁となった後、その部下と思われる役人が逃集村を訪れている。娘を迎えると決まった途端に使いを出したのか、それとも婚礼が終わってから使いを出したのかまではわからない。けど、往復の日数を考えれば、どの県から来たのかある程度絞る事はできる」
「なるほどな」
感心したように放風が唸ると、奏響は更に言った。
「ここからが智多君の凄いところなんだけどね。彼は自分が子どもである事を利用して、村中の子どもや女性達に聞いて回ったんだよ。「この付近で移り住むなら、どの県が良いか」ってね」
「? それで、何がわかるんだ?」
「逃集村の人達は、知っての通り先祖代々暮らしてきた土地を捨て、逃げ集まってきた人達だ。周りの村々からは冷たく扱われているし、土地が土地だけに充分な作物も採れないでいる。誰もがより良い地に移り住めるなら移り住みたいと思っているのはわかるよね?」
「あ、あぁ……」
奏響の問いに、放風は頷いた。それを確かめ、奏響は話し続ける。
「勿論、どうせ移り住むのなら良い役人が治めている土地が良い。だからこそ彼らは、付近の情勢に耳聡くなっているだろうと智多君は考えたんだ。つまり、彼らに聞けばどの県の役人が良吏かがわかる、という寸法だよ。そして、尋ねるなら子どもや女性が良い。子どもは疑いも無く正直に喋ってくれるだろうし、女性は噂好きな人が多いから時に思いもよらない情報を提供してくれる事がある。それらを踏まえて智多君が聞き込みをして回った結果、この県の県令は評判が良いという事がわかったんだ」
そこまで話して、奏響は言葉を切った。流石に喋り過ぎたのだろう。フゥ、と一息ついた。その隙をついて、放風は問う。
「何で県令の評判が良いと最初の役人がいる県だとわかるんだ?」
「悪徳役人だったら回りくどい事をしないで娘を奪って連れていくでしょ?」
馬鹿? と言いたそうな蔑んだ目で奏響は放風を見詰めた。背丈は放風の方が確実に高いのだが、見下されている気がして仕方がない。奏響をぶん殴りたくなる衝動を必死で抑えている放風に、奏響は何事も無かったかのように言った。
「さて。無駄話で要らない時間を食った分、急いで県令の屋敷へ行くよ。時間は無限じゃないんだからね」
言いながら、奏響は既に歩き出している。それを慌てて追いながら、放風は言った。
「ま、待て待て! 行くって言ってもな、いきなり行って会ってもらえるとは……」
その言葉に奏響はぴたりと足を止めた。そして、振り向くと穏やかな……しかし腹に一物を持っていそうな笑顔で言う。
「僕は道士だよ?」
その言葉に、放風はただ「ああ、うん……」と頷いた。天の存在を信じ、怪力乱神が語られるこの国では、道士の存在は決して小さくも薄くも無い。だから、道士である奏響が赴けば少なくとも邪険に扱われ追い返されるような事は無いだろう、という見解である。
「ただ、問題はお前が道士に見えるかどうか……という事だが……」
そこまで言って、放風はハッ! と口をつぐんだ。目の前の奏響は、嘗て無いほどに優しい笑顔を浮かべている。
(言わなきゃ良かった……)
顔を晴天よりも青くしながら、放風は奏響に付いていく。そして、まだ彼は気付いていない。
彼らを遠くから窺う、一つの影がある事に。
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