第16話 所詮は落ちこぼれ

 小さな窓から差す日光だけが明かりの、薄暗い倉庫。

 皇帝の城がある都中心から離れた城壁付近に、ひっそりと、だが広々と建っていた。


『サキは半吸血鬼なのでしょうっ……?』


 うっとりとした表情でいったソニアの言葉は私をその場に差し留めた。

 ソニアは立ち止まって動かずにいる私に近づいてきて肩を抱く。そして、私の耳に口を寄せた。



「ふふ……そんなに焦る必要はありませんわよ?」


「え?」


「ここは都シュタット。西部ではありませんもの。ハーフを付け狙うのなんて、一部の過激派か変態くらいですわよ」 


 確かにそうだ。

 西部と都では、人族と亜種族の関係性は大きく異なる。


 私はライトに最西部のシャトラント村で育てられたため、常識がふつうの西部のものとはずれている。

 西部で半吸血鬼とバレるのが深刻なことだと、ミラクに会うまでは理解していなかった。


 だから、、都ではハーフであることをそこまで隠す必要はないと言われて、受け入れられる。


 しかし、ラキとラナは--。


「おいサキ! 恐らくこれは罠だ、武器庫から脱出するぞ!!」


 ラキの怒声に、私とソニアは振り返る。

 ラキはラナの手を引いて出口へと駆けていた。

 ソニアが驚き、意外そうな顔をした。

 私の肩から手を離し、ラキとラナに向き直る。


「まさか……!? 誤解ですわよ! 聡いラキなら分かるはずですわよ! 今さら逃げだそうだなんて、愚かですわ。罠に嵌めるつもりならとっくに嵌めていましたわ!」


 ソニアの声色には焦りが混じっていた。西部出身ではないソニアには理解し難いのだろう。


 ラキとラナは、私とは違う。


 シャトラント村のような例外的な環境ではない西部で、亜種族と人族のハーフとして生きてきた双子には、それが暴かれることは、とてつもない恐怖であるはずだ。


 とにかく、ラキとラナから離れるべきではない。


 私はそう考えて、二人を追う。


 双子と一緒に私まで逃げ出したことから、ソニアはさらに焦った様子になる。


「サキまで!」


 しかし、何故かソニアは追ってこない。


「……もう、仕方ありませんわねっ! 都で私から逃げ切るなんて不可能ですから、早めの降伏をおすすめしますわよ!」


 ラキはラナを抱えて走る。

 私も双子に追いつき、来た道を引き返していた。

 気配が無いが、ソニアは追ってきているのだろうか?

 


「ラキ。本気で逃げる気なのか? ちょっと落ち着きなさいよ。ソニアの言う通り、罠なんて今更よ……」


「--ハーフだと悟られている以上は罠を疑うべきだ。この得体の知らない武器庫とやらから、出よう。どんな罠が仕掛けられているのか分からないから俺達が不利だ」


「それは……」


 立ち止まる様子のないラキに合わせて、しばらく走る。

 

 武器庫の扉から零れる明かりが見えてくる。

 しかし、そこには人影があった。

 私達は立ち止まる。


 知らない男だ。そいつは私達を見据えて、唇で綺麗な弧を作り笑った。



「……どういう状況かなっ? よく分からないけど君達を逃がさないように言われたんでね。ここは通さないよ」



 --殺気の混じった不気味な威圧感。



 放たれるその圧に似合わない愉快そうな声で、その男は言った。


「うーん……ソニアは何やら揉めているようだね。でもこんな子供くらい、もう少し上手く管理してほしいなっ」


 武器庫で細い目が印象的な、少し赤みがかった白い髪の男。剣一本を腰に差している。ソニアとテツと同じような剣だ。

 こいつも、暗殺部隊なのだろうか。


 脱出としていた私達は、その男によって退路を断たれた。武器庫の扉の中央に立ち、隙は全くなかった。


「嫌な方に念波が届きましたのね。本当に、わたくしって運が悪いですわ」


 後ろから、ソニアがゆっくりと歩いてきた。


「久しぶりだね、ソニア。サリィが与えたとはいえ、雑魚が雑魚を始末するというまぁ何とも……無意味に感じざるを得ない任務は終えたのかい?」


「誰が雑魚ですの? 私はあなたに次ぐ精鋭ですわよ……フィロン」


「残念だけれど、君は紛れもなく雑魚だよ。君がランク 2 なのは、サリィが君の表の顔を評価しているからに過ぎない。それにしても機嫌が悪そうだね。その様子だとミラクは見つからなかったみたいだ」


「誰に対しても雑魚雑魚って言いますけれどね……。フィロンあなた、ミラクには最後まで勝てなかったではありませんの」


 ソニアと、フィロンと呼ばれた男は、私達のことを無視して気ままに会話を続ける。


「フフ……もう、十年近くも前の話じゃないか? ミラクなど、ただの落ちぶれた脱走者。過去の存在だよ。今では僕に、遠く及ばないはずの、雑魚さっ!」


 アッハッハッと、両手を広げて愉快そうに笑い出した男に、ソニアは、呆れたように額を押さえた。

 サリィのことを考えてただでさえ怯えていたラナは、「ヒッ」と短い悲鳴を上げて、ラキの後ろに完全に隠れてしまった。確かに異様な奴だった。

 ラナが怖がるのも無理もないかもしれない。


「ソニア、こいつ何よ? 罠は張っていないんじゃなかったの?」


「あなた方がいきなり逃げ出すから、呼んだだけですわよ」


 ソニアは蝙蝠コウモリ型の殲獣を肩にとまらせる。

 帝国軍の殲獣を利用した特殊な技術だろうか。



「機密って知っているかな? ソニア」


 

 フィロンとやらは黒い笑みで言う。

 西部では、こんな奴見たことないわね……。


 ソニアは、物語に出てくる姫みたいな話し方だと思ったが、都の女の人の話し方と思えば、そこまで不自然には感じなかった。

 

 フィロンは何かが不自然に感じられた。声と見た目だけは、都の大人っぽくはあるのだけれど……。


 全体的にわざとらしい。なんというか身振り手振りが大袈裟だ。やけに楽しそうな、変な大人。


「槍使いに双剣使い。それに魔術師っぽい子。その子達はっ、ソニアの部下かな?」

「そう思ってくれて構いませんわよ」


 楽しそうなフィロンとは対照的にソニアが冷淡に答える。


「僕はフィロンっていうんだ。ソニアの同期みたいなものさっ」


 そう言うとフィロンは、わざとらしく周りを見渡した。


「テツはどうしたの? まさかくたばったの?」


「天馬を片付けに行っただけですわよ」

「あれっ。その子達に天馬のこと言っていいの?」

わたくし達のの方の、部下になるはずの子達ですから」


「--うん?」


 楽しそうに話していたフィロンが、首を勢いよく傾げて目を瞑った。口元の笑みは変わらない。


「……その子達は剣士ではないようだから、暗殺部訓練兵ではないよね? ソニア。それなのに裏の方の部下にするって言った? それに……まだ部下になったわけではないのに、秘密を……話しちゃったの?」


 愉快そうな表情のままなのに、フィロンからは、先ほどよりもおぞましい殺気が漏れていた。


「詳細はまだフィロンには話せませんわ」

「ふぅーん……。どうしようっ? そう言われると気になるなぁ。……吐かせてあげようか?」


「なっ!?」


 フィロンはその笑みに似合わず、素早くに剣を抜いた。武器庫の埃臭い空気を切り裂き、鈍く光る剣。

 ソニアは動かない。


 先ほどソニアを雑魚呼ばわりしたのは、戯けではなかったのか。


 その見開かれた瞳に宿った狂気には、覚えがあった。

 思わず槍を握る手に力が入る。木で作られた古槍は、ミシッと音を立てた。


 剣を抜いた相手を黙って見ているわけにはいかず、私も槍を構えた。

 ラキもラナを背後にして双剣に手をかけている。

 フィロンは剣を抜いていないソニアを一方的に手に掛けようというのだろうか。


「……フィロンとか言ったかしら? 暴れたいっていうなら、私が相手をしてあげるわよ」


「僕はソニアに言っているんだ。雑魚は静かにしていてもらえるかな?」


「……雑魚、って……!!」


 フィロンは私を見ずに言う。一方的に見下されるこの感じに、やはり覚えがある。ミラクやサリィに通じる何かだ。

 ソニアの言う通りこいつは嫌な奴ね。

 

「サキ。大丈夫ですから下がっていなさい」


 ソニアはそう言いフィロンの前に歩み出る。ソニアはいつもの余裕は消え、腕を組み露骨に不機嫌そうな顔をしていた。


 しかし、変わらず背負った剣を取ろうとはしていない。


 そんなソニアの喉元に突き立てられるフィロンの剣。武器庫の壁の小さな窓から差した日光に照らされ、剣は輝きを増す。


「ソニアっ!」

 

 フィロンは薄皮一枚の寸前で剣を止める。ソニアは動かない。


「……サリィは知っているのかなぁ?」

「そのサリィが、昼に訓練場で見定めることになってるんですのよ」


「……サリィに会って来たの? ……今日は警備兵支部にいるよね」

「ええ。昼はサリィが剣を取るはずですから、あなたも見にいらしたら?」



 ソニアがそう言うと、フィロンから尋常じゃない程に放たれていた殺気は、途端に吸い込まれたように消え去った。再び、フィロンはあの張り付かせたような笑みに戻る。


「なんだ。それなら初めからそう言えば良いのにっ。これだから、雑魚は困るよね」


 フィロンは剣を収めると、踵を返して去ろうとした。武器庫の出口の方に向かっている。


「……わたくし、フィロンのこと嫌いですわ」


 フィロンの背中に吐き捨てるように、ソニアは少し早口で言う。フィロンは愉快そうな顔をこわばらせて振り向くと、どこか困ったように眉にしわを寄せた。


「僕だって人族同士で争いたくはないんだよ、本当はね」


 助け合うべきだよね、とフィロンは肩をすくめてみせる。



「所詮、僕たちは落ちこぼれた人族なんだからさ」




  *



 フィロンが去った後、私は改めてソニアに案内された武器庫で猪型の殲獣の槍を手に入れた。


 その後、訓練場への道中私達は話し合いをしていた。

 早朝よりも都は人で溢れている。もう数刻で太陽が一番高く昇る頃だ。


「ラキ。わかってくださいました? サリィとの戦いの途中でハーフであることを指摘されて、混乱したあなた方がまともに戦えなくなるのを、危惧しての指摘だったんですのよ」


「……ああ。だが、俺達は西部で育った半亜種族なんだ」


 ラキはラナを庇うようにソニアの前に立つ。ラナは顔を上げずに怯えた様子だ。


わたくし、サリィに命じられているのに今さら罠にかけたりしませんわよ。先ほども言いましたけれど、都ではハーフという理由で付け狙うのは一部の過激派と変態だけですもの」


「……ソニアがその変な趣味ってことはないんだよな?」


 叱られている、というか諌められているラキが反撃を試みている。


「ありませんわよ、失礼ですわね。……ラキ、姉や恋人を大切にするのは結構ですけれどもね、無闇に喧嘩を売っても何にもなりませんのよ?」


 しかし、ソニアはあくまでも冷静にラキを諌める。


 ラキは黙ってソニアから顔を逸らした。

 私はソニアの言う通りだと思う。ここは西部ではないのだから半亜種族であることを過度に気に病む必要はない。


「うんうん……って……はぁ!? 別に私とラキはそんなんじゃないわよ!」



 テツといい、ソニアといい……都出身の人は色好みなのだろうか。


「ふっ……あら違いましたの?」


「断じて違うわよ。……というか、これから殺し合いに近いことをしようってときに呑気過ぎない?」


「心配しなくても、きっとサリィは私に近い実力を持つサキを認めますわよ」



 ソニアは余裕のある笑みを見せた。



  *



 このときのソニアには私達をサリィとの戦いで油断させようという悪意は恐らくなかった。


 ソニアはサリィを親代わりだと語った。

 若干の贔屓目や、事実としてサリィが育てた子であるソニアには特別に優しいということも、あったのかもしれない。


 しかし私達が対峙したサリィは、ソニアが言うような、またソニアの話から想像していたような微温ぬるい人物では、まるでなかった。





  *



 ひと足先に訓練場に向かっていたフィロンはいつも通りの都を見渡す。



「--あぁ……ソニアは知らないのか。サリィがハーフ嫌いだって」




 人族の商人が亜種族の客に媚びへつらう様子を見たフィロンは、おもむろに呟いた。

  

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