第24話 迫る反乱者たち

 都シュタットの城壁取り囲む森の中、木々が少なく微かに盛り上がって丘のようになっている場所がある。

 気楽そうにあくびをする男が一人、その丘に佇んでいた。


「……今日は珍しく落合場所に人が来たね。めんどうだなぁ」


 男はのんびりとした口調で言った。

 風の音から人の来る気配を察知したのだった。

 風の音が止む。

 背後に何者かの存在を感じた。

 男は、背後に降り立った気配の正体に向き直る。


「――ここには珍しい幻獣型の殲獣“鬼熊”を探しに来たのですか?」


 その声は、先ほど独りごちた呑気なものよりはいくらか神妙だった。

 問いかけに、気配の正体が口を開く。


「いいや、僕らは“天狐”を探しに来たんだよ。……ま、お互い顔馴染みなんだから合い言葉はこのくらいにしようか。久しぶりだね、雑魚」


 やけに楽しそうな声音だった。

 この二人が再会するまで季節が二つほど巡っていた。

 しかし、それは二人が帝国への反乱の志を共にしてきた期間に比べれば短いものであった。

 二人の間に溝はない。


「本題に入るのには賛成だよ、フィロン。だが俺の名前は雑魚ではなくて、ヴェルデだ。いい加減名前で呼べよ」


 ヴェルデと名乗った男はため息混じりに気配の正体――フィロンに言う。

 この丘で二人が落ち合うときはいつも、フィロンはヴェルデにわかりやすいように気配を殺さずに接近する。

 その気配を覚えたヴェルデがフィロンが来たと簡単に認識できるようにするためだ。


「まぁ細かいことはいいじゃないか。今、僕たちはかなりの危険を冒してこの場に来ているんだよ。感謝してほしいかな」


「それはそうだな。俺たちの計画はお前の協力無しでは成り立たない……って、あれ? ……フィロン、今、僕って言った?」


 ヴェルデはフィロンとのいつもの軽口の応酬を展開しようとした。

 だが、口を止める。フィロンの背後で隠れるように身をかがめた少女の存在に気がついたからだった。

 白く長い髪が印象的な、小柄な少女だ。

 一瞬、ヴェルデは自身の索敵能力に疑念を抱く。

 しかし、すぐに思い直した。

 フィロンが背中を許している存在。

 この少女が敵ではないことは、たしかだ。

 そしてヴェルデは、その少女が以前にフィロンから聞いていた少女であることに気がつく。


 ――暗殺部隊の人間ならば、気配を断つのもお手のものってわけだな。


「――もしかして君は、うわさのレーシュちゃんかな?」


「そうだよ。これがレーシュ」


 レーシュではなく、フィロンが答えた。

 フィロンは何も答えないでいるレーシュを前に押し出し、ヴェルデと向かい合わせた。

 その状況になり、レーシュはようやく意を決したように喋り始める。レーシュは日頃から無表情がちだが、今は無表情ながらも緊張の色が滲んでいる。


「……よろしく、ヴェルデ。ヴェルデは役立たずだってフィロンから聞いている。あたしも暗殺部隊では……役立たずだから……いっしょに頑張ろう?」

 

 そう言ってレーシュはヴェルデに片手を差し出し、握手を求める。レーシュは役立たずだと自称したが、暗殺部隊に配属されて生き残っている時点で、只者では無いことはたしかだ。

 失礼と聞こえることを言いながらも、控えめな態度のレーシュの不器用さをヴェルデには可愛らしく思った。

 ヴェルデは微笑んで、差し出されたレーシュの白い手を取り両手で握りしめる。


「俺のことをどう紹介されたのか知らないけど……俺は君に……レーシュちゃんに、手を差し伸べられて……幸せだよ……」


 元来、ヴェルデは女性の言動はどんなものでも好意的に解釈する節があった。


「えっ」


 ヴェルデの反応に、レーシュは困惑したように眉をひそめる。

 フィロンは一連のやり取りを見て、呆れたように手を額に置いた。何を思ったのか長く伸びる笑い声で笑い始める。


「あはははは、これは驚いたなぁ、予想外の反応だ。落ち込んでくれるかと思ったんだけど。女好きがぶれない雑魚だね」


「なんとでも言え。俺はレーシュちゃんの存在ですべてを許す……」


「フィロン、この人、気持ち悪い……?」


 ヴェルデは拳を握りしめてレーシュの存在を噛み締めている。様子がおかしいヴェルデに怯えたレーシュは、フィロンに助けを求める。

 しかし、フィロンは楽しそうにいつもの貼り付けたような笑顔を深めるだけだ。


「雑魚どうしの馴れ合いを見るのも、たまには面白いものだよねっ」


 その言葉に、レーシュはフィロンの本質を思い出す。


「……今のフィロンなら、そう、言うよね」

 

 レーシュを気遣うこともあれば、レーシュの困った様子を心の底から楽しそうに笑いながら見物することもある。レーシュの知るフィロンは……暗殺部隊の日々で兄の死をきっかけに狂ってしまったフィロンは、そんな二面性を持つ人間だった。


 レーシュは抗議の意思を込めてフィロンを見つめた。フィロンは、貼り付けたままの笑みでレーシュを見つめ返す。


「ヴェルデへのレーシュの紹介も終わったし、基地に向かいながら本題に移ろうか」


 フィロンは話題をすり替えて微笑む。

 しかし、言う内容は適切なのでレーシュとヴェルデは反論できない。

 飛ぶように走り出したフィロンを、二人は慌てて追う。


「今日はユリアナは来るのかな。レーシュは初めて会うよね」


 木々を蹴り地面から離れた空中を先導するフィロンが思い出したように言った。


「あぁ……そっか。レーシュちゃんも暗殺者だけど、フィロンみたいに自由に行動できる立場ではないだろうし、ユリアナ皇女の姿絵なんかも見たことないわけだ。……驚くだろうな」


 フィロンに続くヴェルデが物知り顔で言う。


「そうだね。そっくりだからさ。……ユリアナ姫と、ソニア」

 

 フィロンはヴェルデに同調して付け足した。


 後方から二人を追うレーシュは、暗殺部隊に配属される以前のソニアと、亜種族に操られる大陸帝国の皇女であるユリアナの歪な関係性を想う。

 そして、帝国への反乱の志をより一層強めていた。



  **


 都シュタットの城壁を囲む森を駆けるのは、暗殺者と反乱者のみではなかった。

 北へ向かって、支え合うように走る影が二つ。

 黒い髪に赤い瞳の双子がいた。

 弟ラキが姉ラナの手を引く。ラナの足はもつれて、何度か転びそうになっていた。その度にラキがラナを支えていた。


「ラキ……。私たち、これからどうなっちゃうのかな……」


 不安そうに俯くラナの両肩にラキは強く両手を置く。

 ラナははっとしたように顔を上げた。


「大丈夫だ、ラナ。……今、俺が目指すのは何があってもラナを守り抜くことだ。サキが何のために俺たちを逃がしたのかをよく考えるんだ……」


 ラキの言葉にラナは目に涙を溜めて頷く。

 ラナを励ますラキだったが、その心中は穏やかではなく、ラナの存在があるために何とか冷静さを保てているといった状態だ。双子は互いに支え合っている。それは双子が生まれたときからずっと変わらなかった。


「サキさん……大丈夫かな……」


「……今は心配するときではないんだ。とにかく走ろう。あの砦から離れるんだ」

 

「……」


 ラナはラキがあまりにも割り切れていることに違和感を抱いていた。ラキこそ誰よりもサキを心配すると思っていたからだ。


「ラキは……サキさんのことが心配じゃないの?」


「……心配さ。だが、だからこそ今はサキを信じて、サキに逃がされた俺とラナの命を優先したいんだ」


 ラナは絞り出すように言ったラキの覚悟を感じ取った。


「……うん」


 そして、ラナ自身も新たに決意を固める。


「助けに行くのは、地盤を整えてからだ。心配だからこそ救出は確実に成功させるものを錬るんだ」


「でも……それまで……本当に無事でいてくれるのかな?」


 進む覚悟を決めはしたものの、やはり旅立ったばかりの幼い双子はまだ不安も完全には拭えていない。


「それは信じるしかない。……大丈夫だ。吸血鬼族の特性が、サキにはかなり出現している。強さも回復力も段違いに上昇している、はずだ」


 ラキのラナに説明する口調は、ラキ自身にも言い聞かせているようだった。


「ラキ……。いきなり砦に現れた、ミラクって人がいたよね。あの人が……サキさんを裏切った人。……なんだよね?」


 ラキはラナの口から出た忌々しい名前に顔を歪ませる。


「……そうだ。ミラクはサキにとっての裏切り者だ。俺にとっては――……」


 ラキは目を瞑る。


 ミラクが現れた瞬間を思い出しているのだった。


『これはどういうことだ? 俺はサリィを殺しに来たはずだが……』


 サリィを殺すという、自死を望むかのような発言。


『訓練場にこうも……殺し甲斐のありそうな連中が揃っているとは』


 暗殺部隊を脱走しておきながら、ミラクは殺しに取り憑かれた者の目をしていた。


 砦にミラクが現れた、その瞬間にラキは感じていた。

 ミラクの隠し通せぬ本性を。

 情動に抗うこともなく突き動かされて凶行を重ねているミラクの狂気を。


 砦に男が現れてから寸分だけ遅れて、その男ががサキを裏切って殺そうとしたミラクであると、ラキは理解した。


 しかし、ラキはかつてサキを裏切り殺そうとしたミラクに対して憎しみを感じるよりも先に劣等感を抱いた。

 サキがミラクに向ける瞳で理解したからだ。

 ラキは、サキのミラクへの感情は自身に向けられている友愛よりも深いと、理解してしまったのだ。


 たとえサキがミラクに対して持つ感情が憎しみと復讐心だとしても。それはラキに向けられる愛よりも、ずっと重かった。


 ――だが、あれは、確かに俺に似ていた。


 見た目だけではない。

 ミラクはサキを利用して、渇いて仕方がない心を潤そうとしているのだ。

 ラキはその点についてラキ自身もミラクと同じだと思った。

 違いはそれが愛ゆえか、それとも歪んだ執着かということだけだ。


 

 ラキは瞑っていた目を開いた。

 ラキは、目の前で泣き出しそうな顔をしていたラナに優しく微笑む。

 そして、サキがいるはずの砦へと鋭い目を向けた。


「――俺にとってのミラクは、越えるべき影だ」

 

 

 

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