番外編 帝国暗殺部隊の落ちこぼれは“大河の殺人鬼”へと堕ちる (ミラクの過去)
暗殺者は歓喜した。
心の底から湧き上がるその強い衝動に身を駆られて、剣を振るった。
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人族と亜種族が共栄した世界。
百年前、殲獣と呼ばれる怪物が世界各地に出現した。
かつて殲獣へ立ち向かう為、人々は種族問わず手を取り合った。
数十年を経て、殲獣の力を掌握した気になり、各種族の王達は戦争を起こした末、人口の多い人族の王を帝に立てた。
大陸のほぼ全域を占める帝国の誕生により戦争は終結した。
しかし、人族の王もとい皇帝はお飾りに過ぎなかった。亜種族達は都へ集い、王を傀儡とした。
亜種族が人族を軽視し人族が亜種族を毛嫌い所以である。
亜種族達は人口の多い人族の反乱を危惧し、人族を利用して人族を抑えることを考えついた。
暗殺部隊を創設することによって。
暗殺部隊は、治安の乱れた帝国中から志願兵として集まった人族の少年少女達から、素質のあるものが選抜して秘密裏に編成された。
*
かつて、彼は帝国の暗殺部隊の精鋭であった。
実戦任務を課されることのない訓練兵だった頃までは、彼は高く評価されていた。
のちにその評価は覆ることになる。
彼が訓練兵時代に高く評価されていたのは、感情の欠如ゆえだった。淡々と訓練をこなし、各種族の伝統的な武術を統合して新たに生まれた、帝国拳法や帝国剣術の対人訓練では、冷静に相手をいなした。
殲獣らが数多存在する森での訓練でもその冷静さを失わなかった。殲獣達に遅れをとらず、確実に殺した。
実戦任務を割り振られる直前、彼に与えられたランクは最精鋭の称号であるナンバー 1 であった。
彼にとって初めての殺人は、死刑囚の死刑執行であった。より実戦的な暗殺任務を与えられる前に、暗殺部訓練兵のすべての者がこの任務を課される。
彼は死刑囚を斬った。訓練通りに、急所である首を斬って、一太刀で息の根を止めた。
彼にとっても、また暗殺部隊司令部にとっても予想外であったある事実は、彼の初任務で明らかになった。
*
俺には『感情』というものが理解できなかった。
『喜怒哀楽』は理解できた。理解できなかったのは、もっと強烈なものだ。
人々に理論を捨てさせてまで、獣のように突き動かす、強烈な『感情』が何なのか分からなかった。
……食い繋ぐために、都で帝国軍への入軍を希望したはずが、暗い砦に閉じ込められ、暗殺術を叩き込まれてさえも、軽い苛立ちがわくだけであり、『感情』への理解には及ばなかった。
……暗殺部隊に所属する気などは、なかった。俺だけではない。
この部隊の殆どの者は騙され、監禁されるような形でここにいた。無論脱走の意思を見せれば機密保持のために、即刻処される。
それなのに皆。
故郷に帰りたいと言いながら、泣きながら脱走し、そして殺されていった。そうなることは分かっていたはずなのに。
俺には分からなかった。一体『感情』はどのように理性を捨てさせてまで、連中を突き動かすのか。
分からなかった。
あの日、初めて人を殺して途方もない衝撃に打ちのめされるまでは。
*
初めて感じた『感情』はあまりにも強烈だった。俺は、人の死に様に焦がれた。その強烈な熱を心の底から欲した。灰色の淀んだ世界に生きてきた俺にとって、その刺激はもはや快楽と言えた。
*
暗殺部訓練兵を終えた者に与えられる初任務は、死刑執行だ。そこで初めて実際に人を殺した。
生まれて初めて感じた強い衝撃。腹の底から湧き上がってくる衝動。何が起きたのかは分からなかった。
斬って呆然と、今始末した
視察に来ていた司令部は、訝しそうな顔をしていた。冷徹で優秀だと聞いていたランク第一位の少年の様子が不自然だったからだろう。
しかし、そんなことはどうでもどうでもよかった。その快楽に身を任せ、俺は動かなくなった
鮮やかな赤が散った。
何を成しても満たされなかった。孤児として生きた幼少期も、暗殺部隊に配属され最精鋭の称号を受けても。
人が死ぬ様を見て初めて、何かが身体の内から湧き上がった。これか。これが人々を突き動かしていた『感情』なのか。この熱に浮かされて連中は愚行を繰り返していたのだ。この鮮やかで熱い衝動に駆られて……。
確かにこの刺激はもはや快楽だ。抗う気など失せる。
暗殺者に求められるのは引き際の良さである。任務を確実に遂行し、司令者や依頼者を悟らせないことが必要とされた。
司令部にとって俺の行動はいかに愚かしく写ったことか。
訝しげな眼差しは、失望のそれへと変わった。
獣に成り下がった俺の評価は転落していった。主要な任務は与えられることはなく、ランクはナンバー8まで落ちた。
あの『感情』は生者に対しては湧き上がらなかった。自ら殺し、その死に様を見てのみ湧き上がった。
俺は淡々と任務をこなしながらも熱に浮かされ、その快楽を味わい続けた。
すべてを捨て暗殺部隊から抜けることを決めたのは、帝国西部の大河への任務を与えられたときだ。
*
西部から帝都へ行くためには、大河を渡る必要があった。
西部からは多くの若者が帝都を目指し大河を渡る。
標的は、ある冒険者の男だった。
西部を視察に来ていた、傀儡の皇帝の末娘。彼女と連れの近衛騎士団がドラゴン三体に襲われているところを、その冒険者は助けたのだ。
その噂はふた月も経たず帝都にで広まった。
亜種族達が危惧したのは、数だけは多い人族が巷では“勇者”などと持て囃されるその冒険者を中心に結束して反乱を起こすことだった。
大河付近の村の酒場で、標的に近づいた。
その任務では、あらかじめ標的と交流する必要があった。
戦闘狂でない強者とまともに戦うのは得策ではない。戦闘狂であればつけいる隙が生まれるが、只の強者にはいかに油断させる状況を作り出すかに重きが置かれた。
俺は都への旅を始めたばかりの、卑屈で痩躯な文官志望を演じた。勇者と揶揄されるだけあって善良なその男は、
俺は大河の渡船で、その男に対殲獣用の強力な麻酔薬を酒に混ぜて飲ませた。眠った男を船室の外に連れ出して斬った。
男は一瞬目を見開き俺を見た。そして目を閉じ死にゆく。
その死に様に湧き上がる、焦がれた熱。
「お前達は常に感じているのか……? この熱を……」
死体は大河に蹴落とそうとした。俺は確かに殺したと思っていた。
湧いた『感情』というものが邪魔をしたのか、はたまた麻酔薬の影響か、その男は俺が蹴落とす直前まで生き絶えていなかったのだ。
男は再び目を開き俺を睨め付けた。その目から滲み出る色は、もはや善良な男のそれではなかった。
あぁ……どんな熱がお前にそんな表情をさせるのか。お前が抱いている感情が知りたい。
「……刺客、だったのか……初めから裏切りるつもりだったのか……!」
あの勇者と呼ばれた冒険者の顔が、悲痛な色一色に染まった。まだ何かを語りかけるかのように俺の目を見るそいつの目を一瞥して笑いかけ、大河に蹴り落とした。
大河の激流が赤く染まった。
その死に様に湧き上がった熱は、通常の任務で標的を殺したときとは比較にならなかった。
あの飢餓のような快楽よりも、あの地鳴りのような衝撃よりも……さらに強烈な『熱』。
俺はそれを感情の深淵だと思った。おそらくは『絶望』。
“勇者”と呼ばれた男の死に際に見た、深い『絶望』に強烈に惹かれた。俺は……これを自らの感情として得たい。
もう都には……あの暗殺部隊には帰らない。
1人で生きていく為の術ならば既に過分に身につけた。
人族が人口の大部分を占める帝国西部からは、数多くの冒険者が帝都へと旅立ち、大河を渡る。
この大河で、無垢な冒険者に近づき馴れ合い、そして殺す。“勇者”が死に際に見せた『絶望』を再現しよう。満足のいく『絶望』が手に入るまで何度でも……。
もはや理論など捨てた。俺は獣に身を下げ身を焦がす衝動に委ねる。
より強烈な快楽を来たすであろう者は、おそらく、
奈落へ放り出されたかのような『絶望』に染まる善者を殺したとき、その者が感じているであろう『感情』にさらに焦がれる。
善者であったはずの男を怨嗟に彩った、感情の極み『絶望』に……。
熱に焦がれた。淀んだ空虚な世界は終わった。
帝都で亜人共の人形をしていては到底辿り着くことはできないであろう……激情……。
人と馴れ合い殺せば……『絶望』を再現し続ければいつか、その死に様に対して、あの善者を悲憤に染め上げた程の『絶望』を理解できるのか。
善良な勇者には保護すべき弱者として。
幼稚で間抜けな少年には博識の冒険者として。
強気で生意気な少女には怪しく刺激的な強者として。
近づき、演じる。そしてそいつが最も絶望するやり方で裏切り殺す。俺に『感情』をもたらすであろう死に様と、その死の淵の『絶望』に焦がれる。
--この熱に身を任せ、人を殺し続けよう。
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殺人鬼は決意した。
こうして、帝国暗殺部隊の落ちこぼれは『大河の殺人鬼』へとその身を堕とした。
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【後書き】
人の死に様に対してのみ、湧き上がるミラクの感情--。
ちなみにこの強気で生意気な少女というのが主人公のことです。
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