第17話

「あそこに間違いはないんだな、奏響?」

 忠龍の縄が矢によって解かれた少し前。古びてはいるが大きな館を遠くに眺めながら、放風は奏響に問うた。

「うん。あそこから月華に渡した鈴の音が聞こえてくる……。忠龍は知らないけど、月華は間違いなくあそこにいるよ。鈴を落としたりしていない限りはね」

 耳を澄ませながら、奏響が頷いた。

「けど、中には何人ぐらいいるんだろうね? それがわからないと、対処のしようが無いよね?」

 文叔が困ったように智多を見た。すると、智多も困ったように頷いている。

「そうですね……。相手の人数がわからないまま闇雲に突っ込むのは危険です。やはり、可能であれば少しでも多くの情報が欲しいところなんですが……」

「ざくっとした数で良いなら、わかるかもしれないよ?」

 奏響の言葉に、一同はザッと振り返った。すると、奏響は腰に帯びた銀色の笛を手に取った。笛は月の光を受け、白く光り輝いている。

 奏響はその笛に唇を当てると、静かに奏で始めた。笛からは妙なる調べが流れ出し、文叔達は一瞬、自分達が今から何者かと戦おうとしている事すら忘れて聞き惚れてしまう。

 一体、どれほどの間そうしていただろうか。奏響はおもむろに笛から唇を離すと、瞳を閉じて少しだけ考える仕草をした。そして、す、と瞳を開くと一同に向かって言う。

「音の反響の仕方から判断すると……館の中には、二百人前後の人間がいるね」

「二百だと!?」

 思わぬ数字に、放風は思わず叫んでいた。それに頷きながら、奏響は言葉を続ける。

「行方不明になった女性達や忠龍と月華を差し引いても、百五十は下らない。かなり大きい館とは言え、随分な人数が詰め込まれているよ」

「その気になれば小さな反乱くらいなら起こせそうな人数だね……」

 暗い声で、文叔がぽつりと言った。その声に放風達も面持ちを暗くしながら、頭を寄せる。

「……それで、どうする?」

「まずは、外で戦うか、中に侵入して戦うかを決めましょう。向こうは多人数ですが、中で戦う分に限って言えば仲間が邪魔になり上手く戦えなくなります。ですが、僕達は館の内部がどうなっているかを知りません。もし罠や待ち伏せを仕掛けられたら、一巻の終わりになってしまう恐れがあります」

「外で戦う場合は?」

 文叔が問うと、智多は辺りの地形を見ながら言う。

「外であれば、逆に僕達が罠を仕掛ける事も可能です。ですが、多勢に無勢ですので、力技で押し切られてしまう可能性もあります」

「どちらを選んでも、メリットとデメリットの両方があるというわけか……」

 放風が腕を組んで唸った。

「そして、外で戦う場合の懸念材料なんですが……罠を仕掛けても、全員が出てきてくれなければあまり意味はありません。館の中に何十人も立てこもったままですと、女性達や忠龍さん、月華さんを人質に取ってくる場合も考えられます。ですから、人質を取ろうと考える余裕も無く全員が外に出てきてくれる方法を考えませんと……」

「面倒だからさ、館に火でも放っちゃおうか。そうすれば慌てふためいた賊は狭い戸口から数人ずつ逃げ出してくるから、戸口で待ち伏せた僕と文叔、それに放風で着実に倒していけるよ」

「忠龍達を焼き殺す気か!?」

「大丈夫。忠龍なら殺しても死なないよ、きっと」

「百歩譲って忠龍は大丈夫でも、月華は!?」

「彼女も、そう易々と死ぬような人間じゃないと思うけど? 何しろ、道士にカツアゲをするような公主様だからね」

「何気に根に持っているのか、お前……」

「別に」

「…………」

 放風が黙り、文叔も言葉が無くなったところで、智多がおずおずと手を上げた。

「あの……その前に、中には一般の女性達も多数いるのですが……」

 その言葉に、一同は完全に沈黙した。そして、おもむろに奏響が苦笑をする。

「仕方がない。面倒だけど、まずは館の周辺を調べようか?」

「仕方がないとか面倒だとか、心に思っても言うんじゃない」

 放風にそう言われても、奏響はどこ吹く風で平然としている。そのままスタスタと歩き出した彼を追うように、放風、文叔、智多も歩き出す。

 一同は館から充分に距離を取り、ぐるぐると館の周りを巡って歩いた。やがて奏響はふ、と上を向き、手頃な木に一足飛びで飛び上がった。そして、暫く館の方をじっと見ていたかと思うと、すぐさま地へと降りてくる。

「どうした?」

 放風が問うと、奏響は木の上を指差して見せる。

「自分で見た方が早いと思うよ」

「そうか」

 そう言って、放風はするすると木登りを始めた。奏響のような登り方は流石にできないが、それでもかなり速い。三メートルはあろうかという高さをあっという間に登りきると、放風は息も切らさずに館の方を見詰めた。道士でもないのに夜に少し離れた場所にある館の内部が見えるものだろうかという疑問も頭を過ぎったが、そこは元々目の良い弓使い。月や星の光も手伝って、難なく内部の様子を窺う事ができた。そんな彼の目は、内部の様子を目にすると徐々に見開かれていく。

「忠龍……! それに月華も!」

「何だって!?」

「やっぱり、お二人はこの中にいるんですね!?」

 文叔と智多が顔を強張らせる。更に放風は館を見詰める。そして

「……何て奴らだ……!」

 ギリ……と歯噛みをしながら放風は呟いた。その声に、尋常ならざる物を感じたのだろう。文叔も、何事かと木を登ってくる。

「どうしたのさ、放風。一体何が見えたって……」

 言いながら放風の視線の先を追い、文叔は言葉を詰まらせた。放風ほどではないが、彼の目にも館の様子が見えたのだろう。その目に見えたのは、無頼漢に凌辱される女性達。それも、一人や二人ではない。

「何があったんですか? 陛下! 放風さん?」

「智多ちゃんは来ちゃ駄目だ!」

 文叔に続いて木を登ろうとした智多を、文叔が制止した。幼い子どもに見せても良い光景ではない。

「しかし……どうする? あんなに人質がいたのでは、下手に手出しはできんぞ?」

 渋い顔をして放風が奏響と智多に問うた。

「まずは、忠龍さんと月華さんを助けましょう。戦力が多いに越した事はありません」

「そうだね。とりあえず、忠龍達のいる部屋に火矢でもうち込んでみたらどうかな? 上手い事縄が焼き切れれば逃げ出せると思うよ?」

「お前、そんなにあの館を丸焼きにしたいのか!?」

「月華は忠龍ほど頑丈じゃないよ!?」

「さっきも言いましたけど! 忠龍さん達以外に捕まっている女性達は一般人ですよ!?」

 三人に口々に言われ、奏響は冗談だよ、とけろりと言う。そんな様子に深い溜息をつきながら、放風は背中の矢筒から一本の矢を取り出した。

「もう良い。とにかく、まずは忠龍と月華を自由にできれば良いんだな?」

 言いながら放風は矢を番え、キリリ……と弓を引絞った。

「危ない賭けだけど、忠龍の左腕辺りの縄を狙うと良いよ。そこの辺りだけ少し綻んでいたから、切れやすいと思う」

「……わかった」

 道士としての修業を積んでいるからか、やはり放風以上に視力が良いのであろう奏響の言葉に、放風は短く返事をした。狙いを定め、ヒョウ! と矢を解き放つ。

 矢は寸分違わず忠龍を戒めている縄の綻びに突き刺さり、切れた縄がぱらぱらと解けていく様が見てとれる。忠龍に負傷をさせてしまうのではないかと危惧したが、事前に気付いたのか身体の位置をずらしてくれた。傷一つ負う事無く、自由になった忠龍は月華の縄を解きにかかっている。

 その様子を見ながら、放風は奏響と智多に頷いて見せた。それに、奏響と智多も頷き返す。

「忠龍と月華が自由になったって事は……僕達も急いで館の近くまで行った方が良いね。あの二人がこっそりと誰にも気付かれる事無く館を脱出できるなんて考え難いしさ」

 奏響の言葉に、文叔と放風も全くもってその通りと言わんばかりに頷いている。そんな三人を苦笑しながら見詰める智多を背負い、奏響は走り出す。

「……と言うわけで、行き当たりばったりで行動する事になっちゃったからさ。あとのフォローは頼むよ、智多君」

「頼むぞ、軍師補佐!」

「けど、危なくなりそうだったら私達の事は放っておいて、隠れても良いんだからね。智多ちゃん!」

 三者三様の言葉をかけられ、智多は力強く頷いた。どれだけ危険であろうとも逃げるつもりはない、という言葉を呑み込みながら。

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