第14話 銀龍、向かう
ボルドの城壁は外敵の攻撃を防ぐとともにその高さを生かして、魔素の森周辺の監視台の役割を担っていた。
それに最初に気づいたのは監視任務についていた衛兵たちだった。
それは森の中から突然、現れた。
衛兵たちは、最初、山が現れたのかと思った。
森の木々を大きく超える体躯。
それどころかボルドの城壁すらも軽々と凌駕していることが目測でも容易に推察できた。
「……は? え?」
衛兵の一人が感情の抜け落ちた顔で、そうつぶやく。
彼とてボルドの衛兵という職に就いて長い。
過去にも巨大な魔物の出現を目の当たりにした経験もあった。
しかし、それは。
まさしく、格が違った。
衛兵たちは任務に就くにあたって魔物の知識も一通り
それについての知識も当然、携えていた。
それの出現記録は、大陸の長い歴史の中でわずか四十数件ほど。
一番新しいものでも三十年ほど前に出現したきりで、それ以降は目撃情報すらあがっていない。
それでも、それは大陸全土にその存在を刻み込んでいる。
厄災として。
山と見間違うほどの
巨大な甲羅を身にまとい、巨大な身体を支える四本の脚も分厚い皮膚に
動きは鈍重でありながら、代わりに一歩一歩は地を揺らし、ありとあらゆるものをなぎ倒し、踏み潰し、踏み砕く。
曰く、動く厄災。
曰く、
それの出現記録、それの足跡は人類にとっては悲劇の記憶だった。
「ふぉ……」
ようやく我に返った衛兵がその名を叫ぶ。
「
その叫び声をきっかけにボルドに厄災の訪れが告げられた。
―――――――――――
街中のありとあらゆる鐘が鳴り響く。
それが指し示す意味、それは。
「……第一級緊急事態?」
ビスカのつぶやきを合図に俺はユートを肩に担ぐ。
「ビスカ! 鍛冶師たちを集めろ! 俺はギルドに行く!」
「わ、分かった」
ビスカに指示を出すと同時に俺は駆けだした。
工房を離れ、街へと繰り出す。
けたたましい音に住民たちも何事かと建物から出てきていた。不安の色を浮かべわらわらと道が塞がれてしまう。
「チッ」
ジャンプして建物の屋根に飛び乗る。
屋根から屋根を飛び移り最短で駆けていく。
「シドだ!」
「おい、何が起きてるんだ?」
「緊急事態なんだろ? さっきの揺れのことか? 教えてくれ!」
俺の姿を見つけた住人たちが悲鳴混じりに質問を投げ掛けてくる。
しかし、俺自身もまだ何も把握できていない。
「衛兵の指示に従ってくれ!」
住民たちにそう叫び返し、俺はギルドへと急ぐ。
◇
ギルドには騒ぎを聞きつけた冒険者たちで溢れかえっていた。
「通してくれ!」
「し、シドだ!」
「おい、どけどけ! 中に通せ!」
俺が叫ぶと冒険者たちは左右に分かれて内部の道を作ってくれた。
持ってきた
カウンターの奥では事態を把握するために職員たちが対応に駆けずり回っていた。
その中にはマスターのメアリーもいた。
「シド!」
俺の姿に気づいたのか、普段は細い目を開け広げメアリーが近づいてきた。
「何が起こった?」
「まだ分かりません! でも、確実に……」
「きゅ、急報! 冒険者ギルドに、急報!」
確実に。
そう言いかけたところでギルドに駆け込んできた人物が現れた。
鎧を着た若い衛兵だった。
「ご、ご領主様より、冒険、者、ギルドに急報を伝える」
よほど急いできたのか息も絶え絶えながら衛兵は中へと押し進む。
「聞きます! みんな静かに!」
メアリーが前に出て対応する。
慌ただしかったギルド内に湖畔のような静けさが訪れる。しかし、穏やかさとは無縁だ。
一体、何が。どんな危機が訪れているのか。
その正体をみんな知りたがっていた。
衛兵は息を整える。
その姿はまるで自分自身を落ち着かせようとしているように見えた。
「ここボルドより、東部30キロ先に巨大な魔物の発生を確認! 魔物はゆっくりとボルドに前進中! 巨大魔物の発生により在野の魔物たちが混乱をきたして
衛兵は吐き出すように要件を一気に伝える。
「ご領主様よりの
メアリーの了承に衛兵は安堵の表情を一瞬浮かべたものの、続く質問に顔を強張らせる。
「そ、それは……」
「分かってるの? 分かってないの? 特徴だけでも教えて。早く!」
言いよどむ姿にメアリーが詰め寄ると衛兵は唇を震わせながら口を開いた。
「ま、魔物は、出現した魔物は……
悲鳴にも似た叫びがギルドに響き渡る。
そして。
ズウゥ―――ン。
まるで示し合わせたかのようにボルドが大きく揺れた。
ギルド内は依然、静寂に包まれていた。
しかし、薄氷の上で成り立っているような静けさだ。
ちょっとしたきっかけで全てが瓦解するシロモノだった。
「うっ……」
「聞け!!!!」
一人の冒険者が瓦解の合図となる叫び声をあげる寸前。
俺はカウンターに飛び乗り叫ぶ。
冒険者たちの視線が一斉に俺に向く。
「状況は報告の通りだ! だったら今はやらなきゃならないことに集中しろ! 全冒険者は指示通り、武装して東部城門に集合! ここにいないやつにも声をかけろ! 1分1秒も無駄にするな! 急げ! 職員もだ!」
起こりかけた恐慌を力づくで食い止める。
不安や恐れは伝播する。ならば、そうなる前に眼前にやるべきことを提示してやれば人は動きやすい。
俺の呼びかけに一人また一人と、冒険者たちが慌ててギルドを飛び出していく。
「ありがとうございます。シド」
俺の行動の意図を理解してメアリーが言う。
「一刻を争う事態だからな」
それにしても。
「相手は厄災級か……」
カウンターから降りながらつぶやく。
ユートの山、という発言と地響きで嫌な予感はしていたが。
「大陸で最後に出現が確認されたのは今から三十年ほど前ですね。その時には出現場所近くの小国が文字通り潰されています」
「俺の生まれる前だけど有名な話だ」
要塞亀は出現する度に大陸に大きな傷を残している。
ゆえに厄災。
さりとて座して滅びを待つ道理もない。
「俺は城門に行く」
「私も後から向かいます」
メアリーにそう告げ、入り口に向かう。
「あっ、悪いけどそいつちょっと見といてくれ」
途中、ギルド職員に転がっているユートのことをお願いする。
さすがに足手まといを抱えて前線に向かうわけにはいかない。
◇
屋根伝いに走りがてら、街の様子も確認する。
情報はすでに行き渡っているようで多くの住民が荷物を抱えて教会や集会場所に避難を開始していた。
衛兵たちの懸命な誘導のおかげで大きな混乱はまだ起こっていない。
しかし、それもいつまでもつか分からない。
城門に辿り着くと冒険者たちがまばらに集まっている中でひと際目立つ集団がいた。
数にして三百ほど。
揃いの甲冑に身を包み、一糸乱れぬ隊列を組むその姿は
旗手が掲げる赤い旗には交差した斧と
込められた意味は『開拓』と『不退転』。
魔物たちより血路を開いて勝ち取った土地を
ボルド辺境伯家及び騎士団が掲げる紋章だ。
「シドか?」
騎士団の先頭。
ひと際、光輝く鎧と赤いマントを
整えられた顎鬚、綺麗に整髪された赤毛。
精悍な顔つきでありながらも野蛮さはなく、色あせない気品さを保っている。
長身の身体は甲冑を着込んでいる状態であっても鍛え上げられていることが容易に想像できるほどの屈強な雰囲気を
上辺だけの情報でも、この人物が決して家柄だけのハリボテではないことを物語るには十分だった。
一目でただ者ではない人物に対し、俺は頭を下げ礼の姿勢を取る。
「ご領主さま」
目の前にいる男性こそ辺境都市ボルドを統治する現辺境伯、ブラッド・フォン・ボルドその人であった。
「礼はいい。話は聞いているな?」
「はっ。要塞亀が出現したと」
「私も先ほど城壁に上って姿を確認した。まさに動く要塞だ」
ブラッドは東の方向を見つめながら忌々しげにそうつぶやく。
ズウゥーン。
ここで再び地響きが起こる。
それは刻一刻と厄災の訪れをボルドに告げていた。
「倒せるか?」
「そのためにここに来ています」
一切の無駄を排した単刀直入な質問に対し、俺も一切の間を置かず答える。
S級とは単なる称号ではない。
例え相手が厄災そのものであろうとも、その牙が理不尽に人々に向けられたとき。
その身を盾にして人々を守護するために存在する者たちだ。
ここで退いてしまえば、俺はただの化け物だ。
人外は誰が為に戦ってこそようやく受け入れられるということを俺はちゃんと理解している。
俺の返答にブラッドは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「そうか……。すまんな。さすがに
「
会話に割って入ってきたのはイザベラだった。
騎士を引き連れて歩みよる彼女も甲冑姿だ。
普段は農場の管理を主な仕事にしている彼女だが、いざ有事の際は騎士たちとともに前線を駆ける勇士の一人となる。
まあ、だからと言って領主の娘が前線に出ることに思うところがないわけではない。
「お嬢……」
「あら、シド。何だか不服そうね?」
「そういうわけじゃあ……」
「じゃあ、黙っていて。お父様」
俺の懸念を一蹴し、イザベラは父親に向かい合う。
「偵察からの報告です。予想通り魔浪です。要塞亀の出現によって在野の魔物が恐慌を起こして大移動を開始。こちらに向かってきています」
イザベラの報告に俺は舌打ちする。
分かっていたことではあったがやはり魔浪が発生したか。
「で、あるか」
報告にうなずいたブラッドは再び俺に向き直る。
「本来はギルドを通すのが筋ではあるが……。『銀龍』シドよ。貴殿に正式に依頼をしたい。あの巨大な魔物を討ってくれ。この通りだ」
そう言うとブラッドは俺に向かって頭を下げる。
隣に立ったイザベラもそれに倣って頭を下げる。
一介の、と俺が言ってしまうのは嫌味かもしれないがそれでも。
冒険者に対して大国の辺境伯が頭を下げる。それも親子ともども、人前でだ。
その意味が分からないほど俺は世間知らずでも傲慢でもない。
「二人とも、頭を上げてください。心配せずとも俺の答えは変わりませんよ」
頭を上げた二人に俺は視線を合わせる。
頼りきりですまない。
瞳はそう言っている。
イザベラなんて特に辛そうだ。
魔浪はまかせろと豪語した。
しかし、逆を言ってしまえば、それしかできない、本当は自分たちが厄災を止めたいのに。
俺一人に背負わせることの歯がゆさと守護者の矜持が入り混じった目をしている。
そんな目で見られたら、答えは一つしかないだろ。
「俺は『銀龍』だ」
例え厄災が相手であろうが。
「龍の縄張りで好き勝手なことはさせやしない」
15話 12月2日 1200予定
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