第15話 誤算


「はぁ……思ったよりも面倒なことになりましたわ」


 ソニアは溜め息混じりにそう零した。


 あれからサリィはソニアに、私達を逃さずに昼に訓練場に連れてくるように、と命じた。

 私は納得いかずに不満をぶつけようとしたが、ソニアに『サリィに槍術を認めさせたら、如何ようにもできますわよ』と丸め込まれてしまった。


 ーーソニアには口喧嘩じゃ勝てないわね。

 ラキが加勢してくれたら違ったかもしれないけれど。ラキは考え込んだように黙って口を開かなくなってしまった。サリィは言いたいことだけ言うと、私達を追い出した。なんて勝手な奴なんだろうと思う。


 ……鬼族って、言葉が足りない堅物ばかりなのかしら?


『その古槍でサリィ相手に戦うつもりではございませんわよね?』


 サリィに憤っていたのもつかの間。


 そう言ったソニアに連れられて、私達は帝国軍の武器庫の一つに向かっている道中だ。警備兵支部を出て、門の方向とは違う城壁の方へと向かう。

 進むごとに、人通りが少なくなっていた。少し狭い建物の間の路地に入る。

 ふと、大きな影が横切った。


「危ねぇな! おい」 

「なによ」


 急ぎ足で路地に入ってきた獣族の男が、私が肩に担いでいる槍に頭をぶつけかけた。そして、何やら文句あり気な様子で私をジロリ見ている。私もじっくり見返す。


「ぼーっと歩いているのが悪いんじゃないの?」

「……ハッ、よくもそんな古槍を堂々と担げるもんだな、西部上がりの人族が!」

「はあ!?」


 何で私が西部出身であるとわかるのだろう。

 獣族は、尻尾をゆっくり揺らした。獣と同じなら、何か楽しがっているのだろうか。


「都で成り上がるつもりの田舎者だろ? 人族のくせに意気がりやがって。そういう勘違いしたが西部出身には多くて困る」

「……そんっなにお望みなら、この古槍でもあんた一人くらい軽くしてあげるわよ!!」


 狭い路地では槍を扱いにくいかもしれないが、サリィにもこいつにも、下手に出ていれば好き放題にされ続けて、私は機嫌が悪い。

 気が立っていてつい怒鳴りつけてしまった。

 獣族の男が護身用の短剣に手を伸ばす。

 そして、まさに私が槍を構えようとした瞬間。


「待て! 落ち着け」

「……ラキ!?」


 ラキが私の槍を掴んだ。

 振り返ると、ラキがフードから覗かせた赤い瞳で私のことを見つめている。

 少し冷静にならざるを得なかった。 

 すでに大きく巻き込んでしまったが、これ以上私の勝手でラキとラナを不要な危険に晒すわけにはいかない。

 構えていた槍を再び肩に置く。


「……仕方ないわね」

「そうですわよ。こんな街中でよしていただける?」


 ソニアが、建物の影になっていた場所から踏み出し私と獣族の男の間に入る。そして、門で衛兵に見せていたのと同じあの紋章の布を見せる。花が重なり合ったような見た目だが、何を表しているのかはよく分からない。

 しかし、瞬間、その獣族は目を見開いた。


「私が何者かお分かりになりますわね?」

「……軍関係者ならば、うかうか喧嘩するわけにもいかない」


 獣族の男は私を一瞥すると、納得しない様子ではあったが、路地を抜けて去っていった。


 それからソニアが何事もなかったかのように歩き出した。

 私達も追いかけたが、私は気が晴れずにいた。


「苛々するわ。武器庫なんて、行く必要あるの?」


「猪型の牙槍でしたらいくらでもあるはずですから、それを使えばいいですわ」

「まぁ……正直それは助かるんだけど。どうしてソニアは、そんなに私の味方をするのよ?」


「サリィがサキを気に入りませんと、わたくしの立場まで危うくなるからですわよ。……それにしてもサリィと戦うことになるだなんて、可哀想ですわね」


 ソニアが聞き捨てならないことを言う。


「むしろ楽しみよっ! 私でどうにかしてあげるから、何も心配しなくていいわよ!」


 反射的に答えてしまったが、何か違和感を感じた。ソニアの言葉が引っかかる。


「ソニア今……『あなた方』って……言った?」

「言いましたわよ?」

「サリィと戦うのって私だけ、よね? ……ラキとラナには、何もしないわよね!?」


 前を歩いていたらソニアが立ち止まって、振り返って私の顔を見る。


「残念ながら、サリィは三人をまとめて相手にするつもりですわよ」

「俺もそのつもりだったが」


 ソニアが意外そうに答えた。ラナと後ろを歩いていたラキも答える。ラキも分かっていたらしい。ラナはただ驚いたように目を瞬かせている。


「……本気なの?」


 それならラキは、なおさら止めなかったのは何故だろう。ラキはラナに危険が及ぶことなら阻止しそうなのに。

 なんとかする気でいるのだろうか。私は一人だけで戦うつもりだったから、双子も一緒となると、少し不安になってきた。


「え? ……えぇっ!? 私はあんな怖そうな人と戦うなんてできないよ!? 死んじゃうよ、ラキ!?」


 ラキの後ろにくっついて歩いていたラナは、ラキの肩を大きく揺さ振りながら言う。驚いたり不安になったらするとラキの肩を揺さぶるのは、ラナの癖らしかった。

 ラナの不安はもっともだ。ラナは狩りは基本ラキに任せてきたし、まして人との近接戦なんて初めてだろうからね。


「まぁ……落ち着けラナ。策があるんだ。大丈夫さ」


 やはりラキには何か考えがあるようだ。しかし、対人戦の経験が多分私とテツくらいしかないはずのラキに、良い策が浮かぶとは正直思えない。


「ラキは考えがあるみたいだけれど、サリィの相手は私がするから! ラキはラナを守っていればいいわよ」


「当然ラナは守るが。サキ一人で戦わなくても、俺とラナも共闘して損はないはずだ」

「ラキ……サキさん……私は、死んじゃうと思います」


 私が優しく宥めてあげたのに、ラキは主張を変えない。

 ラナは遠い目をしている。

 みんなの主張が食い違って混沌とした状況になった。ラキはラナを、根拠不明の自信で励まし続けている。


「もう! ややこしいことになったわ」


 私がサリィを倒せば済む話だと思ったのに。

 私は怯えるラナの励ましを慣れているであろうラキに完全に任せて、一人淡々と先頭を進むソニアに突っかかった。


「ソニアがあのサリィって人を煽ってたせいで、こんなことになったんじゃないの?」


 軍人とは上下関係に厳しいと思っていたけれど。改めて考えると、ソニアはサリィと呼び捨てていたし意外と気安いような気がした。


「サリィってソニアの上官なのよね? 上官にあんな口を聞いて大丈夫だったの?」


 ソニアは、とうとう絡まれてしまって面倒だというように眉をひそめる。

 しかし、私が「ねぇ?」と続きを促すと諦めたように溜め息をつく。

 

「……サリィは、わたくし達の親代わり……みたいなものなんですのよ」


 そして、何やらおぼろげに言った。


 親代わりか。私にとっての、ライトみたいなものということだろうか。

 ソニアの言い方から、サリィはソニアだけでなく暗殺部隊全体のの親代わりということに聞こえた。

 ……帝国軍暗殺部隊って何人くらいいるのかしらね?


「ソニアは、幼い頃からサリィに育てられたの? どうして暗殺部隊なんかに入ったのよ?」


 あの言葉遣いのサリィに育てられたのに、ソニアはそんな口調で話すのか、とふと気になった。


「……。まぁ、いいですわよ、隠しても、今更ですわね。話して差し上げますわ。暗殺部隊は、亜種族が帝国軍に志願した人族の幼子を……秘密裏に選抜、監禁して構成しているんですのよ」


 ソニアは少し悲しそうに言った。

 ソニアは帝国軍に志願する前は、一体何者だったんだろう。やはり言葉遣いから考えて、高貴な立場の人だったのだろうか。


「そう……」


 都は亜種族が人族を支配する歪な世界だと、ライトから教えられてはいた。


 しかし、ライトは暗殺部隊の存在は知らなかったのだろうか。私は聞かされていない。せいぜい噂を聞いたことがあるくらいだ。

 亜種族が、人族の子供を暗殺者に育て上げている。私が考えていたよりもずっと、人族と亜種族の間にある闇は深いのかもしれない。


「帝国は戦争をしていないのよね? じゃあ、暗殺部隊なんて何のためにあるのよ?」


「戦争を起こさないために使うこともありますわよ。……ただ、一番の目的は人族の反乱の芽を摘むことですわね」


 ソニアは目を伏せて間を置く。


わたくしも、私以外の方々も。誰も亜種族達の殺戮人形になるつもりなんてありませんでしたのよ」


 ソニアの声には先ほどから悲壮感が入っているが、気になることがあった。


「そんなところに私達を入れようとしているっていうの?」

「成り行きですわ。仕方ありません」


 ソニアはそう言うけれど、サリィには、そんなに嫌々従っているようには見えなかった。むしろ慕っているように見えたけれどね。


「おそらくサリィは、私に引けを取らずに戦ったサキのことは、少なくとも有益だと判断しますわ。ですけれど、もし奮戦が及ばなければ、あなた方はサリィに、殺されてしまうこともあるかもしれませんわ」


「心配してくれなくても、戦えば、サリィだって私のことを認めるに決まっているから!」


 ラキが励ましているが、変わらず怯えたままのラナを励ますように言う。


「あらサキ。ミラクに殺されかけたのではありませんの? “鬼将軍”サリィは、ミラクなど比にならない強さですわよ?」


 ソニアが楽しそうに笑った。やはり何だかんだサリィを慕っているように聞こえる。

 ただ、その言い方からおそらく私がミラクと戦って負けたとソニアは決めつけているのだろう。


「サキが部隊に加われば、ミラクを捕えるのも早まるかもしれませんわね」


 思い出したようにソニアが付け加える。


 ……ミラクか。いや、それはどうだろう……。

 私もミラクには裏切られてから会ってないんだけれど。詳しくはソニアには話していないけれど、一応、今ミラクがどうしているかなんて知らないし、私が知りたいくらいだというのは伝えたはずだ。


「言っておくけどね、ミラクの情報は本当に無いのよ。それと、ミラクとはまともに戦ったことないから。あいつは卑怯だから、いつも不意打ちだったわ」


「そういえば……何故ミラクはサキに本名を名乗ったのか、不思議ですわ。……本当に気が触れてしまわれたのかしら。蒼龍狩りなんて、部隊に、噂が届くようなことまでして……」

「そう? あいつは、意味が分からないことばかりするじゃない」

「……ミラクは変わってしまったのですわよ。昔は、もっと合理性の塊みたいな方でしたのよ」


 ソニアはそう言うと、そっぽを向いて話を止めてしまった。

 私には、ソニアの言うことの方が不思議だった。どうしてか、ソニアと私のミラクに対する認識は、大分異なっているらしい。

 私とソニアが、双子は会ったことのないミラクの話をしていたため、ラキは聞き手に回っていた。ラナは自身の両手で肩を抱き震えていて、あまり話が聞こえていないようだった。


 ラナは私が戦っているのをあまり見たことがないものね。そんなに心配する必要はないのに。

 あまりにも怖がっているラナを見ていられず、また声を掛けようとした。


「ねぇラナ———」

「ソニア、いいか?」


 しかしラキの突然の発言に遮られる。


「ラキ?」


 話を聞き、考え込んでいたように黙っていたはずのラキの次の言葉を待ち、みんながラキに視線を向けた。


「あら、珍しいですわね。何ですの?」


「気になることがあったんだが。ソニアは“鬼将軍”サリィと言ったよな? ……あの一本角の鬼族……サリィって奴は、将軍なのか?」

「そうですわよ。“鬼将軍”サリィの噂は、西部にまでは届いていませんの?」


「将軍が、どうして朝からあんな都の隅にいたんだ?」


「サリィは単騎での実力を認められて将軍になった方ですから。暗殺部隊の育成は命じられていますが、他は比較的自由ですのよ。……一応、ライト将軍が去った後の帝国軍人の象徴的役割も果たしていますわ」

「もっと詳しくーー」


 ソニアが詰め寄ったラキを片手で制する。


「お喋りは後ですわ。着きましたわよ、武器庫」


 いつのまにか周囲に通行人はほぼいなくなっており、都の中心部から離れた城壁付近に私達はいた。

 ソニアの言葉に前を見ると、広々とした武器庫が建っていた。警備兵らしき人に声をかけると、ソニアは慣れた手付きで錠を開けた。


 薄暗く重々しい空気の武器庫では、小さな窓以外の明かりは無く、声は響いて聞こえた。


「ソニアっ! 槍なんだけど、猪型とか言わずにさ。ドラゴンの牙槍とかないの?」

「こんな立ち入りやすい武器庫には保管されてませんわよ」


 ふと、ソニアは横目で私の全身を見た。


「なによ?」


「装備に拘るのでしたら、サリィとの戦いではその鬱陶しい外套は脱ぐのですわよね?」


 外套は脱ぐわけにはいかない。翼を隠しているからだ。ソニアは、どうして今になって外套のことに触れるのだろう。


「……脱がないわよ。これは、殲獣を使ってラナが作ってくれたものだから防御効果があるのよ」


「サリィ相手に、そんな些細な効果はあってないようなものですわ」


 やはり私ではソニアに言い負かされてしまう。

 ラキに助けを求めて目線を送る。


 しかし、ラキは両手を双剣に添えてソニアを警戒したように見ていて、私の視線に気がつかなかった。

 ラキは若干汗ばんでいる。


 ラキが、何かを警戒して焦っているように見えた。


「なに……? どうしたの、ラキ?」


 ラキは答えない。代わりにソニアが口を開く。


「サリィとの戦闘中に指摘されて、取り乱されても困りますものね。ラキは勘付いているようですが、……ふふ、教えて差し上げますわ」


 ソニアは、私が困っている様子を見て笑いを零した。

 武器庫は声が飽和するせいか、ソニアの凛とした声がいつもより妖しく聞こえる。


「あなた方の隠し事……わたくしが気がついていないとでも思いましたの?」


 サリィも気がついていると思いますわよ? わたくしよりもずっと目が効く方ですもの、とソニアは付け加える。


 ラキの息遣いが荒くなっているのが聞こえた。ただ、ラキもラナも会話には入ってこない。


「天馬の移動中の休憩で何度かあった、森での水浴び。あなた方、交代で見張りを立てて、わたくし達をやけに警戒していましたわね?」


「当たり前じゃない。無防備な状態での暗殺者なんて、警戒するわよ!」 


「でしたら、警戒が足りていませんでしたわね。私達の諜報能力を侮り過ぎですわ」


「回りくどいわね。何が言いたいのよ?」


「元々何か隠しているのではと思っていたんですのよ? 上空で突風に煽られても、あなた方は一度も外套や被り物の中身を覗かせないんですもの。そして、森の中での水浴びで見たんですわ。サキ……あなたの体に対して小さな黒い翼! ……そして、よく見ると少し尖った歯……!」


 あなたのような少女が、西部でそれを隠して生きてきたのだと思うと涙を誘われますわね、とソニアは恍惚とした表情で前置く。


 武器庫の小窓から吹き込んだ風がソニアの金髪を揺らした。


「サキは半吸血鬼なのでしょうっ……?」

 

 ソニアが言わんとしていたことに途中から察しはついていた。しかし、隠し切ったと思っていたのに。まさかバレていたなんて、どうすれば良いんだろう。

 ソニア達のことを勘違いしていたかもしれない。舐めていた。


 私が優先すべきはラキとラナを守ることだ。

 ラナの声で休戦していたが、またソニアと戦うしかないのか。


 ーー本当に……?


 私は動けずにいた。

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