第22話 銀龍、悪夢を見る
『生きることは戦いの連続なんだよなぁ』
この男との間にある共通点と言えば、髪と瞳の色くらいだろうか。
それくらい似ていない。
大柄な肉体は例え鎧を着こんでいても鍛え上げらていることが容易に想像できるほど隆起している。
顔は精悍そのもの。
数多の戦場でつけたであろう傷が生々しく浮かんでいる。
ひと際目を引きつけるのは、頬の傷だろう。
肉がこそげ落ちて、奥歯がくっきりと剥き出しになってしまっている。
子供が見たら大泣き確定だし、淑女だったら卒倒ものだろう。
『平穏無事に生きられるならそれに越したことはねえが、人間っていうのは常に何かしらと戦い続けなきゃあ生きられない生き物だ』
男は苦笑を浮かべながら語る。
『男は女を守るために色んなものと戦わなきゃならんし、女は腹からガキを産み出すために戦場で負う傷なんか比較にならん痛みと戦うし、ガキはガキで成長するために現実と戦ってかなきゃならん。そんで年をくったらくったで今度は病や死の恐怖と戦っていかなきゃいけないもんだ』
何とも気が滅入る話だというのに、まだまだあるぞ? と男は続ける。
『農民だったら大地やお天道様。
商人だったら金と顧客。
貴族だったら領民と内政。
王族だったら国民と外敵。
ゴロツキや孤児だったら飢えと面子ってところか。
面倒くせぇだろ? でも、生き続けるかぎりは人の前には必ず何かしらの障害は絶対に立ちはだかる。避けられる戦いはあっても戦いそのものは大小問わず誰の人生にも起こる』
なあ? と男の手が伸びる。
大きく傷だらけでありながら、それでも優しい熱を持った手だった。
『〇〇〇〇〇〇……』
久しく呼ばれることのなかった懐かしい名が囁かれる。
『お前にもお前の戦うべき戦場は絶対に訪れる。お前の望む望まずに関係なくな。いいか? 戦い抜け。それこそがエヴァンスに生まれた男の使命だ』
この言葉を残した瞬間。
この男がどんな顔をしていたか。
俺は未だに思い出せないでいる。
目が覚めると見知った部屋の見飽きた天井が広がっていた。
「勘弁してくれよ……親父殿」
ベッドの上で俺は大きくため息を吐く。
なんつう悪夢だ。
昔の夢を見た日はだいたいロクなことが起きたためしがない。
つい先日、大規模な戦いを終えたばかりだというのに、もう次の不吉の影が蠢いているとでも言うのだろうか。
「生きることは戦いの連続……とは言っても頻繁に戦いがあるっていうのも困りもんだぜ……」
一人そうつぶやきながら、俺はベッドから身を起こす。
◇
恐慌に陥りかけていたボルドの街は賑わいを取り戻していた。
「いや……前、以上か?」
屋根伝いに歩きながら、ふと街並みのとある一角に目を止める。
「どいたどいた!!」
「魔核買うよ! 魔核買うよ! ギルドよりも高額買取を約束するよ! 魔核持っていないか? 魔核ないか?」
「お目が高いね! お客さん!」
「さあさあ、皆の衆、どうかご傾聴を! 此度の大戦! 冒険者を影から支えたのは我が店のこちらの
連なった商会からは活気を通り越して鬼気迫る勢いで商いを営む商人たちの声が鳴り響く。
開戦直前、多くの商会が蔵を開け、貯蔵していた武器や回復薬をタダ同然に討伐に向かった冒険者たちに卸した。
言うまでもなく彼らの行動が討伐戦に大きく貢献してくれたことは疑いようがない。
しかし、その損失はやはり大きく、それを取り戻すためにみんな商売に必死だ。
ボルドに帰還したとき、出迎えてくれた商人たちが流していた滂沱の涙には感動ばかりでなく悲哀の感情も籠っていたのが印象的だった。
中には俺に向けて、感謝の言葉を述べながらも、お前ぶっ殺してやる、というほんのりとした殺意を向けてくるやつもいた。
解せん。
だがまあ、その補填も時期に済むだろう。
道行く人々に目をやる。
見慣れない顔も随分と多い。
近隣の街から冒険者や商人らが集まってきているのだろう。
魔浪で討伐した魔物の魔核採取、買い取り作業等、人手はいくらあっても足りないくらいだ。
商機はいくらでも転がっている。
「あっ! シドだ!」
「ウソ? どこどこ?」
「ホントだ!?」
ぼんやりと街の賑わいを眺めていたところ通行人が俺の姿を発見する。
「あれが銀龍?」
「うそ!? かわいい?」
「銀龍って女なのか? 男って聞いてるぞ?」
「馬鹿! 知らねえのか? 妖精のような容姿してるがあそこのデカさ馬並なことで有名なんだぞ?」
「何でそんなとこいるんだよ?」
「降りて来てくれよ。話聞かせてくれ」
情報は瞬く間に伝播して、ちょっとした騒ぎになり始める。
「やべ」
しまった。
こういう事態を避けるためにわざわざ道を使用せずに屋根伝いで移動してきたというのに、これでは本末転倒だ。
七日が過ぎても俺の姿を見たら立ちどころに人だかりが発生して交通が麻痺してしまうのだ。
何人かの顔見知りに手を振って答え、俺はその場を後にした。
移動を再開した俺は改めて街並みを見渡す。
さっきの区域に限らずボルドは今、どこの区域もかつてない盛況ぶりを見せている。
一度は滅びの危機に瀕しながら、見事に厄災を退け、打ち勝ったその反響はデカい。冒険者の街としての勇名が一層高まったことで、これから先も国内外から冒険者や商人たちが集まってくることだろう。
それだけじゃない。
「人生で一度くらいはあのデカブツをおがんどきたいよな……」
ちらほらと視界に映る、冒険者でも商人でもない明らかなお上りさんといった風貌の人間たちを見ながらつぶやく。
大陸史にその名を刻む厄災、要塞亀。
たとえ姿形を見たことがなくても、その名を聞いただけで誰もが震えあがる伝説の魔物。
それが討伐された状態で衆目の目にさらされるとなれば、死ぬ前に一度はこの目に焼き付けておきたいと重い腰をあげる人間はごまんといるだろう。
メアリーからの情報では国内の貴族にとどまらず、周辺諸国の王族からも是非見たいと観覧の依頼が舞い込んでいるらしい。
高揚に貴賤はないということだろう。
要塞亀の歩みは人類にとって敗北の足跡だ。
文字通り踏みにじられてきた歴史を覆せたことは喜び以外の何ものでもないだろう。
浮かれるのもしょうがない。
でも。
だからこそだろうか。
俺は思ってしまう。
それはきっと今日見た夢のせいでもあるのだろう。
まるで、いつ砕けるかも分からない薄氷の上に立たされているような奇妙で不安定な違和感がどうしても拭えない。
焦燥にも似た思いは、この世にいない人物に向けて、ついつい、つぶやきとなって表れてしまう。
「要塞亀ごときでこれじゃあ、連中はどんだけヤバいんだろうな……親父殿」
そう。
【
◇
冒険者ご用達の宿屋が立ち並ぶ区画。
そこにある低級冒険者用の安宿に俺は足を踏み入れた。
「あぁ……シドさん」
宿屋の店主はカウンター越しに俺の姿を見つけると神妙な顔つきを浮かべた。
「今日も出てこないのか?」
「あぁ。帰ってきてからもうずっとだ。部屋で震えてるよ」
店主の視線が二階へと向けられ、自然と俺の目線も上へと向かう。
「メシは?」
「一応は食ってる。部屋の前に置いとけば中身が空になってるからね」
「そうか……」
飯が喉を通るということは心は別として身体の方はまだ生きたがっているということだろうか。
「オヤジさん、悪いが引き続き面倒を頼むわ」
そう言って俺は代金をカウンターに置く。
額は気持ち上乗せしている。
「……シドさん。金を貰っている身でこう言っちゃあなんだが、区切りはどっかでつけた方がいい」
金を受け取りつつも店主はバツの悪い顔をしながら口を開く。
「ありゃあダメだ。完全にへし折れてる。肩入れしすぎるとロクなことになりゃしない」
冒険者を中心にした客商売を続けているなかでこの店主は多くの客を見てきている。
当然、折れてしまった冒険者も星の数ほど見てきているのだろう。
「人間ってのは心の生き物だ。たとえ五体満足でも動力源がオシャカになっちまったらガワだけは立派な抜け殻が残るだけなんだ。こんな仕事やってるからたくさん見てきたよ。
折れたまま、そのまま衰弱してくたばったり。
折れた奴の処遇をめぐってパーティーが揉めて解散しちまったり。
逆に速攻で仲間に捨てられて自分で自分を終わらせちまったやつがいたり。
折れた相棒を何とか励まそうと頑張っていたら逆に心がぶっ壊れちまったやつがいたり。
何とも辛気臭いことばかりだ」
よく聞く話、ホントにうんざりするほどありふれた話だ。
「だから、悪いことは言わないよ。シドさん、適当なところで悪くなりそうな縁は切っておいた方がいい。あれがあんたの足かせにならないうちに、ね?」
「……そうしたいところなんだけどなぁ」
店主の気持ちはありがたいがそういうわけにもいかないんだよなぁ……。
「あいつにはデカい借りができちまったからなぁ……」
突然の乱入。
しかし、それは悪い事ばかりではなかった。
決め手を欠く中で勝利を掴むことができたのは、あいつがもたらしてくれた突破口によるところが大きかったと言わざるを得ない。
五分五分、いや、六:四といったところで功績はあいつの方が大きいのではないかと俺は思っている。
素性目的は未だに分からず。
されど見過ごすには危険すぎる力。
その上で大きな借りもできてしまった。
何というややこしい野郎だ。
「まあ、中々に切れない事情っていうのがこっちにもあるんだよな」
心配そうな店主に対し、俺はそう言うほかなかった。
◇
指定された時刻より少し早めに辿り着いたのはこのボルドで最も立派で権威のある建物。
すなわち領主の館だ。
ユートの宿屋に足を運んだのはついでだった。
今日の外出の主目的はここにある。
豪奢な門の前には守衛の騎士がいた。
彼らは俺の姿に気づくと即座に不動の姿勢を取り敬礼をする。
「銀龍殿!」
「領主様よりお話は伺っております! どうぞお通りください!」
「どうも……」
仰々しいなとは思いつつ解放された門を通るため守衛たちの横を通り過ぎようとしたときだった。
「ありがとう」
「俺たちの故郷を守ってくれて感謝する」
職務中のために姿勢を乱すことが許されない中、彼らは小声で俺にそう告げた。
「……守ったのはお互いさまだろ」
的外れな感謝に苦笑するも悪い気はしない。
今朝から続く陰鬱な気分が少しだけ晴れた気がした。
手入れの行き届いた庭を通り過ぎ、館へと近づけば開けっ広げになった扉の前に使用人が待機していた。
「お待ちしておりました、シド様。旦那様が執務室でお待ちです。ご案内いたします」
黙ってその後をついて行きながら俺は昨晩のことを思い出す。
『領主の館に来られたし』
領主からの使いが下宿先を尋ねてきてそう告げた。
要件は直接伝えるということで説明はされなかった。
嫌な予感がした。
悪夢を見たのもきっとこれのせいだったのだろう。
「こちらでございます」
使用人の背中を眺めながら呆けている間にいつの間にか俺の身体は館の中にある領主の執務室に辿り着いていた。
使用人は扉をノックする。
すると、入れ、というこの館、この街の主からの返事が返ってきた。
スウッと扉が開かれる。
ホコリ一つない掃除が徹底された室内。
来客の応接も兼ねているため設置されたソファーや机、調度品も一目で高級品とは分かるが華美すぎず嫌味がない。
その部屋の奥に鎮座する執務机にボルド領主、ブラッド・フォン・ボルド辺境伯はいた。
「来たか……シド」
「随分とお疲れですね」
ブラッドの顔には疲労の色が濃い。
幅の広い執務机の大部分を占めている書類の束が彼の戦いを物語っているようだ。
「問題ない。これが私の仕事だ」
そうは言いつつもブラッドの口から疲れたようなため息が漏れる。
「お前を呼んだ要件だが……」
そこでブラッドは歯切れ悪く、言葉を切る。
それだけで厄介事だと確信する。
幾度か
「シド……いやシードゥルド・フォン・エヴァンスよ」
呼ばれなくなって、名乗ることもなくなって久しい懐かしい名前が紡がれる。
「単刀直入に言う。ガーランド公爵が長男を連れてこのボルドにやってくる」
懐かしき名前のあとに耳に届くはうんざりする名前。
俺は思わず天を仰ぐ。
やっぱりあの夢は悪夢で。
不吉の前触れだったということだ。
23話 12月30日 1200更新予定
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