第27話 皇女ユリアナ

 夕日の赤と古い教会の影が交差する扉口に皆が注目していた。そこには、場にふさわしくない穏やかで綺麗な声でヴェルデの名を呼んだ人物が立っている。

 

「フィロン。わたくしに免じて剣を引いてくださいませんか?」


 その人物は軽やかに鈴が鳴るような声で告げる。逆光で顔はよく見えないが、高貴な都の女特有の言葉遣いだ。そういえば暗殺部隊で育ったはずのソニアもなぜかこの言葉遣いだったと、俺はふと思い出した。


「ね?」


 女は穏やかに囁くような声音で首を傾げながら教会に足を踏み入れる。声の通りに穏やかな笑みを浮かべている。影が晴れて露わになっていく、その顔は……。


「ソニア?」


 俺は思わず名前を呼ぶ。現れた女の顔はソニアと同じだった。だが、俺はすぐにその女がソニアではないと理解する。ソニアと違って金髪を結ばずに下ろしており、何より話し方はソニアと似ていたのだが声がソニアよりも高く、さらりと澄んだような印象を受けた。


「聞いていますの? フィロン。ヴェルデに向けている剣を下ろしてくださいませんか?」


 俺には目もくれずに、ソニアに似た女はフィロンとヴェルデに向かってつかつかと歩いていく。フィロンに詰め寄って顔を見上げて睨みつけた。フィロンにそんなことをしたら容赦なく斬りつけそうなものだ。しかし、なぜかフィロンはあっさりと女の言葉に従って剣を下ろした。


「久しぶりだね、ユリアナ。相変わらず不気味なくらいソニアと同じ顔だ。雑魚のくせに身の程を知らないところも……変わっていないね」


 フィロンは冷たい笑みを浮かべて言う。やはりその女はソニアではないようだ。


「フィロン、俺には一言も無しかよ?」


 互いに通じ合ったような笑みを向け合うフィロンとユリアナと呼ばれた女にヴェルデは舌打つ。斜め下を見て苛立ちを隠さずにフィロンに言った。


「雑魚が。ヴェルデ、そもそも君は僕に反抗できる立場なのかな?」


 ヴェルデが溢した不満に、フィロンは露骨に不自然そうな顔になる。


「僕たちがどれだけの危険を冒して、暗殺部隊に呆れるほど流れ込んでいる反乱軍の情報をサリィに届かないように工作していると思っている? 僕が、一体幾度役立たずなお前の尻拭いをしてやったと思っている?」

 

 フィロンはヴェルデに向き直る。今度は剣に手をかけてはいなかったが、今にも蹴りか拳が飛びそうだった。ユリアナが呆れたようなため息を溢した。


 ……ユリアナとかいう奴はフィロンとヴェルデの喧嘩の仲裁をする気配がない。……諦めたのか。……争いを収める者がいなくなったならば、俺たちにとっては都合が良い。仲間割れをしている隙に逃げればいい。


 しかし、その甘い考えはすぐに覆される。


「喧嘩は……やめたほうがいいよ。フィロン」


 レーシュがフィロンとヴェルデの割って入ったのだ。


「レーシュまでそんなこと言うの?」


「うん。あたしはヴェルデと皇女さまの味方をするよ……。反乱軍の末端の人員は暗殺部隊にどんどん捕まって処刑されていっているでしょ。あたし達はたしかに反乱軍に不可欠な存在だけど……期待されているほどの働きは、できていないわ」


 レーシュの言葉に黙っていたユリアナが反応する。


「あら、あなたは暗殺部隊の方ですの? 初めましてですが、なかなか話が分かる方ですわね。……お名前を伺ってもよろしくて?」


 ユリアナと呼ばれた女はとぼけたようなトーンの高い声で問いかける。


「……あたしはレーシュ」


「フィロンから噂は聞いたことのありますわ」


「うん……あたしもあなたの噂は知っている。……よろしくね……噂の通り、ソニアにそっくりなユリアナ皇女さま。あたしが次に砦から出られるのは……いつになるか分からないけど」


 レーシュがじとっとした目で見上げて手を差し出す。ユリアナは華やかに笑んでレーシュの手を握った。


「ところで……あなた方が取り囲んでいる子どもたちは何ですの?」


 ユリアナが俺たちのことを見ながら言う。その言葉にヴェルデはギクっとしたように肩を揺らして、フィロンとレーシュは視線を逸らした。


「まさか、あなた方……。こんなに若い冒険者を無理やり誘い入れたのではありませんわよね?」


 ユリアナは怪訝そうに眉を顰める。ヴェルデに関してはユリアナの言う通りだ。しかし、フィロンとレーシュは事情が異なるだろう。


 静寂が流れる中、フィロンがやれやれと言うように両手を宙に軽くあげた。


「残念だけど、その餓鬼どもを教会ここに連れてきたのはユリアナが厚ーく信頼しているヴェルデだよ」


「あら、ヴェルデが?」


 ユリアナは納得がいかないような声だ。しかし、切り替えが早いのか、すぐに俺たちに向き直った。


「それはヴェルデが悪いことをしましたわね。解放してあげますわよ」


 ユリアナは穏やかな笑みで俺とラナに近づいてくる。


 今、フィロンとヴェルデ、そしてレーシュは教会の扉側にはいない。いるのはユリアナだけだ。……ユリアナはあまり強そうには見えない。……ユリアナならば振り切って逃げられるか?


 俺はいつでもラナを連れて走り出せるように足に力を込める。


「それがね、ユリアナ。そう単純なことでもないんだよ。この餓鬼どもは暗殺部隊に関わってしまっているんだ……。反乱軍の話も聞いてしまっているし、もう逃すわけにはいかないよ」


 しかし、フィロンが口を挟んだ。フィロンはユリアナの前に躍り出て、俺たちが扉から逃げ出せないように立ち塞がった。


 やはりフィロンは俺とラナを殺す気のようだ。フィロンだけでなく、レーシュも改めて剣を構えて俺たちを逃がしまいとしていた。

 

「……黙って殺されてやる気は毛頭ない」


 俺は双剣を握る力を強める。フィロンとヴェルデの実力は俺と同等かそれ以上だと感じたが、レーシュとユリアナは身のこなしを見る限りでは正直、俺よりは強いとは思えなかった。……あの二人から何とか隙を作り出せば、勝算は完全に無いわけではない。


「……あたしは、べつに君たちを殺す気はないよ」


 俺はどうにか隙を作れないかとユリアナとレーシュを睨んでいると、レーシュが小さく口を動かして呟いた。


「は?」


 意味が分からず、思わず声を漏らす。その言葉の真意が汲み取れなかったのは俺だけではない。俺たちを殺すことには反対していたはずのヴェルデやユリアナも意外そうな顔をしている。


「いつものことだけど少し言葉が足りないよ、レーシュ。君までヴェルデ並みの無能になったわけではないんだろう?」


 フィロンだけはレーシュが何か言いたいことがあると分かっているようだ。フィロンの言葉を受けてレーシュは再び口を開く。

 

「あたしも、その子達を逃すわけにはいかないということはフィロンと同じ意見……。……でも、あたしは……その子達は利用価値が、もっとたくさんあると思う……」


 さっきから思ってはいたが、レーシュはやけにゆっくりと喋る。ラナと俺の生死に関わる話がされているはずだが中身がぼんやりとしか見えてこないところに苛立つ。敵勢力に囲まれている不利な状況に変わりはないが、敵のペースで何もかもを進められていることが気に食わなかった。


「あたし達は反乱軍で、暗殺部隊の内通者として期待される役割を果たせていない。そして、暗殺部隊も反乱軍も人員が不足している」


 レーシュは静かに話を続けた。


「つまり、俺が最初にラナちゃん達を連れてきた目的の通りに反乱軍に入れてしまおうってことか? レーシュちゃん」


 ヴェルデの確認にレーシュは首肯する。ヴェルデは安心したような口調だった。先程もフィロン相手に俺たちを庇った。奴は本当に俺たちを騙す気はなかったのだろうか。


「そう。ヴェルデが連れてきたときの目的の通りに反乱軍に入れよう」


 レーシュは時間をかけて言いながら俺とラナに視線を向ける。……レーシュの言うことは俺には理解し難い内容だ。反乱軍というのは、ヴェルデをはじめとしてなぜかフィロンやレーシュも属している、帝国に対する反乱を企てている組織だろう。暗殺部隊にも関わってしまっている俺たちを反乱軍に黙って入れるわけにはいかないという話ではなかったのだろうか。


「……でも、それだけじゃない。あたし達は今から暗殺部隊の訓練場に帰るけど……その子達も、連れて行くの」


 レーシュは俺の怪訝な視線に気がついて説明を付け加える。その説明にフィロンがにやりと笑った。


「なるほどね。サリィが半吸血鬼の子とどうなっているか分からないけど機嫌が良くないことは間違いない」


 フィロンはレーシュの言わんとせんことが一足先に分かったらしい。


「そう。あたし達はミラクを追っていたはずだから、何の成果も無しで帰るわけにはいかない……」


 レーシュはフィロンと視線を合わせて肯定する。フィロンと向き合うレーシュは、ゆっくりと俺の方へ振り向いた。


「……君たち……ラキとラナだっけ。……あたしとフィロン今日の成果として一緒に来てくれたら……すごく、助かるかな」


 レーシュ特有のゆったりとした喋りが特に際立つ。レーシュは無言で「んっ」と俺の前に手を出した。俺の後ろで肩を握りしめていたラナの手が困惑で震えているのが伝わってくる。……正直、俺も同じく困惑している。


「……今の勝手な提案を飲めというのか?」


 俺は手を取らずに答える。レーシュは手を差し出したままだ。レーシュはユリアナにも同じように手を差し出していた。こいつは提案するときに握手を求める癖でもあるのだろうか。


「つまり、僕たちと同じく反乱軍と暗殺部隊の両方に属そうってことだよ。悪い話ではないだろう?」


 フィロンがレーシュに代わって俺の問いに答える。


「……俺たちが暗殺部隊に行くのが不味いんじゃなかったのか?」


「僕もそう思っていたよ。だけど、レーシュが言った通りにして、そして君たちがサリィに反乱軍のことをバラさないと約束してくれたら互恵的な関係になれるかもしれない。……どうかな?」


 フィロンが笑いながら詰め寄ってくる。暗殺者は高圧的な詰め寄り方でも習うのだろうかと思ってしまう。


「い、今のままあの砦に戻って、あのサリィという方に会って無事に済むなんて思えません……」


 ラナが俺の後ろからフィロンに答える。ラナは臆病なのに言うべきときははっきりと言ってくれる。俺もラナと同じ意見だ。


「そうだな。今更お前らに寝返って、暗殺部隊に属しながら得体の知れない反乱軍とやらに貢献しろと言われても受け入れられる訳がない」


「……そう?」


 俺もラナに倣ってはっきりと告げる。しかしフィロンは余裕の笑みを崩さない。貼り付けた道化師のような笑みで距離を詰めてくる。俺とラナは思わず後ずさった。


「砦に一人残された半吸血鬼の餓鬼がどうなっているか……分かるかもよ? もし生きていたら檻の中にいるだろうから、暗殺部隊に入れば助けられるかもね」


「……っ」


 フィロンが顔を寄せて耳元で囁いてくる。躊躇いなく近づいてくるとは、いつでも俺たちを殺せるという余裕があるのだろうか。……だが否定できない。フィロンから狂気を感じる。何をするか分からないという予測不可能さが不気味だ。近くで顔面を見ると、瞳孔が開き切っているのが分かった。


「なぁ、雑魚。何とか答えてみたらどうかな?」


 フィロンは剣を上げて俺の首に添わせる。金属が纏う冷えた空気に背筋が凍るようだった。俺は息を呑む。脅しか本気で殺すつもりかは分からないが、斬られると思った。鈍い金属が扉口から差し込んだ赤い夕日を反射して――。


「……お待ちなさい、フィロン!」


 突如としてユリアナが怒鳴る。空気が震えて、最初と同じように全員がユリアナを見た。


「教会の中での殺生は、ヴェルデだけでなくわたくしも見過ごせませんわよ」


「……ユリアナ、君って本当に面倒な雑魚だね」


 気怠げに言ってフィロンは長いため息をつく。そして、殺す気は無いっていってるじゃん、と小さく呟いた。


「フィロン、あなたはほんっとうに大人気おとなげない方ですわよね」


 フィロンを睨んでいたユリアナは、表情を一転して微笑んで俺たちに向き直った。


「手先が増えるのは喜ばしいことですから、わたくしはレーシュの案に賛成いたしますわ。……ねぇ、反乱軍に入ることはあなた方のためにもなりますのよ。だってわたくし達は皆を……民を救うために活動していますもの」


 そして、軽やかな笑みを浮かべながら今度はレーシュとフィロンに微笑みかける。


「フィロン、レーシュ。この子達を暗殺部隊に連れ帰りたいなら……信頼を得たいならば、まずはあなた方が反乱軍に入った理由を語ってみたら如何いかがですの?」


 ユリアナの言葉に、フィロンは露骨に不機嫌そうに眉を顰め、レーシュは呆然としたように瞬く。ヴェルデだけは、表情が一気に明るくなっていた。

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