登場人物など(参考用)

ある女の独白 〜檻越しの英雄へ〜

【前書き】


この話はお読みにならなくてもストーリーは把握できます。

雰囲気や世界観がわかる話になっています。


時系列は、サキが赤子の頃から始まります。




  ***************




 波が荒立つ嵐の夜。赤子を抱いた女が、大陸帝国最西部のシャトラント村の浜辺に流れ着いた。


 女は雨で濡れて重々しく顔を覆う黒髪の隙間から、悲しみの彩りを含む澄んだ碧い瞳をのぞかせる。

 背の丈、耳の長さ、肌の色、その身に流す血。そのどれをとっても、女は純粋な人族であった。

 しかし、女に抱かれている赤子は違った。

 赤子の背には、黒い翼が生えていた。

 純粋な人族である女とは異なり、赤子の身体には人族の血だけでなく、亜種族である吸血鬼族の血が巡っていた。

 

 慈愛の表情で赤子を見つめていた女は、小舟で海を漂いついにシャトラント村に眼差しを移す。

 その瞳には儚げな希望が宿っていた。


 彼女は囚われていた館から、僅かな希望に賭けて、決死の覚悟で赤子を連れて逃げ出したのだった。

 目的地であったシャトラント村に辿り着いたことに安堵した女は、赤子に衝撃が伝わらないように注意しながら、そっと小舟から降りる。その瞬間に、母子の乗っていた小舟は脆く崩れ去った。


 母子が生きながら館を去ったこと、そして母子が嵐で荒ぶる海に投げ出されなかったことは、まごうことなき奇跡であった。


 女は衰弱していく赤子をいっそう強く抱きしめると、目に入った村の民家へと震える足を踏み出した。



  **


 幼いころに檻越しに聞かされた英雄譚だけが、光の見えない日々を送るわたくしにとっての……唯一の希望でございました。


  **


『大陸帝国 建国の英雄ライト 最終章』

 

かつて栄えし人の世は

殲滅の獣の牙に裂かれ、砕け散る


嵐を呼び、火を吐き、

氷を操り、大地を揺るがす

魔法の獣、“殲獣”の登場


百年の昔、

それらは突然、世界を飲み込む

人々は怯え、共に戦い、

その果てに“魔術”を手にした


だが見よ、

人族の地位は裂かれ

長耳、小人、鬼、吸血の牙、

獣の影、世界を覆い尽くす


それでも燃ゆる人族の魂よ

奮い立ちし光の如き英雄

ライト、その名を知らぬ者なし


戦乱の時、五十年

亜種の驕りを砕き

人族の冠たる帝国の礎を築きし者


されど帝国、

その玉座に座すは傀儡

亜種の影に囚われた人族の皇帝


それでも、なお希望を語らん

光の軌跡は消えぬと信じて

西の辺境より、見果てぬ夢よ

ライトの名を胸に、進まん


  **


 わたくしは、光の無い日々を、二十余年にも及び過ごしてきました。


 大陸帝国建国の英雄と謳われたライト将軍の故郷である、シャトラント村を、わたくしが、どのような理由で嵐の夜に訪れたのか。


 なぜ……無責任にも生まれたばかりの赤子を、それも、吸血鬼族の血が流れる赤子を、預けることになったのか。


 そのことを振り返りますと、この子を産んだ日の夜のことを思い出すことになります。


『わたくしがこのまま、館に囚われていては、この子の未来は……どうなってしまうのでしょう』

 

 生まれた我が子を初めて抱いたとき、そう思いました。


 そうして悩んでいた日々の中で耳に入ったのは、ライト将軍が引退して帰郷するという噂でした。


 ……わたくしは、幼いころに聞いて、憧れていた『大陸帝国、建国の英雄ライト』の詩をもとに、ライト将軍の故郷である帝国最西部のシャトラント村を訪れることを決意したのです。


 乗っていた小舟を浜に打ち上げられるような形で、わたくしはシャトラント村に辿り着きました。


 どうしてその村がシャトラント村とわかったかというと、海を見下ろし、龍が仰け反るように弧を描いて聳え立っている岩場が、幼いころから憧れていた詩そのままであったからでございます。


 嵐の中でした。必死に扉を叩くと……シャトラント村の村長らしきご老人が、家の中に上げてくださいました。


 わたくしは、腕の中で衰弱してゆく我が子を託さなくては、と必死になり、村の中でもっとも海に近い場所にあった、家の扉を叩かせていただきました。

 しばらくしてシャトラント村の村長らしきご老人が訝しげに戸を開いてくださいました。

 村の警備を担っていらっしゃるのであろう若い方が、村長さまとお呼びしていたので、ご老人が村長であることを知りました。


 ……村長さまは大変驚かれていましたね。

 

 それはそうでしょう。嵐の中で、軽装の人族の女が、吸血鬼族の翼を生やした赤子を抱えて、立っていたんですもの。


 ……今も、壁と屋根を打ち付ける風と雨の音が聞こえます。


「あぁ、ご婦人、気をしっかりなされ。……衰弱していく。このままでは……もう……。……くそっ、ライトが帰ってくるという便りが届いた矢先なのに……!」


 村長さまの悔しそうなお声が聞こえました。


 ライト将軍の故郷への数十年ぶりの帰還。

 

 ……村全体が、喜びに湧いていたことでしょう。


 その喜びを、わたくしのような者の死で、暗く塗り替えてしまうのでしょうか……。……申し訳が、ありません。


「ライト……しょ……う……ぐん」


「あぁ、ご婦人、声が出せるのか!? ……気をしっかり! 今、村の者が薬を用意している……!」

 

 --あぁ、ライト将軍は引退なさるおつもりであるとの噂で脱走を決意したのですが……まだ……シャトラント村には、帰られていないのですか。


 ……村長さまの励ましの言葉に感謝するよりも先に、そのような考えが過ってしまいました。


 ……わたくしは……許されるならば、最後に、ライト将軍に……一目、お会いしたかったのです。


「……シャトラント村の、村長、さま。……どうか、どうかその子を、よろしく……お願い、いたします……」


 子を生かしてもらえるだけでありがたい。本心からそう思います。


 ですが……願わくば。


 ……亜種族どもの、人族に対する侮りを覆した、あのお方に……わたくしに、希望を与えてくれたあのお方に……たった……一目でも……お会いしたかった。


  

 --せめて、わたくしの檻越しの英雄と、わたくしの子に……未来に……幸せがあらんことを。


 そのような身勝手な考えが湧いてからは、音が徐々に聞こえなくなり、わたくしの意識は闇に溶け、思考はまとまらなくなっていきました。

 


  **



 嵐が去り、村の会合で蝙蝠ような翼を持つ赤子についての話し合いが行われたとき、ライトは帰郷した。


「……なんだ、その赤子は?」


 数十年振りの故郷。

 親のいないライトは、ともに育った幼馴染である村長の家を訪ねた。 

 そこで、村の大人の大半が集まり話し合いをしていた。ライトはその中心にいる赤子に眉をひそめた。


「あぁ……お前が帰る数日前に、ある女がこの子を……我々に託して……死んでな……」

 

 目を伏せながら村長はこぼした。

 ライトは、かつて軽薄な若男だったころの村長からは考えられない様子だと思った。

 村長の伏せた視線につられて、ライトは赤子を見る。


「その小さい黒翼……まさか半吸血鬼か?」


 赤子の背の、小さな黒い翼。帝国最西部の辺境であるシャトラント村に、亜種族の血を流すとき一目でわかる者がいることに、ライトは驚いた。


 都シュタットで何らかの任務を与えられた軍人ならば、亜種族でも西部にいるのは、まだわかるのだが。


 そこまで考えて、ライトは自嘲した。 


 --帝国西部で生まれた、半亜種族ならば知っているではないか。


 それはライト自身のことであった。

 ライトは、都で鬼族との子を孕んだ女が、シャトラント村に帰郷して産み落とした子であった。


 元来、ライトは堅物で滅多に笑わない男であったが、英雄と呼ばれ、都で五十年近くもの間将軍であり、さらに歳をとり体格や風格により重みが増したライトに親近感を失っていた村人たちは、ギョッとした視線をライトに集める。


「この子は俺が預かろう。……同じ亜種族の血を流す者としてな」


 嵐が去ったばかりの海沿いの村シャトラント。

 村の会合所も兼ねている村長の家は、静寂に包まれた。

 ライトは、低い声で宣言した。


「ライト……。そうか、ではお前に任せよう」


 村長はライトを肯定した。


 --ライトは、赤子と自身の身の上と重ねたのか……はたまた、都シュタットで何か……ライトの考えや性根を全く変えてしまうことが起きたのか……。


 シャトラント村の村長を代々つとめる家に生まれ、村から出ずに生きていくことを定められていた男は、英雄となった友の数十年ぶりに再会した姿を、眩しく思った。

 


  **


 ライトは、故郷での日々を穏やかに過ごしていた。村の子どもたちを相手に道場を開き、槍術を教えたり、海の岩場に行き一人槍を振るったり、村の警護として村を巡回したりして過ごしていた。


 このような平穏な日々を送ることが、ライトが村に帰った目的の一つだった。


 ライトが思い描いていた、帰郷後の生活と大きく異なる点があるとすれば、それは半吸血鬼の少女の存在だ。


 ライトは自身が長くは生きられない歳だと考え、半吸血鬼少女のことは、厳しく育ててきた。

 幸いにも、少女は人族の血が濃いらしく、小さな黒い翼以外は、吸血鬼族の特性や能力は見られなかった。

 日に当たっても平気で、吸血する様子もなさそうだったのだ。


 だからライトは、少女を殲獣が其処ら中を彷徨く山に少女を連れて行き、戦わせたり、毎日のように槍術の稽古をつけたりした。


 幼い頃からそんな生活をさせていたこともあってか、少女は勝ち気で自信家な性格になり、戦いを好むようになった。


 ライトが一人で己と向き合う時間としている岩場での修行にも少女はついてくるようになった。


 少女は、過剰に戦闘を楽しむようになっていた。


「ライト、手加減なんてしないでよ! 私はライトと本気の、命懸けの意思疎通を楽しみたいのよ!」


 少女は、小さな体で槍を豪快に振り回して言う。目には好戦的な光が宿り、口元には楽しげな笑みが浮かんでいた。

 その様子にライトは、少し厳しく鍛え過ぎたかもしれないと反省した。


「戦闘を楽しみ過ぎている。その趣向はいつかお前の足元を掬うだろう」


 何度もそのように注意したが、少女はむくれたように頬を膨らませるだけだった。


 そんな日々が、十年ほど続いた。

 少女は、十五歳になったばかりのある日、ライトに詰め寄り、意を決して言った。


「ライト……私、都に行ってみたいの! 旅をしてみたいんだ!」


 ライトは少女にそう言われたとき、良い機会と思った。

 ライトは、自身が村を出たことで大きく成長できたと感じていた。


 辺境の村に生まれて、軍人として生きてきたライトに厳しく育てられたせいか、少女の感覚はところどころ一般的なものとは、どこかずれていた。


 あらゆる面で未熟な少女を旅に出すのは心配ではあったが、その感覚のずれを、都への旅で矯正してやれればいいと、ライトは思った。



  *****************




【後書き】


シャトラント村の様子が伝えられていたら嬉しく思います。

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