第12話

 ある薄曇の日の事だ。洛陽の宮殿の一角で、一人の少年と二人の衛兵が言い合いを起こしていた。

少年は、ぼうぼうの頭に薄汚れた衣服。腰には服装に見合わない剣を帯びている。

 ――忠龍だ。

「畜生、放せっ! 皇帝に会わせろよっ!」

 忠龍は二人の衛兵たちに取り押さえられながらも、声を限りに叫んでいる。それを持て余すように、衛兵たちは忠龍に怒鳴りつけた。

「おい、大人しくしろ!」

「お前みたいな貧しい小僧を、簡単に陛下に会わせるわけにはいかん!」

 そんな衛兵の言葉に、忠龍は怒りで赤くなった顔を益々赤くする。

「何でだよ! 皇帝は俺達みたいな庶民を助ける為に挙兵して、新王朝を討ったんだろ!? その庶民の声を聞かないで、何が庶民を助ける為だよ!?」

「暴れるな! 大人しくしろと言っているだろう!」

小さな子どもに手を焼く親のように、衛兵たちは疲れた声で言った。

「皇帝に会わせてくれるまで、大人しくなんかしてやるもんか!!」

「このクソガキ……っ!」

腹に据えかねたらしい衛兵が、忠龍に殴りかかろうとした。その時だ。

「どうした? 騒がしいぞ」

「君達の役目はこの宮殿を守り、皇帝及びその臣下の安全を脅かす者を排除する事のはずだ。その役目を放って、何を遊んでいるんだい?」

 突如頭上から声が降ってきて、一同は水を打ったように静かになった。そこにいたのは、立派な髭を蓄えた脂の乗った四十前後の男と、二十代後半から三十代ぐらいであると思われる青年―――文叔だった。

「へっ……陛下……!」

「何故こんな所に……!?」

 二人の衛兵が慌てて拱手した。忠龍はと言えば、突然目の前に現れた人物をただ呆けて見詰めているばかりである。

(……陛下? ……って事はこの厳ついオッサンが……漢の高祖九代目の子孫……皇帝劉秀……!?)

 見た目だけで、忠龍は髭の男が皇帝であると思ったようだ。蛇足だが、この件に関しては未だに文叔から笑い話にされている。

 そんな忠龍の視線に気付いたのだろう。髭の男は忠龍をじろじろと見ながら衛兵に問うた。

「……何だ、その小僧は?」

 問われた事で、衛兵達は更に畏まった。そして、緊張した面持ちで言う。

「は……ハッ! この小僧が「陛下に会わせろ」と叫び、宮殿に侵入しようとしましたので、我ら二人、それを防ごうと取り押さえた所であります!」

「しかし、侵入しようとしただけでまだ何をした訳でもなく、処分をどうしようかと思っていたところに陛下が来られましたので……!」

懸命な衛兵達の説明に、文叔が頷いた。そして、何か面白い物でも見るように忠龍に問う。

「成る程……少年、君は何故皇帝に会おうと思ったんだい? 話ぐらいは聞いてあげるよ」

 にこやかで、穏やかな笑みだ。この笑みだけで、緊張が和らぐ人間は少なくないだろう。だが、忠龍は緊張を解く事無く押し黙っている。

「……」

「どうした? 今ここで話さなければ、今後君には話す機会は一切与えられない……それでも良いのかい?」

 先ほどの威勢は何処へやら、という様子の忠龍に、文叔は怪訝な顔で問うた。すると、忠龍は感情を絞り出すように呟いた。

「……兄貴が……何したってんだよ……!」

 その呟きに、一同は一斉に首を傾げた。

「は?」

「このガキ、いきなり何言って……」

 衛兵達が眉をひそめて何かを言おうとした。その時だ。

「兄貴は何もやってねぇ……! なのに、何でその兄貴が無実の罪で捕まらなきゃならねぇんだよっ!?」

 忠龍が、言葉を地面に叩きつけるかのように叫んだ。その言葉に、一同は更に首を傾げる。

「何が言いたいのかわからん。まずは落ち着き、順を立てて申せ」

 髭の男が、諭すように言った。すると、忠龍は大きく息を吸い、呼吸を整えてから話し始めた。

「……俺と兄貴は……洛陽の城外にある小さな村に住んでる……。そこで普段は畑を耕して、俺は時々洛陽の金持ちに雇われて護衛の真似事なんかをやって……それで生計を立ててるんだ」

「……洛陽の城外に……?」

 何か思い当たる事があるのか、文叔が僅かに眉を寄せた。

「? どうか……なさいましたか?」

 文叔の表情に気付いた衛兵が、不思議そうな顔で問う。すると、文叔は首を横に振った。

「……いや。……それで? 君の兄さんが、如何したって言うんだい?」

「その俺達の村に、昨日突然洛陽の門を守る門番がやって来て……何も言わずに兄貴を捕まえていっちまった。兄貴は何もやってないのに、何の罪で捕まったのか、何度聞いても教えてくれねぇし……。終いには、保釈金を払わねぇと兄貴はいずれ死刑になる、なんて抜かしやがる」

「……それと、皇帝への直訴……どう関係があるんだい?」

 忠龍が顔を怒りで歪ませて言うと、文叔は柔らかい物腰で問うた。すると、逆にそれに煽られたかのように忠龍は文叔を睨みつけた。

「……現皇帝が即位する前の支配者だった赤眉の奴らは、政治の実権を握った途端に民の事なんか考えずに重税を課すようになった……。その前の支配者だった更始帝も、その前の王莽も」

「……だから?」

「だから……結局今度の皇帝も同じなんだろ!? 民の為とか言って立ち上がった手前、税を重くしたりはしねぇけど……それじゃ自分の懐が暖まらねぇから、適当な奴に無実の罪を着せて! 目玉の飛び出るような額の保釈金を払わせて儲けようとしてんだろ!?」

 忠龍の声は、次第に大きくなっていく。遂には辺りに響き渡るような声で噛み付くように叫んだ時、二人の衛兵が同時に剣を抜いた。

「小僧! 陛下を王莽や更始帝……果ては下賤な農民どもの集まりに過ぎない赤眉などと同列に扱うか!」

「陛下を侮辱するようなその言動の数々……万死に値する! 兄よりも先に貴様を死刑にしてくれる!!」

 言いながら、二人は剣を振り上げた。忠龍は死を覚悟し、ギュッと目を瞑る。その時だ。

「まぁ、待て。相手はまだ分別の無い若者だ。死刑は行き過ぎであろう」

 文叔の横にいた男が、口を開いて衛兵達を諭した。だが、衛兵達は納得がいかないという顔で男と文叔を交互に見ている。

「しかし……!」

「しかし、皇帝を侮辱するような言動の数々……許す事が出来ない、と?」

「は……ハッ!」

 文叔が衛兵達の言葉を補完すると、衛兵達は我が意を得たりと言わんばかりの声音で力強く頷いた。すると、文叔は困った顔をして言う。

「成る程……こちらの心情にも、多少は頷ける。それでなくても、少年、君は許可も無くこの宮殿に入ろうとした……それも、力尽くで。多少の罰は与えなければならないだろうね」

 その言葉に、忠龍は項垂れて呟いた。

「……わかってる。宮殿に乗り込むって決めた時、死刑になる事ぐらいは覚悟してたさ。けど、兄貴はそんな覚悟すらしてなかった! 本当に何もしてないんだ! だから、兄貴は……!」

 声がまた、次第に大きくなっていく。その忠龍の言葉に頷くと、文叔は衛兵達の方を見た。

「……良い覚悟だ。……君達」

「ハッ!!」

 声をかけられ、衛兵達は緊張した面持ちで文叔の次の言葉を待った。

「この少年を、地下の牢獄へ。処分は追って通達する」

「ハッ! ほら、来い!」

 文叔に言われてすぐに、衛兵達は忠龍の腕を掴んで連れて行こうとした。その時の衛兵達の態度が頭に来たのか、またも忠龍は吠えた。

「言われなくても行ってやらぁ! だから、放せよてめぇ!」

「うるさい! 少しは大人しくしろ!!」

 うんざりしたような声で一人が怒鳴りつける。すると、忠龍はそれに更に怒鳴り返し、再び衛兵がそれを怒鳴り……と、無意味な言い争いを延々と続けながら三人は歩いていく。

 その三人の後ろ姿を眺めながら、文叔は思案顔でぽつりと呟いた。

「無実の罪でしょっ引かれた青年に、何も告げようとしない門番か……」

「……陛下?」

 文叔の様子を怪訝に思ったらしい男が、首を傾げて文叔を呼んだ。すると、文叔はその呼び掛けが聞こえていないかのように真剣に考え込みながら、更にぽつりと呟いた。

「どうやら、面倒臭い事になりそうだな……」

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