運命を決める力-2

『憎しみは、新たな憎しみを生むの。だから、わたしはむやみに人を憎まない』


 かつて彼女はそう言った。けれど本当に、この国や、あのとき村を焼いた将校たちを、憎まずにいられるのだろうか。


「……どうしたかしらね」


 ノインの声には、翳りがあった。ヴィンセントははっと、自分が迂闊で心ないことを言ってしまったのに気づいた。


「ごめんなさい、ノイン」

「何を謝るの?」

「……」


 ヴィンセントは答えに詰まって口をつぐんだ。

 謝罪のわけを話すには、あの日のこと、自分がノインの出自を知っていることを、打ち明けなければならない。


「力があれば、何でも望み通りにできる……とは限らないと思うの。あったらあったで、何かしら制約や苦労があるわよ」


 そういう人間を直接知っているかのように言い、ノインは同意を求めるようにヴィンセントを横目に見た。その手のひらは、胸元に添えられていた。


「あなたは、星読みの力が無かったら、と思ったことはない?」


 ぎくりとした。ノインが知るはずもないヴィンセントの秘密を、見抜かれたかのようだった。

 星読みの力ではないが、もしもを考えたことは、ヴィンセントにもある。


 もし、宮廷に影響を及ぼすことができるほどの力や、立場を、保っていられたなら。


「もしも……でも、もしそうだったとして、自分がどうしたか、どうするのが正しいのか、わかりません」


 そんな地位に居れば、魔女狩りをやめさせることはできただろう。だが宮廷にいて、魔女狩りをやめさせるという発想が、できたかどうか。

 神殿を出て、あちこちと王都とを行き来するようになってようやく、ヴィンセントはこの国や、人の心の生々しいありさまを知ったのだ。


「そうでしょうね。何が正しい道なのかなんて、誰にもわからないわ。自分のおこないが『正しい』と、信じるしかない」


 旅のためのそれなりの荷物を背負っているのに、ノインの足取りは軽い。


「歴史に『もしも』はないのと同じよ。そしてね、人は、振り返って過去の過ちに気づくことはできるけれど、正解を知ることはできないの。だって、もしこうしていたら、の答えを得ることもないのだもの」


 何かの詩をそらんじるような口調だった。そのように達観した言葉を口にしながら、足下にあった小石を蹴飛ばす幼い仕草が不釣り合いで、ヴィンセントの無力感と庇護欲を同時に刺激する。


「もしもを考えてしまうのは、人のさがなのだと思います。自分のおこないに、絶対の自信なんてないから」

「そうね」


 ノインは、口元に柔らかな微笑を浮かべた。彼女にも覚えがあるのだろう。


 それからしばらく、穏やかな道程が続いた。途中、乗り合い馬車が通りかかったときは、乗っていかないかと声をかけられたが、ノインがヴィンセントを指し、「彼とふたりがいいの」と断っていた。新婚夫婦という設定は、まだ有効らしい。


「本当に、あなたと物見遊山の旅ができたら、楽しいでしょうね」


 つい、そんなことを口にしていた。無遠慮すぎたと反省する前に、ノインが小さく声をあげて笑った。

 その、無邪気な少女めいた様子は愛らしく、よりいっそう、ありえないもしもを思って胸がうずく。


「そうだったら、あなたとわたしは、どんなふうに出会っていたかしら」


 ヴィンセントは、自分たちの出会いをさかのぼって、ノインと出会い、楽しく旅をするための条件を考えた。


 まず、国が滅ぶなんて予兆のあるなかでは、とてものんびり旅をしていられない。

 予兆がなければ、ヴィンセントが神殿を出る機会はなかったろう。


「……僕は、あなたに出会うためには、生まれからやり直さなければならない気がします」


 ノインは、またからからと笑った。


「あなた、見るからに良いところのお坊ちゃんだもの。わたしと出会うことなんて、なかったでしょうね」


 おそらくは世慣れしない雰囲気を隠しきれずにいて、出自が半分見抜かれていたことには諦めを感じつつ、ヴィンセントは頬を緩める。


「国の状況はとても喜べませんが、その中でノインと出会えたことは、幸いに思います」

「ロマンチックなことを言うのね」


 いったい、自分は何を口走っているのか。

 抱えた矛盾に心を乱されるヴィンセントの隣で、ノインは穏やかにヴィンセントを見上げた。彼女に許された気になってしまう。

 ヴィンセントにはない自由さを持つノインと、穏やかに過ごしたかった。


 はじめから、叶うことのない望みだ。


「でも、わたしもあなたと過ごせて、よかったと思うわ」


 ヴィンセントがこの国でそれなりの身分にあると気づいていながら、ノインはそう言って微笑む。


「いつどこで、誰とどう出会うかこそ、運命と呼ぶのかもしれないわ。あの村であなたが割り込んできてくれたような。ねえ、なぜ助けてくれたの?」

「……なぜでしょう。自分でもわからないのです」


 ノインが最初の村で引き留めにあっていたとき、ヴィンセントは彼女の容姿を見て、やっと見つけた、と思った。


 ひと目でわかった。


 彼女の家族を焼き尽くしたあの忌まわしい夜から、彼女のことを、忘れた日はなかったからだ。


「あのとき、あなたを助けなければ、と、とっさに思いました。理由はわかりません」

「それも運命? それとも、あなたの優しさかしら。 天は何をどこまで定め、どこからを人の手にゆだねているのかしらね」


 空を見上げて問いかける。答えのない問いだ。

 ノインはすがすがしい空を見ていたのと同じ表情をヴィンセントにも向け、ひょいと肩をすくめた。


 あの夜、ヴィンセントを口実に、彼女の村が焼き尽くされたことをノインが知ったとしたら、どんな目を己に向けるのか。それを恐れる心が、ヴィンセントの中に存在する。

 憎まないと決意したとしても、あんなことがあって、本当に憎まずにいられるとは、どうしても思えなかった。


 そこまで考えて、ヴィンセントはふと、あることに気づいて愕然とした。

 ヴィンセントの思いは、ノインの清い心がけを汚している。

 ノインは憎まないと言ったのに、自分は、ノインに憎まれたいのだ。


 あの夜から、ヴィンセントを苛み続ける罪悪感がある。それを償う機会がほしい。


 すべてを打ち明けて、そのうえで、ノインに許されたい。


 自分がなぜ、軍の捜索とは別に、神殿を出て国を巡ることを選んだのか、その根底にあった己の願望に、ようやく気がついた。

 もう一度、ノインに会いたかった。魔女探しを口実にして、その願いのために神殿を出たのだった。初めから、魔女を討つ覚悟など、己にはなかったのだ。


「ヴィンセント、今度は何を憂えているの」


 ノインが歩調を緩め、心配そうにヴィンセントを見上げている。

 今ここで彼女にすがりついて、すべてを打ち明けてしまえたら。

 ヴィンセントは、こみ上げる願望を、どうにか飲み下した。


「ご心配をおかけして申し訳ありません。僕は大丈夫です」

「そう? こんな世の中だもの、憂いが絶えなくても仕方がないでしょうね」


 ノインは他人事のように言う。それでもその言葉は、ヴィンセントを気遣うものだった。


「あなたがわたしを助けてくれたように、あなたは、人のことを思いやってばかりだから、そうやって憂いも多いのでしょうね」

「それは……初めて言われました」

「あら」


 薄灰色の神秘的な瞳にじっと見つめられて、少し気後れする。


「国のこと、そこに生きる人たちのことばかりじゃない、ヴィンセント」

「それは、僕の義務でもありますから」

「高貴な生まれって、大変ね」


 ヴィンセントは黙って微笑んだ。

 第一王子として生まれ、王妃にうとまれ、死んでもかまわないと思われている。

 それがヴィンセントだ。

 人々が憂いなく暮らす『楽園』を守るのが、ヴィンセントの生まれ持つ使命。たとえ壊れかけの楽園でも、ヴィンセントには、そうするほかに生きている価値はない。


「義務だとしても、あなたの思いやりは、あなたの人柄で、良いところなのだと思うわ」


 宮廷や神殿にいるときと違い、ノインの目は、王子ではないヴィンセントを見てくれる。


 世界中で、ノインだけが。


 だから、彼女の言葉で表される、ずいぶんと善良な青年が、本当の自分であるかのように錯覚しそうになる。

 長閑で、自分たちのほかに誰もいないこの道を、ずっと歩いていけたらいいのに。

 そんなふうに思ってしまったヴィンセントを咎めるように、前方から蹄鉄の音が聞こえてきた。土煙を上げて、馬が走ってくる。


「……ずいぶん急いでいるのね」


 道の端に寄りつつ、ノインが眉をひそめる。

 早駆けの馬は、何らかの緊急事態を思わせ、嫌な感じだ。

 馬上の人間はヴィンセントたちに目もくれず、馬に鞭を入れながらすれ違って行った。


「……あの人。見たことがあるわ」


 遠ざかる馬を見送って、ノインは怪訝な顔をした。


「知り合いですか?」

「違う。でも、どこかで……そう……軍の人間だわ。軍服じゃなかったけど」


 ノインの右手が、胸元を握りしめている。彼女のその癖も、だいぶ見慣れてきた。


「鞍に国の紋章もありませんでしたね。軍馬ではない……私用で、あのように急いでいたのでしょうか」

「……この先は、国境地帯よね」


 不穏なつぶやきを落としつつ、ノインは前に向き直った。


「ともかく行きましょう。街に着けば、何かわかるかもしれないわ」


 胸騒ぎがする。

 ヴィンセントはつい空を見上げ、星が何かを示していないか確かめた。だが、相変わらずの不吉な予兆のほかには、とりたてて目立つものはない。

 そのひとつの予兆があまりにも重く、すべての事柄が、国の滅亡につながっていると見なしそうになる。


「ヴィンセント、前を見ていないと、そんな調子じゃ街に着かないわ」


 空を見て足を止めたヴィンセントを、ノインが振り返る。ほんの少しの間だったが、思いがけず彼女との距離が空いていた。


 何をもっても消えることのない予兆。もしもそれが抗いようのない運命であれば、誰もこれ以上の罪を重ねることなくゆくすえを天に委ねることで、すべての贖罪が叶うだろうか。


 一瞬過ぎった考えに、己がひどく恐ろしくなり、ヴィンセントは早足にノインを追いかけた。

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