第28話 腐敗

 ユリアナが両手を合わせて恍惚とした表情で提案する。フィロンの舌打ちとヴェルデのけらけらと笑う声が重なった。


「フィロンから聞いてはいたんだけど……ユリアナさまって……えっと……突飛なことを言う人なんだね」


 レーシュは少し笑いながら白く長い髪を弄っている。


 ……俺としてはユリアナの案が都合が良い。フィロンやヴェルデ相手に無傷でラナを連れて逃走し切る可能性は低く、何より逃げたとしても行く当てがないからだ。ただ俺はユリアナについて確認したいことが一つあった。

 

「……なぁ。お前ら、さっきからユリアナと呼んでいるいるが……まさかユリアナは……皇女ユリアナなのか?」


「それ、私も思いました」


 ユリアナの作り出す流れに乗るためにも、ここははっきりさせておかなければならないと思って確認する。ラナも俺と同じようにユリアナについて気になっていたようだ。


「そうですわよ。わたくしはこの帝国の第十三皇女ユリアナですわ」


 余裕のある柔らかな声でユリアナは答える。ユリアナは背筋を伸ばして片手を軽く添えるようにして両手を腹の前で組んでいた。皇族すべてを覚えているわけではないが、俺もラナもユリアナのことは知っている。傀儡の皇帝の末娘であるユリアナは、その容姿と民のための献身的な活動から有名だった。


 ユリアナは過去に西部を巡察している。巡察中、西部でドラゴン三体に襲われていたところをあのころ“勇者”と持て囃されていた冒険者に救われたのがかなり話題になった。勇者は大河周辺で行方不明になったきりだったはずだ。俺はユリアナに関連する象徴的な話としてそんなことを思い出した。


「ならば、聞きたいことが増える。なぜユリアナはソニアと似ているんだ?」


 ユリアナはソニアとそっくりだ。顔だけではない。髪の色や言葉遣い、そして優美さを感じさせる所作さえも……。俺はもしかしたらユリアナとソニアは姉妹なのかもしれないと思った。


「一応の信頼を得るために反乱軍について話すんだっけ。……ユリアナ、質問されているけど答えないの?」


 フィロンがニヤついて言う。顎に人差し指を当ててユリアナの提案を思い出しているようだった。ユリアナにとっては都合が悪い質問だっただろうか。


「……ソニアを知っているのですわね。そういえば暗殺部隊に関わったらしいですわね。どこまでご存知なのか分かりませんけれど……ソニアとの関係を話せるのはまだ先ですわ」


 何だかソニアより大人な雰囲気だ。ソニアは自信に満ちたような笑みを浮かべていることが多かったが、ユリアナは穏やかで慈愛に満ちたような笑みを浮かべている。だが、それでもやはりユリアナの笑顔はソニアと重なった。


「ソニアと姉妹なのか?」


 浮かんだ考えを素直に尋ねる。綺麗な弧を描いていたユリアナの唇は微かに歪んだ。


「あら。いくら父上が傀儡の皇帝とはいえ、皇族の血筋を疑うことは許されませんわよ。ソニアとは血縁者ではないとだけは言っておきますわ」


 血縁関係がないのに、ここまで似ているのは偶然とは思えない。ユリアナもソニアのことを知っており、過去には何かしらの関係があったようだ。現在、ソニアが暗殺部隊に属しているという事実も気になる。……もしかしたらソニアはユリアナの影武者だったのかもしれない。


 あくまで推測だが、影武者としての役割を終えたソニアが、その優秀さを惜しまれて暗殺部隊に配属されることになったのではないかと俺は考えた。そう考えると辻褄が合うと思った。


 だが、疑念は尽きない。ユリアナについてだけではなく、俺とラナが得ている情報が少なすぎる。ユリアナの言う通り、俺とラナの一定の信頼を得たいならば、フィロン達はまずは口を割るべきだろう。


「フィロン。俺たちが協力者を選り好みできる立場にないのは分かっている。だが、お前達に捕らえられたことにして暗殺部隊の訓練場に戻るのは、俺たちにあまりにもリスクが大きい。話せることがあるならば話してくれ」


 俺がフィロンに語りかけると、フィロンはやれやれと言うようにため息をつく。片手で自身の額を押さえて教会の窪んだ天井を見上げている。芝居がかった大袈裟な所作だった。


「ま……話しても良いんだけど長くなるよ。僕が反乱軍にくみしている理由を話すならば、帝国軍と暗殺部隊の成り立ちが欠かせないからね」


 俺とラナを連れて帰れば多少任務から戻るのが遅れても強く疑われることはないだろうとフィロンは一言だけ断る。フィロンの色素の薄い赤毛が夕日に染まり淡く揺れた。


 そして、フィロンは腐敗し切った帝国軍の現状を語り出す。帝国軍に志願した若者を秘密裏に選抜して暗殺部隊を編成しているという話はソニアから聞いたことがあった。フィロンは兄と共に暗殺部隊に適性ありと判断されて、訓練場として使われているあの砦に送り込まれたという。しかし、フィロンにとっては暗殺部隊に属してからの日々は最初はそれほど辛いものではなかったらしい。


「僕は食い扶持さえ与えられれば十分だと思っていたんだ。……少なくとも僕は暗殺部隊の訓練場に適応していた。訓練は雑魚みんなに合わせたもので、僕には余裕があったからね」


 フィロンはさらりと言う。レーシュが「ミラクが居たころはランク 1 にはなれなかったでしょ」と指摘したが、フィロンが「僕が話しているんだから雑魚は黙っていてもらえるかな」と睨むとレーシュは大人しく従った。


 暗殺部隊で子供たちは訳も分からないままにランク付けされて、競わされるという。亜種族を中心に構成される暗殺部隊司令部は人族の子供など手駒としか考えていない。そんな司令部が施す訓練は非人道的としか言いようがないものだった。


 帝国軍に志願する若者などは掃いて捨てるほど存在する。幾らでも替えの効く子供たちは、課された訓練に合格できなかったり、脱走を企てたりすると容赦なく粛清対象になったという。


「だけど、僕は脱走するつもりなんてなかった。僕には兄さんがいたから孤独なんて感じていなかった。……サリィは大人として僕達に接してくれていたから、サリィのことを親代わりみたいに思っている子たちもいたけどね」


 フィロンは「僕はサリィを嫌ってはいないけど、僕には兄さんがいたからサリィを親とは思っていなかった」と強調した。訓練に適応したフィロンは訓練兵の中でも順調にランクを上げていたそうだ。


「僕はそれなりに楽しく過ごしていたんだ。何度も言ったが、僕は兄と一緒だったし、サリィとの訓練は楽しかった……」


 フィロンはそこまで話して急に黙る。


「……だから、僕は兄が一人で脱走を試みて殺されたと聞いたときは、とても戸惑ったんだ……」


 フィロンはいつもよりもさらに演技じみて大袈裟に抑揚をつけて言う。フィロンのこの話し方は、素の感情を覆い隠しているのかもしれないと俺は思った。


 フィロンは兄の死を信じたくなくてサリィに縋ったという。だが、サリィさえもフィロンの兄の死を否定してくれなかったという。


「充実していた暗殺部隊の訓練場が、急にくすんで見えた……。逆に、今まで見えていなかった帝国の闇がよく見えるようになった」


 人族から巻き上げた税金で、人族を殺すための部隊を育て上げる、その歪さにフィロンは気がついたのだ。さらに暗殺部隊は人族の子供で編成されている。


「都シュタットに本拠地を置く帝国軍には、辺境から多くの人族が冒険者として集まる」


 フィロンは立ち尽くしている俺の目を真っ直ぐに見る。俺たちやサキも西部の辺境から都に来たから、フィロンにそれを暗に指摘されているように感じたのかもしれない。


「彼らは口を揃えて言うよね『村に仕送りをするために帝国軍に入りたい』って。でもね、考えてみてよ」


 フィロンは窓から差す闇を帯びてきた夕陽にまるで何かを乞うように手を伸ばす。いよいよ動きは芝居そのもののようだった。


「亜種族が人族の村から吸い上げたお金のうちのほんの一割にも満たない僅かな金を、村に戻しているだけなんだよ」


「あぁ、その仕組みは理解した」


 俺は複雑な気持ちになっていた。フィロンの話をサキと重ねていた。サキは育ててくれた村の恩に報いいることが旅の目的の一つだと言っていた。サキがしようとしていたことは亜種族の掌で踊るようなものだと俺は理解してしまった。


「そうっ! 君は物分かりがいいね。仕組みが理解できたならば、僕のしたいことが分かっただろう?」


 フィロンはパチンと指を鳴らして俺を指差す。だが、フィロンの話はあくまでも俺とラナの信頼を得ることのはずだ。この話でどう信頼を得ようというのだろうか。……まさか同情でもさせるつもりだったのか? 俺はフィロンが意図していることは分かっていない。俺の戸惑いに気がつくこともなく、フィロンは話を続けようと口を開いた。


「つまりね、僕はサリィ以外の暗殺部隊司令部の連中を殺したいんだよ」


 フィロンは少し低い声で言う。……俺はさらに困惑した。


 ――……話が、一気に飛躍した。

 感じてはいたが、このフィロンとかいう奴はまごうことなき狂人だ。常に隠していない殺気に、唐突に失われる整合性……そして、仲間であるはずのヴェルデへの容赦の無さ。……逆に信頼を寄せる可能性が下がったような気がする。


 思わず呆然としていると、レーシュがため息をついたのが聞こえた。


「まぁ……フィロンの動機は分かりにくいと思う。だからあたしがしたいことを説明するね……。まず、あたしはレーシュだよ」


 レーシュが話に割って入る。レーシュはまず名乗ってから、自身がフィロンやテツ、ソニアと同期であることを説明した。そしていよいよ俺たちの説得に乗り出す。


「……あたしは、今の帝国を変えたいの」


 レーシュは俯く。白い髪で顔を覆い隠したまま、レーシュはぽつりと呟いた。


「あたしは、もっと楽しく生きていたいの。そのために、みんなに笑っていてほしい。フィロンやサリィにも、テツにもソニアにも……。みんなが笑って過ごせる国を作りたいの」


 しおらしく言っているが、暗殺者が何を言っているんだと思う。しかし、見方によってはレーシュや暗殺部隊の奴らは亜種族による帝国の支配の最大の被害者とも言えるのかもしれない。


「みんなが笑うには、帝国はもっと民に優しい国でないといけない……だから、帝国を変えたい。あたしの願いはそれだけ……だよ」


 レーシュは顔を上げる。揺れる瞳で俺とラナを見つめた。レーシュは「こんな話だと協力する気にはなれなかったかな」と言ってすぐに目を逸らした。


 ふと木が軋む音がした。目をやるとフィロンが教会の扉の前に立っている。開け放たれた扉の奥に広がる森の景色は、夕闇に染まりきっていた。


「長話は終わりにしよう。これ以上は、さらなる追っ手が放たれる可能性もある。……僕たちも君たちも、今日のところは砦に戻るしか道はないんだよ」


 フィロンは落ち着いた口調で言う。道化の仮面が取れていたように見えた。

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