第21話 ソニアの違和感

 五十年前の大陸戦争の遺物。都シュタットの城壁にある砦。


 サリィは、哀れな人族の反逆者たちの血に塗れた処刑場で、立ち尽くしていた。一人、複雑な心の内で自問した。


 --過ぎた時間。

 悔いたとしても過ぎた時間は戻らない。


 --ライトはどういうつもりで、あの半吸血鬼の餓鬼に私と似た名前を付けたんだ?


 --母アリアの兄の息子。そして私の……。……ライト。血に縁がなければ私とライトに……未来は、あったのか?


 --ライトは私をなんだと思っているんだ? 娘として……あるいは……。


 サリィは、ただ立ち尽くしていた。


  ***



 帝国西部の海沿いの小さな村、シャトラント。そんな村を下ってすぐの海の岩場で、黙々と槍を降る白髪の老人の姿があった。


「かつて戦場で遭遇した、忌々しい鬼族の女……アリアは、大陸が帝国として一つに成った後でさえも、依然と俺の人生に立ちはだかり続けた。……そのアリアの娘であるサリィ。……サリィの正体を悟るのに……時間は、かからなかったさ」


 いつもと変わらず波打つ浜辺を、岩場から見下ろす。『大陸戦争』において帝国建国の英雄と謳われたライトは、悲しげな瞳で海を眺めながら言った。  


 ライトは二人の娘に思いを馳せる。


 産みの娘サリィ、そして育てた娘サキ。


「サキの噂が届いたのは一月前の蒼龍狩りのみ……。そこから何も聞かん。……何か、あったのか?」


 ライトはシャトラント村の方を振り向く。少し前までは、そこには赤子の頃より育てた少女が笑っていたはずだった。


「……」


 黒く長い髪と、小さな黒い翼を揺らして笑っていた少女を、ライトは懐かしんだ。


 かつては緑髪だったライトの髪は、真っ白に染まり切っている。



  ***


「ソニア!」


 ラキがラナを抱え、獣のように荒く速く駆ける。ラキの足音が砦の石床を蹴る音から、森の土を蹴る音へと変わった。


「……ラキ、ラナ」


 誰にも聞こえないように独りごつ。


 ラキとラナは、砦から脱出した。

 --あぁ。行ってしまったんだ。

 ……こんなに早く別れることになるだなんてね。


 何もかも私の甘さ、弱さが原因だ。


 --ラキ、ラナ。暗殺部隊の連中に……ミラクとサリィに、すべてのカタをつけたら……絶対にまた……会いに行くから。


 心の中で固く誓う。

 壁に叩きつけられてできた背中の傷から、さらに血を取り出す。ソニアたちに悟られぬように、操る。……もう血液操作はだいたい理解した。

 だが、ラキの血が濃い間だけ使えるという話だったから、いつまで使えるかはわからない。

 

 --……勝負は、早く確実に決めなくては。

 

 先ほどソニアの頬を掠めた血の小刀を、自分の下へと引き戻す。鮮やかな赤色が宙を舞う。

 空気を裂くように移動した血の刃を、身に纏った。


 テツとソニアは、しばらく呆然とその様子を眺めていた。それはそうだろう。

 二人は、天馬でのシュタットへの移動中に、私の翼に気がついていたから、私が吸血鬼族の血を引いていることは知っている。

 だが、二人は私の能力のことは知らないはずだ。

 ……私自身も、ラキに教えられるまで知らなかったもの。


「吸血鬼族の血液操作か……! ハーフでも扱えるとはな。……だが、それで意表を突いたつもりか?」


 テツが体勢を崩したソニアを庇うように前に出て言う。

 --……吸血鬼族の能力を、知ってはいたのね。


「まさか、そんな能力を隠していただなんて……ラキの差し金ですの?」


 ソニアは、私が吸血鬼族の能力を隠し切ることができると思っていないようだった。

 この能力を今初めて使ったのは、ラキの入れ知恵だと思っているようだ。

 --……その通りなのだけれども。なんだか癪だわ。

 

「少し驚きましたわ。……ですけれども、テツの言う通り、吸血鬼族の固有の能力なんて、暗殺部隊には……当然、流れている情報ですのよ?」


 ソニアは軽やかな動きで身を起こして涼やかに笑む。


「……」


 大陸戦争を経て対立が深まった亜種族たちは、それぞれの固有の能力や特性を隠すようになったとはいえ、ラキとラナの父親が知っていたくらいだ。

 帝国軍の暗殺部隊であるソニア達が知っていても、何ら不思議ではない。


「……かまわないわ。ラキとラナを逃がせたんだから、今の私にはそれで十分よ」 


「そうですの。まぁ……それはかまいませんわよ。……あの双子に興味があるわけではありませんもの」


 ソニアの言い分に違和感があった。


「……ソニア。さっきも言ったけれど私、ソニアのことがわからなくなってしまったの。口を開けばサリィ、サリィって……そればかり……」


 私がそう言うと、ソニアは怪訝そうな顔をした。

 ソニアの先ほどまでの、余裕の笑みは完全に消失した。


「何が言いたいんですの?」


「そうね……ソニア。都に来てからのあんたは、まるでサリィの影みたいだわ」


 思ったとおりのことを口にした。

 

 出会った当初のソニアは、とても暗殺者には見えなかった。ソニアは自信に満ちていて、私たちを揶揄うような強気な発言を繰り返していた。 


 それが今はどうだろう。

 もしかしたら……都でのソニアが、本来のソニアなのかもしれない。

 サリィの言う通りに動く、影のような存在。

 最初は……大河で初めて出会ったときは、ソニアが暗殺者なんて信じられなかった。……だけれど、今はソニアが暗殺者だと言われてなんの違和感も無い。


「……サキ。今、何と言いましたの?」


 ソニアは顔を伏せて言う。ソニアの高く結った金髪が顔にかかり、碧の瞳を覆った。

 ソニアからは重く渦巻くような殺気が放たれていた。


「聞こえなかったの? まるで影みたいだって言ったのよ」

 

 私も敵意を剥き出しにして答えた。ラナに剣を向けたことや、私たちへの約束を破ったことへの怒りが今さらながら湧いてきていた。

 しかし、その瞬間。ソニアから溢れている殺気の重みが増す。

 

「……影、ですって? わたくしはもう……影なんかでは……ありませんわよ!!」


 いつもは穏やかな印象を受けるソニアの笑顔と瞳は、荒々しく変わり果てていた。……ソニアのこんな怒号は初めて聞いた。


「ソニア、落ち着け!」


 テツが制止したがソニアは構わない。

 通常ならば、暗殺者が冷静さを失うことは、死を意味するだろう。

 しかし、優秀な暗殺者であるはずのソニアは、今はとても冷静には見えない。取り乱している。

 

「サキ……! ライト将軍に育てられて、西部の田舎の村から旅立ったようなあなたには……ミラクに出会うまで希望に満ちた無垢な少女でいられたような……あなたには! わたくしのことなんて……理解できるはずもありませんわよ!」


 ソニアは冷静さを完全に失っているようだった。

 攻撃を仕掛けることも忘れて、ただ、私の言葉を否定する。


「おいソニアっ!! 明らかにサキは何か企んでいる! 冷静さを欠いて勝てる相手ではなかったはずだ、落ち着くんだ! 俺と共闘して、確実に殺せばいいだろう!」


 そんなソニアの前にテツが立ち塞がる。

 

「どきなさい、テツ! サキのことは、ここでわたくしが確実に殺してあげますわよ!」

 

 二人とも私に勝てると言っているようなのが、すこし気に食わなかった。


「……まぁでも。考えがあるっていうのは、当たっているわよ」

 

 私の言葉に焦ったように振り向くテツに、笑ってみせる。

 ソニアは、私の方を睨みつけてますます顔を歪ませた。


「あらあら、相変わらず過分な自信ですわね。……ここが暗殺部隊の本部であるということをお忘れかしら?」


 ソニアは歪ませた表情のまま、私を挑発するような笑みを浮かべた。


「それを理解したうえで、この場を切り抜けるつもりでいるのよ」


「まぁ。どんな名案ですの? ぜひお聞きしたいですわね」


 ソニアは、名案なんてあるわけがないというように、皮肉めいて笑う。穏やかな笑みとも、楽しげな笑みとも違う嫌な笑い方だった。


「それは……こうするのよっ!」


 私は、動かなかった。ただ大きく張り上げた声に、ソニアとテツは何か起きるのかと身構える。

 

 --……ラキとラナと、離れ離れになってしまった。私の不甲斐なさのせいで。甘さを捨てきれない、私の弱さのせいで。

 だから、私は、もう。……自分に甘えているわけにはいかない。


 ……私が仕掛けたのは……不意打ち、だった。

 以前の私ならば考えられないことだ。


 ソニアたちの上で、ひっそりと作っていた数十本の血の槍。 


 私は、悟られぬように背中の傷から取り出した血を、ソニアたちの注意を私に引いて、頭上の血の槍に気づかれないようにしていた。


 ソニアが、何かの気配を察知したように瞬く。

 続いてテツも。


 そして、二人が上を見上げると同時に、私は宙に浮いていた血の槍を、一斉に振り下ろした。

 

 重厚な石造りの砦には、土埃りと殺意と血が漂っていた。


  **

 

「どこもかしこも血生臭い砦だわ。……だけれど、ひときわ強い血の匂いを辿ってみれば、いたわね。……サリィ」

 

 目隠しをされて縛られた人族の死体が五つ、転がっていた。


 そこは、暗殺部隊の訓練場として使われる砦の中心部。

 

 砦に囲まれるように広場があり、吹き抜けになっていた。どんよりとした雲の間から、わずかに日の光が差す。

 おそらく、ここが暗殺部隊の処刑場だ。


 なんだか、微かなはずの日の光がやけに熱く感じた。

 肌が焼けるようにヒリヒリする。


 それでも、私は吹き抜けの広場に足を踏み入れる。

 その中心にいるサリィに、そっと歩み寄った。


「……ソニアとテツはどうした? ……殺したのかい?」


 重々しく低い声が寂しそうに聞こえた。

 ただ剣を握り立ち尽くしていたサリィは、ゆっくりと私の方に振り向いた。

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