第25話 遭遇
――森の中を走って、どのくらいになっただろうか。
日が傾いてきたが、俺とラナは北へ向かって森を走り続けている。
森と言っても、俺たちが生まれてからずっと住み続けてきた帝国西部大河下流域に沿う森ではない。
ここは都シュタットの城壁を囲む森だ。
森は広く深い割には、殲獣の唸り声が聞こえてこない。
都に近いため、軍隊が定期的に駆除でもしているのだろう。
暗殺部隊の訓練場として利用されている砦は、木々に遮られてもう見えなくなっている。
「ねぇ、ラキ……いつになれば森を抜けるのかな?」
ラナは息を切らしながら声を出す。
不安げな問いかけは、もう何度も繰り返されたものだ。
「わからない。一日走り続ければ、最寄りの村には辿り着くとは思うが、村がある方角に走れているかどうか……。ただ、慣れない森だ。日が落ちるまでには抜けたい」
夜になれば凶暴な夜行性の殲獣も出るかもしれない。
無用な戦闘や負傷は避けたい。もうしばらく走って先が見えなければ、安全な寝床を整える方針に切り替えた方がいいかもしれない。
だが、どうなろうと俺のするべきことは変わらない。
「心配するな。ラナのことは何があっても守る」
振り返ってラナの目を見ながら伝える。
それが、俺たちがサキを置いて砦を去った意味でもある。
……俺の不手際でラナが殺されそうになったせいで、サキは俺たちを逃がす決断をしてしまったんだ。
……あれは俺の失態だ。あんな失態はもう二度と繰り返さない。
『私は二人のことを、死なせてしまいたくはないの』
サキは、俺とラナの命が一番大事だと言った。
俺も、ラナの首に剣が突き立てられたのを見てラナの命が奪われる事態を避けなければならないと思った。
……何より、サキの覚悟が伝わったから、俺はラナを連れて砦から出るしかなかった。
――だが、本当にそれでよかったのか?
駆けながら、ただ考えを巡らせている。
答えは出ないままだ。
……いや、後悔しても仕方がない。今は選んだ道を進むしかない。
「ラキ……。私、守られてばかりなのかな?」
自問を繰り返していた中、ふと投げかけられた問いかけに、思わず目を見張る。
ラナの問いは、俺の求めている答えに結びつくものである気がした。
「いいや、そんなことはない。ラナがいてくれるお陰で、俺は冷静に立ち回れているんだ」
「そうかな……」
「そうだ」
ラナを見ていると迷いは消えていく。帝国西部で、亜種族の血を流すことを隠し続けてあのまま生きることではなく、俺はラナとサキと共に旅に出ることを選んだんだ。
ラナと生き延びる。
サキの覚悟を無駄にしないためにも、今はラナと生きる。
そして、確実にサキを取り戻すための作戦を考え、実行する。そのための地盤を整える。
それが俺のすべきことだ。迷うことなどない。
「ありがとうラナ。頭の中がすっきりした」
俺がそう言うと、ラナは一瞬キョトンとしてから笑顔になった。
「そっか。それなら良かったよ」
その笑顔に、ラナを守るという覚悟が再び心に強く刻み込まれる。
繰り返していた自問が解けて思考が整理されていく。
頭の霧が晴れる。
その刹那。
森の静かな空間の違和感に気が付く。
感覚が研ぎ澄まされたためか、周囲に何かが潜んでいるとわかった。
微かだが、人のような匂いと足音が風に運ばれてくる。
獣族の特性が現れたこの耳は、人の耳では拾えない音までよく聞こえる。
何者かからの攻撃を警戒してラナを片手で制し、後ろに下がらせた。
「……」
……何の反応も無い。
たしかに草を踏み潰すような足音が聞こえたはずだが……。
そう思った矢先。
突如、風が唸る。
「ラナっ!」
獣耳が拾ったその音が、空気を切り裂く刃物の音であると理解する。
俺は反射的にラナの身を伏せさせた。
頭上を何かが飛んでいく。
顔を上げて確認すると、金属製の円盤――チャクラムだ。
それとほぼ同時に、木が軋んでいく音がする。
「な……!?」
俺は思わず声を上げる。
振り向くと俺たちの真後ろにあった大木が崩れ落ちるところだった。
轟音が響く。
大地から土埃りが勢い良く舞い散る。
「ひゃあっ……!」
その衝撃にラナは悲鳴を上げる。
俺は咄嗟にラナの身を起こす。立ち上がり、後退する。
空気中に砂塵が漂い、視界が曇る空間を抜け出した。
ザ、ザ、ザ……
今度は間近からはっきりと足音が聞こえた。
砂塵の中からぼんやりとしたシルエットだけが見える。
――気配の正体は……こんなに近くにいたのか。
……それなのに、僅かな気配しか感じなかった。警戒すべき相手と見て間違いないだろう。
「――ふーん、今のを避けるか」
現れたのは、緑の髪の男だ。
「何者だ?」
「……あれ? ……子どもじゃん。女の子の方は魔術師で、男の子の方は双剣……軍関係者には見えないから冒険者かな?」
「……否定はしない」
俺は無意識にフードを深く被り直していた。
警戒すると、獣耳を隠そうとするのは昔からの癖だ。
「珍しいよね。この森に冒険者がいるなんて。冒険者は、都シュタットに着いたら、すぐに警備隊に入るもんでしょ? 君たちはこんなところで何をしているのかな?」
男はかなり朗らかな声で言った。
――このギャップはなんだ?
当たれば即死する攻撃を仕掛けてきた奴が、何故こんな友好的な態度をとる?
「……」
男からの質問は無視した。
沈黙の中で男の裏の意図を探る。
「あのさ、俺だって好きで見張りしてるわけじゃないんだよ。怪しい奴らを見つけたら報告書を書いて上司に提出しないといけないの」
黙っているとヴェルデは腕を組み、指を揺らしながら急かすようなことを言ってくる。
「……俺たちから見れば、不意打ちで殺意のこもったチャクラムを投げてくるお前の方が怪しい奴だ。そんな奴に名乗る気になんてなれないな」
せめてお前から名乗ったらどうだと暗に伝える。
すると男は面倒くさそうにため息をついた。
「そうか。子どものくせにもっともなことを言うんだな。……俺はヴェルデだ。……誤解しているようだが、殺すつもりはなかったぜ。あくまでも牽制のつもりの攻撃だった」
――噓だ。
あのチャクラムは人の胴体二つ分よりも太い木の幹を易々と切断した。
当たれば死んでいたに決まっている。
「ヴェルデとか言ったか。なぜ噓をつく?」
俺は警戒心と嫌悪感を隠さずにヴェルデを睨む。
ヴェルデの顔は一瞬こわばる。
そして、慌てたように言葉をつなぎ始める。
「噓じゃないって……! 迷子みたいな子どもの冒険者だってわかってたら殺そうとなんてしなかったよ! てっきり帝国軍の関係者だと思ったから、つい……」
ヴェルデはそこまで言うと「しまった」といったような顔をした。
勘違いがあったようではあるものの、やはりあれは殺意のこもった攻撃だったようだ。
「つまり、お前は俺たちを軍関係者だと勘違いして、殺そうと攻撃した――ということか?」
俺はさらにヴェルデを睨み付ける。
ヴェルデは「うっ」と息を詰まらせた。
そして、長く息を吐きながら両手で頭を抱えて大袈裟に項垂れる。
図星を突かれたことを認めざるを得ない状況に追い込まれたからだろう。
「あーもう。……そうだよ、その通りさ。君、頭がいいみたいだから言っちゃうけど、俺はある組織の一員なのね。で、今は仲間たちが会議をしてるからここら一帯の見張りをしてたの。そこに一般人とは思えない速度で走ってる君たちがいたんだもん。だから――……敵だと思って攻撃しちゃったんだよね」
ヴェルデは正直に白状しましたよというように両手をひらひらさせながら言う。
――だが、それが真実だとは信じ難い。
見張りをつけるほど秘匿するべき会議が行われているとして、そのことを敵である可能性も完全には除外できない俺たちに馬鹿正直に伝えるのは不合理だ。
「ずいぶんベラベラと話すんだな」
俺は感じた違和感をそのまま伝える。
すると、ヴェルデは肩をすくめて、軽く笑う。
「うん。だってこのまま帰すわけにはいかなくなっちゃったからね」
風が吹きヴェルデの木々の葉よりも淡い色の若緑の髪が揺れる。
俺はヴェルデの宣戦布告とも受け取れるその言葉に、腰に差す双剣に手をかける。
後ろにいるラナも、いつのまにやらリュックから取り出していた鷲型の殲獣の羽をナイフに加工したものを取り出している。投擲すると狙った的に命中しやすくなるという魔術付きだ。
――一触即発の空気にもヴェルデは笑みを崩さずにいる。
「はは、そう殺気立つなよ。俺はただ――……迷子の賢そうな冒険者に、恩を売ってみることにしただけさ」
「――は?」
ヴェルデの言い方は、諦めて開き直ってしまっているように聞こえた。
「もう吹っ切れたから言うけどさ……実は俺の所属する組織は優秀な人材を大募集中なんだ」
「それが、なんだというんだ?」
「うーん、そうだなぁ。まぁつまり……迷子の君たちに、民衆――特に人族の味方である立派な組織が仕事と食事と寝床を提供してあげましょうって言ってるんだよ」
……なるほど。
ヴェルデの言い分は理解できた。ヴェルデは、何故か帝国軍を警戒しているようなヴェルデの属する組織の存在を知ってしまった俺たちを、なんとか丸め込みたいのだろう。
ヴェルデが俺たちを帝国軍と誤認して攻撃したせいで、俺たちは組織の存在を知ってしまった。
だが組織は民衆の味方を自称する類の集いであるらしいため、帝国軍ではないらしい俺たちを殺すわけにはいかない。
それならば仲間にしてしまえば、組織の存在を外部に漏らしたことにもならず、働き手も手に入る。
「どうかな? 賢いところだけじゃなくて、俺のチャクラムを避ける実力も買って言ってるんだよ? 組織は君たちを高く評価して、相応の立場と報酬を与えるとおもうけどなぁ。……あと、その二つ結びの女の子が可愛いから俺個人としても嬉しい」
ヴェルデは俺が考え込む様子を見せたからか説得を重ねる。
……正直、途中まではヴェルデの言葉に心が動いていた。
もう日が暮れそうだ。食事と寝床を与えられるのは願ってもない。
仕事も、サキを助けに行くための足掛かりになるかもしれない。
だが、最後の言葉と同時にラナに向けた笑顔が気持ち悪かった。
「ダメだ。絶対にお前にはついていかない」
気がつけば反射的に答えていた。
ヴェルデは俺の答えを聞くと、笑顔のまま硬直した。そして「困ったなぁ」と据わった目で言った。
俺とヴェルデはどちらともなくそれぞれの武器に手を伸ばす。
「ま、待ってラキ。……この人と行くの、私は賛成だよ」
突如、俺の後ろにいたはずのラナが、ヴェルデとの間に割って入る。
ラナの目には涙が浮かんでいるがなにか信念のようなものも宿っていた。
「ラナ……なんで!?」
俺はラナの行動が信じられなかった。怖がりなラナが、ついさっき殺されかけた相手の前に堂々と出てくるとは……。
そこまで思って、考え直す。
……いや、ラナは自分の信念に従うためなら勇気ある行動をする。
ソニアとテツと都に向かうことになったのだって、ラナが戦闘を中断したからだ。
ラナはまっすぐに俺を見て語りかけてくる。
「だって、私たちが助けたいサキさんは、帝国軍にいるんだよ? それなら帝国軍と敵対している、このヴェルデ……さんの組織に所属すれば、きっと何か手がかりが……」
ラナは震える声で言う。
……たしかに、ラナの言うことも一理ある。
「はは、女の子はラナちゃんって言うんだね。サキとやらが誰のことかわからないけど……俺たちの組織に入る方を選択するとは君もなかなか賢いね」
ヴェルデはラナに同調した。
……ヴェルデは気に食わないが、ラナの言う通りだ。
……ラナと共にサキを取り戻すために、迷わず行動すると決めたばかりではないか。
「……。ヴェルデ。取り敢えずお前の組織の情報をもっと明かせ。……話はそれからだ」
俺がそう言うと、ヴェルデは満足そうに笑った。
日が沈みかけている森で、俺たちは運命を決する岐路に立たされていた。
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