第九話 世界の行く末を握る魔女
世界の行く末を握る魔女-1
作戦は奇襲、だからチャンスは一度。
こちらに魔法使いはいないと油断しているところへ威力の大きい魔法を叩き込み、できるだけ敵の兵力を奪い、士気を削ぐ。
魔法はノインが用意してくれた。
かなりの数の人間を殺すだろう作戦に対し、ノインの手を借りるのはヴィンセントには抵抗があったが、逆にノインに「覚悟を決めなさい」と諭されてしまった。
「敵から命を奪って、わたしたちは生きるの。そうと知っている時点で、自分の手を汚すかどうかなんて、考える意味もないわ。それに、あなたはわたしを優先するより、国のための最善を選ばなければ」
「ごめんなさい、ノイン。あなたに、本来であれば無かったはずの罪を背負わせます」
「大事に守られるより、あなたと同じ罪を背負うほうが、わたしは好きよ」
まだ敵兵の姿も見えない平地に、選りすぐった兵士たちが、ノインが魔法式を書いた陶片を埋めていく。数百の陶片の魔法式は、大きな陶板に描かれた数百の魔法式とそれぞれ対をなし、ヴィンセントが陶板の魔法式へ魔力を注げば、対の陶片で作用するのだという。
火薬を用いた兵器と同じように、周辺を大きく吹き飛ばす単純なものだが、その単純さの分、一度発動すれば止めようがない。
敵に察知されるのを防ぐため、陶片を仕掛け終えたら、隊を離れたところへ移動させた。近くにはヴィンセントとノイン、数名の護衛と指揮官のみが残り、ノインの作った古代魔法の防壁へ隠れる。
「古代魔法なら、たぶん、敵方の魔法使いにも見破られないと思うわ……」
そう言いつつ、恐怖を押し隠すノインの肩を抱き、万が一のときは、彼女だけは逃がさなければ、と自分の魔力の具合を確かめる。取り戻して間もない力なのに、初めに暴れかけたとき以外、すんなりとヴィンセントに馴染んでいた。ノインいわく、魔力を容易く扱えるのは、星読みとして細かな制御をしてきたからこそというので、自分の過去が無駄ではなかったのだと、ひっそり噛み締めたものだ。
あっけないほど簡単に、作戦は成功を収めた。
どこにどの陶片を埋めたのかを、ノインは間違いなく把握していて、ヴィンセントがどの魔法式へ魔力を注ぐべきか、的確に指示した。
敵軍は、罠に気づいたときにはもう手遅れだったのだ。最初の爆発で、進軍していた隊の先頭が吹き飛んだ。だが実のところ、ほとんどの陶片はそれより手前の位置に埋められていて、その時点で敵の部隊は罠の真上にあり、次々と発動する魔法になすすべもなく瓦解していった。敵の魔法使いが対抗しようとしたところで、陶片ひとつひとつが小さく、大量に散らばっているものを、瞬時に無効化できない。
結果的に、敵将が事態を把握した時点で、勝敗は決していた。
生き残った敵将を捕虜に取り、撤退した残存部隊は深追いせずに逃がした。正確には、こちらの兵力が貧弱であることを悟らせないために、逃がすしかなかった。撤退途中に村落で狼藉を働かれたら、という懸念はあったものの、奇襲がよほど堪えたのか、部隊は国境を越えるまで一気に戻ったようだ。
「内通が仇になったわね」
作戦から数週間経ち、王城の執務室で戦後処理を含めた報告を聞いて、ノインは言った。
「こちらに魔法使いはいない。兵力も、ブレン子爵らの勢力が内側から無力化できる。そうして楽に攻略できると思ったから、進軍してきたのよ。甚大な被害が出るとわかっていれば、攻め入ってはこなかったのでしょうね」
「我が国に十分な戦力があったときには、戦っても互いに消耗するだけです。そこまでして領土を欲しがる理由は、隣国にもないはずです」
ノインに答えたのは、軍の総司令官だった。彼は、年若く、少女と女性の狭間にいるようなノインが、見た目からは窺い知れないほど博識で、大臣や指揮官など、誰の話にも即座に応じるところを見てから、彼女に一目も二目も置いている。ややもすれば、ヴィンセントへの敬意よりも、よほどノインへのそれのほうが高い。
総司令官が言った通り、隣国はたった一戦の敗北を喫しただけなのに、それ以上攻めてこようとはしなかった。戦いのあと、互いに使者を送り、こちらが初めから辺境伯領と、ついでにブレン子爵領を含む、山脈から東側地域を手放すと伝えたことで、交渉もすみやかに片付いてしまったのだ。
執務室から総司令官が去ったあと、ずいぶん久しぶりに、ノインとふたりきりになった。
ここのところずっと、朝早くから夜遅くまで誰かが執務室に出入りし、慌ただしい毎日だった。
ようやく諸々の処理が終わろうとしている。ヴィンセントはほっと息をついた。
「隣国の王が、血の気の多い人間でなくてよかったわ」
そう言うわりに、ノインは意外そうにはしていなかった。安心したようでもなく、どこか声色が硬い。
彼女は作戦がうまくいって以降も、ずっと浮かない顔をしている。気がかりながらも、ヴィンセントも時間が取れず、また、慣れない仕事で余裕がなかった。いたわるどころか、たびたびノインの助言に頼ってしまったくらいだ。
状況が落ち着いてきてもなお、彼女の表情は晴れない。
「ノイン、何か心配事があるのですか?」
「いいえ? 心配は、初めからしていないわ。うまくいくだろうと思っていたし」
その言いように、ヴィンセントは軽く首をかしげた。楽観視していたというよりは、もっと確信があったような口ぶりだ。
「ノインは、まるでこうなることを予想していたかのようです」
「そうね」
ノインは胸元に手を当て、少し間を置いてから、やや硬い声音で答えた。
「わかるのよ、隣国の王がどのような人柄か。わたしたちの一族は世界中に居て、隣国のことも、『記録』が続けられているから」
ノインが強く胸を握りしめる。服の下にある水晶を、握りつぶすかのようだった。
「……こういうふうに、利用すべきではないものなのに……」
「それは……」
ヴィンセントの執務室は、王城の一室を急ごしらえであてがったものだ。正式な国王の執務室ほど広くはなく、そこにすべての業務が集まっていたので、書類や資料でよけいに狭く感じるし、人の出入りも多い。
ヴィンセントは扉の外にも人の気配がないのを確かめてから、静かに鍵をかけた。
いつになく頼りなく見えるノインの肩を包むように触れると、小さな震えが伝わってきた。
「わたしたちの『記録』は、どこかの国を有利にするためのものじゃない。でもわたし、使ってしまったわ」
ノインは口にしなかったが、間違いなくヴィンセントのためだ。それなのにひとり自責に震えるノインを、ヴィンセントはたまらず抱きしめた。
ノインがこちらを見上げ、ヴィンセントの腕をぎゅっと掴んだ。
「怖いの。あなたのそばにいるのが」
はっとして、思わずノインを放しそうになるのを、ヴィンセントのなかの消せない欲望が止めた。反動のように、いっそう彼女の体を引き寄せる。
「あなたのそばにいたら、わたしきっと、何度も間違うわ。こんなことで悩むなんて絶対無いと思っていたのに、簡単に気持ちが揺らいで、わたしはわたしが信用できない」
「ノイン……」
「わかってしまうことを、黙っていられない」
怖いと言いながら、ノインの手はヴィンセントを放そうとしなかったし、ヴィンセントの腕の中から逃れようともしなかった。相反する彼女の気持ちが、ヴィンセントにも痛いほどわかる。
引き裂かれそうになっている彼女の心を包むように、ヴィンセントは彼女の体を両腕でしっかりと閉じこめた。
「ノイン、前に僕が、あなたたちは何のために『記録』をするのかと、尋ねたことがありましたね」
ノインが、じっとヴィンセントを見上げている。仰向いているために、潤んだ薄灰色の瞳がきらめいていた。冷静に凪いでいるまなざしも頼もしいが、今の彼女の揺らぎが人間らしくて、ヴィンセントにそれを見せてくれたノインのことがいっそう愛しくなる。
「僕は、人の幸せに役立てるためだと思うのです」
ノインの背を撫でて、語りかける。彼女はまだ納得し難いというようにかすかに目を細めた。
「『記録』というのは、要するに情報です。今回は間に合いませんでしたが、他国の情報なら、間諜を使って手に入れるのは、当たり前におこなわれていますよ。それも、より際どい情報を」
ヴィンセントには、ノインに間諜として動いてもらうつもりはない。それを伝えるために、いっそう大切に抱き締める。
「重要なのは、情報を手に入れることではなく、それをどう使うかです。もしもノインから情報を伝えられたとして、その結果の責任は、僕にあります」
ノインの唇が薄くひらき、何か言いかけたのを、指先で触れて制す。人の体のなかでも、いっとう薄い皮膚から、ノインの柔さと、温かさが直に伝わってきた。
彼女の瞳を、まっすぐに見下ろしながら、ヴィンセントは誓った。
「僕は、ノインから情報を得るなら、平和のために使います。この国だけではなく、多くの人々が、平穏に暮らせるように」
「人々の、ために……」
「一番素晴らしい『記録』の使い方だと思いませんか。そのおかげで、たくさんの人たちが幸せに暮らす。僕がそうすると、約束します」
ノインが目を見開く。雲が晴れるように、その瞳の輝きが明るくなってゆくのを見て、この輝きがもう曇らないよう、守りたい決意が固くなってゆく。
二度と不安にさせないとどれだけ決意しても、おそらく、実現は難しいのだろう。自分たちはこれから先も困難にぶつかるだろうし、ノインがそれに心を痛めないはずがない。
でも、その苦しみを一番近くでわかちあい、何があっても屈さず、乗り越えてゆきたい。
「人は、過去や、今の状況から学んで、よりよい未来を目指します。もし、僕が間違いそうになったら、あなたの知識で正してください。何が正しいかわからないなら、ともに考えてゆきましょう」
ノインの強ばっていた表情が、かすかに震えながらほころぶ。今までこらえていた涙がその頬を伝い、それとともに微笑みに変わってゆくのが、このうえなく美しく、愛しかった。
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