夜更けの逃走-2

「ヴィンセント。起きて」


 夜半、ノインはヴィンセントを揺すり起こした。


 寝るときは緊張していた様子だったが、疲れに負けたらしくぐっすりと眠り込んでいた彼は、ノインに体を揺さぶられてようやく眠そうに目を開けた。


「荷物を持って。早く」


 寝ぼけ眼のヴィンセントは、ノインが彼の腕を強く引いて上体を起こしてやって、ようやく異変に気づいたようだった。


 夜中だというのに、妙に騒がしい。


 ノインは状況を正確に捉えていたが、ヴィンセントは露骨に動揺し、何が起こっているのかわからない顔でノインを見た。


「魔女狩りよ」


 ノインは窓から外の様子を伺い、潜めた声で答えた。


「前の街で、誰かが通報でもしたのかしら。それとも、本当の不意打ちかしら」

「どうするのですか」

「わたしは逃げるわ。どちらにせよ、わたしは差し出される危険が高いもの」

「僕も一緒に行きます」


 手早く外套を纏い、荷物を背負ったヴィンセントが、ノインの隣に並び、細く開けた窓から外を見る。

 村の男たちが、宿を囲んでいた。窓から見えるのは宿の裏手で、表の様子はわからない。魔女狩りの正規兵はもう到着しているのだろうか。

 人々の持つ松明が、異様な熱気をもたらしているかのようだった。


「それがいいわ。前の街からの追っ手だとしても、この街を抜き打ちで調べに来たとしても、あなたはわたしと一緒にいるのを知られているから」


 ノインがひそひそと話した直後、馬の嘶きと、人々のどよめきが宿の表のほうから聞こえた。

 馬に乗って来たなら、おそらくはそれなりの地位の正規兵がいる。


 ノインはヴィンセントを手招き、彼と手を繋いで、自分たちの周りに簡単な目くらましの魔法を展開した。ほぼ同時に、部屋のドアが叩かれる。


「お客さんら、ちょっと出てきてもらえませんかね!」


 宿の主人がドアの前で叫ぶ。ノインはヴィンセントを引っ張って、部屋の隅へ身を潜めた。


「お客さん! 開けますよ!」


 鍵を閉めてあるドアが蹴破られ、宿の主人と兵士が数名、どたどたと入り込んでくる。彼らは部屋をざっと見回して、ベッドの下まで確かめたが、目くらましの魔法に隠れたノインとヴィンセントには気づかなかった。


 もぬけの殻に見える部屋に、兵士たちは「ちくしょう、逃げられた!」と悪態をつき、急いで階下に降りていく。


「仮にも『魔女』を探しているのに、魔法をちっとも疑わないものね」


 ひと気が完全に無くなってから、ノインはごく小さくささやいた。


「魔女狩りはもう、目的を見失っています……」


 ヴィンセントが痛ましげにつぶやく。

 ノインは目くらましの魔法を保ったまま、周囲に聞き耳を立て、足音を潜めてゆっくりと階下へ降りた。


 兵士たちはみな外に出たようだが、食堂のカウンターの隅で、女将が数名の村人へ、何か温かい飲み物を出してやっていた。


「まさか魔女を泊めちまったなんてねぇ。わかってたら、その場で捕まえたのに」


 つい数時間前、気のいい笑顔でノインたちに惜しげもなくパンとスープを振る舞ってくれた人が、今は嫌悪もあらわに顔をしかめている。

 ノインはとうに慣れてしまったが、ヴィンセントの気配が悲しげに揺れたのがわかった。


 彼の手を引き、歩調を合わせながら、慎重に宿の戸口へ移動する。捜査のためか、ドアが開け放たれていたのに助けられ、体や荷物をぶつけないよう気をつけて通り抜けた。


 外は、松明を持った村人や兵士が、そこここに散ってノインたちを探している。広く、松明の無い場所は暗い分、宿の中より動きやすく、人を避けながら村の出口にたどり着くまで、たいした苦労はなかった。


 村の出口は兵士がひとり見張っていたものの、やはりノインの目くらましには気づかず、ノインとヴィンセントは堂々と歩いて村を出ることができた。その先の街道にもぽつぽつと人はいたが、元々の兵士の数も多くないのと、村人たちも夜に村を離れたくないようで、いくらも行かないうちにひと気は絶えた。


「目くらましを解くわ。念のため、道を外れましょう」


 先がわからないまま、魔力を使い果たすわけにはいかない。

 ノインは星を見上げて方角を確かめ、ヴィンセントを連れて背の高い草が茂る道無き道へ降りた。

 街道は整備されて歩きやすい反面、万一、馬で追って来られたら、すぐに見つかってしまう。


「僕たちを、どこまで追ってくるでしょうか」

「もし、本当にわたしを魔女と疑って探しているのなら、しばらくは。でも……」


 その先を言葉にするのを、ノインは少しためらった。

 燃えるような金髪に、金の目。

 魔女の条件は周知されている。

 ノインの髪はごく淡い金髪だ。目の色も薄い灰色で、条件に合わない。ひと目見ればわかる不一致にもかかわらず、ノインを魔女と見なしたのは、生贄や、手柄が欲しかったから。


「もしあの村に、金髪に金の目、あるいはそのどちらかでも持つ子がいたら……」

「……」


 ヴィンセントも、ノインの言わんとすることに気づいたようで、黙って顔を伏せた。

 魔女を捕らえた実績が作れるなら、もはや誰でもいいのだ。


「……わたしの代わりに、誰かが犠牲になるの」

「ノインには何の罪もありませんよ」


 思わずこぼしたノインのつぶやきに、ヴィンセントがすかさず非難がましく答える。その声の大きさを手振りで宥め、ノインは周囲を見回して人が居ないかを確かめた。


「申し訳ありません」

「いいえ。そう言ってくれたのは、嬉しかったわ。わかっていても、自分ひとりだと気が滅入るもの」


 ノインは時折星の位置を見上げつつ、草むらをかきわけて進み、やがて森にたどりついた。

 街道の方向を伺っても、人の気配はない。


「兵は、こちらには来ませんでしたね」

「そうね。夜明けを待った……と、考えることにしましょう」


 ノインはランタンを取り出し、中に魔法で生み出した光の玉を入れ、体の前に掲げた。万が一の追っ手を警戒してのことだ。光の玉を浮遊させたら、夜では、遠目にも目立つ。


「今夜、どこまで進みますか?」


 ランタンがあっても暗すぎる森を見回して、ヴィンセントが遠慮がちに問う。彼としては、危険は冒したくないのだろう。ノインは自分の顔が照らされるようにランタンを掲げ、微笑んでみせた。


「そう奥まではいかないわ。少し先に、下草の柔らかな場所があるの。そこで休みましょう」


 足下に気をつけて、と、ノインは木の根が隆起する地面をランタンで照らしてみせた。それから、地面すれすれのごく低い位置に、光の玉を数個浮かべる。


「下だけでなく、上の枝やツタにもね」


 今度は上を見上げさせ、低い位置に張り出している木の枝などを示す。


「大変ですね……」

「街道を行けたらよかったのだけれど、やはり、追っ手が来たらまずいもの」

「そういえばノイン、もし追っ手が前の村からの情報を得ているなら、あなたの行く先も知られているのではないでしょうか」

「コレルへは行かないわ」

「えっ……わっ」


 ノインの返事に気を取られたヴィンセントが、何かにつまづく。彼の足下に光の玉を寄せながら、ノインはヴィンセントが立ち止まっているうちに続けた。


「どうしても行かなければならない場所ではないの。目的地なんてない旅だから」

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