第17話


──トゥルベント家屋敷は、非常に慌ただしくなっていた。

近衛に庭師、執事やメイド、武官に文官、予備兵に至るまで避難する荷造りに追われていた。


「──あ、リスタさん!」


そんな忙しい中で、俺に気づいて近づいてきたのは、招待状を持ってきてくれた近衛のプティットさん。


「目が覚めたんですね! 良かったです。ユキネ様がとても心配していました!」

「……ユキネ様は何処だ? 話がしたいんだ」

「え? あ、分かりました、それでは案内します」

「……いいのか?」

「はい、ユキネ様もリスタさんと話がしたいからと、屋敷にやってきたら、私室に案内するように言われていますので、こちらにどうぞ!」


そうやって案内されたのは、家の扉とさほど変わりない質素な扉前。

最初から二人だけで話したいと伝えていたのか、近衛のプティットさんは案内を終えると、荷造りに戻っていった。

ドアノブを握ろうとして、手が止まる。


「……ユキネ様、リスタだ……エルフさんから一緒に避難するように言われた。屋敷の人たちと一緒に……なにか話を聞いていないか?」


どうしてもドアノブを回せなかったので、扉の前で話し始める。

ユキネ様から返事はない。

聞こえているのかも分からない。


「俺は言われた通りに避難しようと思っている……レティも連れて、この『砦』から離れる。皆とは違うルートで避難する、でないと俺は、なにか有ったとき、貴女たちを守りきれない」


『砦』が故郷、住人が家族だと想っているユキネ様への裏切りを紡ぐ。


「先ずはカーツ村へと向かう、俺の故郷だ。そこで何処へ逃げるのかを決める。その前に、移動を楽に出来そうな『祝福』持ちがいるかどうか、教えてほしい」


ユキネ様だけじゃない。

俺は、大人たちが与えてくれた優しさを裏切る。

期待の全てを裏切る。


「……四天王ドラキュリアと戦った。本当に強かった。たった数分で、俺は二度も殺された。もっと戦っていたら、あと何十回殺されていたのか分からない。そんな奴が『港』に居て、明日にでも『砦』に向かってくる」


返事はない。


「……俺は……たった一つ、ドラキュリアを倒せる手段を持っているかもしれないんだ」


全てを明かすつもりは無かったのに、我慢できなかった。

〈俺〉になってから嘘を付くことも、誤魔化す事もできない。

あまりにも怖い。


「ユキネ様、俺の『祝福』は死んだら蘇るだけじゃないんだ。死んで蘇る度に変わっていくんだ、まるでそれは、元の〈リスタ〉からズレていくように。最初はほんのちょっとの違いでも、今ではもう……俺を〈俺〉と無意識に呼んでしまうほど変わっている」


記憶ではリスタの一人称は“僕”だった、〈俺〉なんて、口にした事がない。

でも、それは時折使っていたのを思い出しているだけで、元から“俺”と呼んでいたと、そんな気分になっている。


「俺は──死んで蘇るたびに強くなる。同時に〈リスタ〉からズレていく、きっと最終的に今の〈俺〉みたいに……リスタじゃなくなるんだ」


死ぬ度に、蘇る度に変わった。

本が読めなくなった。

運動ができるようになった。

五感が鋭くなった。

剣が振るえるようになった。

戦えるようになった。

魔族を殺せるようになった。

人を殺せるようになった。

僕が俺になった。

口調も粗くなった。

嘘が吐けなくなった。

誤魔化す事ができなくなった。

感情が抑えきれない。

怒鳴ってしまった。

怒ってしまった。

レティに、あんな顔を向けられた。


誰だこれは?

もう、こんなの〈リスタ〉と呼べないだろ。


「……だからユキネ様、俺が殺される事を前提に戦いに向かい、何度も殺されて、何度も変化していけば、もしかしたら最後には勝てるかもしれない……」


あくまで可能性の話しだ。

でも、この可能性しか残されていない。

使わないほうがおかしい。

これは、神々から与えられた『祝福チャンス』なんだ。

だから、仕方のない話だ……なにもかも……。


「でも、戦いたくない、死ぬのは痛いんだ。怖いんだ、辛いんだよ!」


心からの慟哭。

扉越しから返事はない。

溜め込んでいた腹の底から感情が溢れ出る。


「わかるか!? 死ぬまでの時間がどれほど痛いかわかるか!? 蘇ったとき、もういちど死ねてしまうっていうのが、どれほど怖いかわかるか!? 段々と〈リスタ〉じゃなくなって、大切なものに本人かと疑われるのが、どれほど辛いかっ……わかるのかよ!?」


レティに、あんな顔を向けられたくなかった。

死ぬことよりも辛かった。

それだけは、嫌だったんだ。


「今の俺の話を聞いて分かってくれるか? わからないだろ、普通は死んだら終わりだもんな。終わる筈の先なんて分かるわけがない、それが当たり前なのは分かってるんだ!」


扉を叩きつける、返事はない。


「だからっ! なんども死ねって言うならっ!! ──あんたもいっぺん死んで蘇ってみろよっ!!!」


────返事はない。

どれだけ待っても音すらしない。

居ないのか?

居ないのに、俺を呼んだのか?


「──っ!」


感情が制御できず、扉を強引に開いた。


「ユキネ! 俺は……俺は…………」


──部屋に、ユキネは居た。

彼女は、生まれたままの姿で立っていた


「ユキ……ネ……」

「──リスタ様」


ヘソに両手を当てて、大事な所を隠さずに、涙を流した瞳で俺をまっすぐと見る。


「──私が与えられるものを全て捧げます。貴方の望みを叶えるために生涯を尽くします……だから、お願いします。この『砦』を、みんなを守ってください」


──この、たった一言の懇願が、悩んで悩み果てて、それでもトゥルベント家の当主として、令嬢として、単なるユキネとして決意を秘めたものであると分かってしまう。


…………ずるいんだよ、本当に。

たとえ兵士ではなくても、当主でなくても。

そこまでされたら、答えなんて決まってしまうだろ。


「──仕方ないな」



+++



──それから真っ直ぐと家へ帰って来た。

既に避難は始まっている。安全を考慮して『教会』に居てもおかしくない。

でも、あの夜と時と同じように居てくれた気がした。


「レティ」


彼女は玄関前に立っていた。ずっと俺を待っていてくれたようだ。

小さな彼女の側に寄る。

見下ろす顔。何時も見てきた、〈リスタ〉を心配してくれる顔だった。


「リスタ」


名前を呼ばれる。

たとえ本を呼んでいても、危ない場所へ行っても、家でも外でも。

彼女は何時だって、リスタと呼んでくれた。


「……レティ、〈俺〉はリスタだ……でも違うリスタなんだ」


何を言っているのか、訳が分からない筈なのに、レティは黙って俺の言葉を聞いてくれる。


「村で一緒に過ごしたリスタじゃないんだ。『砦』に一緒に来たリスタじゃないんだ……あの時から、初めて戦場から帰って来たときからっ! ……俺は、レティの知っているリスタじゃないんだっ!!」


懺悔をするように打ち明ける。

もっと詳細に説明しないと伝わらないのは分かっている。

だけど、どうしても感情的になって、ちゃんと喋れない。


「『祝福』でもう何回も変わっている! 少しずつレティの知っているリスタがっ! 〈僕〉じゃなくなって……ずっと嘘を付いていたんだ。でも、でも……〈俺〉は、〈僕〉はリスタだから! リスタなんだ! だから──!」


──否定しないでくれ、違う誰かと思わないでくれ。


怖くて恐ろしくて、気持ちが一杯になって。

涙が止まらない。子供のように蹲って泣きじゃくる。


「──リスタ、聞いて」


そんな俺を、レティは抱きしめて、頭を撫でてくれる。

懐かしい。何時だったか。そうだ十歳の時だ、

レティの身長を追い越した事で、これ以上成長するのが怖くなった夜だった。

新しくなったベッドに寝ながら、僕は泣いていた。

すると、お母さんよりも、お父さんよりも早く、レティは泣いているリスタに気づいて、起きてくれて、理由も聞かずに抱きしめて、頭を撫でてくれた。


──思えば、アレが全ての始まりだったのかもしれない。


「私は姉弟きょうだいとして、リスタが成長して、のをずっと間近で見ていたわ。ある日から急に落ち着き初めて、他人から距離を置いて、お父さんと喧嘩して、先生にたくさん質問するようになって、本を読み始めて、図書館に引きこもって、村中を駆け回って危ない目にあって、お芋を見つけた時、皆が飢えなくて済むかもしれないって嬉しそうに笑って」


それらは記憶にあるリスタの、村での出来事。

そうだ、レティはずっと側に居たから全部知っているんだ。


「そんな風に気がつけば、リスタは何時だって私の知らないリスタになっていたわ」

「……成長の変化とは違うんだ」

「分かっているわ。でも、どんなに変わっても誰かのために頑張る優しいリスタだけは──絶対に変わらなかった」

「……っ!」

「さっきはごめんなさい。リスタは──どれだけ変わっても、リスタよ」


──リスタは、どれだけ変わってもリスタだよ。


それは、あの日の夜と全く同じ言葉。

忘れていたわけじゃなかった。


──リスタ!


呼ばれる名前に、ずっと込められていたから、思い出す必要が無かったんだ。


「……レティ、俺は行くよ、皆を守るために戦ってくる」

「うん……」


レティは泣いていた。

本当なら行ってほしくないって気持ちが伝わってくる。

でも、俺が決めた事だから。

いつもみたいに、仕方ないって言って、待っていてくれ。


「リスタ、必ず帰ってきてね、約束よ?」

「ああ、約束だ。必ず……帰って来るよ、レティ」

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