第四話 運命を決める力
運命を決める力-1
無事に山を越えたノインとヴィンセントは、山裾の村に立ち寄って食糧を補充し、長居はせず大きめの街を目指した。宿が一軒しかないような小さな村では、また同じ目に遭いかねない。
幸いにもよく晴れて、歩くのに支障のない道のりだった。
「いいかげん、国中の『魔女』を狩り尽くしたんじゃないかしら」
「星から滅びの予兆が消えない限り、国王は諦めませんよ」
ノインの隣を歩くヴィンセントは、力無く首を振った。
「今の王さまは、まだお若いのよね。いくつだったかしら」
「十四で即位し、今、十七です」
「国が滅ぶと言われる中で即位して、大変ね」
ノインの口調に、同情はなかった。
現王の評判は、決して良くない。苛烈さを増すばかりの魔女狩りに国民は疲弊し、優秀な魔法使いたちは亡命した。
まだ十七の少年ということもあって、大臣たちを抑えるのにも難儀しているようだ。長らく平穏であったこの国の一大事は、大臣や貴族たちにとって立身出世の好機でもあり、宮廷には野心が渦巻いているらしい。
神殿にいたヴィンセントにさえ剣呑な空気が伝わってくるくらいだから、実際の状況は相当に厳しいのだろう。
「ねえ、星読みは星の光からさまざまな予兆を読み取るというけれど、今のわたしたちに見える星の光って、ずっと昔に生まれたものらしいじゃない。それなら、明日のことも、未来のことも、遥か昔に決まっているのではないかしら」
ノインが上体を軽く前に倒して、ヴィンセントの顔を覗いてくる。その何気ない仕草が、今までの彼女に比べ、妙に無邪気に見えて、ヴィンセントはつい微笑んだ。
「星の瞬きや、光の具合を見るのです。それは、この世界を巡る魔力の揺らぎです。星読みというのは、それを『視る』ことができる魔法使いなのですよ」
「ふうん。ヴィンセントって、その星読みなの?」
ヴィンセントは、もう前を向いたノインの横顔をじっと見下ろした。ノインの表情は平素のままで、何も読み取れない。
ノインがあどけない少女であったら、何ということもない問いだったろう。けれど彼女はただの少女とは言い難く、つい真意を探ってしまう。
「なあに?」
ヴィンセントに気を許してくれたのか、今日のノインには、今までの彼女よりも素直な雰囲気がある。
それを、そのまま受け止めていいのか。
ヴィンセントは、自分が試されている心地だった。
「……確かに、僕は星読みの能力を持っています」
肯定してみて、ノインの反応を見る。尋ねておきながら、彼女は少し意外そうに目を瞬かせた。
「あなたに、未来が読めるようには見えなかったわ」
「そう何でもわかるわけではありませんよ。明日の天気くらいは、いつでも読めますが」
「きっと晴れね」
ノインは一度空を見上げて、さらりと答えた。昼間の今、まだ星は見えない。彼女は雲や風の様子を読んだのだ。星読みの力とは異なるが、旅慣れた彼女は、その肌で、自然と気配を感じるのだろう。
「僕もそう思います。天気ほどたやすく、さまざまな未来を読めたなら、どれほどよかったことでしょう」
「たとえば、どんなことならわかるの?」
ヴィンセントは、先ほどノインがしたように空を見上げ、陽光に隠された星の光を見透かすように目を細めた。魔力を宿した眼なら、昼間でも星の光を読むことはできる。
このあたり一帯の明日の天気、この近くの農場主の娘と牛飼いが幸福な結婚をすること、または付近の村の長が老いて死ぬこと。
よくあるいくつかを簡単に読んだところで、魔力を抑え、視線を前に戻した。
「精密に読むなら、それなりの手順が必要です。ノインが魔法を使うのと同じだと思います。複雑な魔法を使うときは、あの光の玉を生むより難しいでしょう」
「そうね。じゃあ、国が滅ぶ予兆を視るのは?」
ヴィンセントは、初めてその予兆を星が示した夜を思い返した。まず神官長が気づいて、それから、星読みの神官総出で夜通し空を見上げていた。
「まず、空にひどく不吉なものを感じます。魔力を操り、それが何かを慎重に探って、滅びの予兆と知るのです」
「それ以上詳しいことはわからないの?」
ノインの素朴な疑問に、ヴィンセントは、そうだったらいいのに、と思わずにいられなかった。
ただ未来のぼんやりした事象がわかるだけの己が、やはりどうしても無力に思える。
「未来というのは、常に不確定です。ほんの少しの差異が、大きな違いを生むこともあるものですから。大きな事柄ほど、細部はわからないものなのです」
「そんなに違いが出るというのに、滅ぶことだけは変わらないのも、おかしなものね」
「そう思います。だから国も右往左往しているのです」
明日になれば、滅びの予兆が消えてはいないか。
神殿では、誰もがそんな願いを抱いていた。
未来が変わりやすいのも確かで、昨晩星が示していた未来の出来事が、翌日の夜には消えていたり、変わっていたりすることも、しばしばある。
国が形振り構わなくなってきているのは、この五年、決して予兆が消えないからだ。
まるで、何者かが、どうしても国を滅ぼそうとしているかのようだった。
「ねえ、それなら、なぜこの国が滅ぶのかは、まだ決まっていないということじゃないかしら」
「えっ?」
「魔女が国を滅ぼすと決まっているなら、星は、そのように示すものじゃない?」
ノインがひとさし指を空に向けた。
晴れ渡る空は、まさか不吉な予兆を漂わせているようには思えない、すっきりとした青色をしている。実際、星読みの力を持たない者にとっては、綺麗な秋晴れの空なのだろう。
ノインは、星を読まないその瞳を、彼女の真上の空へ向けた。
「未来は不確定。国が滅ぶ予兆は見えているけれど、それだけ。そうなんでしょ?」
濁りのないノインの薄灰色の目が、ヴィンセントを見る。星の光に眩まされていない、透き通った目だ。
「……そうだとしたら、僕たちはどうすればよいのでしょう。いったいなぜ、この国は滅びると……」
「その『なぜ』を決めるのは、人間なんじゃない?」
ノインは忌憚無く言って、手のひらを広げた。
「本当に『魔女』がいて、何らかの方法で滅ぼす。行きすぎた魔女狩りで国が乱れ、どこかで反乱が起きる。今の動揺に、隣国がつけこんでくる……」
指を一本ずつ折りながら、ノインが原因になりそうな事柄を挙げている。
この国が滅亡の危機に瀕していても、彼女は冷静そのものだった。その理由に、ヴィンセントはなんとなく気づいている。
「もし、理由が定まっていないのなら、今の僕たちにできることはないのでは……」
「時おり、そういうこともあるでしょう。運命というのかしらね」
軽やかな口調でノインは言った。
国に守られなくても、彼女は生きてゆける。
かつて、国が彼女の仲間を滅ぼした。ノインにとって、この国は彼女を守ってくれるものではない。
だからこそ、彼女は身軽だ。
道理の通らないこととわかっていながら、ヴィンセントは、彼女がうらやましかった。
ノインと正反対に、ヴィンセントは国を背負い込んでいる。それが重苦しく、けれど、決して放り出すことはできない。
一方で、たとえこの国が滅びても、ノインは今のまま生きてゆけるのだと思うと、それがせめてもの贖罪になるような気もした。
ヴィンセントは、身勝手な願いに近いその思考を、軽く頭を振って追いやる。
「運命……そうして諦めてしまえば、本当に国は滅びます」
「そうかもしれないわね」
「目的を見失った魔女狩り、乱れた人心、まとまらない宮廷……。今、この国は揺らいでいます。それぞれが少しずつ、滅びを引き寄せているのかもしれません」
「……政治や文化や……複雑に成り立つひとつの国の運命を、変えるのはきっと簡単じゃないわ」
国ひとつの重みを思わせる口調だった。
ノインはこの国が滅ぶことを望んでいるわけではない。あくまで、この国に寄りかからない立場から、なりゆきを観察しているにすぎない。そんな彼女に、この国の滅亡が贖罪になると考えるのは、あまりにも都合がよすぎた。
それで救われるのは、ノインではなく、ヴィンセントだろう。
「難しいからと諦めてしまうことも、僕にはできません」
ヴィンセントはついうつむいた。乾いた土を、自分の足が踏みしめて歩く。
「あなたが諦めるか諦めないかでこの国の行く先が変わるかは知らないけれど」
ノインはそう前置きをして、すっきりと明瞭な声で続けた。
「何が運命で、何が運命ではないのか、わたしたち人間にはわからないわよ。嫌だと思うなら、最後まで諦めないでいるしかないわ」
「でも、何をしたらいいのかもわかりません。僕は、無力です」
「国を救うと言ってさっとできちゃったら、とんでもない力じゃない?」
こともなげに言う。それから、彼女はひとさし指を立ててくるくると回し、指に纏わせた魔力で小さな風を起こした。
「国を救う力だなんて、こうやったら嵐を起こせる人くらいでしょう、そんなものを持っているのは」
ノインの起こした風が、ヴィンセントの前髪をさらりと揺らした。嵐どころか、せいぜい、妖精のいたずら程度だ。
「そして、国を滅ぼす力も」
ノインの風は、最後にヴィンセントの頬をそっと撫でて空気に溶けた。
ノインには、国を救う力も、滅ぼす力もないと示すかのようである。
「もし、国を救うか、滅ぼす力を持っていたら、ノインはどうしましたか」
力があったら、ノインは、この国を滅ぼしただろうか。そうする理由が、彼女にはあるはずだ。
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