第4話
トゥルベント辺境伯と近衛の救出時。新たに知り得た僕の変化によって気持ちがざわつく。
ただ、あれから意外な展開となって、現状は、それに対する困惑のほうが勝っていた。
「──リスタ殿、窮地を助けてもらい本当にありがとう」
「いえ、トゥルベント辺境伯様がご無事でなによりです」
「私の事は是非ユキネと読んでくれ、皆もそう呼んでいる」
「……わかりました、ユキネ様」
ユキネ様が、どうしてか新兵でしかない僕に、フランクに話しかけてきた。
跪こうとすれば、やんわりと止められて。
村出身なりに敬語で話していたら、もう少し気さくで言いと言われ。
そうして名前で呼んでほしいとお願いされる。
なんていうか、すごく困る。
ここまで対等な感じで接してくれると、逆に何が粗相になるかが分からない。
ゆっかりタメ口を聞いたら極東刀で介錯、なんて事は流石にないと思うけど……。
「随分と、その少年を気に入ったようだな」
「うっ……エルフ殿……」
後処理が住んだのか、エルフさんが話しかけてくると、ユキネ様は気まずそうにする。
反応からして、慣れ親しんだ間柄のようだ。
「近衛の子たちは全員、怪我もなく無事だ。あまり我儘に付き合わせてやるな。『砦』の巡回などは兵士のやることだ」
「し、しかし、帝国から人がやってきたとなれば問題を起こすかもしれないし……」
「その何かで、当主が身の危険に晒されることが余程の問題だ」
「ううっ……」
放たれる正論に、ユキネ様は縮こまる事しかできない。
というか、エルフさんって自警団という特別な存在であるが、立場上は平兵士な筈だけど、ユキネ様に、かなり遠慮がない。
「エルフさんって、実はエルフの国の王族だったりします?」
「老けるぐらいは生きただけの単なるエルフだよ。……ユキネ嬢の事はよく知っていてな、先代当主に頼まれて家庭教師をしていた」
普通のエルフとは?
なるほど、ユキネ様が頭が上がらないのはエルフさんが先生だったからか。
「当主が街を視察するのは別に悪いことではない。だが問題が起きないように、きちんと戦力を整えるべきだ」
「……自警団が騎士になってくれれば、解決するのだが」
「何度も言うが、身分が有っては難しくなる話がある。元より我らはトゥルベント辺境伯に忠誠を誓う兵士だ。当主の命とあらば全身全霊を持って勤めを果たそう」
エルフさんたちは騎士に誘われていたようで、それを断ってきたらしい。
複雑な事情は分からないが、身分を得る事を嫌っているというよりも、これが自警団なりの『砦』とトゥルベント辺境伯への尽くし方のように思う。
「でも……」
ユキネ様は何かを言いかけて顔を伏せる。
なんとなく、親にお願いを断られた幼子に見えた。
どう声を掛けようかと悩んでいると、先ほど人質にされていたプティットの近衛がユキネ様へと近づく。
「ユキネ様、そろそろ屋敷に帰りませんと」
「……分かった、ではリスタ殿。今回は本当に助かった。できることなら礼をしたい。なにか要望はあるか?」
「……え?」
急な話に思わず、硬直する。
そんなのは決まっているが、口にしていいものかと迷う。
「リスタは元々、後方業務を希望して『砦』に来た。個人面談の記録が有るはずだ。移動できるように考慮してやってくれ」
驚いてエルフさんを見ると、チャンスは活用するべきだと言ってくれる。
本当に、彼らには恩を受けっぱなしだ。
「──すまない」
謝るユキネ様の、俯いている目を見る。
とても弱々しくて、罪悪感塗れの目。
何故か、あの日に見た目と同じだと感じた。
こんな目をしていたのか、酸素不足で意識が朦朧としていて気が付かなかった。
「──すまない、侵攻してくる魔族に対抗するためには、どうしても戦う兵士が必要なんだ……」
健康的な男性を後方で働かせられる余裕が無い。
当主とは言え人事に口を出すのは難しい。
でも、本当なら望みどおりにしてやりたい。
あまりにも素直すぎる言葉から、多くの意味が伝わってくる。
ずるい人だ。きっと平和な世界だったら、心から愛されていた領主だったに違いない。
「……分かっています。無理を言うつもりはありません。まあ、空きが有るかの確認だけしていただければ十分です」
「あ、ああ勿論だ! 帰ったら早速、面接の記録を確認して文官長に頼もう! そうしたら時間は掛かるかも知れないが要望どおりに出来るかもしれない!」
こうやって直接話してみれば、初めて出会った時の印象が勘違いだったと完全に払拭されてしまった。
そして──〈僕〉が死んだのは彼女の所為ではないと。
これは戦争なんだ、仕方が無かった事なのだろうと思ってしまった。
ずるい人だ……本当に。
「では、また何処かで」
ユキネ様は、最後に頭を下げて帰っていった。
最初から最後まで当主らしくない、でも、精一杯やろうとしている普通の女の子のようにしか思えなかった。
「……可哀想な子だ。本来であれば婿入りしてくる王都貴族の妻として、家を守るだけで良かった筈の少女が、最前線の責任を一身に背負わされている」
「それは、どうしてですか?」
「詳しくは聞いていないが、婿が一族共々帝国へと亡命したらしい。それで次が決まらず、先代が戦死してしまい、今に至る」
「ユキネ様は……頑張っている人なんですね」
何を言っても仕方がないと、言葉を選んだ末に口から出たのは、シンプルなひと言だった。
しかし王都は思いの外、混乱の渦中にあるようだ。
優先的に物資が支給されているため普通の暮らしが出来るが、バルベール王国内はどこもかしこも貧困に満ちあふれている。
だから、帝国のプロパカンダに影響を受けて亡命する人が後を絶たないのは知っていたけど、かなり深刻だったようで。
この国は、もう保たない。そんな絶望がじわりと背中を撫でた。
+++
「──プティットさん、レティを見ていてくれて、ありがとうございました」
「構いませんよ。それではお気をつけて」
徒歩で酒場へと戻ってきたら、レティは長椅子をベッド代わりに、エルフさんの本を枕に、店の人が貸してくれた毛布を被って完全に熟睡していた。
揺すってみたが起きそうになく、仕方なくおぶって帰路に付く。
プティットのレティは軽いため運ぶのは苦にならないが、ひとつ重要な問題を解決できないでいた。
「レティ、『教会』の寮が何処にあるのか教えてほしいんだけど?」
「んー……」
「だめだこりゃ」
レティが住んでいるのは『教会』の寮なのだが、場所が分からないと後になって気づく。
呼びかけてみるが、本当に起きない。
仕方ないなと諦めて、このまま僕の家へと帰る事にする。
「……寮の場所、誰かに聞けば良かったのか」
それにしたって誰もレティの帰り先を気にしていなかったような。
同じ家に住んでいると勘違いされていた?
まあ、家族だと紹介すれば、そう思われても仕方がないか。
「よいしょっと」
おんぶするのは良いけど、玄関の扉を開けるのに苦労する。
兵士になって与えられた住居は、二階建ての一軒家。
村の家は生活に必要な要素が1部屋で完結していたが、ここはリビング、台所、寝室、洗濯室、地下倉庫、浴室、トイレと生活要素ごとに部屋が用意されている。
なによりも光石ランプが各部屋に設置されており、トレイや風呂など水周りが完璧に整備されている事に驚いた。
給料の高さも鑑みて、『砦』の兵士は待遇が非常にいい。
逆説的に兵士の数が少なく、人手不足ゆえの高待遇であると察せられる事から、広すぎる部屋に寂しさを感じていた事もあって、慣れるまでは非常に複雑な心境になった。
「ほら、レティ」
「んー……」
寝室へと向かい、レティをベッドに転がす。
おそらく平均身長210センチのランキール向けサイズのダブルベッドであるため、プティットのレティが寝ても、かなり余裕がある。
僕の背中から離れていても起きる様子はない。
レティはエルフさんの本を握りしめて離さない。
無理に取ろうとすれば起こすかもしれない、明日でいいかと諦めた。
そう考えた事に、言いようのないショックを受ける。
本を二の次にする。リスタらしくない……。
……時間は日が沈んだ直後、まだ寝るには早い。
それに、いくら綺麗だったとしても、戦場帰りで、このまま寝るのは衛生面が気になる。
湯を沸かす気分ではないので、水で濡らしたタオルで拭こう。
着替え室で、衣類や防具を脱ぐ。
思えば、これらも複製された物だ。
気になって確認してみると覚えのある汚れと傷があった、見た目は完全に再現されているという事か。
風呂場へと入り、濡らしたタオルで体を拭いていく。
水の冷たさで、己に体温があることを自覚する。
手が止まる。
深い溜め息を最後に、音が消え失せる。
前に居た人の持ち物か、風呂場に置かれっぱなしの手持ち鏡を覗いて顔を確認する。
見覚えのある黒髪赤目の、十六になったばかりの青年の顔だ。
リスタだ。
見るんじゃなかった。
──もう限界だ。皆のおかげで頭の片隅に押し込められていたものが漏れ出ていく。
このまま決壊してしまえば、心が壊れてしまう。かといってもう誤魔化す事はできない。
理性が持っている間に、今日、起きたことを整理する。
僕はリスタ。今日殺されたのとは違うリスタ。
時間が経過しても脳と頭蓋の間に浸透しているような他人感は消えなかった。
やはり、〈
そもそも“蘇る”、という表現が正しいのかも分からない。
オリジナルに近しい別人が“複製”されていると言ったほうが正しい気がする。
それも全く一緒ではなく、確実的な変化を持って。
本を手に持ったら無意識に開いて、中身を読むのがリスタだった。
レティシアに力仕事を任せるぐらいひ弱なのがリスタだった。
昔、図鑑に載っていた生物の進化図を見た時のこと。
まるで左から右へと違うものへと進化する過程が、元の存在から“ズレ”て行っているようだと思った事がある。
それみたいに死んで蘇る度、元のリスタからから“ズレ”ていき、リスタらしさは余計なものだと排除されて強くなっていくのだろうか?
何処まで強くなる?
何処まで変わっていく?
これが戦争に勝つために、神々に望まれている変化だと言うのならば──僕の右端は何処だ? どこまで“ズレ”ることになる?
最後まで変化すれば、勇者と呼ぶに相応しい力を得て、全員を守れるだけの力を得るのだろうか?
その代わり、もはやリスタとは呼べない何かになってしまうのだろうか?
「……死にたくないな」
死にたくない。
死にたくないに決まっている。
だって正確には、この僕は蘇らないのだから。
次死んで蘇ったとしても、それは間違いなく違うリスタだ。
三人目のリスタと呼べるものだ。
二人目の僕だって、こんなに辛いのに、三人目となったらどうなるのか?
そもそも死ぬってなんだ? もう元に戻れないのか? 最初のリスタはどうなったんだ?
死んでみないと分からない、でも死んだら何もかもがお終いかもしれない。
覚えている、死ぬ時の光景。五感が失われて、寒くなって、息をしているのか分からなくなって、思考ができなくなって、言葉が思い浮かばなくなって、怖くて怖くて怖くて、最後には重力から開放されて何処までも落ちていく落下感を最期に、暗闇に支配されるアレ。
まるで魂という綿を毟り取られ続け、最後には無くなってしまうような。
眠るとは違う、本当の意味で終わりという感覚。
死。これを経験して、どうして僕は、まだまともで居られるのだろうか?
これもまた、蘇ったことによる変化とでも言うのだろうか?
何も分からない。分からない事だらけだ。
今後、どうするべきか。
ずっと隠し通すべきか、それとも打ち明けるべきか、兵士として戦うべきか、いっそ『砦』を去るべきか、村に帰らずに帝国に亡命するべきか。それとも誰も居ないところに逃げるか。
ちょっとまて、いま考えるべきなのは、もっと違う事じゃないのか?
なにを考えるのが正解なんだ。順序がおかしい、いや、合っているか?
だめだ、頭の中がぐちゃぐちゃになって治まらない。
元に戻したいけど、思考が落ち着いてくれない。
止めてくれ、狂いそうだ。
──誰か止めてくれ……でも、そんな人どこにも……。
「──リスタ!!」
居た。
バタンと、扉を強く開いて、レティが浴槽場に入ってきた。
唐突の出来事に、頭が真っ白になる。
「れ、レティ……」
「リスタ……ぐぅ~……ん」
レティは立ちっぱなしで、また寝た。
そういえば、姉であるレティは非常に寝起きが悪かったことを思い出す。
村では、外にあるトイレに行くと言って、そのままトイレ室で寝てしまう事が多々あった。
今日は、お酒が入っているから、特にだろう。
「──ふっ」
何も解決していないのに、自然と笑みが零れた。
あれほど心をかき乱していたものが、また片隅に引っ込んだ。
ああそうだ。本に夢中になって時間を忘れた時や、考え事をしていて周りが見えなくなった時。
いつだって現実へと引き戻してくれたのはレティだった。
「ほら、レティ。ベッドに戻るよ」
「ん~、トイレ~」
「分かった、案内する……あ、ちょっと待って」
裸だったことを思い出して、服を着る。
もしも意識がハッキリしていたら、顔を真っ赤にして怒られていたかもしれない。
そんなレティの顔を想像して、また笑みが零れた。
「ほらレティ」
レティの手を握って、トイレまでエスコートする。
心配で付いていくようになった、村の時と同じように。
もう少しだけ、考える時間がほしい。
もう少しだけ、落ち着く時間がほしい。
もう少しだけ、覚悟を作る時間がほしい。
せめて、レティを悲しませない選択を思いつくまで。
手を握りしめて廊下を進む中、神々に祈った。
──でも、そんな時間を与えてくれないのが戦争なのだと突き付けられるのは、明日の朝の出来事だった。
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