第19話 再燃する
--たった一撃くらっただけなのに。私の体はこんなにも脆かったのか?
そう考えた直後にサリィが段違いに……ライト並みに強いだけなのだと思い至る。喉には血が流れて呼吸は荒くなり、全身が重い。手は震え、辛うじて握る槍の感触も感じなかった。
「相変わらず愚かなんだね、ミラク。お前はまるで人形のように、ただ生き、そしてただ死を求めていた。その果てに犯した裏切りという愚行……」
サリィが呆れ果てたように言った。
サリィも含み暗殺部隊の面々からすれば、およそ十年ぶりのミラクとの対面だった。横たわるテツとそれに寄り添うソニア。その傍に立っていたフィロンとレーシュ。
ミラクからの視線にテツは伏したまま歯軋り、ソニアは忌々しげに目を逸らす。フィロンは場に似つかわしくなく軽やかに笑み、レーシュはかがんでフィロンの後ろに身を隠した。
ソニアとテツ、サリィと双子、レーシュとフィロン、私、そしてミラクは広い砦の入り口付近で四角になり対峙して互いを探り合っていた。
「……忘れたかい? 裏切り者の粛清は、暗殺部隊に常に課されている任務だ」
しばらくの静寂の後、サリィは唐突に、しかしはっきりと告げた。
「そうだね、サリィ」
サリィが言い終える前に風のように駆け出した影が一つ。赤みがかった白い髪が揺れる。フィロンだった。
……速い。フィロンの実力は暗殺部隊随一と言っていたソニアの言葉に嘘はなかったのだろうと思う。
「久しぶりだねミラク。ねぇ、今さらどうして来たの?」
駆けながら言われた笑い混じりの言葉には、徐々に怒気が含まれていく。フィロンは壁に背を預けている私を飛び越え、頭上の壁をそのまま駆け上がった。動かない身体では目で追うのがやっとであるほどの速さで勢い乗ったフィロンは立ち尽くしているミラクの首を狙った。
しかしミラクは寸前で身を低く伏せて這うような姿勢になりフィロンの剣を避けた。宙に浮いたフィロンを、ミラクは剣も抜かずに鋭い蹴りを放つことで仕留めようとした。それをフィロンは見切っていたようで、身を捩りミラクの足を掴み放り投げた。
「……剣も抜かずに僕に勝てると思ったのかなぁ? 雑魚が。君がランク 1 だったのなんて、十年近く前の過去。一瞬の栄光さ」
フィロンは、恐れというものを知らないように攻めていた。遠くに放ったミラクに瞬く間に距離を詰める。どちらも的確に急所を狙い、勝負を確実に決めようとする傾向がある。暗殺者の性か。
「相変わらずのようだな、フィロン」
体勢を直し、今度は剣を抜いてフィロンの剣を受けたミラクは機嫌が良さそうだった。まるで長年欲しくて堪らなかったものが遂に手に入ったかのようだった。
「ははははは、僕に負けたことがないからって、しゃしゃってんじゃねぇよ雑魚! 昔と今では、何もかもが違うんだ……斬り伏せて、土と屈辱の味を教えてあげようか!?」
「『屈辱』という感情か。それは魅力的な提案だな」
ミラクはフィロンの激しい剣撃を間髪で躱しながら言った。
「僕のことを舐め腐っているから吐ける言葉だね」
フィロンの言葉に同意するわけではないが、私はミラクの発言の意味が分からなかった。ミラクは何故か楽しそうに嗤っていた。私は見たことがないくらいに。半狂乱で嗤っていた。
「所詮はミラクなど落ちぶれた脱走者だ。私の下で鍛え続けたフィロンに及ぶものか」
無気力な様子でサリィが言ったのが聞こえた。ミラクとフィロンの戦いには目もくれず、ただ背後のサリィを警戒しているラキとラナ。ラナはその一言でようやくミラクに目を向ける。ラキは変わらずサリィから目を離せないようだった。
サリィの評価は妥当だろう。剣の一振りごとにフィロンからの剣を辛うじて受け、避けているミラク。押されているのは明らかにミラクだ。
--このままではミラクは、きっとフィロンに殺されてしまう……。
そう思った自分に気がつき、息が詰まった。ミラクが死んだとして、それがどうしたというのか。私はミラクの死を望んだ。
それなのに、一体何が引っ掛かったのだろう。
--私は、何を、望んでいるの?
「悪いな、サリィ。俺はあんたを殺すか……殺されるつもりで来たんだ。……だが……事情が変わった」
ミラクは、サリィに向けてそう叫ぶ。
「ミラク。……私は、お前を暗殺者としてしっかり育ててやろうと思っていた。お前の感情の欠如は暗殺者としては長所だった。武術も剣術も私の期待以上にこなしたね。……しかし、お前は初任務で人を殺してから変わってしまった」
サリィはそう言い、ラキとラナの間を通ってゆっくりと前に歩み出した。
サリィはフィロンに手を出して、ミラクへの攻撃を止めるように合図する。
フィロンは不満そうな表情をしながらも剣を納めて停止した。
「無感情だったはずのお前は、殺しの中に『感情』という刺激を見出し、それを快楽とした。衝動に溺れて、
ミラクはフィロンと向かい合い顔だけサリィ向けていたが、その言葉にサリィに全身で向き直る。
「そんなにも熱が欲しいのか? 快楽に溺れたいのか? ……愚か者が」
サリィが続けた言葉にミラクは失笑を零す。こんなミラクは見たことがない。異常だ。ソニアやテツも訝しむような視線をミラクに向けている。
「都に帰還したのは間違いではなかったらしい。やはりサリィには、殺す価値がある」
「そのわりには半吸血鬼の餓鬼に夢中そうだね」
笑い混じりのミラクの言葉にサリィが答える。
「あぁ……勘違いさせて悪い。サリィには『感情』と呼べるほどの熱は無い。殺せば、かつて味わったことがないほどの『感情』を得られるかもしれないという微かな期待があるだけだ」
「かなり拗らせているようだね。相変わらず、死者に焦がれる変態趣味なのかい?」
「否定はしない」
ミラクは砦の頂点が見えないほど高い天井を仰ぎ見て嘆息した。
「俺はサキを殺したはずだった。だからサキに対して『感情』を抱いていた」
重々しい空気の中ミラクは語る。
私はミラクに対する怒りよりもミラクの真意を聞くことができるという機会を逃してはならないという考えが勝り、聞き入ってしまっていた。
「だが……俺は今、生きている者に対して『感情』を抱いているんだ。殺した
歪な笑みと獲物を狙うような瞳が突き刺さる。
「……ミラク!!」
獣のように吠えた。ニーナを殺して私のことも殺しかけたのは、今語ったようなふざけた理由からなのか……? ミラクはそんな私の様子を見て震え、自身の肩を抱いた。満足そうな表情を浮かべていた。
「殺したあとにのみ刹那に抱けた熱が……! 感情が……! 湧き出て止まない……!」
私を『感情』とやらを得るための道具にしているとでもいうかのように聞こえた。
「……もう黙れ、ミラク!」
壁に寄りかかりながらも上半身を前に乗り出して叫んだ。我慢ならなかった。私の旅を裏切りと殺人で絶望に染めて楽しそうに笑っているミラクが、憎かった。
「『生きている者に対して感情を抱く』。あぁ……たったそれだけのことが……こんなにも身を焦がすとは……!」
ミラクは狂ったように肩を抱き嗤い続けた。
そして、お前らには常にこの『熱』があるのかと、ぽつりと零した。
妬むような声色だった。
「死ぬわけにはいかなくなってしまった。……退かせてもらおう」
宣言したかと思うと、大きく身を翻し宙返りした。背を向けたミラクに、サリィは舌打ちした。
「待てミラク……! 勝手なことばかり言って……ふざけるな!」
何も話せていないし、殺せてもいない。それなのにミラクは去っていってしまう。わかったのは、私にはミラクを理解できないということだけ。
「待ってよ……! ミラク……!」
ミラクは私を殺したと思っていたと言った。それは無理もない。吸血鬼族の特性などほぼ出ていなかった私が吸血による回復で生き延びているとは思わないだろう。
そして……ミラクは私に、『感情』を抱いたと言った。たしかに、私は今日、初めてミラクからあんな熱のこもった瞳と言葉を向けられたように思う。……いや、大河に蹴落とされる直前に向けられた瞳は熱かったかもしれない。
「ミ、ラク……」
ミラクは去ってしまった。……まともに話すらできないままに。
「フィロンとレーシュはミラクを追いな」
サリィは、黙り込んでしまった私を一瞥してから、そう指示を出した。フィロンは既にミラクを追って姿は見えなくなっていた。
「……え、あたしも?」
レーシュがサリィに恐る恐る言ったのが聞こえた。
状況から目を離すわけにもいかず、私はサリィ達を見る。
「ソニアはテツを折檻室にいれておいで」
サリィはソニアとテツにも指示を出した。その言葉を聞いたテツはなんと立ち上がる。そしてサリィを真正面から睨んだ。
「テツ……!?」
ソニアが困惑したようにテツを止めようとするがテツは構わず口を開く。
「待てよサリィ。餓鬼どもは、どうするんだ?」
「お前と一緒に折檻室行きだよ。ソニアと二人で捕らえてから折檻室に向いな」
首を傾げて恐い顔でテツを睨み返すサリィ。サリィの方がだいぶ背が高いためサリィは見下ろしテツは見上げている。そんなテツとサリィの間にソニアがさっと入る。
「……わかりましたわ。サリィはどうしますの?」
「……頭を冷やす。また明日の分の死刑囚が連行されて来ていたろう?」
ラキはラナを庇うように手を伸ばし身を乗り出していたが、サリィが去った瞬間に膝から崩れ落ちた。そのラキに、今度はラナが庇うように前に出た。サリィは構わず砦の奥に進み続けた。
ラナはサリィの背を警戒したように睨み、目を離さずにいた。
「……ラキ、ラナ……」
私は動かない身体でなんとか這う。双子に近づいた。
ラキは途中で私に気がついた。座り込むラキと目が合う。ラキは立ち上がりおぼつかない足取りで私の前に膝をついた。
「ラキ……。今のうちに、ラナを連れて逃げるのよ。サリィがいなければ、どうとでもなるわ」
私はソニアやテツには聞こえないように声を抑えて言う。
帝国軍の将軍であるサリィを相手にした直後だからかもしれないが、ソニアとテツだけならば逃走するくらいならば辛うじてできるのではないかと思った。
「……あぁ。サキもだろう?」
「私は……無理よ。……動けないの。いいから、早く行って!」
--行けない。共に行けば、きっと途中で正気を失う。そしてラキとラナのどちらかを吸血してしまう。……今も、目の前のラキに噛み付かないだけで精一杯なのに。
「その怪我ではそうだろうな」
そう言うとラキは腕を差し出した。
「……」
「どうしたんだ? 血を飲めばいいだろう?」
「今、血を飲んだら……正気を失いそうなのよ」
動くこともままならない身体の怪我に、ミラクとの再会で乱れた心。今にも吸血欲求に呑まれて自我を失いそうだった。こんな場所で自我を失えばラキとラナの命が危ない。私とラキはお互いが譲ろうとしないため静寂の中、黙って見つめ合っていた。その静寂は最悪な形で破られる。
「ヒッ……」
突如聞こえた短い悲鳴にラキが勢いよく振り向く。
……背筋に冷たい汗が流れた。私は、自分の愚かさが恨めしくなった。
「お二人とも。密談中に申し訳ありませんけれども、みすみす逃走を許せば、訓練兵でもないのに
ラナの首に剣を突き立てるソニアとテツがそこにいた。
*
砦には死ぬつもりで来た俺は、策を練っていなかったため、暗殺部隊の情報網が張り巡らされた都には向かわずに南へと走っていた。
「……追ってきていないな。どういうつもりだ?」
この辺りは昔よくサリィに
都に近く殲獣は討伐されておりほとんどいない。
殺したと思っていたサキに対しては、一度『感情』を抱いた。
しかしサキはまだ生きていると知って、再び体が震えるような強烈な感情を抱くことになった。
--奴にとっての俺は、裏切り者だ。
「だが……サキは初めての仲間であった俺を忘れられていない」
--ならば俺は、サキの前に裏切り者の宿敵として幾度も姿を現そう。
かつてサキが自分を救おうとした姿勢に気づきながら、その善意を利用し、関係をねじ曲げていく。
「サキは、俺にとって刺激そのものだ。あいつが感じる感情が、俺の心に火を灯す」
死に伴って生まれる悲憤や裏切りの感情を味わうことこそが、俺にとっての快楽だった。
しかし、それがサキとの再会で変わった。
生きている者に感情を抱くというのは素晴らしい。殺さずとも溢れ出る『感情』。それは途方もない快楽だ。
サキとの関係が複雑になるたび、強烈な感情を抱く。サキとの関係を複雑にし、悪化させることで、自らの内に湧き上がる様々な『感情』を味わう。
--その関係を複雑にしきった後に、サキを殺して感情の極みを……『絶望』を抱く。
俺の渇望は止まない。おそらくサキを殺すことでしか、焦がれた『絶望』は手に入らない。
俺の中で渦巻くこの感情が、どれほど深いものなのかを、確かめたくてたまらない。
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【後書き】
かつて殺した者にのみ『感情』と呼べるほどの熱を抱いた暗殺者は、殺したはずの少女と再会し、そして体が震えるような『感情』を抱いた。
それは彼にとって、生きている者に対して初めて抱いた感情であった。
暗殺者は少女の前に裏切り者の宿敵として姿を現すと決めた。その関係を複雑にするたびに強烈な感情を抱く。
少女との関係を複雑にしきった後に殺し、感情の極みである『絶望』を味わおうと考えている。
その暗殺者と少女の結末は--?
希望を抱き旅立った少女は、戦いと愛と裏切りの果てに復讐を選ぶのかーーそれとも......。
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