第3話

「うー……寒っ! やっぱ北方ともなると、冷えるな……」

 見渡す限り一面岩だらけの荒野を歩きながら、忠龍が呟いた。道は一応北方へ向かう為の正規の物だが、洛陽の城内とは違い、整備はほとんど為されていない

 余談だが、ここで言う〝城内〟とは、文叔の住まう宮殿の事ではない。この時代この国では、一つの街を城壁でぐるりと取り囲み、防御の体を整えているものであった。その為、〝城〟という言葉は一般的に王の居城ではなく、街の事を指す。

 さて、広々とした何もない道を歩きながら、忠龍は仲間に声をかける。

「智多、寒くねぇか?」

 視線の先には、仲間の一人に背負われた智多。智多ははにかんで答える。

「大丈夫です! それよりも、奏響さん……重くないですか? ……僕、やっぱり自分で歩きます!」

 申し訳なさそうに智多が言うと、智多を背負った人物――奏響と呼ばれた、道士の服を纏った人物は朗らかに笑いながら首を横に振った。

「全然気にならないよ。智多君を背負っていると、僕も暖かいしね。気にする必要は全く無いよ?」

 そう言われて、智多はホッとした顔を見せた。それを見て微笑んだ後、奏響は笑顔を急に冷たい……と、言うか黒い物に変えて、忠龍に声をかける。

「で? 忠龍は大丈夫?」

 その視線の先には、忠龍。オプションとして、老婆を一人背負っている。

「だ、大丈夫に決まってんだろ! 芳萬の一人や二人、俺にとっちゃ何とも……」

 声は余裕だが、顔は明らかに引き攣っている。尚、この芳萬と呼ばれた老婆、中々良い体格をしている。

「そうかい、余裕かい。だったら、今放風に持たせている荷物も忠龍に持ってもらうかねぇ?」

 人を試すような笑みを浮かべながら、芳萬が言った。その言葉に忠龍の顔が青ざめ、その様子を見て放風は笑っている。

「で、身軽になった分、放風は月華を背負ってやりな」

 今度は、忠龍が笑う番だった。どう返せば良いか反応に困っている放風に、芳萬は更に言う。

「こんな荒れ道、女子どもに歩かせんじゃないよ」

 そうまで言われては、後に引き下がれない。放風は、横を歩いていた月華に「乗るか?」と視線で問うた。

「嫌よ」

 気持ち良いほどに即答。更に追い打ちをかけるように、月華は言う。

「放風の背中って硬そうだし。何より、好きでもない男の背に背負われるなんてまっぴらごめんだわ」

 放風の顔が、暗く深く沈みこんだと忠龍は思った。別に放風は月華が好きというわけではなかったと思うが、それでも「好きではない」という言葉には中々の破壊力があった様である。加えて、月華の見た目は間違いなく美人に部類されるであろうものだ。それによる追加効果は計り知れない。

「何だい、情けないねぇ。仕方がない。忠龍、放風が立ち直るまで、荷物を代わりに持ってやりな」

「結局俺が持つのかよ! っつーか、元々は芳萬の荷物じゃねぇか! ……ってか、芳萬、やっぱ無理……これ以上背負って歩くのは……」

「弱音を吐いてんじゃないよ! 字も読めず、剣を振るうくらいしか能がない体力馬鹿がこの程度で参ってたら、この先やっていけないよ!」

 無茶苦茶だ……。そう思いながら、忠龍は智多をちらりと見た。今度、智多に真面目に文字を習ってみようかな、と誰にも聞こえないような小さな声で呟く。今まで何を言われても欠片も湧かなかった学習意欲が、防衛本能によって湧きあがった様である。

 が、湧いたところで今ここで勉強をするというのは無理に等しい。単語帳でもあれば話は別だろうが、当然この時代にそんな物は存在しない。……と言うか、そもそも紙がまだ普及していない。遠方へ行くのに、わざわざ重たい竹簡を持ち運ぶような酔狂者も、当然この面子には存在しない。

 折角湧いた学習意欲が洛陽へ戻るまで持続しているものだろうかと首をかしげつつ、忠龍は話題を無理やり変えるように奏響に問うた。

「ところでさ。お妃様達に食わせて貰ったんだけど、お前と考福が教えたっつー、あの菓子美味ぇな。なんて菓子なんだ?」

「忠龍如きに教えるわけないじゃない」

 これまた気持ち良いほどに即答。そして奏響は、説いて聞かせるように言った。

「本来ならあの菓子は、この時代にあってはいけない物なんだ。あれは今から二百年以上後に諸葛氏の子孫が考案する事によって初めてこの世に姿を現す事になっているんだからね。あのお妃達ぐらい思慮があれば他言無用でこっそり教えてあげても良いけれど、字も読めないような忠龍じゃなぁ……」

「……俺、今日は字が読めない事で責められる卦でも出てんのか……?」

 がっくりと肩を落とす忠龍に、智多が「まぁまぁ」と宥めにかかる。そして、スッと右手を上げて前方を指差した。

「ほら、目的地まであと少しみたいですよ。頑張りましょう、忠龍さん!」

 智多の指差す先には、村と思わしき集落がうっすらと地平線から姿を現し始めていた。

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