第2章 帝国軍

第14話 帝国軍の役割


「さぁ……ようこそ、光と闇が交錯する都シュタットへ……」



 耳元で囁かれたソニアの声を、開かれた門に押し出される風が揺らす。


 都の光景が、少しずつ目に入る。賑やかな声も聞こえた。早朝とは思えないほど、たくさん行き交う人々が見えた。

 衛兵が門を完全に開き切った。私は惹きつけられるように、門を駆け抜けた。

 

「わぁっ……!」


 眼前の古さを感じさせつつも堂々とそびえ立つ沢山の建造物は生まれて初めて見るほどの迫力だ。


 そして何よりも、見渡す限りの亜種族……!


 耳の尖った、白く透き通るような髪の街娘。……長耳族は初めて見たわね。

 少女のように見えるけれど、長耳族の特性は他種族とは比較にならない程の長寿であるから見た目よりも随分歳を食っているのかもしれない。


 獣耳と尻尾の生えた、茶髪の男。やはり獣族は尾が目立つ。


 獣族は何度か、シャトラント村の隣村で交易商や、駐在兵や駐屯騎士を見たことがあった。だが、西部とは違い、都では護衛など連れずとも堂々とその耳と尾を晒せるんだ。


 都には、亜種族が集まっているとは聞いていたけれど……。西部では考えられない光景だわ。

 他にも、十歳前後の人族の子供程の背丈の小人族の中年の商人らしき男に、耳の上辺りから角の二本生えた鬼族の武人。


 もちろん人族もたくさんいる。人族と亜種族が半々くらいだ。

 ……ただ、もう朝日が昇り切っているせいか、吸血鬼族は見当たらないわね。

 しばらく都の景色、そしてその人々に圧倒されていた。


「冒険者のお嬢さん方。都には軍に志願しにいらしたのですわよね? 私が見回りついでに案内いたしますわ」

 

 肩を軽く叩かれて、ハッと振り返る。ソニアは、いつもよりも穏やかな声だ。本心を綺麗な白い布で覆い隠したような感じだ。ソニアは都ではずっと、軍医とやらを演じるのだろうか。


「ソニア……都って、西部とは全然違うのねっ!」


 一体どうなることかと少し身構えていたけれど、この光景を見ると、そんな気持ちは吹っ飛んでしまった。旅立ったときに考えていた形とはだいぶ違うけれど。都シュタット……ついに、辿り着いたのね。

 

 浮かれていい状況じゃないというのは分かっている。でも、まるで別世界みたいなこの都を初めて見て冷静でいられる人なんかきっといない。


 横を見ると、ラキもラナもそれぞれフード、帽子から覗かせた赤い瞳を輝かせて門越しの都に見入っていた。


 返事がないのが気になり、また振り向くと、ソニアは後ろから優しい表情でこちらを見ていた。衛兵達は、再び門を閉じようとしている。

 門から差していた光は、軋む木の音と、石が擦れる音と共に閉ざされた。


「志願を受け付けている支部に、行きますわよ」


 ソニアはこちらを振り向きながら歩き出す。都の光景に見入りつつも、門のを抜けたところから先には踏み出さずに私達は、興奮冷めやらぬままにソニアを追った。


  *


 私にとっては慣れない人混みの中を、ソニアは悠々と進んで行く。朝だからか、大荷物を持って急ぎ足で移動している商人が多い。私は、慌てて追いかけながらも、ソニアに状況の説明を仰ぐ。


「ねぇ、ソニア! 軍の支部って何の事よ? ミラクの証言はどうしたの?」


「……ああいえ、わたくしの……裏の役割のほうの上官も、その支部にいるんですのよ。ですけれども、実際に志願していただく形には、なるかもしれませんわ」


 つまり、今向かっている軍の施設でソニアが済ませたがっている用事がすべて片付くということだろうか。

 何も答えない私に、ソニアの口からため息が零れた。


「おそらくですが……三方とも、ミラクの追跡という副任務を課されながら、随時当てられる主任務をこなしてもらうことになると思いますの。通常の冒険者上がりの帝国軍人同様、警備兵として、ですわ」


 先ほどまでの穏やかだった口調はどうしたのか。ソニアは、頭の悪い子供に、苛立ちを隠せずに接するような喋り方になった。


「……警備兵としてってどういうこと?」


「都に辿り着いた冒険者は、まずは比較的自由度の高い警備兵として任用されるのが普通ですわよ」


 ソニアのその言葉に、後ろにいたラキとラナが、少し駆けて私とソニアに並ぶ。


「サキはそんなことも知らずに、都で入軍するつもりだったのか」

「元将軍に育てられたんではなかったんですか……? サキさん」


 ラキとラナからの視線が、少し冷ややかな気がした。ラキとラナには、弱みも見せてしまったけれど、一緒に旅立ってからは、経験豊富なお姉さんで通っていたのに。


「……う……仕方ないじゃないっ! 私の村から都に出て帰郷したのなんて、大陸戦争を止めに行った、ライトくらいなのよ!」


 確かに隣の村の駐屯騎士など、帝国軍に関わる人との交流がないわけではなかった。でも、冒険者上がりの軍関係者なんて西部にはほぼいないじゃない。ライトが堅物で、私は槍の修行ばかりしてきたから、知識が偏っているのかもしれない。


「大陸戦争って……一体いつの時代のお話ですの……。現在はこの大陸の、ほぼ全域が帝国ですのよ。海越しの島の王国や、南の大陸とも、ここ二十年以上は戦争には無縁ですわ」


 ソニアは、そう言うと、少し歩む速さを落とした。人通りがまばらな小道に入る。その道は、いくつかの大きな建物の影になっていた。


「帝国の問題は、外部にはございませんわ。帝国軍の主な役割は、国内の治安維持ですもの。……治安と言っても、亜種族にとっての治安ですけれどもね……」


 帝国の抱える最大の問題は、亜種族と人族の対立だということは知っている。亜種族が人族の王を皇帝に立て、傀儡にしているというのは……旅立ったから知ったわね。


「そう……じゃあ、戦線でいきなり大戦果をあげて大出世って訳にはいかないのね」


 ソニアは答えなかった。ただ歩みを進め、足元に向けていた目線を上げた。ソニアの目線につられて上を見ると、一際大きく、扉の上に目を引く帝国軍の紋章が飾られた建物がある。


「着きましたわ。今からしていただくことは、私の上官との謁見。そして、入軍ですわ」


 ミラクの証言についてと、わたくしの上官への態度は、慎重にお願いしますわよ、と私はソニアに念を押された。ソニアは、支部の扉を開く。

 

「なによ。どんな場所かと思ったら、普通のギルドみたいじゃない」


「そうですわね……。ここは警備兵支部と言うのですが、都に辿り着いた冒険者がまず入軍志願をして警備兵登録する場所ですから、まぁ大差ありませんわ」


 どうでもよさそうに答え、ソニアは奥の方に入っていく。時折すれ違う軍服を着た若者が、心酔したような視線と敬礼をソニアに捧げた。ソニアは、それに微笑みで応えて歩き去る。


「確かに、軍の施設には見えないな。ギルドってこんな感じなのか」

「なんだか、ワクワクしますね」


 双子は、キョロキョロと辺りを見回し、被り物を深めながら言う。


 都では、そんなに獣耳を隠す必要はないと思うのだが。まぁソニアにバレたら面倒だものね。

 ……そういえば、結構人が居たのに、半亜種族らしき人は、都でもまだ見てないわね。都でもハーフは珍しいのかしら。


「本当はラキとラナも、もっと旅を堪能して欲しかったんだけどね」


 私達は、軽く喋りながらソニアに付いて行った。すれ違う軍人達は、ソニアと共に歩く、私と双子のことを、誰も気に留めない。


「ソニアは人気者なのね」

「私は表の顔での活動が、もう長い間、主任務ですから」


 そんなことを言いながら歩いていると、このギルドのような支部の、一番奥の部屋に行き着く。

 立ち止まったソニアは、緊張しているように見えた。ミラクを連れ帰るのが任務だったらしいから、上官に怒られるのだろうか。


「では、皆さん。くれぐれも慎重にお願いしますわよ」


 そう言ってソニアは、一回、二回、一回と変わった拍子で扉を叩く。私は一応、何かあれば庇えるようにラキとラナの前に出る。

 扉の向こうで、誰かが立ち上がったような音がした。床を、強く踏み鳴らしながら歩いている。


「……帰ったかい、ソニア。数年ぶりのミラクらしき情報……脱走者の首は、持ち帰ったんだろうね?」


 扉越しに聞こえたのは、枯れた声。老女のような声なのに、はっきりとしていて、只者ではないと感じてしまう。


「サリィ……。残念ながら、それは叶いませんでしたわ。しかし、面白い手土産を持参しましたの」


 失礼いたしますわ、と一声掛け、ソニアは扉を開く。


 扉の目の前に、仁王立ちした女がいた。まず目に入ったのは、一本の角。


 通常、耳の上の辺りから二本生えているはずの鬼族の角とは異なる。緑の髪に、獲物を見定めるような、赤い瞳の女の人だ。声から想像した程の年ではなさそうだった。五十代くらいだろうか。


 ソニアがサリィと呼ぶ一本角のその人は、ここ数十年で出現するようになった、殲獣でいう稀種のような、亜種族の異例の存在。


「その餓鬼どもがなんだって言うのかい?」


 立ち上がったサリィの体は、人族の女性では考えられないほど筋肉質だった。おそらく純血の鬼族だ。純血の鬼族をこんなに間近で見たのは、初めてかしら。


 なんというか、かなり迫力のある人ね……。

 

 高い背丈や雰囲気からどことなく、同じく鬼族の血を流すライトを思い出す。

 人族で構成される暗殺部隊の暗殺者である、ソニアの上官は、亜種族……か……。


「ええ、サリィ。私ソニアの名において、この子達を暗殺部隊に推薦いたしますわ」


「ソニア……お前は愚か者ではないと、思っていたんだがね。ミラクの首も取らずに帰還してよくも勝手を言えたものだよ。そんな成人間近の子供なんざ、要らないさ。洗脳の効きも悪けりゃ、鍛え甲斐もない」


 サリィは、その低い声をさらに強張らせて言う。獲物を見定めるような目が、狩るその瞬間のような目になる。


「ふふふ……サリィ。貴方ともあろう方が、朦朧されてしまいましたの?」


 それにも関わらずソニアは笑い返した。ソニアは、緊張していたように見えたが、そうでもなかったのだろうか。案外気安そうだ。


 ソニアは、私の方を見遣る。そして、そこの槍使いの少女をご覧になって? と、私でも一瞬たじろぐ程の殺気を放つサリィに平然と歩み寄り、少し背伸びをして上目遣いで言っていた。

 

「私が連れてきたのは、ミラクが殺し損ねた少女。そして……都を去って十五年……今や伝説となりつつあるライト将軍の娘ですわ」


 サリィが目を細める。皺が深くなる。


「……ライトだと? 奴に娘などいるものか。それにミラクがそんな餓鬼を殺し損ねるとは考えられんが」


「ミラクは気が触れて、久しいではありませんの。ライト将軍に関しては、彼女の槍術を見てから判断したらどうですの? 双子の子達も、テツが苦戦した程の実力ですのよ」

 

 ソニアは交渉上手だな。実際にテツと戦ったのはラキだけなのだが。

 サリィは、ソニアに促され、私を見る。上から下まで、全身を見る。


 ライトって言葉に反応していた気がするけど、この鬼族の女サリィってライトと知り合いなのかしら。


「いいさソニア。昼に、その餓鬼共を訓練場に連れておいで。私が直々に、すべてを吐かせてやろうじゃないか。脱走者のことも、ライトのことも」


 お前の処遇は、そこで決めるよとサリィはソニアに言った。


「承りましたわ。サリィ」


 どのみちソニアもサリィも、暗殺部隊や、表の顔を持つソニアの正体を知っている私達を逃す気はないらしい。何故ならば、先ほどからソニアにもサリィにも隙は一切ない。


 私も、何かあればラキやラナを守れるように隙は作っていない。――このサリィを相手に……私は、ラキとラナを守れるの?


 サリィから放たれていた殺気と、その迫力に呑まれかけていた。思わず大人しく事の成り行きを見守ってしまっていたけれど、あまりに勝手に話を進められている気がした。そろそろガツンと言ってやってもいいかしら。


「……あのねェ、二人とも! さっきからずいぶん勝手に話を進めてるわね! 今、帝国が戦争をしていないのはわかってるわよ。だけど、それでもっ! 私は、早く名を上がられるような部隊に、入りたいのよね!」


 

 皆の視線が一斉に刺さる。

 特にソニアからの視線が鋭い。……そういえば、慎重に振る舞うように言われていた気もするわね。そう睨まないでほしい。色々あったが、ソニアのおかげで都に早く着けたし、天馬の旅なんて滅多にできないことができたから、私はこれでもかなり我慢したんだ。


「暗殺部隊に入れば、名を上げるというわけにはいかないだろうな。ソニアみたいに表の顔があれば別かもしれねェが」


「槍の餓鬼。お前は見定められる立場だよ。私の部隊にお前を入れるなど、ソニアの頼みでもなければ一考もしないところさ」


 ラキとサリィが声を揃えた。

 

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