滅びの道へ-2

 その日、大臣以下、主要な執政官を集めた会議は、紛糾を極めた。


 議題は隣国への対応だ。


 しかしながら、軍を出そうにも敵方にだけ強力な魔法使いがいることや、明らかに内通者がいることなど、指揮官が混乱するには十分で、どの部隊がどこを担うかで揉め、どこを防衛線にするかで揉め、そもそも武力で抵抗すべきかどうかで揉め、いっこうに結論が出る気配はなかった。


 他方、停戦の交渉はどうかといえば、こちらもやはり隣国にどのような条件を提示するかで、思い切って身を切るべきと主張する者と、それによって領地を失い、国からの補償の見通しもないと承知できない者とが平行線で、まとまる見込みがない。

 あちこちで怒号に近い声まで飛び交い、誰が何を発言しているかもわからなくなってきた会議で、玉座に座る王は、疲れ切ったように背もたれに沈み、虚ろな目で大臣たちを眺めていた。


 このままでは国は滅ぶ。


 誰もがわかっているのに、平和であったころの惰性を捨てきれず、今までの平穏な暮らしを諦めて進むべき道を、選べない。


「あなた方の気持ちはわかります」


 声はごく穏やかだったのに、その場にいた誰もの耳に届き、みなが一斉に振り返った。そして目を見開き、幾人かは不審に目を眇める。国王さえも玉座から身を乗り出し、振り返って驚愕に息を詰まらせていた。


 玉座の後ろ、国王のみが使う扉から会議の行われている広間へ踏み込んだヴィンセントは、玉座の背もたれに手をかけて、久方ぶりに会う弟を見下ろした。微笑みかけたのに、彼は怯えて顔をひきつらせていく。


「今日まで、あなたを助けようともしなかったのは、僕の落ち度です」


 玉座の弟から、大きなテーブルを囲む大臣たちへと目を移す。


「……殿下」


 誰かがヴィンセントを呼ぶ。とっさには、ヴィンセントの名が出てこなかったかのように、言いにくそうな詰まった声だった。

 構うことではなく、ヴィンセントは玉座のある一段高い位置で、背すじを伸ばし、広く彼らを見渡した。


「国民にこれ以上の犠牲を強いないことを、第一に考えましょう」


 突然のことに虚を突かれた大臣たちの動揺が、小さなさざめきとなる。場が静まるのを待って、口を開いた。


「人々が望むのなら、国を明け渡すことも、視野に入れてよいと思います」

「馬鹿なことをおっしゃる」


 冷ややかな返事があった。怒鳴られるよりいっそう手痛い反応だが、ヴィンセントは微笑みを崩さなかった。


『絶対に受け入れられないことから吹っかけて、そこから少しずつ条件を緩めていくの。後から出すほうが本物でも、あたかも譲歩したかのようにね』


 馬鹿正直に真正面からぶつかるな、とノインは忠告していた。


『こんなやり方は、大臣たちだって慣れているでしょうけれど、だからこそあなたも、初めから落としどころにいてはだめ』


 ヴィンセントがまともに政治をやるはずがないと思っている大臣たちである。最初は、ヴィンセントが何を言っても相手にされないだろうことはわかっていた。


「馬鹿なこととおっしゃいましたが、では、どのようになさるおつもりですか」


 発言者が誰だかわからなかったため、ヴィンセントは全体に目を配りながら問いかけた。正直なところヴィンセントには、ここにいる者たちの名前や職位さえ、ほとんどわからない。政治がまともに機能していれば、ヴィンセントは完全に部外者だった。


「殿下、それをこそ我々は今議論しているところで……」

「速やかに答えを出すつもりのない議論をしている場合ではありません。あなた方は夜通しここにいらっしゃったようですが、少しでも何か進みましたか」


 その場にいた全員が答えに窮して顔を見合わせ、反発していた者同士が気まずそうに目を逸らす。

 ヴィンセントは一歩前に出て王座の真横に立ち、怯むことなく全員の視線を受け止めた。


「僕にはひとつ、手札があります。ですがそれを有効に使うためには、みなで事実を受け入れなければなりません」


 ひとつ息をついて、場に疑問が広がる前に、続けた。


「我々の『楽園』は、もう滅びたのだということを」




「何ということを言うのだ!」


 一瞬だけ、水を打ったように静まりかえった場は、ひとりの男がテーブルを叩きながら立ち上がったことで騒然となった。大臣たちが壇のすぐ下まで詰め寄り、口々に非難するので、巻き込まれた国王が青ざめてヴィンセントを見上げる。


「兄上!」


 ヴィンセントは国王を無視し、壇のふちまで歩み寄った。


「今のこの国の、どこが楽園なのですか。確かに、何事もなく栄えている街はあります。しかしそれでも、人々は魔女狩りに怯え、隣国と密通する者がおり、為すすべもなく攻め込まれている。僕をどれほど詰っても、この国はもう、もとの楽園には戻らないのです」


 怒鳴り声の中で、ヴィンセントの口調は静かだからこそ、よく通った。


「すでに無いものを求めても、手に入れられるはずがありません。僕たちがすべきなのは、滅びゆくこの国の、終焉を決める会議です」


 最前列にいた大臣たちをひとりひとり見返し、ヴィンセントは軽く傾けていた上体を起こした。静かになった広間で、仕切り直しにもう一度全体を見渡す。


「まずは早急に、隣国への対策を固める必要があります。大臣方を残して、ほかは全員、退出してください」


 驚きと不満の声が上がり、誰ひとり広間を出て行こうとはしなかった。想定はしていたため、ノインに教えられた防壁の魔法で、大臣たちの席と下座との間に壁を作る。突然現れた半透明の壁に対するどよめきは、半分以上が遮断されていたため、声を上げた本人たちが勢いをそがれて黙る羽目になった。


「殿下、これは……」

「これが、僕の持つ手札です。魔力の封印を解きました。ある程度の力にはなるでしょう。けれど、魔法ですべてが解決できるわけではありません」


 ヴィンセントは大臣たちに席に戻るよう求め、最後に、玉座の弟へと体を向けた。


「国王陛下。あなたもご退出ください。今、あなたの持つ王権は、これからの会議の妨げになります」


 それは実質的な退位だった。

 だが、今からの会議に、この力無い王の承認を求める手続きを経ていられない。


 ヴィンセントの言わんとするところはわかっているはずなのに、先ほどまで倦んだ目をして会議を眺めていただけの王は、反抗的な目をしてヴィンセントを睨んできた。


「嫌だ。今まで、私がどれだけ大変な思いをしても、無関心でいらした兄上がなぜ、突然そのようなことをおっしゃるのか」

「申し訳なく思っています。でも今、変えられない過去を理由にして、これから先の物事を滞らせる暇はないのです」


 納得できることではないと、ヴィンセントも思う。だから説得を諦め、弟に背を向けた。


「退出なさらないなら、そこで見ていてください」


 玉座との間にもうひとつ防壁を作り、自分は壇を降りて、大臣たちと同じテーブルについた。

 この国で、ほとんどの貴族たちはそれぞれの領地を治め、それをもって国に貢献しているにすぎない。だからこそ、大臣たちは国王の直接の命令を受けて動く数少ない側近である。

 会議の人数を彼らだけに絞れというのは、神官長からの助言だった。


「初めに、僕が目標としているのは、現在さしたる障害無く侵攻を進めている隣国に対し、足止めになりうる打撃を与え、交渉の余地を作ることです」

「兵力が足りないのです、殿下」

「僕の魔法の使い方次第で、隣国に、想定より困難だと思わせることはできると思います。仕掛けるのに適した地点と、忠実な兵を選抜したい」

「隣国との内通者をどう特定しますか?」

「ブレン子爵と、それから……」


 ヴィンセントがいくつかの貴族を挙げると、大臣たちの顔に、落胆と納得が同時に浮かんだ。彼らから見ても、国を裏切る理由があった者たちなのだろう。

 それがわかっていながら、この国はその不平を改められなかったのだ。


「……これらの家と、彼らに関係が深い者たちは、選抜から外してください。証拠はありませんが、疑わしい行いを知っています。今は、わずかでも疑いのある者を、除くしかありません」

「殿下、あなたを信じてよい証拠はあるのですか」


 ヴィンセントはぐっと腹に力を込めて、その発言をした大臣を見返した。神官長は、大臣たちは国を思う忠臣だと言っていた。神官長と、そして目の前の大臣を信じられなければ、ヴィンセントもこの国を守れない。


「神官長が、僕の人柄をよくご存じです。僕は、国を裏切りはしません。神官長への信頼があるなら、それを僕に、預けてくださいませんか」


 ヴィンセントは国政とは距離を置いて関わらないようにしてきたが、神官としての務めは誠実にこなし、国を思う気持ちは本物だった。神官長は、王族としてのヴィンセントに失望していても、ひとりの人間としてのヴィンセントのことは、それなりに評価してくれていた。


 神官長は直接は政治に関わる立場ではないが、そもそもこの国の政治は、神殿から送られる予言に基づいて執られている。神殿が何かを偽れば根底から揺らいでしまうまつりごとだから、神官長を信頼していなければ成り立たない。


 大臣たちは、難しい顔をするものの、ヴィンセントを信じることにしてくれたようだ。


 陸軍大臣がその場に散らばっていた書類の中から地図を引き寄せ、ヴィンセントにいくつかの場所を示してみせる。大きな川などの障害がある場所、あるいは開けて見通しがよく、そのぶん罠を仕掛ければ意表を突ける場所など、ひとつひとつの説明を聞きながら、頭の中でノインの知る魔法と相性のいい作戦を考えていった。


 途中、作戦を実行した場合の周辺の村落への被害や、その補償について財務大臣や内務大臣と検討し、また、うまく隣国に打撃を与えたとして、その後の交渉をどう進めるかを、外務大臣を中心にみなで探る。


「辺境伯領は諦めるしかないでしょうな」

「そこだけで済むならまだよいほうです」


 みなで、といっても、ヴィンセントは基本的に、大臣たちの提案を聞いているだけのことが多かった。さすがに、今まで関わってこずにいて、急に議論に活発に参加できるなんてことはない。


「辺境伯は納得するだろうか」

「しないと言っても、どうしようもありますまいな、この状況で」

「隣国の侵攻を許した失策の代償と、思ってもらうしかあるまい」


 この場の誰かひとりでも、私欲を出して議論を曲げたらそれまでだ。大臣たちの発言の是非を判断しきれないヴィンセントは、顔に出さないようにしつつも、祈るような気持ちで議論のゆくえを追っていた。

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