第10話 銀龍、安堵する

「はい。あーん」

「……あーん」


 言われた通りに口を開くと採れたての野菜が放り込まれた。

 最初の一口だけでも甘味が伝わってきたが、噛めば噛むほど、それは口内に濃厚に広がっていく。

 それだけじゃあない。

 飲み込んだ瞬間には、野菜は胃の中で瞬時に消化された。

 それはたちどころに身体を動かす動力源に変化していると感覚で分かった。


「どう?」

「美味」


 文句なしに上手い。

 イザベラからの問いに手放しの称賛を送る。


「でしょ? 今年も良い出来だってみんな言ってる」

「ボルドの土地、様様っすね」


 魔素の濃い土地は凶悪な魔物を生み出し、人類の生存を脅かす。

 しかし、もたらすのは何も凶事ばかりではない。


 魔素の強い地域で育てられた作物は、通常の人類の生存圏で育てられたものとは一線を画す品質を持っているのだ。

 魔物という悪しきものとはいえ、生命を生み出してしまうほどのエネルギー源はこの地に根を張る植物にも強い影響を及ぼす。

 一口分ほどの野菜であっても、頬張れば空腹を瞬く間に満たし、一日を動く活力を肉体に与えてくれる。

 さらには底なしの魔素によって日照りの心配もないときている。

 物事には必ず裏表がある。

 魔素の土地は人類に対して厄災を呼ぶがそれと同時に福音ももたらしているのだ。

 辺境に人類が挑むのには挑み掴み取るだけの価値がそこにあるからだ。


「ホントご先祖様に感謝、感謝」


 喉が渇いたのか、イザベラは水筒を取り出して口をつける。

 喉を鳴らして潤すさまが何だかひどく艶めかしい。


「飲む?」


 俺も喉が渇いたと思ったのか水筒を差し出す。


「いただきます」


 ありがたく受け取り、俺も自分の喉を潤す。

 ひんやりとした冷たい感覚が喉を通り、指先にまで透き通っていく。

 この水は地下水から汲み上げたものだ。

 当然ながら水もまたこの地の恩恵を受けている。


 テーブルに置かれた籠に積まれている野菜をツマミに井戸水をかっこむ。

 これだけで王都の一流料理店の肉料理や高級酒など足元にも及ばなくなる。

 人類が勝ち取った土地だからこそ得られる充実感。

 何と贅沢なひと時だろうか。


「おい……」


 充実感に俺が浸っている最中、声をかけてくる者が現れた。

 ユートだ。

 当初はダラダラと文句と愚痴を漏らしていたがイザベラの登場によって、その後玉を取られた猫のように大人しく鍬を振るっていた。

 本来ならさっさと働けとケツを蹴ってやるところだが、最高品質の野菜と水のおかげで気分がよかった。

 なので、お裾分けをしてやることにした。


「お前も食うか? ヤミツキになるぞ」

「うっせえわ! すでにこっちは闇堕ち寸前だっつうの!」


 腹の底からひりだしたような叫び声が農場に響き渡った。


「どうした? 発情してんのか?」

「違うわ!」


 鼻息荒く、目を血走らせながらユートが俺を睨みつける。

 心なしか垂れ流しているばかげた魔力が黒く変色してゆらめていているような気がする。


「何なんだ、てめぇ! こっちが黙って働いてりゃあ、さっきから美人のお姉さんのイチャコラしやがって! 何だよ!? あーんって!? 何だよ!? ナチュラルに関節キスって!? ふざけんな、ぶっころ、ぎゃば!!」

「なげぇ」


 小石を飛ばして額を打ち抜く。


「うっ……ううぅ……」


 ユートは額を抑えながらうずくまったかと思えば突然肩を振るわせ始める。


「おい、どうした?」

「……ちがう。俺が、求めてたのは、こんなんじゃ、ない。……何だよ、何なんだよ。これ俺Tueeee展開に入るじゃなかったのかよ? 何でボコられてるの? 美少女美女のイチャコラは? ウハウハハーレムは? 何で見せつけられる側になってんの? 俺の、サクセスストーリーは?」


 俺の問いかけに答えようとはせず、ボロボロと涙で地面が濡れていく。

 情緒がえらいことになっている。


「何、この生き物?」


 野菜を摘まみながらイザベラが痛烈な一言を発する。

 とうとう言葉にしてしまったか。


「俺が一番知りたい……」


 ホント、何なんだろうな、こいつ。


「ざまねえな! クソガキ!」


 下品な笑い声が耳を不快な気分にさせてくる。

 それだけでも気分が滅入ったというのにノシノシと行儀の悪い足取りでこちらに近づいてくる一団の姿に俺はさらにげんなりとした気分になった。


「ゲンドー……」


 ガタイのいい角刈りのリーダー、ゲンドーを先頭に、枯れ木のように痩せているのに名前はデブル。弾力のあるパツパツなデブなのに名前はガーリックが続く。


「よお、シド」

「何しに来たんだ、お前ら?」

「いや、なに。ちょっと、そこのガキに用があってな」


 ニタニタと黄色い歯を見せつけながら指さす先は、未だにうずくまってブツブツと何かをつぶやいているユートだった。


「いいざまじゃねえか? おぉ? S級になるなんて息巻いておいて本物のS級様の前で膝まづいちまってまあ!」

「格の違いが分かってメソメソしてんのかい? 慰めてあげまちょうか?」

「いい気味なんだな!!」


 いきなりユートの周りを囲み始めたと思えば、口々に汚く幼稚な言葉をまくし立てる3人。


「何だ、お前らお礼参りでもしにきたのか? 気持ちは分かるが俺への借金を返済し終えるまで待ってろ。その後だったら、こいつ魔法以外は弱いから夜道で不意をついたり、泊ってる宿探して寝込みを襲えば返り討ちにあう心配もないだろ。そうすりゃあ、あとは奴隷商に売るなり、黒魔導士に売り渡して内臓取り除くなりすれば、いくらか迷惑料は取れるだろうさ。伝手は心当たりがいくつかあるし、死体は森の奥に捨てれば勝手に魔物が処理してくれるだろうさ。だから、今は待て」

「そこまでするつもりねえんだけど!? こええよ!?」


 揉め事が起きそうな気配だったため、先回りして提案した折衷案だと言うのに何故かドン引きした表情を浮かべるゲンドーたち。


「違うのか?」

「俺たち、そのガキがシドにシバかれながらヒーコラ泣きながら働いてるのを笑いに来ただけだっつーの!」

「……自分で言ってて悲しくならんか?」


 ゲンドーは確かもうすぐ年齢が30に手が届くはず。

 いい歳こいた大人が10も年下の無様を見物に来るというのは何というか。


「ならんな! ムカつく野郎の無様な姿は胸がスッとする」

「ならねえな! ざまぁはいくらあってもいい」

「ならないんだな! 落ちぶれた姿を見ながら食うメシはうまいんだな」


 いっその事清々しいほど、どうどうとクズなことを言い切る『鬼神の斧』3人組。

 この強気な態度もユートが俺の監視下にあることからきているのだろう。

 はっきり言ってさもしい。

 俺がこいつらの親だったら泣く。


「君たち」


 これから起こるであろう醜態を見かねたのかここでイザベラが口を開く。


「元気なのは結構だけど、農場ここでの揉め事はごめんだよ?」

「「「い、イザベラお嬢さん!?」」」


 ここで初めてイザベラの存在に気づいたのか三馬鹿鬼神の斧は目を丸くして驚愕する。

 どうやら俺とユートの姿しか目に写っていなかったらしい。

 こいつらこんな注意力散漫でよく今まで生き残ってこれたな。


「お、お嬢さん。いたんですか? やだなぁ、いるならいるって言ってくれなきゃあ。いやぁ、本日もお日柄もよくて」

「お嬢さんは今日もお美しい」

「心臓止まりかけたんだな」


 イザベラの姿を確認するや否やゲンドー達は揉み手をしながら頭を下げるというお手本のような三下仕草を見せる。

 領主とは街の絶対者だ。

 冒険者ギルドに対して多大な発言権も有している。

 辺境の地であればその権威は絶大だ。

 領主あるいはその縁者の機嫌を損なうことは活動する街での冒険者生命の終わりに直結してしまうことに繋がりかねないのだ。

 故に手遅れ過ぎるがゲンドー達はイザベラに必死で媚を売っていた。


「君たち、『鬼神の斧』だよね? 今は農場の夜間警備任務についてくれてるよね?」


 無論、見え見えの媚などイザベラは意にも介さない。


「夜通しで勤務してもらってるのに仮眠も取らないで随分と元気そうだね? まさか夜間に居眠りでもしているのかなぁ?」

「や、やだなぁ、そ、そんなこと……」


 イザベラはゲンドーに近づくと下から見上げるように清潔感のない顔を観察する。

 ゲンドーもタジタジだ。


「そうなの? よかったぁ。もし、サボりとかでみんなが丹精込めて作った野菜が1個でも盗まれたりなんかしたら」


 青い目がスッと細まる。


「君たちの命を刈り取らなくちゃならないからね」


 辺境の地で栽培された作物はその栄養価の高さ故、貴族や大商会で高値で取引される。

 場合によっては王族の食事にもあてがわれることもあるくらいだ。

 故に収穫前の作物を狙って盗賊が徒党を組んで盗んでいくという事件が一定数起きている。

 努力の上前をはねる胸糞悪い話だ。

 警備に支障をきたしているかもしれない事態は管理責任を担っているイザベラからしたら到底容認できるものではないだろう。


「「「も、もちろんです。全力でやってます!」」」


 三馬鹿は声を揃えて真面目にやってることを宣言する。


「じゃあ、今日の夜も頑張れるようにさっさと帰って仮眠でもとったら?」


 余計な揉め事起こしてねぇでさっさと仕事の準備しろごく潰しどもと、言外にイザベラが告げるとゲンドー達は顔を青ざめさせながらコクコクとうなずく。


「そ、そっすね。じゃ、じゃあ、俺たちはここで……」


「待てよ……」


 情勢が悪い事を察知してか撤退の構えを取るゲンドー達を呼び止める声が聞こえた。

 ユートだ。

 先ほどまで四つん這いで地面にうずくまり、ブツブツと泣き言をほざいていた。

 ようやく意味のある言語を喋ったかと思いきやユラユラと揺らぎながらゆっくりとした動作で立ち上がる。

 

「「「ヒッ!?」」」


 幽鬼ゴーストあるいは屍鬼ゾンビを思わせるようなその動きにゲンドー達は後ずさりをして距離を取る。

 俺もイザベラの前に立ち位置を変えて奴の動向を観察する。


「……くいかん……められるか……」


 立ち上がったユートは天を仰ぎながらブツブツと何かを口走ったかと思えば、突然ゲンドー達を血走った目で見据える。


「納得いくかーー!! 許さんぞ! 格上にボコられるのならまだしも! テンプレで出てきた雑魚キャラにまでバカにされてたまるかーーーーー!!」


 『鬼神の斧』に向けて両手を突き出す。

 急速に手の平に魔力が収束し始める。


「バカが」


 魔法をぶっ放なされるまでにまだ余裕がある。

 血反吐吐くくらいに殴って大人しくさせようと一歩踏み出そうとする。

 しかし。


「おい」


 俺を横を通り過ぎ、いち早くユートに近づく人影が現れた。


「こ・こ・で」


 人影は見事な姿勢でユートの元へと駆けていく。

 近づくその存在感に怒りで我を忘れていたユートも、んっ? と顔を振り向かせる。


「ここで!」


 丹精込めた農場に暴挙を起こそうとする馬鹿野郎ユートに制裁を与えんと守護者イザベラが宙を舞う。


「なにしとんじゃあ!! このクソガキが!!」


 飛び膝蹴りがユートの顔面に直撃する。


 大技を決め、髪をたなびかせるイザベラ。

 汚い放物線を描き、宙を飛ぶユート。

 3人で抱き合って、震えあがる『鬼神の斧』


 まるで一枚の絵画のような光景を人よりも秀でた視力がとらえる。


 俺の胸に去来したのは、安堵だった。


 馬鹿ユートがもたらしたかもしれない被害の立て替えを回避できたことに対する安堵だ。

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