第1章 都シュタットへの旅

第1話 出会ってしまった二人

 殲獣せんじゅう


 私が歩く木々の繁茂する山道には、それらの唸り鳴く声が響く。


 殲獣は、およそ百年前に突如世界各地に出現し、世界中に混乱を巻き起こした。

 世界を壊し人々を殺し回った異形の怪物を人々は、殲滅の獣『殲獣』と呼んだ。


 現在、世界は殲獣中心に回っている。

 かつて世界に普遍的に存在していたという動物の多くは、殲獣に成り代わられていた。


 殲獣は、破壊の限りを尽くしながらも、人々に夢を見せた。

 殲獣は、『魔法』を現実のものとしたからだ。


 殲獣たちは火を吐いた。氷を吐いた。大地を操った。巨大化した。翼もないのに、空を飛ぶものもいる。


 人々は殲獣の『魔法』じみた力を『魔術』として、また、その身体を武器として利用した。


 少年少女は、殲獣を倒す戦士になることを夢見る。

 大人達は、殲獣を倒しその体の部位を売り捌く。


 殲獣を中心に経済は回っている。


 私たちの暮らす大陸帝国は、殲獣により混沌とした世界で、亜種族と人族の間に起こった『大陸戦争』の末に建てられた国だ。


 帝国には亜種族と人族が共存する。

 しかし、『大陸戦争』が終わり、建国から五十年も経った今でも、亜種族と人族の対立の溝は深い。

 帝国内の治安は……最悪といっていい。


 そう、例えば。


 一人で山道を旅する少女にカツアゲを仕掛けるような自称冒険者の盗賊どもが、三日連続で現れる程度にはね……。


 太陽が雲に隠れ、日が差していた山道には涼気が流れる。

 私の目の前には、人族の冒険者と自称する三人の盗賊がいた。

 古びて薄汚れた茶色い衣服に身を包んでいる。


「てめえみてェな餓鬼が、この山ウロついてたってな、どのみち命はねェんだ。殲獣に蹂躙されるよりも……今、俺たちに従ってついてきた方が身のためだろうぜ?」


 真ん中の長らしき男が、片手を差し出しながら幼子に言い聞かせるかのように言った。


 長い黒髪に、闇に吸い込まれるような黒い瞳。

 ――こんな美少女に声を掛けておいて、よくもそんな言葉が出るものね。


 殲獣狩りなど、幼いころからライトにシゴかれてきた私にとっては慣れたものだ。

 

「ねぇ……私の持っている槍が見えないの?」


 担いでいた槍を手に持ち、男たちに見せる。


 ライトは、私の都への旅を認める条件をいくつか出した。

 ドラゴン狩りも、その一つだった。

 この槍は、私が狩ったドラゴンを素材に作られたものだ。

 

 冒険者を名乗るものであれば、この意味が分からないはずはないのだけれど。


「だからなぁ……ここは……ただ甘えてりゃ良かったような故郷の村とは、違えんだよ!!」


 怒声と嘲笑が曇天の山に響く。

 優しくしているうちに従わないから怒鳴られるのだ、とでも言いた気だ。


 見当違いに呆れて、言葉も出なかった。

 こいつらはまだ、誰も腰に差す刀を抜いていない。武器を使うまでもないと思っているのだろう。

 脅されてはいるが、戦闘を仕掛けられたわけではないから……まぁ….別に見逃してあげてもいいか。


 ――このまま男たちを跳び越えて、走り去ろうかしら。

 

「……なんとか言えや。安物の槍振り回してる常識知らずの餓鬼」


 見逃そうと思っていた矢先の言葉。

 

「……は?」


 私には、その言葉を聞き逃せなかった。


「今、なんて言ったのよ?」


 ――見逃してあげるのは、無しだ。

 三人。

 まずは真ん中の男の首筋を柄で叩きつけた。

 動揺した隙に、残りの二人はそれぞれ脳天を石突で小突いた。


 男たちは微かに呻き声を漏らしてその場に倒れた。


「……なにが、安物の槍よ。私がドラゴンを狩るのに一体どれだけ苦労したと思っているの!? こんっなに弱いあんた達なんかに、あのドラゴンが素材になっている槍を、安物呼ばわりなんかされたくないわよ!」


 うずくまる盗賊連中に向かって、吐き捨てた。


「ふん。命までは取らないであげるわよ。あんた達も、私の命を奪うつもりまではなかったみたいだからね」


 連中が動かなくなったのを確認して私は足を進める。


 まぁ……この殲獣がいる山で気絶していれば最悪死ぬけれど。加減はしたからきっと遠くないうちに目を覚ますはずだ。


「……西部の雑魚ども相手は飽きたわ。村を出て……三日。まだ遠いけれど、はやく都に着きたいわ」


 口では不満をこぼす。だけれど、足取りは軽やかで、滑らかに山を移動していく。


 くるりと宙を一回転。気ままに山を駆ける足は、速さを増すばかり。だんだんと楽しい気分になり、私はもっと踊るように足を進めた。


『サキは危ういな。戦闘を楽しみ過ぎている。その趣向はいつかお前の足元を掬うだろう』


 いつかライトに言われた言葉を思い出す。


 ――どうして今、こんなことを思い出したんだろう?


「そりゃ、ライトやドラゴンとの戦いは楽しかったわ。でも、さっきの連中との戦いなんか、あんまり楽しくなかったんだけれど……」

 

 ……ああ、でも。確かに。

 山の中では油断大敵だ。

 殲獣には、何度か死に目に遭わされたこともある。


 ザワザワと揺れる木々が私の心を騒がせた。


「……ん?」

 

 何かの気配を感じて、立ち止まる。


 ……人が、近くにいるわね。さっきライトを思い出したのは、無意識にこの気配に気がついていたからかしら。


「……黒い翼……」


 低い声が聞こえた。一体、どこから聞こえたのか。

 目に見える範囲にはいない。背後かと振り向くが、誰もいない。それならば……。

 ……上だ。気がついたときには、間に合わなかった。


 突如、上空から何者かが降ってきた。視界が揺れる。


「……グッ!」


 高い木に潜んでいたのか。

 対応が追いつかない。瞬く間に、私は何者かの両足で腕を踏みつけられ、押さえつけられていた。

 見上げて、降ってきたものの正体が、暗い雰囲気の男だとわかる。その男は、両腕で興味深そうに私の……翼を、掴んでいる。


 ……槍を、離してしまった。

 ……私に直前まで気取られず近づき、動きを封じるなんて。

 ――この男……何者?


「珍しいな、西部に吸血鬼族がいるなんざ。それも一人で」

 

 真っ黒な髪に黄色い瞳。その冷たい風貌から見て取れる通りの低い声で男は言った。森の湿った空気の中でも、男からはどこか乾いたような印象を受ける。


 私は睨むが、男は気にせず続けた。

 

「知ってるか? 人族の多い地域では、亜種族の体は高く売れるんだぜ、生体死体問わずな」


 男は笑い混じりな喋り方で言う。

 どうやら、踊るように山道を進むうちに、外套がはだけていたようだった。

 つまり、黒翼が露わになってしまっていた。


 ……それを運悪く、この男が目撃したんだ。


「今なら、謝れば見逃してあげるわよ……! どけこの……変態根暗男が!」


 純血の人族よりは少しだけ尖った牙を剥き出して叫ぶ。

 しかしそいつには、何も聞こえていないかのようだった。


「……お前、まさか混血か? 翼が体に対して小せェな。それじゃ、飛べもしないし満足に動かせねェだろう」


 私の顔には目もくれず、翼を見つめながら言う。その目はまるで、獲物を狙う猛禽のようだ。

 ……不意打ちをするようなクズのくせに、なかなか勘は鋭い。


「……ッ」


 男が私の両腕を踏みつける力を強めた。


「こんな翼じゃ売っても大して値は張らねェだろうな」


 こいつ。

 相変わらず、私の目は見ない。

 私の槍、そして翼を弄るように睨め付ける。


「だが……その槍……さっきの連中への攻撃……」


 なにやらブツブツと呟き始めた。


「なによ……!」


 私が叫ぶと、男はニヤリと薄汚い笑みを浮かべた。


「殺して翼を売っても大した儲けはない。ならば、生かして使おう。……半吸血鬼の餓鬼、俺の駒使いにでもなれ」


 あまりに勝手な言葉だ。

 どうにかして腕を解放しようともがくが、強く踏みつけられており叶わない。


「……断る。私は、お前が泣いて謝らない限り……殺すつもりよ」


 出来るだけ冷静に答えた。

 仰向けになっている私には、男の背に曇り空越しの太陽が滲んで見えた。


 私の腕を踏む力は、ますます強められていく。

 そして私たちはようやく目が合った。いや、男にめ付けられたと言った方が正しいかもしれない。


「どの口で言っているんだ? そろそろ限界なんじゃないのか? その腕は」


「……」


 癪だが、男の言う通り、踏みつけられている私の腕はひどく痛む。

 ――なんて、卑怯な奴だろう。

 

 ――……脅しに屈するなんて……悔しいけれど、この場を切り抜けるためには、一旦は条件を呑むしか、ない。


「……いいわ。あんたを舎弟にでもしてあげる」


 苦々しく告げる。下卑た笑みのまま男の表情は変わらなかった。


「餓鬼が。よくもまぁ減らず口を続けられるものだ。……その答えは条件を呑むということで良いのか?」


 低く、飄々とした声。

 こいつに感情は存在しているのかと、思わず疑ってしまうような喋り方。

 そして何より、話す内容。


「……そうよ。だから、さっさと退きなさいよ。……クズが」


「いいぜ」


 男は両手を挙げて、私の翼から手を離す。

 そして、私の体に伝わる衝撃など考えずに、勢いよく踏みつけていた両腕から飛び退いた。

 

 瞬間、私は転がっていた槍を手に取り、立ち上がる。

 飛び退き、距離を取った。

 踏みつけられたせいで私の腕は傷だらけだ。かなり痛むけれど――……無理をすれば少しなら戦えるかしら。


 雨が降り始めた淀んだ空の下で、私たちは対峙する。

 何も言ってこない男に、仕方なく私から口を開く。


「私は、サキだ。シャトラント村の、サキ」

「……あんな辺境に吸血鬼族が?」

「お前も名乗れ。この……クズな、根暗男!」


 何か言いた気なため息をつき黄色い目を伏せ、男は口を開いた。


「俺はミラクだ。殲獣殺しで日銭を稼ぐ、掃いて捨てるほどいる人族の冒険者だ」


 腰に一刀差しているな。剣士か。

 

 でも……。この男は、あの冒険者を名乗る盗賊共とは何もかも違った。私に気取られず近づき、無力化した。


 只者ではない。絶対に。

 ……強者相手には、どうしても興味が湧いてしまう。


「そう、ミラクね。当然のことだけれど、私はお前のことが嫌いよ。……でも。あんた、それなりに腕は立つみたいね」


 ……ミラク。

 退屈な戦いが続く旅の道中、私を組み伏せるほど強い、こいつと遭遇した。

 腕が満足に動かない今……こいつと戦うのは――……避けたい。


「……私が回復したら、都に着くまでの退屈しのぎに手合わせでもしてやるわよ」


 手合わせ。

 村の子どもたちは、私と手合わせするのを楽しみにしてくれていた。

 子どもたちは、やはり強者である私との戦いが楽しかったんだろう。

 

 ミラクだって今、ドラゴンの牙槍を持つ私の強さを求めて、誘ってきたのよね、きっと。


「断る。お前みたいな雑魚と何の益にもならない戦闘なんか、俺はしない」


 冷めた目と声で言い放たれた。

 何を言われたのか分からず、言葉を詰まらせてしまう。


「ざ……雑魚って……何よ? お前……私の強さを見込んで、誘ってきたんじゃないの……?」


 ミラクに踏みつけられ痛む両腕を震わせる。


 私を、雑魚呼ばわりなんて。

 ライト以外には、負けたことなんてないわよ。

 ……お前のは不意打ちだから、数えないわ。


「……話を聞いていたか? 俺は、生かしてやった礼に働けと言ったんだ」


 そう言いながら、ミラクは踵を返し山道を歩き出した。


「……なっ……おいミラク! ……お前、私の腕が治ったら……覚悟しておけよ!」


 私は、外套を黒い翼が見えないように整えた。

 強まってきた雨に舌打ちして、フードも被り、ミラクを追いかける。

 

 追いついた私にミラクは乾いた笑いを溢す。


「何だ、暗殺でも仕掛けるつもりなのか?」


「……はあ? 暗殺なんて、卑怯でつまらない不意打ちなんか、私はしないわよ! 正々堂々の勝負で、お前を負かすの!」


 このミラクとの出会いは……ライトの言い付けを守らず、油断して、翼を露わにしてしまった私への、天罰かしら。


 曇空越しに仄かに見える太陽を睨む。

 雨が強まった気がした。


 ――ううん。天罰のつもりだとしたら神様とやらは、見当違いもいいところだ。

 私は、村を出てからは初めて、私より強いかもしれない人間に出会った。


 ……悪くないわね。

 私の腕が治ってから、今度は不意打ち無しで、ミラクと本気で戦おう。

 そう考えると、なんだかわくわくしてきた。


「ちょっとミラク! 歩くの速いわ、待ちなさいよ!」


 ――……村を出てたったの三日目で、私より強いかもしれない奴と出会うなんて予想もしていなかった。

 

 村の外の世界は、私の期待など平気で上回ってしまうのだと思い知った。

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