楽園の跡地で-2

 侍従をともなって出て行くヴィンセントを見送ったあと、ノインも急いで別の扉から部屋を出て階段を駆け下り、戴冠式のおこなわれる広間へと飛び込んだ。


 正式な身分は何も持たないノインだが、大臣たちのはからいで、戴冠式への参列を許されている。そのために着慣れないドレスを身につけて、少しばかりうっとうしい。王都に来たとき、路銀ではとても足りないと目を剥いた衣装を自分が身につけていると思うと、不思議な気分でもある。


 ヴィンセントはノインのドレス姿を見ても、たいした反応はしなかった。でも女性慣れしていないのと、彼にとっては中身が重要らしいというのがなんとなく伝わっていて、ノインはそれはそれでまんざらでもなかった。


「ノイン殿、殿下……失礼、陛下はどのようなご様子でしたか」


 ノインが入ってきたことに気づいた大臣のひとりが、小声で尋ねてくる。緊張しているのではないかとか、そういう心配をしているのだ。先ほどまでのヴィンセントとのやり取りを思い浮かべたノインは、気恥ずかしくなってしまうのを押し殺して平静を装った。


「ええと、けっこう平気そうでした」

「ほう?」


 ノインから見れば祖父ほどの歳の大臣が、意味ありげに目を細める。


「守りたいものがあれば、腹も据わるというものですな」

「……」


 言われていることはよくわかって、ノインは熱くなる頬を手の甲でおさえながら目をそらした。

 そのとき、ざわめいていた広間がしんと静まり、そらした視線を上げる。広間の奥の、壇上に、神官長が現れていた。

 神官長が王冠を与えるのは、星を読み、未来を予言する者からの、信頼のあかしだ。


 王が、よき未来を導くよう。


 広間の入り口で国王の入場が宣言され、大扉が開け放たれる。

 集った貴族や神官たちの視線を一身に集めながら、ヴィンセントは美しい姿勢でゆっくりと、神官長の待つ最奥まで歩んでゆく。


 壇の下までたどり着くと、彼は一度足を止めて神官長へ軽く一礼したあと、三段の階段を滑るように上った。

 もの静かな身のこなしの優雅さは、王族としてというより、神官としての生い立ちを思わせる。

 本来ならここで、ヴィンセントが間違いなく王であるかを、この場にいる人々へ問いかける儀式がある。だが先王や貴族たちとの確執を懸念して、その手続きは省かれることになっていた。

 それは、ヴィンセントの今後が必ずしも安泰ではないことを示しているが、少なくともノインの周りの大臣たちの空気は、憂いよりも清々しくあった。


 神官長が王冠を手に取り、ヴィンセントの正面に立つ。

 少し目を伏せた、静謐な表情のヴィンセントの横顔は、その場の人々が息を潜めて見守るほど神秘的な美しさを見せていた。彼は軽く身を屈めて神官長から王冠を戴き、ひと呼吸置いて、しなやかに背を伸ばした。


「国王の栄光が、永遠に続きますよう」


 神官長の祈りとともに、列席したみなが深くこうべを垂れる。

 その頭上に、ヴィンセントの声が響いた。


「みなには、私への忠誠を求めない」


 彼が続きを口にするまでの一瞬の静寂は、耳が痛いほどだった。


「その忠義は、この国と、国民に捧げてほしい」


 ノインはこっそりと、ほんの少しだけ頭を上げ、ヴィンセントを盗み見た。彼は神聖さのあまり、陶磁の人形のように硬質で、無表情に近い顔をしていた。だが、その目がすっとノインを見たかと思えば、視線があったことをノインが気まずく思う暇もなく、匂い立つような微笑をうかべた。


 慌ててもとのように頭を下げ、ヴィンセントの視線を逃れたものの、今のを誰かに見られたのではないかと思うと、急に体が熱くなってくる。


 みなの王が、ひとりの人間に戻ってしまう瞬間は、ノインの心臓によくない。

 でもそんな『ひとりの人間』だから、ノインはそばにいようと思ったのだ。


(あなたがいつでも、笑える場所であるように)


 出会ったときから、国や人々を思って憂い顔が多かったヴィンセント。今も硬い顔をして、王であろうとしている。

 それがノインを相手には笑ってくれるというのなら、ノインは彼のための居場所でありたいと思う。


 王冠を戴いたヴィンセントが、入ってきたときより重々しい足取りで、広間を退場してゆく。

 その背中を見送りながら、彼が王都のパレードを終えて王城に帰ってきたあとは、きっと疲れ切っている彼を、存分にねぎらってあげよう、と決めた。

 その前に、ノインもまだ、国王を迎える王都の熱狂を『記録』しなければならない。戴冠式が終わり、順番に従って広間を退出したノインは、大急ぎでドレスを着替えた。貴族のお姫さまが着るようなドレスから、町娘のちょっとしたおしゃれ着へと装いを変え、王城を飛び出す。


 パレードの沿道にはすでに人々が詰めかけて隙間もない。前もよく見えない中、ひときわ歓声が大きくなるのを聞いて、ノインは人々の後ろから飛び跳ねて、やってくる隊列を見ようとした。王都の様子を『記録』するだけなら人々の後ろ頭を見ているだけでもよかったけれど、たとえ遠目にひと目だけでも、街の熱狂の中からヴィンセントを見てみたかった。


 色々な姿の彼をこの目で見て、それは『記録』とは別の、ノインの思い出になるものだ。

 何度か飛び跳ねているうち、タイミングよく、馬車の窓から手を振るヴィンセントが一瞬だけ見えた。


「ねえ、王さまやけにこっち見てなかった!?」

「そうかも? 目が合った気がする!」

「それは気のせいでしょ」


 ノインのそばで、若い娘たちがはしゃいだ声を上げる。少し気になって耳をそばだてていると、彼女たちはいっそう興奮したように、早口に言った。


「王さま、すっごく綺麗な人だったね!」

「ね、びっくりした! 早く肖像画売り出されないかなあ」

「絵じゃもの足りないって!」


 そのあと、『記録』のために街を回っているあいだに、似たような言葉を何度も聞いた。


 嬉しいような、複雑なような。


 微妙にすっきりしない気持ちを持て余したまま王城に帰ったノインは、その後しばらくして帰城したヴィンセントが、ずいぶん上機嫌なことに少し首をかしげた。

 人々に歓迎されて喜ぶのは理解できるけれど、それにしては、ノインを見てやたらにこにこしていたのだ。


 不可解に思いながら、ヴィンセントが着替えや湯浴みを終えるのを待っていたノインは、そのあと私室へ戻ってきたヴィンセントが告げた理由に、今までになく恥ずかしい思いをする羽目になった。


「一生懸命飛び跳ねて僕を見ようとしてくれるノイン、とても可愛かったです」

「見てたの!?」


 はい、と、ヴィンセントが満面の笑みでうなずく。

 ノインの近くにいた娘たちが、王さまがやけにこっちを見ていた、というのは、間違いではなかったのだ。

 今までの人生で、飛び跳ねるほどはしゃいだのは初めてであり、それを見られて微笑ましげにされるのは、いっそう羞恥をかき立てた。


「あんなに人がいたのに、よくわかったわね……」

「パレードを街で見ると言っていたから、僕もノインを探していたのです」


 ヴィンセントはノインを見つけられたことがことさら嬉しいようだった。しかし、それにしても普段の彼よりやたらと高揚していて、その違和感に、ノインはじっくりヴィンセントを観察した。

 そして、かすかに手が震えているのに気づく。


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