番外編 〜鬼女サリィの生き様〜



 荒く継ぎ接ぎにされた木板の隙間から、陽光が細く差し込んでいる。


「……亜人の餓鬼が! 都でもない場所で人族にそんな口を聞いて……生きていけると思ってんのか!?」


 木造りの狭い小屋。

 人族の冒険者と思しき男が四人。

 腹、顔、胸部、四肢――見境なく蹴りつけられる。何度も意識が飛びかけるが、小屋の隙間から差す陽の光に照らされ、かろうじて正気を保つ。


「……私が鬼族だから、何だというんだッ!?」


 人など私と母以外立ち入らないような森の奥で狩りをしながら生きてきた。しかし、母は私が物心ついたばかり頃に、ある日唐突に帰ってこなくなった。


 それからは一人で生きてきた。

 あらかた常識は教わった後だったが。


 ある朝、水面に写った私の顔があまりにも母に似ていた。

 緑の髪に、赤い瞳。そして、額の一本角。

 無性に母に会いたくなった。私は母を探しに行くことを決意した。


 母が都について語っていたのをぼんやりと覚えていた。

 その記憶を頼りに生き別れになった母を探しながら、齢十五になる私は都への旅をしていた。

 

 旅に出て二年ほど経った。都の方角は知らないので、人がいそうな場所に向かって、少しずつ情報を集めながら都を目指した。


 それが、どうしてこんなことになったのだろう。


 旅をしていると己の無知を思い知ることも多い。

 両手脚を重い鎖枷で拘束され、彼らに嬲られ続けている。この小屋に監禁されてもう三日になる。


 生き別れた母――アリアにはよく、昇る陽のような赤だと言われた瞳が揺れる。


 地に伏しながらも、涙は零さなかった。

 愚かにもこんな連中に不覚を取らなければ、目も合わせなかったはずなのに。

 それでも、私は言葉を紡ごうとした。


「わ……ぁぐッ……!」


 しかし、それは荒々しい蹴りにかき消された。

 肺の奥から押し出された空気が、土臭い淀んだ小屋の空気に溶ける。


 髪を掴まれ小屋の木壁に投げつけられた。

 私の体は崩れ落ち、四肢に絡みつく鎖がじゃらりと冷たく音を立てる。


 だが、私の心の陽は沈んでいなかった。私は身体を起こし、まっすぐに男たちを睨みつける。


「……私が、お前らに何をしたと言うのさッ!?」


 絞り出した声は掠れていた。もう何日も叫び続けている。水もまともに与えられていなにのに。


 男は私を見下ろし、舐め腐った嘲りを溢す。


「ハハッ……これが人族だ……! その鬼族のつのの下にある目で睨んでも、人族の嗜虐心を煽るだけだぜ?」


 私の額にある、白く尖った鬼族の象徴たるつの


 男は角を掴み私の頭を持ち上げた。

 本来ならば二本生えるはずの鬼族の角。

 だが、私の額の真ん中からは、一本だけが伸びていた。


「亜種族の血を流すだけでなく、一本角は人族と亜種族の混血だそうだな。何とも歪な娘だ」


 人族と亜種族は対立して久しい。

 正確に言えば、人族は亜種族を敵視し、亜種族は人族を軽視している。

 

 およそ六十年前、世界に突如現れて殲滅の限りを尽くした『殲獣』。

 殲獣の登場と同時に、原因不明ではあるが、かつて世界のごく一部で繁栄していた亜種族は種族固有の力を急激に増幅させたという。

 やがて殲獣の魔法じみた力を支配した気になった亜種族達は、互いに戦争を仕掛けた。


 最終的に、亜種族達は人口の多い人族の王を大陸の皇帝に立て戦争を終えた。だが、人族の皇帝は亜種族の傀儡だ。

 帝国が誕生し大陸戦争が終わったのが、三十年と少し前だ。

 これが亜種族と人族の対立の所以だ。


 私には、鬼族の血を流れている。

 母アリアは鬼族だ。私と同じ一本角。


「一本角が混血というのはまやかしだ……!」


 母は、鬼族にとって普通でない一本角のせいで大変な苦労をしたと言っていた。純血な鬼族の両親がいたにも関わらず、人族との間にできた子ではないかと鬼族からは蔑まれ人族からは気味悪がられたそうだ。


 母は強い人だったから、その度に実力で黙らせてきたらしいが。

  私は父のことを知らない。


 母の話を信じるならば、私は混血ではない。


「私はともかく……私の母は純血の鬼族だった。それでも一本角だった……!」


 必死に叫んだが、奴らには私の言葉など届いていなかった。

 

「頭ァ……もう十分楽しんだろ? いい加減に角を折って売り捌いて、娼館にでも行こうぜ?」


「何を言ってやがる。角を売る前に、女なら此処にいるだろう? ……あぁ、そうだ、酒も持ってこい」


 そして男達は酒を持ってきて私に飲ませた。

 初めて酒を飲んだが特に気分は変わらなかった。

 

「おっと」


 男が手を滑らせて酒瓶を落とした。

 そして、手を切り結構な量の血を流す。


 小屋の中に横になっている私の口に酒と血が流れ込んだ。

 それを皮切りに頭の奥底で何かが弾けたような、何かが呼び醒まされたような感覚がした。

 陽の光により辛うじて保たれていた私の正気は、呆気なく途絶えた。




  *



 

 のどが陽のように熱く灼けて、目を覚ました。

 何があったのか思い出せない。


「……はっ……?」


 目を開けたのに視界はいつまでも暗闇だった。小屋の木板の繋ぎ目から溢れていた光は、消え去っていた。

 ただ闇が広がっていた。


「いつのまに、夜になったんだ?」


 あてもなく脚を進めようとした。

 じゃらりと鎖枷が鳴り、拘束されていたことを思い出した。


「あ……?」


 足がほつれると思い受け身を取ろうとした。しかし、くるべき衝撃は無かった。

 小屋から出て、仄かな月灯りを頼りに足下を見る。

 両脚を繋ぐ鎖枷は、引きちぎられていた。


「手も……」


 腕を近くで見ようと顔に近づける。

 先刻からしていた生臭い匂いが強まった。

 

 暗闇の中なのでよく見えなかったが、私の手は何かで濡れていた。

 口から溢れて顎に生温い液体が滴る。



 自分がしたことを悟るのに時間は掛からなかった。

 鬼族とは――生肉を喰らう亜種族だ。



 私は人を食べたことは無かった。当然だ。古来から鬼族は人を好んでは喰らわない。

 殲獣が出現してからは、人喰いを好む鬼族も現れたそうだが、そんなのは極一部だ。

 

「私が……喰らった、のか?」


 自分がしたことを悟ってもそれをすぐには受け入れられなかった。


 月夜、呆然と小屋の外の森を彷徨う。

 不意に、身体の奥底が震えるような恐ろしい唸り声が響いた。


 無数の気配に取り囲まれていることに気がつく。


 血の匂いに釣られて数多の殲獣が集まっていた。

 普段ならば逃げ出すところだが、鬼族の血に覚めた私にはもはや恐怖など無かった。

 鬼族の本能に呑まれていた。

 普段ならば到底考えないであろう思考が溢れる。



 獣共が。どちらが喰らう側か思い知らせてやろう。


 

 私はぐつぐつと煮えたぎるような不快な衝動に身を任せ、血に飢えた獣共を蹂躙した。




  *


 あの日から私は私が嫌いだ。

 安っぽい矜持も、己の血に支配される人族も、亜種族も、そして何より亜種族も。嫌いだ。大嫌いだ。忌々しい。


 だが、鬼族の血に呑まれ、何もかもを喰らい尽くした私自身が一番、嫌いだ。


  *



 都シュタット。


 都に辿り着き、帝国軍に入り十年が過ぎた。私は新兵の育成を命じられるようにもなり長い。

 帝国軍の新兵は生活に困って志願する人族の若者が大多数を占める。


「サリィ将軍って強いけど、それって俺達人族から見た強さじゃないか? 鬼族の中ではどのくらい強いんだろうな?」


 ある朝、新兵たちがそんな噂をしているのを聞いた。


「鬼族の英雄というと、やはり女の身でありながら鬼族最高の武人と称されるアリア将軍かしら?」

「いいや英雄と言えば一人だけ。建国の英雄ライトだよ」

「ライトは人族じゃない?」

「鬼族の血も流れてるんだよ。知らなかった?」

「知らないな。見た目は完全に人族じゃないか」

「……ねぇ……アリア将軍って言えばさ……」


 聞こえた母の名。

 

「お前たち無駄話をしている暇があるのかい?」


「ひッ! ……サリィ将軍! 申し訳ありません!」


 怯えたように謝罪する新兵。このところやっと、言い訳をせず、即座に謝罪するようになった。

 私は一応は納得して踵を返す。


「――やはり似ているよな」

「あぁ」

「サリィ将軍ってアリア将軍に。……亜種族の集うこの都シュタットでも珍しい一本角だしさ」


 母アリアと同じ緑髪。赤い瞳。

 そして、額の一本角。


 死刑場に行き、死刑執行任務に当たっていた子供達を散らせた。

 死刑囚を刻み気持ちを鎮めようと思った。


 そこで、死刑場に私が育てた子供達や新兵のものとは明らかに異なる大きな足音が鳴った。

 サリィ、と声を掛けられる。


「そう無闇やたらに荒れるな。部下の士気を下げるぞ」

「……ライトか。去れ」

「アリアが恋しいのか?」


「ふん、何を今さら……。母――否、アリア将軍の放浪癖は今に始まったことではないだろう? まぁ十年帰っていないんだ、野垂れ死んだと考えるのが自然かもな」



  *


 齢十六の頃、都に辿り着いた私は、母が帝国軍将軍として生きていることを知った。

 小娘だった私は軍で成り上がり母に再会しようと思った。無邪気であった言えば聞こえが良いか、いや。

 

 単に愚か者であったという方が適切だろうな。


 帝国軍に入軍した私は、ライトに出会った。

 噂話くらいは聞いたことがあった。人族の身で亜種族をも恐れさせた英雄。見た目は人族そのものであったため、人族の英雄という印象が強くなりがちだが、鬼族の血を流しているとも聞いた。


 愚かな私は昔、ライトに惹かれていた。

 半亜種族など、大嫌いであったはずなのに。


 ライトを慕っていた。


 帝国軍に入軍した私は、人族ばかりの軍で珍しく鬼族だったということもあり、割と早く出世した。

 ライトは初め、上官として気私をに掛けて色々と世話を焼いてくれた。

 

 人族のような見た目をしながらも、鬼族の特性を持ち大陸戦争で活躍したライト。


 人族からは建国の英雄などと持て囃されている。

 亜種族達が人族の王を皇帝に立て戦争を終わらせようと判断するほどの功績を立てたライト。


 南の大陸の武族と組み大反乱を企てていた元帝国軍将軍を、私が倒したとき。

 かつてのライトの武勇と比べれば些細なことなのに、己のことのように喜んでくれたな。


 思い切って話した私の身の上話を聞いて、酒樽を飲み干し酔った振りをして泣いてくれたライト。



『アリアが帰還し次第会うと良い。アリアには造作もない任務だ。無事帰るだろう』



 ライトはそう言って、私の緑髪をくしゃくしゃに撫でてくれた。

 角には触れずに頭を撫でてくれた。


 ライトの話によると、島国の方で帝国軍の船が賊に襲われたという情報を元に、見せしめとして遠征に行っていた母アリアは任務を早々に終えたらしい。


 そうして帝国軍から離れて……一人姿をくらませたそうだ。初めてのことではないらしい。

 将軍アリアの放浪癖は有名であった。

 母はそういう女だ。

 物心つくかどうかの私を置いて去ったような人だからな。  



 ライトがすぐに帰還するだろうと言った母は、それから三年後に帰還した。



 母は私の見た目からすぐに、私が何者かを察したらしかった。

 私は、母に何もかもを話した。


『あはッ……そう、可愛いサリィ……そうなの……』


 やっと再会した母に言われた言葉だ。緑髪と角を撫でられながら。

 黙って去ったことについては何も言わなかった。


『でも、あまり勧められないよ? サリィの父親って多分…………ライトだから』


 母は言った。それはそれは甘い声で。

 いつの日が水面に写った私と同じ赤い目を揺らし、言った。


 母は私にそう伝えると、また放浪に出て二度と都には姿を現さなかった。



  *



 ――愚か者。

 そうとしか言いようがない連中がこの世界には溢れている。


 生肉を喰らう亜種族である鬼族の血。 

 その血に呑まれ、あの日人を喰らった私自身も。


 こんな世界で、他種族の血を流す者と欲望のままに交わり、子を成す母も。


 母とそっくりな見た目であるのに、私の正体に気が付かないライトも。

 ……ライトは気が付かない振りをしているのかもしれない。だがどちらにせよ。


「去れと言っているのがわからんのか? 愚か者」 


 いつまでも私の周りにいるライトに言う。

 誰よりも残酷なくせに、優しい振りをするライトが、嫌いだ。


「変わってしまったな、サリィは」


 堅物のくせに悲しそうな表情だけは平気でするライトが、嫌いだ。


「お前と交わす言葉など、もはやあるものか。去れ、ライト」



  ***




 若く愚かだった私は、全身に纏わりつく母の言葉を振り払うように軍人として生きた。

 年を重ねてからも変わらない。

 反乱者の粛清、南の大陸の部族の制圧、それから帝国各地での反乱の芽を摘み取る暗殺任務までもこなした。


 やがて、私は人族の少年少女らを選抜して創設されたという暗殺部隊とやらの育成を命じられた。

 帝国の闇も随分見たが、何も気にせず己のすべてを叩き込むというのは中々愉しいものだった。

 ただ、私に染まり切らない奴らもいた。


 幼い頃から育ててきたこともあり、情も湧いた。

 それがどれほど愚かなことかは、理解していた。私も多少は聡くなったと思う。

 

 ――だが、決して半亜種族に良い顔ができるようになったわけではない。


 未熟者ではある私だが、流れる血のみによって他者を決めつけるのはやめた。

 種族としての考え方に捉われずに生きている者には多少の好感を覚える。人族の子供らを育てた影響もあってか、その者をよく知ってから判断したいと思うようになった。


 しかし、ソニアが連れてきたあの子供は――。


 外套の下に隠しているつもりであろう小さい吸血鬼族の翼や、見る者が見ればすぐに分かる牙で、半吸血鬼なのだと悟った。少女が半亜種族だからという理由で、彼女を忌々しく思ったわけではない。


 私は相も変わらずライトが嫌いだ。

 これは種族の問題ではなく、私はあの男の心根が嫌いだ。


 私の言葉の表面しか受け取らなかったライトが、嫌いだ。

 あっさりと私と数十年生きた都を去ってしまったライトが、嫌いだ。

 それきり顔を見せもしないライトが、嫌いだ。


 

 あの日からずっと、私の中の陽は沈んだままだ。

 鬼族の血に呑まれ、人を喰らったあの夜。

 母の言葉を振り払うように、軍人として生きると決めた日。


 そして今もなお、私は自分自身を嫌っている。


 血に囚われた自分も、愚かな母も、そして……。


「……くだらん」


 小さく呟き、踵を返す。

 私はただ、戦うしかないのだから。


 ライトの娘を名乗る半吸血鬼。


 ……だめだな、やはり好感は持てない。

 私は鬼族の血を流す女の身だ。

 しかし、種族の血や生まれ持った身体に溺れて生きているつもりはない。


 あの少女と刃を交えて、何者かを見定めてやろうではないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る