第三話 邂逅の夜

邂逅の夜-1

 コレルへは行かないと言ったノインは、平地を進むのをやめ、山を越えて国の中央部へ出る道を取った。


 王国は、北東部にある山脈が、国の中央部と北東地域一帯を分断している。この山脈から東の領土は、昔から隣国と取り合いになっていて、今は王国の辺境伯領となっていた。


 王国が何度も争ってこの土地を奪い返すのは、ここで石炭が豊富に採れるからだ。

 この北東部を移動していたノインとヴィンセントは、縦に細長い土地ゆえに、引き返せば自分たちを『魔女』と告発した村の近くを通らざるをえない。そこでノインは、山越えを選んだのである。


 うかつに国境を越えられないヴィンセントは、ノインの選択に密かに安堵した。ノインが隣国へ抜けるほうを選んでいれば、ついてゆくことができなくなるからだった。

 しかしながら、足取りを隠すため、ノインとヴィンセントは森を抜けてすぐ山へ向かい、十分な装備を調えられないままの山越えになってしまった。しかも、ノインが進むのは、これまた国で整備した山道ではない、地図にない道だ。


「人の多い街までは、あまり目立ちたくないの」


 ノインはそう言って、躊躇無く道を外れた。

 地図を広げる様子のない彼女が何を頼りにしているか、ヴィンセントにはわからなかった。だが、森といい、山といい、道に迷う気配がないからには、彼女についていけば、遭難はしないと気づいている。


 山越えに三日かかると見積もって、ヴィンセントが食糧の心配をすれば、ノインは干した肉や果物、薫製肉を、まるでこうなることを見越していたかのように取り出した。


「あなたと会った、あの村を出るときから、なんとなく予感はしていたのよ」


 串に通した薫製肉を、魔法で付けた火で炙りながら、ノインは何ということもなく言った。

 日が暮れて足下が見えなくなる前に、ノインとヴィンセントは山中でも傾斜が緩く、ひと晩過ごすのにちょうどよさそうな場所に野営の支度を整えた。

 おかげで夜を迎えた今、食事を終えたら寝るだけになり、くつろいだ気分で火を囲んでいる。


「疲れませんか、そんなにずっと、警戒していて」

「そうね。でも魔女狩りのせいで、ここ数年、ずっとそうだもの。慣れたわ」

「あなたが慣れてしまうほど、この国は『楽園』からほど遠くなってしまったのですね」

「国が滅ぶと言われたら、荒むのも仕方がないと思う。それでもあの辺りは、ほかのところよりいっそうぴりぴりしているように感じたわ」


 ノインは、村にいるときより、今のほうが肩の力を抜いているように見えた。ヴィンセントがそれを言うと、ノインがおかしそうに笑った。


「こんなところなら、人はいないもの。安心でしょう?」

「魔物や獣も、恐れないと?」

「よっぽどの魔物でなければ、魔除けの魔法で十分よ。よっぽどの魔物の噂は、もうずっと聞かないわ」


 たき火はふたつあり、ひとつで肉を炙り、もうひとつには鍋がかけられている。ノインが摘んだ野草のスープだ。

 ノインは、旅の途中、この山のように、人が立ち入りにくい場所を通っては、貴重な薬草などを摘み、お金に換えているのだという。


「魔物の代わりに、今はどこへ行っても魔女狩りが恐れられている。人のほうが恐ろしいかもしれないわね」

「国が滅びるという話……ノインは信じますか?」

「国の星読みがそう言っているんでしょう? わたしは星は読めないから、何とも言えないけれど、『魔女によって』というなら、怪しいと思うわ」

「……なぜです?」


 ヴィンセントは、内心の動揺を押し殺して、なるべく自然な疑問を装った。


 魔女は、この国を滅ぼすのか。


 それはノインにこそ、尋ねたい問いだった。


「前にも言ったように、ひとりで国を滅ぼせる人間が、そう居るはずはないもの。でも、魔女狩りで国が揺らいでいる現状を思えば、それを『魔女によって』とは言えるのかもしれないわね」


 ノインは脂の滴る肉をまだ火に当てていた。彼女は、脂を落とした肉のほうが好みのようだ。彼女の魔法で生まれた火が、脂でいっそう大きく燃え上がる。

 ふわりと舞う火の粉を目で追い、ヴィンセントが空を見上げると、木々の合間に、無数の星が輝くのが見えた。


「星の予兆が示すのは、国が滅ぶことだけです。国王もほうぼうに手を尽くして原因を探りましたが、もう魔女のほかに、要因が見つからない」

「星を読めるからといって、人に、その定めを変えることができるとは限らないんじゃないかしら」

「人がどうにかできるものではないと? だから人には、要因も見つけられないということですか?」

「さあ……」


 ノインは薫製肉を火から上げ、息を吹きかけて冷ましながら、端のほうをかじった。彼女にとっては、国が滅ぶかどうかよりも、肉の焼き加減のほうが重要そうだった。


「この国が長く平穏であったのは、星を読む力があったからです」

「そうらしいわね。けれどたとえば、隣国が攻めてくることは読めても、攻めてくるのを止めることは、できなかったじゃない」


 ノインの言わんとすることは、ヴィンセントにもわかった。

 国が滅ぶのを予期したからといって、必ず阻止できるとは限らない。


「けれど、国が滅ぶと予期したなら、何もせずにはいられません」

「そう言って、たくさんの人々を犠牲にしているわ。ヴィンセントはそれを、必要な犠牲と思う?」

「……僕に、止める力があるなら、止めています」


 重苦しい気持ちに胸を塞がれながらつぶやくと、ノインは食事の手を止めて、ヴィンセントの顔をじっと見た。


「もしかして、その力を求めて旅をしているの?」


 ノインは的を射ていた。ヴィンセントは無意識に手を強く握りしめた。


「……そうです。手当たり次第の犠牲を、止められるなら……」

「本物の魔女ひとりを、見つければいいと?」

「……」


 ヴィンセントも、そう思って旅に出た。けれど今のヴィンセントは、その『力』を前に、正しいと思えなくなってきている。

 答えられないヴィンセントを置いて、ノインは続けた。


「国を救うために、魔女ひとりを犠牲にするのは、わかるわ。たったひとりで、大勢が救われるのよ」

「ノインは、その犠牲を当然と考えるのですか?」

「いいえ。でも、もしも本当に魔女ひとりで国が救えるなら、魔女は、それを知って生きていくのも苦しいでしょうね」


 ノインはさらりと言った。彼女の手の内で、肉を刺していた金属の串がもてあそばれている。


 もしもノインが、自分が『魔女』だと知ったら、その串で喉を突くだろうか。


 ふと考えてしまい、ヴィンセントはぞっとした。

 ノインがそうしようとするなら、自分は彼女の手から串を取り上げるだろう、と思う。

 魔女を討たねばならない使命感で旅に出たのに、いつの間にか、ヴィンセントの中に矛盾が生まれていた。


「魔女は、自分が『魔女』であることを知らないのでしょうか」


 炎に照らされたノインの横顔を見つめるが、彼女はヴィンセントの問いかけにも、冷静な表情を変えなかった。


「『魔女』によって国が滅ぼされるというのは、国がそう言っているだけで、真実とは限らないのよ。この前提が間違っていれば、国を滅ぼすものなんて自覚も持ちようがないわ」


 ノインは手の中の串に、もう一枚薫製肉を刺して、火に当て始めた。


「魔女、ね……」


 炎を見つめて、ノインがつぶやく。そのまなざしは、目の前の炎ではなく、どこか遠いところを見ているようだった。

 炎の揺らぎを映すその目に、暗い光が見えた気がした。


「皆殺しにするはずだった一族の生き残り。もし魔女が国を滅ぼす力を持っていたなら、その力を、何より一族を守るために使ったと思わない?」


 ヴィンセントは、はっと目を見開いてノインの顔を見た。


 彼女の言うとおりだと思った。

 ヴィンセントの脳裏に、あの日の光景がよみがえる。

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