第6話 目覚め

 闇の中に光が差してきて、目が覚めた。

 視界は滲んでよく見えなかったが、私は建物の中にいて、ベッドに横になっているようだった。全身が痛んで動かなかったが、両手足が微かに動かせた。


 私はあの嵐の中、大河に蹴落とされて、五体満足で生き残ったのか?

 致命傷になるような傷など、いくらでも負っているはずだ。ありえない。


「気がついたか?」


 音が籠もっていてよく聞こえなかったが、男の声でそう言われた。


「……誰? 私は、どうなったの?」


 上手く口が動かなかった。首を傾けて、声の主を見やった。

 

 滲んでいた視界は、徐々に鮮明になっていった。

 フードを被っている男が見えた。黒く無造作な髪の間から、睨むような目を覗かせて私を見ていた。


「……っミラク……!!」


 瞬間、私は我を忘れた。動かなかった体は、所々から血を吹き出しながら動いた。目の前の男に掴み掛かった。


「助けてもらった礼もなしに何の真似だ?」


 より一層鋭い眼差しで睨まれた。首筋に衝撃がはしり、私は再び意識を失った。


  *


次に目を覚ましたときは、視界ははっきりしていた。私はすべてを察した。


 嵐の中、大河からどこかに流れ着いた瀕死の私を、介抱してくれた人に掴み掛かってしまったのだ。  


「仕方ないですよ。ラキは目つきが悪いから。悪い人に見えちゃいますよね」


 最初に目を覚ました時は、私が寝ていた部屋には、あの目つきの悪い男しかいなかったが、先程目を覚ましたら、部屋には、知らない少女もいた。

 少女は、魔術師の象徴である帽子を被っていた。


「でも、根っから悪い子じゃないんですよ。大河の中で、岩に打ち上がっていたあなたを助けて、家に連れてきたのはラキなんです」


 少女は、ラナと名乗った。あの目つきの悪い男は、ラキというらしい。少女の方が幼く見えたが、2人は双子らしい。しかも姉がラナで弟がラキだそうだ。


 2人とも黒い髪に赤い瞳をしていた。ラキはフード、ラナは帽子を被っていた。雰囲気も顔立ちも、よく見たら似ていた。

 

 2人はまだ14歳らしい。私より一つ歳下だ。そんなに幼くは見えなかったが、改めて見てみると、確かにラキはミラクよりは若く見えた。


 2人は、森の中でひっそりと暮らしているのだと言った。ここは大河の下流域だそうだ。私達は、大河の中流域を渡ろうとしたから、ずいぶんと流されてしまったようだ。


「もう暴れ出しそうにはないな。ラナ、俺はもう行く」


 ラキは、壁にもたれて仰々しく腕を組み、あの悪い目つきで、ベッドで体を起こしながらラナと話をしていた私を、睨んでいた。


「あ、ちょっと待ってよ。ラキ……あぁ行っちゃった」


 ラナはラキを止めようと手を伸ばしたが、ラキは構わず部屋を出ていってしまった。軽くため息をついてから、ラナは私の方に向き直った。


「すみません、サキさん。ラキは愛想がなくって。こんなに傷だらけのあなたに、ひどいですよね」


 少女は優しく笑って言った。


「……そんなことないわ。助けてもらったのに私が掴みかかっちゃったんだから」


 ラキは、ミラクとよく似ていた。髪が黒く、目つきが悪いところは同じだったが、ミラクは黄色の瞳で、ラキは赤い瞳だった。


『お前との旅で心を動かされたことなど一度もない』


 ミラクの言葉が不意に思い起こされた。助けてもらったことには感謝しなくてはいけないが、ラキの顔を見ていたらミラクを思い出して心が騒めく。体が痛むのも忘れて殺気が溢れ出してしまう。


 正直もう、あのラキという奴には顔を合わせたくない。


「サキさん……? どうかしましたか?」


「あ、なんでもないの。ごめんね。それより、私は何日寝てたの? 行かなくちゃいけないところが、あるんだけれど」


 ラナは目を見開く。私はそんなにおかしなことを言ったつもりはなかったが。


「そんな大怪我では行き倒れてしまいますよ。そもそも、こんなところで亜種族の方が1人でで歩いては危険です」


 そこで気がついた。私は、外套を着ていなかった。

 吸血鬼族特有の黒い翼は、堂々と晒されていた。


 それはそうだ。あの嵐の中、大河の激流に流されたら、外套も流されるに決まっている。


 大河の下流域は、特に人族が多く、亜種族が嫌われている地域だ。そんな場所で、私を助けたなんて。人に見られたら、この双子にも危害が及んだかもしれないのに。


「……私が吸血鬼族だって分かっていたのに、助けてくれたっていうの?」


「はい。ラキはそうしました。見つけたのが私でもそうしましたよ。多分、大河を流されていたのにもサキさんが亜種族であることが関係しているんですよね」


 いいんですよ困ったときは助け合いですから、と。


 そう言って少女は、被っていた魔術師の象徴である帽子を脱いだ。


 少女の頭には、獣の耳があった。


 なるほど。道理で、2人とも室内なのに、ラキはフードを、ラナは帽子を被っていたわけだ。


 私が亜種族の混血でありながら、亜種属を嫌う派閥だった場合を考えての対策だったのだろう。


「2人は、獣族の混血、なのね? 耳だけで、尻尾は生えていないみたいだから」


「はい。サキさんも、混血ですよね? 吸血鬼族の翼は、もっと大きかったと思いますから」


 ラナは目を伏せながら言った。


「そうよ」


「でも、吸血鬼族の特性は強いみたいですね?」


 私は答えなかった。意味がわからなかったからだ。私の吸血鬼族の特性として表れているのは、この翼くらいだ。純血の吸血鬼族は、ほぼ人血しか口にしないらしいが、私は血なんて一度たりとも啜ったことはない。


 人族の村で人族とまったく同じように育ったのだ。


「大河から助け出して連れて来ているとき、いきなり噛みつかれたと思ったら、吸血されたって。ラキが言っていましたよ」


「そんなこと……私はしていないわ」


「負ぶって運んでいるとき、昏睡していたみたいだったのに、呻き声をあげたらしいです。急に首筋に噛みつかれたって言っていました」


 ラナは、嘘をついているわけではないようだった。


 しばらく血を吸ったら、また気を失ってしまったらしい。そうして、致命傷になり得る傷だらけであった身体から、明らかに流れ出る血が減ったと。


 純血の吸血鬼族は回復力が高い。恐らく、私の中に眠っていた吸血鬼の本能が、瀕死の状態から回復するために生き血を求めたのだろう。


「だから、ラキはあんなに私のことを警戒していたのね……」


 亜種族への敵対意識が強い、大河下流域。

 そこで暮らす、獣族の混血の双子。

 ただならぬ絆があるはずに違いなかった。

 自我を失い吸血するような私を、大事な片割れの姉と2人きりにはできなかっただろう。


 ラキはバレているつもりはないだろうが、出て行ってからも、ラキの気配はこの部屋の前を動いていない。


「悪いことをしたわね、ラナ。弟のラキには」


「いいんです……サキさん。先ほども言いましたけど私達、森の奥で2人でひっそり暮らしているんです。亜種族の、帝国西部での生きづらさは、よく分かりますから……」


「私は、最西部の村で育ったわ。そこでは、人族の子にも、私にも生きづらさなんてなかった」


 ラナはしばらく言葉を詰まらせた後「良い故郷だったんですね」と、少し掠れた声で言った。涙ぐんでいるようだった。


 私も村を出てからは、吸血鬼族の混血という理由でミラクに奇襲された。ミラクは言っていた。人族の多い地域では、亜種族の体は生体死体問わず高く売れると。


 親もおらず2人だけで、森の奥で暮らしているラナやラキも苦労してきたに違いない。


「ラナ、私は都へ旅をしているの。まだ立ち止まるわけにはいかない。立ち止まりたくない」


 都への旅を決めたのは、外の世界で色々な経験をして、軍功を挙げるため。そして、村へ恩返しするためだ。


 今は、それだけではなくなってしまったが。


「ラナ、あなたも一緒に行こう。都へ」


 私は、下を向いていたラナの腕を掴んだ。ラナは、ハッとして顔を上げ、私の目を見た。


「もちろん、ずっと扉の外で聞き耳を立てているラキもね」


 少し、覚悟をして私は言った。あいつの顔を見ても殺気立たずにいられるだろうか。


 いや、大丈夫だ。

 私は、この双子を希望のある方へ導きたい。

 確かに、そう思った。


 ギィっと扉が音を立てて開き、バツの悪そうな顔をしたラキが入ってきた。こうして見ると、確かに少年っぽさがかなり残っている。

 やはりミラクとは、似てなんかいない。そう思わなければ、もう心が保たない。


「俺はここで暮らし続ける。ラナもだ。俺達は、冒険者になんてなるつもりはない」


「本当に、それでいいの? じゃあ、どうしてラキは双剣を腰に差しているの? ラナはどうして魔術師の格好をしているの?」


「それは身を守るためだ。2人だけで平穏に暮らしていくためには、殲獣狩りをする必要もある」


「嘘ね。だってラキ。あなたは私を助けたから」


 そう。危険を犯して大河から私を助け出し、道中吸血されたにも関わらず、私を連れ帰った。


「興味があるはずよ。少なくとも冒険者か他の亜種族についてのどちらかにはね」


 冒険者に興味がある。亜種族や、他の知らないことをたくさん知りたい。それは、少年少女が旅立つには十分すぎる動機だった。


 ラキもラナも、何も言わなかったが、それは反論もしていないということだ。


「私が治り次第、出発しましょう。そういえば、私の槍はどこ? ドラゴンの牙で作ってるやつなんだけれど」


「そんなもの、持っていなかった」


「え……」


 何ということだ。そういえば、外套が流されているのだから、槍なんて持っているわけがない。

 いや、違う。

 私は、眠っていたところを拘束されて、ミラクに……あの男に大河に蹴落とされたのだ。槍は、おそらく船室に置きっぱなしだっただろう。


「あの槍まで失うとは……」  

 

 初めて狩ったドラゴンで、ライトが作ってくれた大切な槍だった。それまで、ミラクのせいで失った。


 ラキが、私とラナの間に割って入った。

 ラキは私を睨む。ラキに睨まれると、どうしてもミラクを思い出して余計に気が立ってしまいそうになる。

 

「そういえば、サキさんはどうして大河を流されていたんですか……?」


 私の殺気立ってしまった様子に、ラナはおどおどと尋ねてきた。


 大きく息を吸って、何とか気持ちを静めた。


「ごめんね、嫌なことを思い出してしまったの。怖がらなくていいわ。ただ……」


 私は、この双子と共に、また未来へと歩み始めたいと思った。

 

 だが、巻き込んではいけない。

 この2人を、私の復讐に。ミラク、あの男だけは許せない。生かしておけない。


「ただ、今はその理由は言えないわ。でも、いずれきっと話すから」


 ラナもラキも、それ以上は聞いてこなかった。


 私は、この旅を続けることに決めた。もはや抱いている気持ちは、純粋な希望だけではなかった。

 私は、復讐を胸に秘めつつも、この2人との未来に希望を見出し、共に進みたいと、そう思ってしまったのだ。

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