第19話 何者でもない者、なれない

 時を少し遡って語る。


 杉崎すぎさき勇人ゆうとは何者かと問われたのなら。

 答えは簡単だ。

 、だ。


 あまり夫婦仲の良くない家庭に生まれ育ち。

 卑屈な性格で高校生になっても友人一人作れず。

 ラノベなどの創作物に身を委ね、妄想に浸る毎日を送り。

 最後はネットの異世界小説を読み漁りながら階段から足を踏み外し、その生涯に幕を下ろした。


 人の人生は一冊の本となるというが。

 勇人の人生は、まとめてしまえばたった数行で事足りてしまえるような人生だった。

 

 何にもなれなかった……。


 死の間際、勇人の脳裏に浮かんだのはそれだった。

 自分が死んだところで世界には何の影響も与えはしないことを勇人はよく分かっていた。

 友達のいない学校では自分の死など大した話題にもなりはしない。

 あ、そう。それで事足りてしまうだろう。

 家も同じだ。

 両親は自分に興味はない。

 彼らに興味があるのはそれぞれの不倫相手だけだ。


 十七年。

 実に生まれた甲斐のない人生だった。


 走馬灯すら浮かぶことなく、何者にもなれなかった彼の人生は終わった。






 かに思えた。


「はっ?」


 上も下も分からない奇妙な浮遊感の中で勇人は目を覚ました。

 そこは何もない真っ白な世界だった。


『何になりたい?』


 訳も分からずに視線を彷徨わせるなか唐突に語り掛けてくる声が聞こえた。

 男とも女とも子供とも老人ともとれる不思議な声だった。


『何になりたい?』


 狼狽する勇人に声の主は再び同じ質問をする。


 ここはどこだ。お前は誰だ。

 問いかける言葉は山ほどあった。

 しかし。

 勇人は小さく口を開いた。

 そして唱える。


「……なりたい」


 ずっとずっと秘めていたその願いを。


『……分かった』


 唱えられた願いが聞き入れたその瞬間に。

 勇人の意識は暗転した。


 ◇


 再び目を覚ましたとき、勇人の眼前に写ったのは一本道に伸びる整備の行き届いた街道、そしてその両端にどこまでも広がる森だった。


 普通であれば唖然とするような光景。

 しかし、勇人の胸に去来したのは全く別の感情だった。

 身体の内側から力があふれ出てくる。

 気力や活力と言った曖昧あいまいなものではない。

 明確なまでに破壊的な力だ。


 幾度となく夢想した展開だった。

 日常を底辺として生きてきた主人公が、神の力によって異世界へと転移して、真の力に目覚めて無双していく物語。

 判で押したようにネットにありふれていて、人によっては食傷気味になってしまうような展開。

 それでも。


「異世界きたぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!」


 勇人は叫んだ。


 興奮そのままに視線を落として自らの恰好を確認してみる。


「おぉ、かっちょいい!」


 全身黒ずくめ、少しばかり厨二くさいがそれでも自分の夢見ていた恰好そのままだった。


「どうしよう。どうする、これ? マジで異世界だよな、ここ? 小説だったら、この後ってやっぱりモンスターとか出てくる感じ? それとも盗賊に襲われた貴族の令嬢を助けるとかのパターン?」


 その場で足をばたつかせながら飽きるほど読み漁った王道展開を夢想する。


「と、とりあえずこういう場合はまず街とかを目指すべきだよな。うん。で、街はどっちだ?」


 勇人が視線を彷徨わせると道の端に小さな柱が立っていることに気づく。

 柱には右の方向に向かって矢印が明記されていた。


「スタート地点優しい!」


 勇人は勇んで矢印の方向に向けて歩き出した。

 その瞬間だった。


 グルウァァァァァーーーーー!!!!


 木々をなぎ倒し街道に躍り出てきた5メートルはあろうかという図体。

 醜悪な緑色にふさわしい顔と匂いをまき散らした明らかに人間とは異なる生き物だった。

 そしてその生き物の周りを勇人の腰ほどしかない高さの同じく醜悪な顔をした生き物が着いて回っていた。


「ぎゃあああああああああああああああああ!!!!!」


 意味不明な生き物たちの目が一斉に勇人に向けられた瞬間、ユートは両手を前に出して叫んでしまう。


「こっちくんなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 あっち行け。

 心の中でそう強く唱えたその時だった。


 ドッパアァァァァァン!!!


 突如として突風が巻き起こり、凄まじい破壊音と悍ましい悲鳴の声が上がる。

 勇人は思わず目を瞑ってしまったが目を開けた瞬間、写った光景に言葉を失った。


 大柄なモンスターと子分のモンスターたちの姿はどこにもなく、荒れ果てた街道となぎ倒された木々が残るのみだった。

 魔法だと直感で理解した。


 その光景と自身の両手を交互に見つめながら勇人の心に前世では一度も芽生えることのなかった万能感とも言える高揚が生まれる。


 なれる。

 この世界でならなれる。


 そこからの行動は早かった。

 高揚感に背中を押されるように巨体な魔物の首をカマイタチをイメージした魔法で刈り取り、収納をしたいとイメージすれば空間が歪み首を収納することができた。

 思ったことが何でもできるその万能感に頬が緩みに緩んだ。


 主人公になれ。


 神あるいはそれに近しい何かが自分にそう言っているような気がした。


 なれる!


 みなぎる自信が足を突き動かす。


 モンスターとのエンカウントを終え、勇人は城壁に囲まれた街に辿り着いた。

 衛兵に聞き込みをされるのを避けるために風魔法で空を飛び、壁を超える。

 街に辿り着いたその足で勇人が向かったのは冒険者ギルドだった。

 異世界転生の定番だからだ。


 ここから始まる。

 本当の本番はここからだ。

 杉崎勇人、いや、ユート・スギサキの人生は。


 確信を持ってユートは街を歩きだす。

 そして。

 思い知る。



 確信は過信であったことに。


   ◇


 辿り着いた冒険者ギルド。

 かわいい受付嬢の前に並び、この世界の冒険者もランク制であることを知り最高ランクであるS級にどうすればなれるか尋ねたところ。


「よお、兄ちゃん! 聞こえたぜ!」

「今、S級がどうのこうの言ったよな?」

「少し舐めすぎなんだな」


 そこに現れたのは汚い・臭い・嫌らしいのテンプレのようなカマセ属性を兼ね備えた三人組だった。

 絵に描いたようなテンプレ展開にほくそ笑んだユートが取った行動は。


「うるせえよ」


 実力行使だった。


 自分はただ者ではない。

 この世界を、この物語を動かす重要な、いや、中心となる存在なのだと周囲に知らしめるために行った行為だった。

 

 爆炎を生み出し、カマセ三人衆を一蹴し追い打ちをかけるべくギルドの外に向かう。


 と出会ったのは。

 そして自分の無双の夢想が霧散と変わった始まりはその時からだった。


 初めはファーストヒロインとのエンカウントかと思った。

 それほどまでの美貌だった。

 妖精か精霊が具現化して現れたのかとすら感じた。

 しかし、その期待もすぐさま霧散することとなる。


 銀髪の儚い雰囲気の美少女の中身は立派なイチモツを抱えた益荒男で。

 妖精の見た目とは真逆の暴龍だったのだ。


 見た目詐欺に騙されたユートは一瞬のうちに力の差を思い知らされることとなった。


 初見で頭を鷲掴みにされて銅像に叩きつけられ。

 決闘を申し込むも訳の分からない技で気絶、それも小便も漏らされ。

 簀巻きにされて森に放置されかけ。

 空が割れるという大技で格の違いを見せつけられ。

 身ぐるみを剝がされたあげく借金を背負わされ。

 まずいメシと薄い毛布にくるまる日々を送らされ。

 美女といちゃつく格上を横目に働かされ。

 美女に人体実験のモルモットにさせられたりとまさに踏んだり蹴ったりの目に合わされることとなった。


 なぜこうなった?

 ユート自身、理由がまったく分からなかった。

 これは俺の物語じゃないのか、どこで間違えた?

 何度も問いかけてもその答えは見えてこなかった。

 悶々とした日々を送るなか。

 その時は訪れた。


 ◇


 人体実験で意識が混濁していたユートが正気に戻ったのはギルドの入り口だった。

 血相を変えて走り回る人々を見て、何かが起こっていることだけは察することができた。

 東の城門に集まれ。

 外で冒険者らしき人間がしきりに叫んでいるのが聞こえた。

 それはまるで導きのように。

 悪く言えば誘蛾灯に誘われる虫のように。

 自然とユートの足も東へと向かうことになった。


 そこで彼は目の当たりにする。


 英雄の姿を。


 格上とは分かっていながらもどこか侮っていた。

 頂点にいたとしてもいずれ自分の踏み台となる存在だと。

 その内、立場は逆転して自分の引き立て役になるのだと。

 そうじゃなきゃおかしいのだと。

 そう思っていた。


 しかし。

 英雄の言葉で聴衆は奮い立ち、街のそのものが震えた。

 モブだ、雑魚だと侮った者たち一人一人がその胸に火を灯し、ユートを一人置き去りにしていった。


 勝てない。

 そう思わされた。

 転生したばかりのころの万能感はとっくの昔に消え去り、自信は砂上のように脆くも崩れ去っていた。

 ユートを支える決定的な何かが軋む音が聞こえた気がした。


 ボッ。

 演説が最後に英雄の約束で締めくくられる中、ユートの心にも火は灯った。

 それは湧き上がる聴衆が秘めたものとは真逆のもっとどす黒いものだった。


 嫉妬、または妬みつらみ。

 名づけるとしたらそんな名前の醜い炎だ。


 ―――――――――――

 そして時は、今に戻る。


「お前じゃない、お前じゃない、お前じゃない」


 空を飛びながら何度も何度も、呪文のようにつぶやく。

 俺なのだ。自分なのだ。

 この世界を、この物語を動かしていくのは。

 そうじゃなければ。

 生まれてきた意味がなさすぎる。


 ユートは飛ぶ。

 狙うはただ一匹。

 住民たちが口々に語る厄災の魔物、要塞亀フォートレスタートル

 そして英雄シドが倒すと約束した英雄譚の完成に必要不可欠なピースだ。

 戦場に辿り着くと、さすがは伝説の魔物と言ったところかあの人外をもってしても苦戦を強いられていた。


「俺が倒す」


 厄災などと言われているようだが所詮は図体がデカいだけの亀だ。

 両手に魔力を集中させる。

 イメージするには全てを粉々に砕き去る爆炎。

 新時代の始まりを告げるビッグバンだ。

 証明するのだ。

 英雄譚を完成させるのは人外シドではない。英雄自分なのだと。


「なるんだ」


 人外と目が合う。

 驚愕の表情を浮かべて何かを叫んでいた。

 亀の方は何かの危機を察したのか視線をユートの方向に向ける。

 だが、もう遅い。


「俺が! なるんだよおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


 初めに光が広がる。

 後を追って爆音が響き渡る。

 生まれたのは巨大な火柱。

 全てを焼き尽くす爆炎が空高く舞い上がっていく。

 亀はその業火の中だ。


「は、はははは……」


 それを見てユートは笑った。


「なれるんだ! やっぱり、俺はなんだ!」


 立ち上る火柱を見つめながら心の重要な柱が補修されていくのを感じた。

 何も心配することなどなかった。

 やっぱりこの世界が自分の人生の本番だったのだ、と。


「これで! サヨナラだ!」


 そう。サヨナラだ。


 何者でもない自分なんかとは。



 ピシッ。


 何かが。

 身体の内側から何かがひび割れる音が聞こえた。

 それと同時に。


 ビャオオオオォォォォォーーーーーーーーー!!!!!!


 火柱を振り払い現れたのは怒りの咆哮を上げる亀の頭部だった。


「えっ?」


 ユートには間抜けな声を上げることしかできなかった。

 弾丸のごとき速度に反応をできるような技量はユートにはない。

 命の危機に対して対応が取れるような経験と知識もない。


 破壊の権化は恐るべき速度で迫ってきているというのに、不思議とその動きはゆっくりに見えた。

 それは地球での生涯を終えたときにも似ていた。

 階段を踏み外したときもこんな風にゆっくりで現実感が欠けたものだった。

 奇しくも脳裏によぎった思いもその時と同じものだった。


 あぁ、何にもなれなかった、と。


 杉崎勇人でも、ユート・スギサキであっても。

 結果は変わらずで。


 異世界転生という要素で尺稼ぎをしたところで1話4000字程度の長さが精々で。


 一冊の本に遠く及ばず。


 結局、何者にもなれずに終わってしまうのだ、と。



 20話 12月19日 1200 更新予定

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