第10話
死んだと思った〈僕〉が生きていて、己を襲っていた男を殺した。
そんな非現実的な状況に、ユキネ様は理解が追いついていないようで、体を起こしてからひと言も話さず呆然としている。
「ユキネ様」
「あ……リス……タ?」
「すいません、ユキネ様が人質に取られてしまう可能性があった以上、背後から奇襲が最適だと判断しました」
ユキネ様の前で屈み、顔に付着した血を指で拭ってみる。
やはり取れないか、感染症が気になる、何か拭けるものを持っていればよかった。
「怪我はありませんか? 血が口や鼻に入ったりとかは?」
「え、あ、うん……だいじょうぶ……」
「良かった……あと、すいません。服を整えてもらえれば……」
今のユキネ様は羽織と袴を脱がされて、はだけた着物だけとなっている。
帯は結んだままだが、男によって胸が開かれており、胸元を押さえていたサラシと呼ばれる白布も地面に落ちていた。
つまり、少しでも動けば大事な部分が見えてしまう状態で、このままだとマトモに顔を見れない……。
「あっ……~~っ!!」
今どんな格好に成っているのか気づいたユキネ様は、顔を真っ赤にして胸元を閉じ、背中を向けて落ちていた服を着ていく。
その間、周囲を見渡し、誰も居ない事を確認する。
「……着替えた、もういいよ」
「……血が」
着物は元より、袴も羽織り近くに脱ぎ捨てられていたため、土と血で汚れてしまっていた。
もっと穏便に助ける手段はあった筈なのに、感情任せに剣を振るった結果がこれだ。
「き、気にしないで……む、むしろその……ど、どうして生きて……じゃあ、あの倒れてるのは誰なの? ああ、何がなんだか……!」
「落ちついてください。順番に説明します」
ユキネ様は正気を取り戻したからこそ、この状況が理解できずに、再びパニックになりかける。
さて、どうするか、事実を言うしかない。
誤魔化しようのないくらい、全部見られてしまった。
よりにもよって、とは思う。
でも、これは仕方ない……仕方ないだろ……。
「先ず、あそこで死んでいるのは〈僕〉――リスタで間違いありません。〈僕〉は間違いなく殺されました、あの襲撃者に殺されたんです」
「だ、だったらどうして……生きているの?」
混乱が回復しきっていないのか、喋り方が弱々しくなっている。
あるいは当主になる前の、単なる令嬢だった頃の話し方に戻っているのかもしれない。
「蘇ったんです、『祝福』によって」
「蘇った……」
「〈
「──じゃあ、貴方は死なないの? 父や、みんなのように」
ユキネ様の目に光が灯る、あるいは光を見つけたようで、予想していたどの反応にも当てはまらないものだった。
「……分かりません、もしかしたら回数制限があるのかもしれません。それに“蘇る”とは言っていますが正確には違うのかもしれません」
「ど、どういうこと?」
「いまこの場で死んでいる〈僕〉と、この僕は……違う人間である可能性を捨てきれないのです」
「違う……人間?」
ユキネ様は理解しきれていないようで、困惑している。
仕方ない。これだけで理解できるほうがおかしい。
「もし、この『祝福』が“単なる蘇り”なら、死体が息を吹き返して起き上がればいい。でも死体は残ったままで僕は蘇りました、それに服と剣が増えている、考えればおかしい話です」
蘇りは、言うなれば0が1になる現象の筈だ。1が2になるのはおかしい。
しかし、服や剣など死んだときに身につけていた物が増えている。
ここに1本しかなかった筈の剣は僕と、死んだ〈僕〉ので2本になっている。
これではまるで──。
「――まるで、同じ形の違う物を“複製”したかのようじゃないですか?」
確証がないため、曖昧な言い回しになった。
それと変化については、まだ教えるつもりはない。
死ぬ度に戦闘向けの存在に変化しているのを知られてしまったら、どうなるのか分からなくて、あまりにも怖い。
ユキネ様は、瞬きもせずに考え込み始めた。
しばらくすると、顔を青褪めさせて、体を震えさせる。
僕と〈僕〉を何度も交互に見始める。
「……じゃ、じゃあ私がさっきまで話していたリスタは……それに、貴方は今までな、な
何人……っ!?」
理解してしまえば、後は早かった。
でも理解しすぎている。それ以上は駄目だ。
「わ、私……わたし……っ!」
「すいません。ユキネ様、折り行ってお願いがあります」
「え、え? ……な、なに?」
無理にでも話を逸らす。とはいえ誤魔化しではない。
男の方は、まあどうとでもなる。
ユキネ様が証言してくれれば、正当防衛で無罪になるはずだ。
問題は〈僕〉の死体だ。
このまま放置して誰かに見つかってしまい、いずれは『祝福』の事が露見してしまうだろう。
「〈僕〉が死んだことを隠したいのです……僕はまだ、この『祝福』を活用して戦場に出る覚悟ができていません。だから今日の事は秘密にして欲しいのです」
「そ、そうなの? ……そうだよね、分かったよ、誰にも言わない」
説得の言葉を幾つか考えたが、ユキネ様はすぐに了承してくれた。
冷静な判断が出来ているようには見えないが。とにかく言質は取った。
……後の事は後で考えよう、今は時間が欲しい。
「あとすいません、屋敷に送る前に〈僕〉の遺体をどうするかだけ、考えさせてください」
街中で埋めるにしても、燃やすにしても、リスタの痕跡を消し切れるほどの自信はない。
それに身元不明の死体にした所で、誰かが死んだ痕跡だけでも見つかってしまえば大騒ぎだ。
これで本格的な調査が始まれば、調査に適した『祝福』を用いて、僕である事を特定されてしまうかもしれない。
「死体を隠したいの?」
「はい、このままだと〈僕〉が死んでいるのに、生きているという、ややこしい自体に発展します」
「あ、うん、そうだね……それで、私は何をすればいいの?」
「……? まさか手伝うつもりですか?」
「え? 駄目なの?」
「いや駄目って……」
駄目ってなに?
まさか当主様は最初から遺体隠蔽に手を貸すつもりだったようで、思わず絶句してしまう。
なんでそんな当然だよみたいな顔をするんですか?
……ショックで頭がおかしくなってしまった?
「貴方が死んだのは、私の所為だから……手伝いたい……」
──そんな目で見ないでくれ。
ああもう、仕方ない。
当主の彼女が偽装を手伝ってくれるなら、多少強引な手段を取れるようになる。
どうやって隠蔽するのか、記憶を発掘していく。
相変わらず他人の過去を覗いているような気分になる。
「……襲撃者は二人居たという事にしましょう」
「二人?」
「〈僕〉の死体を、リスタじゃないと分からなくして、襲撃者のひとりに仕立て上げるんです。そうすれば〈僕〉が死んだ事実を無かった事に出来ます」
「ど、どうするの?」
「……〈僕〉の首を斬って隠します」
思い出したのは村の廃図書館に残されていたミステリー小説のトリック。
犯人は殺傷した人物の首を隠す事で誰であるかを分からなくして、己の服を着せる事で、あたかも犯人自身が被害者として殺されたように見せるものだ。
「幸いにも〈僕〉が着ている服は、『砦』の兵士全員に支給された服です。なら後は死体の首を隠してしまえば、誰だかわからなくなるでしょう。それに頭だけなら隠しやすい」
もう結構、話し込んでしまった。
男が襲撃に選んだ地点だからか、人が通る気配がない。
しかし、家臣たちがユキネ様が居なくなった事に気づき、いつ探しに来てもおかしくない。
残された時間は少ないはず、急がないと。
「それで、ユキネ様、首無し死体の身分なんですが、別人として扱う事って出来ますか?」
「……うん、私が証言すれば照合せずに処理できると思う」
……言っておいてなんだけど、だからなんで積極的なんですか……。
「いいんですか? これは完全に偽装、当主として有ってはならない不正行為ですよ?」
「元はと言えば私が招いた事だし、身元不明者として遺体の処理なら、もうやった事あるよ……戦死者とか病死した人の……」
──鉄球によって潰された二人目の〈僕〉は、見つかっていない。
今までも、そういう兵士たちが居て、ユキネ様の探すか否かの最終判断を行ってきて来たという事か。
「……今回のと、それらとは一緒にするべきではありませんよ……ですが、お願いします」
「! う、うん!」
「では、首を落としますので少し待っていてください」
うつ伏せの状態で死んでいる〈僕〉に近づき、剣を構えた。
──手が震える。
何かが変わっていたとしても、僕は〈僕〉を斬ることに抵抗を感じるらしい。
死にたくないと言った〈僕〉は口から血を、見開いた瞳からは涙を溢れさせている。
ああ、クソ、そんな目で見るな。
「……あの、リスタが良ければだけど、私がやるよ」
「っ!? ……ゆ、ユキネ様、なにを言って?」
「何かの足しになるかと、刀だけは振るって来たから、たぶんできる」
「ですが」
「やらせて、リスタが良ければだけど」
「……分かりました、体勢を変えます」
意固地になって反対をしても時間を食うだけだと、ユキネ様を頼る事にする。
首を落としやすいように、〈僕〉の身体を三つ折り状の姿勢にし、その背中を押さえる。
〈僕〉の死体は固くなっていた。
触るだけで、吐きそうになるほど気分が悪くなるが、なんとか耐える。
ユキネ様は死体の首横へと近づくと、“極東刀”を抜いた。
上段に構える。一切ぶれていない、綺麗だと思ってしまった。
「──斬ります……ふっ!」
ユキネ様が小さく息を吐いたと同時に、極東刀を勢いよく振り下ろした。
「……お見事です」
〈僕〉の首が、音もなく落ちて転がる。
元より背中と首を斬られて出血していたためか、首の断面からは血があまり出なかった。
……不思議とユキネ様に対して、綺麗に斬ってくれたと感謝に近しい感情を抱く。
僕はもう頭がおかしいのかもしれない。
だからか、無意識に感想を口にしていた。
「素晴らしい一太刀でした」
「本当に振るうだけなら、それなりに出来るの。戦いの駆け引きとか分からないから、戦場に出たら殺されるだけだと思うけど……」
そう言いながらユキネ様は、切り捨てられていたサラシを拾うと、上手いこと〈僕〉の首を包む。
「ごめんなさい。できればきちんとした布で包みたかったけど……」
「構いません、ありがとうございます」
サラシに包まれた〈僕〉の首を持つ。
重たい、どうしてだろうか、最初のリスタを引きずった時よりも、腕に重さが伝わってくる。
重心のせいだとは思うが、これが人だった物の重さ……なんて考えが浮かぶ。
「リスタ、頭は何処に隠すつもりなの?」
「手頃な所を探して埋めようかと……」
「その、リスタが良ければだけど……西壁の見張り台から外に投げ捨てられると思う、あそこは……生ゴミ捨て場だから……」
「捨てたゴミをわざわざ確認するものは居ないということですね」
気を使って口籠るユキネ様に、気にしていない事を伝えるためにも即答する。
「うん、それと見張り台に居る兵士に、私に捨てるようにって伝えて……そうすれば後は任せて、リスタが言ったようにするから」
「……よろしくお願いします」
不安が無いと言えば嘘になるが、どっちにしても、首を捨てた後は僕の出来る事はなく、後はユキネ様を信じて任せるしかない。
「……あの、リスタ、こ、今回は本当に、その、なんて言えばいいか正しいか分からないけど……ごめんなさいっ、本当にごめんなさい!」
「いえ、気に病まないでください、貴女を助けられて本当に良かった。ですが、今度からは絶対に迂闊な外出をしないでください」
「うん、もうしないよ……ごめんね」
もしもを考えれば、僕が居なければ、ユキネ様は慰め者になって殺されていた。
それは今日じゃない別の日だったかもしれない。
「じゃあ僕は
「大丈夫、もう屋敷から近いし、ここからは1人帰ったほうがいいと思うから……気にしないで」
「分かりました、では」
「リスタ──助けてくれてありがとう」
頭を下げたユキネ様は、屋敷の方へと歩き出した。
それを少しのあいだ見送った僕は、西壁の方へと走り出した。
+++
──〈僕〉の首は見張り台から投げ捨てられた。
見張り台の監視兵に、ユキネ様から頼まれたと伝えた所、不思議そうにしていたが、堂々としていたのが功を奏したのか止められずに済んだ。
暗闇に落ちていく、〈僕〉の首。
壁の真下で何か動いた音がした。兵士が言うには壁の外には生ゴミ目的の獣が集まっており、捨てたものに反応して食べ始めたのだと言う。
その話を聞いて、再び壁の真下を除く。
真っ暗闇で、何も見えない奈落のよう。
それをずっと見続けていると、怖くなって、逃げるように帰路に付いた。
──なにやってるんだろう。
ユキネ様に打ち明けた事が正しかったのか。
そもそも『祝福』を秘密にするように頼んだ事が正しかったのか。
〈僕〉の死体だったとはいえ、あんな風に当主様に、でなくても年頃の女性に遺体偽装を手伝わせるなんて、明らかにどうかしている。
かといって、あの場では他にいい方法なんて思いつかなかった。
むしろ、率先してユキネ様を利用した。
状況の熱に浮かされたとは、到底説明できない何か。
四番目の僕は明らかに、今までの〈僕〉から乖離している気がしてならない。
これ以上死んだらどうなるんだ? それとも僕はもう手遅れなのだろうか?
そうこう考えている内に誰も居ない家へと帰ってきた。
今日は本当に色々とあった、あまりにも疲れた。
……それでも、1人で寝られる気がしなかった。
「……?」
家に入って遅れて気が付いた、台所に明かりが灯っている。
まさかと思い、早足に向かう。
「……レティ?」
「あ、リスタ!」
──台所にはレティが居た。朝と同じ椅子に座っていた。
僕に気がつくと、こちらへと駆け寄って抱きついてきた。
温かい、レティだ。
自覚できるほど急速に、心が安定していく。
「どうして……『教会』に居るんじゃ……」
「帰って来るわよ! だってもうここが私の家だもの!」
僕の顔を見上げてくる彼女は、涙が出そうな顔で怒っていた。
「何時までも帰って来ないから、心配したんだからね!」
「……ごめん、自警団のみんなと酒場に居たんだ。レティが居てくれたんなら、直ぐに帰ればよかった」
「居るわよ、いつでも何処でもリスタの側に──家族なんだから」
レティは僕を心配してくれて、何時も側に居てくれる。
──ああ、それなのに僕は。
「でも良かった。約束、守ってくれたのね」
生きて、必ず帰ってきてね。
誓いを立てた約束。
──半分、守れなかった。
「おかえり、リスタ!」
「……ただいま、レティ」
ここに居る僕は、君と一緒に暮らそうと言った〈僕〉と違う。
そう言えるわけがなく嬉しそうに笑うレティに、下手くそな笑みを返すことしかできなかった。
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